臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

竹山広『天の渚』観賞

2010年04月01日 | 秀歌ストックブック
 被爆歌人の竹山広氏が3月30日、慢性閉塞性肺疾患のために90歳でお亡くなりになった。
 葬儀は昨3月31日・午前11時から妻・妙子さんを喪主として、長崎市音無町9の34のカトリック西町教会で行われたとのこと。
 竹山広氏は、1920年に長崎県南田平村(現、平戸市田平町)に生まれ、生家は隠れキリシタンの家柄であったという。
 以下、同氏の略歴を記す。
 〔1939年〕 海星中学校卒業。福岡地方専売局長崎出張所に勤務。
 〔1941年〕 「心の花」に入会。
 〔1945年〕  肺結核で喀血し長崎市浦上第一病院に入院。
 同病院は爆心地から1・4キロの位置に在り、原爆が投下された8月9日は、たまたま同氏の退院予定の日に当たっていて、実兄が同氏を迎えに来るはずだったと言う。
 ところがその実兄が爆心地近くで被爆死し、同氏ご自身は奇跡的に軽傷で済んだと言う。
     〇 くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川
     〇 まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥をすすりき
 〔1958年〕 「短歌風光」に初めて原爆詠を発表する。
 〔1964年〕 長崎市にて印刷業を開業。
 〔1973年〕 第19回角川短歌賞候補。
 〔1981年〕 第一歌集『とこしへの川』発刊。第2回長崎県文学賞受賞。
 〔1996年〕 第五歌集『一脚の椅子』が第4回ながらみ現代短歌賞受賞。
 〔2002年〕 『竹山広全歌集』が第13回斎藤茂吉短歌文学賞受賞。
 同全歌集に含まれて発刊された第六歌集『射禱』が第17回詩歌文学館賞及び第36回迢空賞を受賞。
 更には、地方を拠点に被爆体験を真摯に詠い、自己を見つめ、社会性に富んだ作品を生み出したとして長崎新聞文化賞をも受賞した。
 〔2009年〕 第九歌集『眠つてよいか』と過去の全業績で第32回現代短歌大賞受賞。
 〔2010年3月30日〕 慢性閉塞性肺疾患のために逝去。享年91(満90歳没)。
 活水女子大教授で、同氏と親交の深かった詩人の田中俊広氏は、「一人の生きている市民の視線から原爆も日常の事象も見ていた。政治的なところから言葉を発せず、だからこそ言葉のなかに客観性もぬくもりもユーモアも表れていた。年を重ねるに従って伸びやかな境地に来ていたので残念だ」と、同氏のご逝去を悼んだ。

 上記の記事は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを参照して編集したものである。


    竹山広『天の渚』(短歌・平成17年11月号掲載)

○ こほろぎはいまだ鳴かぬか戸を閉さむ手をとどむれば今生無音

 「こほろぎはいまだ鳴かぬか」と詠い起し、それまで鳴いていないから「戸を閉さむ」と思ったのであるが、でも、これから鳴くかも知れないと思って「手をとどむれば」、残念ながら「今生」は「無音」なのである。
 五句目は「今宵無音」とすべきであろうが、これを敢えて「今生無音」としたことによって、作品世界が奥深く大きなものになった。
 その表現の妙は大いに学ぶべきである。 
  〔返〕 手をとどめ耳を澄ませど蟋蟀の鳴く音聞こへず無明の今宵   鳥羽省三


○ 雲高くゆふくれなゐを容るるときしづかにわれはわれをかなしむ

 「雲高くゆふくれなゐを容るるとき」という、ローマン的な時空間把握の素晴らしさ。
 そうした時空間の中に在るからこそ、「しづかにわれはわれをかなしむ」のであろう。
  〔返〕 悲しみはあの遠空の何処より来たるや我は吾をかなしむ   鳥羽省三 


