碧き地平線の記憶

この小さき世界の中で

「ダコタ」   ダグラス DC-3

2010-11-30 21:39:42 | Weblog
ダグラス DC-3
アメリカ合衆国の航空機メーカーであるダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)の
双発のプロペラ旅客機・輸送機。
1936年運用開始。アメリカ軍用輸送機としての制式名称「C-47 スカイトレイン」
(C-47 Skytrain)、
イギリス軍用輸送機としての名称「ダコタ」(Dakota)

用途 旅客機・輸送機
乗員 パイロット 2名
乗客 3列席21人、4列席28~32人
初飛行 1935
運用開始 1936
製造者 ダグラス
単価
寸法
全長 19.66 m
全幅 28.96 m
全高 5.16 m
翼面積 91.7 m²
重量
運用 8,030 kg
最大離陸 12,700 kg
動力
エンジン P&Wツインワスプ14気筒 または
ライト・サイクロン9気筒 星形空冷;2
出力 1,200 hp×2
(895 kW×2)
性能(目安)
巡航速度 266km/h
最大速度 346 km/h
航続距離 2,420 km


自分の好きな、ギャビン・ライアルの小説にも登場する。
アルミの外装は、美しい。
リノ・エアレースで、ぜひ見てみたい機体である。


「ダブリン危機」 拾ったのを拾った話 これが、マネー

2010-11-29 17:40:52 | Weblog
今、危機に、耐えるダブリン。

ダブリンで拾った話というのを見つけた。
面白かったので拾ってみた。

(アイルランドの閑散とした都市での話。)

「雨が降り 人どおりも少なかった。経済は厳しい。
みんな借金だらけだ。誰かにカネを借りている状況。
そんなある日 恰幅の良い旅行者が通りかかり、
とあるホテルに寄った。
100ユーロ紙幣をカウンターに置いて
“今夜泊まるのに適当な部屋があるか
検討したいので階上の部屋を見せてくれないか”
ホテルのオーナーは部屋のキーを幾つか選んで渡し、
旅行者が階上に行くや、100ユーロ紙幣を掴み
隣の肉屋のツケを払うために走った。
受け取った肉屋は 直ぐに養豚業者に走り 
滞っていた支払を済ませた。
その100ユーロ札を受け取るや
養豚業者は餌と燃料の販売業者に走り
溜まった請求を払った。
販売業者は、直ちに近くの飲み屋でツケを払った。
その飲み屋のオヤジは、丁度店で酒を飲んでいた
馴染みの売春婦に以前から“ツケ”で
楽しませてもらっていたので
その支払を済ませた。
そのお姐さんはホテルのカウンターに行き
先日のホテル部屋代を支払った。
それを受け取ったホテルのオーナーは
何事もなかったかのようにカウンターの上に
100ユーロ紙幣を戻して置いた。
恰幅の良い旅行者は何も気がつかず
“気に行った部屋がない”と去っていった。

誰も何も生産したわけではない、
誰も何かを汗水流して働き得たえわけでもない。
でも街全体が借金から解放され
未来に向けて再出発することになった。」

ジョークで終わらすか、考えるか・・・
日本も笑っていられない。


Sarah Moon (サラ・ムーン)

2010-11-27 11:39:30 | Weblog
サラ・ムーン 1941年生まれ、イギリス。

写真学校に入った頃、最初に興味を持った写真家の一人。
その素粒子のトーンに引かれた。
調べると、まだそんな年齢だったのかと思う。
そのオリジナル・プリントは、凄いらしい。
絵画の贋作を作るより、オリジナルプリントの写真の
贋作を作るほうが困難だろう。
何故なら、本人自身も同じ物は、
二度と焼けないと言っているのだから。

ピータービルド 18輪トラック 

2010-11-24 22:54:58 | Weblog
ピータービルト(Peterbilt )アメリカ合衆国テキサス州Denton。

ピータービルドの18輪トラック。
全長、トレーラー側は48~60フィート。 
トラクター連結で、65フィートから、無制限という州もある。

こんなトラックで、アメリカの縦横に延びているトラフィックを
望めば、何十年でも走り続ける、
アメリカのトラック・ドライバー達は、幸せだ。

小島 一郎   「津軽」   沢田教一

2010-11-23 21:35:46 | Weblog
小島 一郎(こじま いちろう、1924年11月14日 - 1964年7月7日)

