碧き地平線の記憶

この小さき世界の中で

ユージン・スミス その軌跡

2010-11-20 15:32:54 | Weblog
W・ユージン・スミス W. Eugene SMITH
◆1918年米カンザス州生まれ。14歳頃から写真を撮り始め、1934年には地方新聞に写真が掲載される。1936年、成功者だった父が大恐慌と大かんばつで穀物相場に失敗して自殺、学校関係の写真を撮ることで奨学金を得て、大学に入る。1937年には『ニューズウィーク』誌の仕事を始める。1938年にはブラックスター・フォトエージェンシーに参加、多数の雑誌に寄稿。第二次世界大戦に雑誌通信員として従軍。 1945年、沖縄戦で重傷を負い、療養後『ライフ』誌と契約し、1940年代後半から1950年代半ばの全盛期の『ライフ』誌で数々のフォトエッセイの代表作を発表、人間性に対する問題の核心を突く。1960年代、日立製作所より撮影依頼を受け来日。1970年代前半は水俣に移り住み産業汚染の実態を記録、世界各国で大反響を呼ぶ。1978年10月、脳溢血で死去。

報道写真家として、日本で2度取材中に重傷を負い、その後遺症で、
苦しみそれがもとで死んだ、日本に強い繋がりがある写真家。
その取材スタイル、紙焼き手法・・・独自のモノがあった。

自分も十代で始めて見た、ユージンの目が見た「水俣」に、強く引かれた。
あれから40年、再びその写真に魅かれている。