○ サラリーマンとして戦時下に励みたりきその七年の彼と彼と彼女

 「サラリーマンとして戦時下に励みたりきその七年」とあるが、竹山氏のサラリーマン時代は、昭和十四年に海星中学校を卒業した後、被爆して終戦を迎えるまでの間の七年間であり、勤務先は福岡地方専売局長崎出張所であった。
 「その七年」間に同僚だったのが「彼と彼と彼女」。
 作者・竹山広氏は、その三人とどのような関係でつながり、どのような付き合いをしていたのであろうか?
  〔返〕 三人の中の一人は女性たり彼女と彼らの深き関はり   鳥羽省三


○ 無尽講のご馳走の席にをりたりきめでたしやわが記憶のはじめ

 幼時の記憶であろう。
 後年、被爆者と呼ばれる運命が待ち構えているのも知らずに、「無尽講のご馳走の席に」連なり、「めでたしや」と浮かれていた、己の姿に哀れを感じているのであろうか。
  〔返〕 被爆者と呼ばるるさだめ待ち居るも知らず居りにきご馳走の席   鳥羽省三


○ 派兵延長反対の示威行進の一糸二糸乱れゆくこそよけれ

 一糸乱れぬデモ行進なんて在り得ないし、仮に在ったとしても面白くも可笑しくも無い、というわけである。
 デモ行進のやり方まで規制しようとする、警察権力の愚かさを嘲笑しようとする姿勢を示しているのである。
  〔返〕 デモ終へし後の酒場の賑はひの一糸も二糸も揃はぬ気炎   鳥羽省三


○ 北朝鮮産ともいはれゐるといふあさりの汁のそれらしき味

 産地は何処でも「あさり」は浅蜊であるから、一応は「それらしき味」がするものである。
 そもそも、海産物の産地とは何処だろうか。
 魚介類の産地の全ては、一続きの海では無いだろうか。
 その一続きの海を区切って、此処までが国産、ここからが北朝鮮産とする政治の愚かさ。
 「北朝鮮/産ともいはれ/ゐるといふ/あさりの汁の/それらしき味」と、句割れ、句跨りを巧みに利用して、屈折していて含蓄に富んだ佳作を作り上げている。
  〔返〕 それらしき味ではあるが北朝鮮産のあさりの今朝の味噌汁   鳥羽省三


○ 九条を守らんと名をつらねたる三十名の中なるわが名

 〔日本国憲法・第2章 戦争の放棄〕 
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 上記の「日本国憲法・第2章(戦争の放棄)第9条」を改定しようとする保守勢力の動きに対して、それに反対する「9条の会」が、「井上ひさし・梅原猛・大江健三郎・奥平康弘・小田実・加藤周一・澤地久枝・鶴見俊輔・三木睦子」の九氏を呼び掛け人として結成されたが、それに呼応しての地方組織としての「憲法9条を守る会」が全国各地に結成され、署名活動やデモ行進などの旺盛な活動を行ったのである。
 竹山広氏は、そのうちの長崎市の組織を結成した三十名の一人として、署名したのであろう。
  〔返〕 「日本国憲法・9条」守らんと叫ぶ被爆者・竹山広   鳥羽省三


○ 寝に帰る鴉らは月を見るのかとおもふしばらく空を仰ぎて

 病気療養者の心で以って「寝に帰る鴉ら」のことを思い、「しばらく空を仰」いでいるのである。
 眼前に輝いているあの「月」を、「寝に帰る鴉らは」「見るのかとおもふ」作者の気持ちの弱さと哀れさ。
  〔返〕 寝に帰る鴉は月を見はせぬも我は月をみ鴉を見てゐる   鳥羽省三 


○ この谷を抱く丘々いつよりか進化のごとく地肌を見せつ

 「進化のごとく地肌を見せつ」とは、何という哀しく冷酷な言い状。
 作者にとっての「進化」とは、荒れ果てて赤裸々に「地肌」を見せることなのである。
 廣島と長崎に原爆を投下したのも、誰かが自分の「地肌」を見せたことであり、その長崎の地の「進化のごとく地肌」を見せている「丘々」に抱かれた「谷」に、被爆者として生きている自分もまた、日々、自分自身の地肌を晒しながら生きている、という哀しく冷酷な自覚に基づいて詠んだ一首である。
 一首から、作者の居住地が「進化のごとく地肌」を見せている「丘々」に抱かれている「谷」の一廓に在ることが読み取れるが、こうした表現から私は、被爆の記憶から未だ解放されず、何者かに見下ろされているかのような思いを抱きながら生きていることを自覚しながら生きている、作者自身の心境をも読み取れると思うのである。
  〔返〕 宙を行くスペースシャトルに曝したる哀しい地球の哀れな地肌   鳥羽省三