戦後、出身地青森県を拠点に北国の風景を撮り続けた。写真家として本格的に活動したのは、昭和29年頃からわずか10年ほどに限られている。この間、厳寒の津軽や下北の風土を大胆な構図と独特の世界観で表現する。雪原、農作業風景など平凡な被写体から生み出される、日常を超えたイメージや構図力と確かな技術は、日本の報道写真のさきがけである名取洋之助からも高い評価を受ける。ベタ焼きに代わるものとして考え出した通称「小島のトランプ」と呼ばれる手札サイズの作品群も特徴的である。また、小島の写真店に勤めていた沢田教一に大きな影響を与えた。

この写真家は自分には、重すぎる。

沢田 教一 のベトナム

2010-11-21 19:54:29 | Weblog
沢田 教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、青森県出身のフォトジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で亡くなる。ロバート・キャパを尊敬していた。死後、ロバート・キャパ賞受賞。

沢田 教一と、一ノ瀬 泰造・・・
この二人が今でも日本の報道カメラマンのシンボルだろう。
ベトナム、カンボジアの戦争は、
今の、世界の紛争地の取材とは違い、
本当に身を投げ出して飛び込まないと
撮影出来なかったであろう。
今であれば、セバスチャン・サルガド、
ジェームズ・ナクトウェイの二人が浮かぶのみである。
そこに生きている生身の人間の悲惨。
それを撮影する葛藤と使命感。
どんなに優れた?報道写真であっても世界は変わらない。
それは、受け手の側の問題であろう。
いつになっても、人間の意識は変わらないのだ。

ユージン・スミス その軌跡

2010-11-20 15:32:54 | Weblog
W・ユージン・スミス W. Eugene SMITH
◆1918年米カンザス州生まれ。14歳頃から写真を撮り始め、1934年には地方新聞に写真が掲載される。1936年、成功者だった父が大恐慌と大かんばつで穀物相場に失敗して自殺、学校関係の写真を撮ることで奨学金を得て、大学に入る。1937年には『ニューズウィーク』誌の仕事を始める。1938年にはブラックスター・フォトエージェンシーに参加、多数の雑誌に寄稿。第二次世界大戦に雑誌通信員として従軍。 1945年、沖縄戦で重傷を負い、療養後『ライフ』誌と契約し、1940年代後半から1950年代半ばの全盛期の『ライフ』誌で数々のフォトエッセイの代表作を発表、人間性に対する問題の核心を突く。1960年代、日立製作所より撮影依頼を受け来日。1970年代前半は水俣に移り住み産業汚染の実態を記録、世界各国で大反響を呼ぶ。1978年10月、脳溢血で死去。

報道写真家として、日本で2度取材中に重傷を負い、その後遺症で、
苦しみそれがもとで死んだ、日本に強い繋がりがある写真家。
その取材スタイル、紙焼き手法・・・独自のモノがあった。

自分も十代で始めて見た、ユージンの目が見た「水俣」に、強く引かれた。
あれから40年、再びその写真に魅かれている。

「遥かな海亀の島」 ピーター・マシーセン

2010-11-19 21:54:06 | Weblog
「遥かなる海亀の島」 ピーター・マシーセン(1975)

ピーターマシーセン、(1927年、ニューヨーク生まれ)二全米図書賞を受賞。

日本では、1980年発表。
当時、この本を、手に入れておいて本当に良かった。
今は、絶版になっている。探して、是非、読んで欲しい。
海洋文学の、金字塔のみならず、最高峰である。

「たんぽぽのお酒」 レイ・ブラッドベリ

2010-11-18 21:31:19 | Weblog
レイ・ブラッドベリ(Raymond Bradbury, 1920年8月22日 - )は、アメリカ合衆国

「たんぽぽのお酒」1957年
輝く夏の陽ざしのなか、12歳の少年ダグラスはそよ風にのって走る。その多感な心にきざまれる数々の不思議な事件と黄金の夢…。夏のはじめに仕込んだタンポポのお酒一壜一壜にこめられた、少年の愛と孤独と夢と成長。

この本も、お薦めしたい。
二度と戻る事のない、12歳の少年の夏・・・
この感性は、無くしたくない。


『かもめのジョナサン』    リチャード・バック

2010-11-17 20:13:28 | Weblog
主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、
他のカモメ達が餌をとるために飛ぶことに対して、
飛ぶという行為自体に価値を見出してしまう。
ジョナサンは食事をするのも忘れ、
速く飛ぶ事だけのために危険な練習を重ねる。
そしてその奇行ゆえに仲間から異端扱いされ、
群れを追放されてしまう。
それでも速く飛ぶ訓練をやめないジョナサンの前に
二匹の光り輝くカモメが現れ、より高次の世界へと導かれる。
「目覚めたカモメ達」の世界のなかでジョナサンは
より高度な飛行術を身につけ、長老チャンから
「瞬間移動」を伝授される。そしてある日、弟子を連れて下界に降り、
カモメの人生は飛ぶことにあるという「思想」を
広めようと試みるが、下界のカモメからは悪魔と恐れられて…。