○ われの身の委細を忘れたまはざる神をし思ふ神はおそろし

 直前の作品と同工同曲。
 「神」は全てをお見通し、「神はおそろし」と言うわけである。
 しかし、直前の作品の場合は、客観写生を通して神の意志への畏怖や自己の宿命の自覚を間接的に表わしているのであったが、本作の場合は、直接に「われの身の委細を忘れたまはざる神をし思ふ」と言い、「神はおそろし」とも言っているのであるから、直前の作品に較べて、本作の方が深みに欠ける。 
  〔返〕 神のみが汝(なれ)の委細を知るものに非ずや汝(な)こそ己(おの)を忘れよ   鳥羽省三 


○ シンクロの脚水上におしひらきながら滅びてゆくのであらう

 「脚」を「おしひらきながら滅びてゆく」のは、「シンクロ」の選手のみならず、モーグルの選手も体操の選手も同じことである。
 作者のあの日の記憶の中には、「脚」を「おしひらきながら滅びて」行った被爆者の姿が在ったのだろうか?
  〔返〕 黒き影を石階段に落としつつあの少年は何を思案してゐた   鳥羽省三


○ 崖っ渕にいくたび立ちしかと思ふかたはらに妻ともども立ちて

 被爆者としての竹山広氏の毎日の生存は、正しく「崖っ渕」に立っていたようなものであったに違いない。
  〔返〕 かたはらに立ち居る妻の在ればこそ崖っ淵より幾たび生還   鳥羽省三


○ 歌に励むなかりし四十代五十代ながきかなつひに戻り来ぬもの

 「歌に励むなかりし四十代五十代」は「つひに戻り来ぬもの」ではあるが、この「ながき」歳月に、作者が「歌に励む」代わりに得たものが、必ず在ったに違いない。
  〔返〕 戻り来ぬ四、五十台に得しものも在る筈それは夫婦の絆   鳥羽省三


○ 原爆を特権のごとくうたふなと思ひ慎しみつつうたひきぬ

 アララギの土屋文明選が健在だった頃、私の知人の某氏は文明選の常連だった。
 彼の本業は左官屋であり、彼が本業に関する作品を投稿した場合のみ、師・土屋文明はその作品を掲載し、本業以外の叙景歌などを投稿した場合は、「君の本職も本分も左官屋である。君が左官屋の歌を詠むのは君の使命であり、君の<特権>である」とのコメントを添えて、彼の投稿作を突き返したということを人伝てに聞いたことがある。
 竹山広氏に「原爆を特権のごとくうたふな」と言ったのは、他ならぬ竹山氏本人である。
 これまた興味深いことではあるが、竹山広氏にとっての被爆体験は、詠歌の題材にするような性質のものでは無く、もっももっと重く、辛く、神聖なものでさえあったに違いない。   〔返〕 貧困を特権のごとく詠みしもの石川啄木山崎方代   鳥羽省三 
       奔放を特権の如く詠みしもの和泉式部と与謝野晶子と   々
 

○ 夜半過ぎといはれし雨がもののけのごとく立ちをり未明の庭に

 「夜半過ぎ」にやって来ると「いはれし雨が」、数刻遅れで「未明」に訪れ、その雨の降る様子が、まるで「もののけのごとく」だったと言っているのである。
 数刻遅れで降って来た「雨」の様子を「もののけのごとく立ちをり」と表現した直喩が新鮮である。
  〔返〕 まだ明けぬ庭を濡らして降る雨は音も無く来る物の怪のごと   鳥羽省三
 

○ 総雨量六〇〇ミリになる雨といはれて度胸のやうなもの出づ

 「えーい、こうなったら矢でも鉄砲でも降って来い。こちとら、筋金入りの肥前っ児だ」という心境なのか?
  〔返〕 大雨と言へば今でも思ひ出す彼の諫早は長崎のそば   鳥羽省三


○ 湯をはやく浴びて眠りてこの幾夜涼しき天を見ることもなし

 高齢者にとって夜更かしは禁物、まして病身とあれば尚更のことである。
  〔返〕 湯冷めして眺むる天に月は無し星はも我にもの思はする   鳥羽省三


○ 自律神経失調症にやつれたる妻がくすりを一錠くれぬ

 病院からの処方箋で入手した薬品を連れ合いなどに遣ることは、<さもありなん>というところであるが、ましてその薬品が<精神安定剤>や<睡眠導入剤>とあれば尚更のことである。
  〔返〕 こころ病む妻が呉れたる一錠は花にも紛ふハルシオン錠   鳥羽省三


○ ことしまだ畳に蟻を殺さずと熱のさがりしあたまは思ふ

 一首全体の表現が奇矯で面白いが、「熱のさがりしあたまは思ふ」という下の句は特に面白い。
 しかし、詠歌対象がかなり深刻で、やや偏執に傾いたとも言える内容だけに、面白がってばかりも居られない気がする。
  〔返〕 「蟻来ぬか来れば殺す」と幾たびも熱の上がりしあたまは思ふ   鳥羽省三 

○ 月ふとる夜頃となりて孟宗の森くきやかにわれをへだてる

 「素晴らしい」としか言いようの無い作品である。
 この境地に入ることは、我ら凡人には到底為し難いことである。
  〔返〕 月ふとる夜頃となれば思ひ出づ月に痴れたる更科の姉   鳥羽省三 


○ 適齢といふ年齢のありしころわが子の齢たふとかりしか

 昨今は「適齢といふ年齢」が無くなってしまったのか?
  〔返〕 適当といふ語の適当な使ひ方「これ適当に誤魔化してやれ」


○ 中二女子自殺その横虐待死 これくらゐではもう驚かず

 援助交際、部活リンチ、監禁致死、オヤジ狩り、実妹殺人と数え上げればきりが無い。
 昨今の青少年たちは、加害者になったり、被害者になったりで忙しい。
  〔返〕 時間売り下着を売って身体売り これくらゐではまだ言ひ足らず   鳥羽省三
 

○ 最小限口の答へをすればすむこの理髪師を一生愛す

 「お喋り床屋」という言葉は在っても、「寡黙な床屋」という言葉は無い。
 床屋や美容院に行っていちばん困るのは、身元や学業成績や勤務先や病歴までもいろいろと詮索されることだと言う。
  〔返〕 後家床の耳垢取りの心地よさ身元も職もみんな喋った   鳥羽省三
 

○ 六十年の節目節目といふ声の絶えて夜霧に入るハウス群

 「六十年の節目節目」とは原爆投下後「六十年」のこと、「ハウス群」とは米軍キャンプ内の兵舎のことであろう。
 したがって、「六十年の節目節目といふ声の絶えて夜霧に入るハウス群」というこの一首は、戦後六十年を経て、憲法9条改定や自衛隊の海外派兵を叫ぶ声の高まりを憂慮して詠んだものであろう。
  〔返〕 卒寿とふ節目も在りてその節目百日にして竹山氏逝く   鳥羽省三  
 

○ 名の上に故とある六首しくしくに倒伏したる稲をかなしむ

 竹山広氏もまた、今となっては「名の上に故とある」人の列に連なってしまったのである。
 「名の上に故とある六首」と「倒伏したる稲をかなしむ」とを結ぶ「しくしくに」の働きの見事さよ。
  〔返〕 今にして竹山広の「故」を惜しむ吾はしくしくに悲しかりけり   鳥羽省三 

○ 耳の奥に深夜血流の音きこえ天の渚をただよふわれは

 「深夜」ともなれば、心臓の鼓動はよく聞くが、「流血の音」までは聴いたことが無い。
 「耳の奥に」「深夜」「血流の音」が「きこえ」たとすれば、竹山広氏は、まさに「天の渚をただよふ」人であったに違いない。
  〔返〕 耳の奥に血流の音も聴かずして天の渚を漂う竹山   鳥羽省三