リチャード・バック(Richard Bach、1936年6月23日 - )
アメリカのイリノイ州生まれの飛行家、作家。
飛行機に関するルポルタージュ風の作品を書いていたが、
1970年に『かもめのジョナサン』を発表した。
当初はほとんど評判にならなかったが、
1972年に突如ベストセラーのトップに躍り出た。
各国語に翻訳され、日本でもロングセラーとなっている。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの直系の子孫と言われている

この小説も、リアルタイムで読んだ。
当時、ピッピー達が挙って読み耽っていた。
今、読み返そうと思って、書棚から探し出してある。
この年齢になって、今の自分がどう感じるのか楽しみである。
今も、いろいろな小説が発売されているが、
小説は、果たして進化しているのであろうか?
これを読めば、その答えが判る様な気がする。



アーネスト・ヘミングウェイ  「海流のなかの島々」 遺作

2010-11-16 20:36:58 | Weblog
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、
1899年7月21日 - 1961年7月2日)アメリカ。
 1961年、ライフルで自殺。


「長編小説『海流のなかの島々』(Islands in the Stream)。
1950年から1951年にかけて執筆され、ヘミングウェイの死後、
彼の妻であったマリー・ヘミングウェイによって発見され、
70年に遺作として出版された。」

今日も、身辺整理をしていた。
今日は、以前から溜まっている本を、どうにかしないと、
と思って、今日、やっと手をつけた。 
やはり、一日中かかった。
持っている物を削ぎ落として行くと、
今の自分が見えてくる気がする。
この小説も、発表と同時に読んだ。
当時、ミドル・ティーンだった自分が、
どう読んだかは、覚えていない。
もう一度、読み返してみれば、
晩年のアーネストの事も、今の自分の事も
少しは、見えてくるかも知れない。



「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」  キューバ

2010-11-15 20:53:41 | Weblog
「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」 1999年


ライ・クーダーがプロデュースした同名のアルバム
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が制作の元となった。
このアルバムは大ヒットすると同時に、キューバ国外に
ほとんど知られていなかった、隠れた老ミュージシャンに
再びスポットライトを浴びさせた。
ライ・クーダーの友人であり、『パリ、テキサス』・
『ベルリン・天使の詩』で知られる
ヴィム・ヴェンダースが監督している。

それまで知られていなかったキューバの
老ミュージシャン、一人一人の来歴、演奏・収録シーン、
キューバの光景を織り交ぜた
ドキュメンタリー映画となっている。
ストーリー性はない。アムステルダム公演のシーンに始まり、
カーネギーホール公演のシーンで終わるが、
それ以外はほとんどキューバでの撮影・収録である。

一人の人間に、一つの人生、
それぞれに、それぞれの、こういう歳月の積み重ね、
生き方がある。

デイヴ・ブルーベック 「Take Five」

2010-11-14 20:59:27 | Weblog
デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck、:David Warren Brubeck、1920年12月6日 - )
カリフォルニア州コンコード出身のピアニスト。ウェストコースト・ジャズ・ピアニスト

昔から、ジャズ・プレイヤーは、白人のプレイヤーに惹かれる。
特に、デイブ・ブルーベック・カルテットやスタン・ゲッツなど。
デイヴ・ブルーベックの「Take Five」は、誰でも知っている曲だが
はやり彼のカルテットのプレイが軽くて良い。
何気ない普通のスーツに白いシャツ、黒のネクタイと黒の眼鏡で
淡々とクールにプレイする姿は、とてもカッコイイ。
人生、こう生きたいものだ。

「逃亡者」 リチャード・キンブルの選択

2010-11-13 21:57:10 | Weblog
The Fugitive 「逃亡者」 
アメリカABC系列で、1963年から1967年

妻殺しの濡れ衣を着せられ死刑を宣告された医師リチャード・キンブルが、
警察の追跡を逃れながら、真犯人を探し求めて全米を旅する。

リチャード・キンブル:デビッド・ジャンセン
フィリップ・ジェラード警部:バリー・モース
片腕の男フレッド・ジョンソン:ビル・ライシェ

当時、日本でも人気だったTVドラマ。
今まで、いろいろリメイクはされたが、オリジナルには及ばなかった。
 
やはり男には、戦う本能と、逃げる本能があるのだろう。
その両方を、その瞬間、瞬間、選択しながら生きて行くのだろう。
その命、燃え尽きるまで。