○ ドア閉ずる。春は曙囚人の調理師(クック)ら房を出でゆく気配 (アメリカ) 郷 隼人
冒頭に「ドア閉ずる。」とあるが、「閉ずる」は宜しくない。
「ドアを閉じる」の「閉じる」は、文語ならば「閉づ」であり、口語ならば「閉じる」である。
本作の作者は、昭和六十一年七月一日に、内閣から告示された「現代仮名遣い」の手引きに「タ行濁音の<ぢ・づ>は、特定の場合を除いて<じ・ず>と書く」という趣旨の決まりが在ることを誤解し、更には文語と口語とをごちゃ混ぜに考えていたりもして、「ドア閉じる」或いは「ドア閉づ」とするべきところを「ドア閉ずる」などという言い方をしたのであろう。
昨今の歌壇の一部には、こうした出鱈目な言い方を野放しにする向きも見掛けられるが、それは当事者たちの見識とおつむの程度の問題であるから問題にするにも値しないが、他ならぬ馬場あき子さんが彼らと同列であってはいけない。
また、この「ドア閉ずる。」という句点を伴った一句は、それ以降の句とどのような関わりを持っているのかもはっきりしない。
あれこれと考えてみるに、この一首の意は、「春の明け方に、看守らが朝食の準備をさせるために囚人の中の調理師らを収容している房の扉を開けたので調理師の囚人らがその房から出て行った。その気配を同じ獄舎内の別の房にいた本作の作者が感じ、その後に、その房の扉が閉じられた」というものであろう。
「春は曙」という思わせ振りな表現も衒学趣味みたいで嫌味である。
調理師を「クック」と読ませるのも嫌味である。
表記上のミスが在り、表現上にも曖昧な点の在るこの作品について、ここまで理解することはなかなか難しい。
詠い出しに「ドア閉ずる。」という句を置いた作者の意図や、それに続いて「春は曙」を置いた意図も理解し難い。
獄窓の内側から投稿された作品であろうと、外側から投稿された作品であろうと、良くない作品は良くない作品である。
国外から投稿された作品であろうと、国内から投稿された作品であろうと、良い作品は良い作品である。
新聞歌壇の選者は、間違いを間違いとして正し、曖昧を曖昧として指摘する者でなければならない。
〔返〕 朝まだき調理師獄舎の扉開き囚人調理師(クック)ら出で行く気配 鳥羽省三
○ 窓に見る古墳の木々の芽吹き来て埴輪の馬の目覚むる気配 (岸和田市) 南 与三
本作は、鬱蒼と茂った「古墳の木々」の辺りに朝が訪れ、その「木々の芽吹き」も次第に明らかになる時刻のロマンチックな雰囲気を詠ったのであろう。
「埴輪の馬」は眼前に在るのか無いのか判らないが、それはそれでこの作品の優れた点なのであろう。
もう少し想像を逞しくして言えば、「埴輪の馬」はその「古墳」の主の副葬品として埋まっている(かも知れない)ものとして、作者の心の中に存在するものである。
〔返〕 芽吹き来て埴輪の馬を目覚ましむ古墳の木々の今朝のふくらみ 鳥羽省三
○ 落書きを消して教室明け渡す終わる三月始まる四月 (枚方市) 小島節子
年度末と年度始めの端境期たる春休みともなれば、全国至る所の学校で見られる光景である。
この教室で過ごした過去一年間の思い出に浸りつつ、この教室に来週から入って来る新入生たちへの期待感を覚えつつ、教師・小島節子さんは、この教室の備品たる机や教卓や本棚や時計や黒板や黒板消しの果まで、ぴかぴかに洗い立て、磨き立てているのである。
悪ガキ山田大智君の書いた「コジマ伝奇」という記念碑的な落書きも惜しみつつ消す。
その隣りに、学級委員の花村茉莉さんの書いた「落書き禁止」という落書きも彼女の清楚な顔を思い出しながら心を込めて消したのである。
一年間ご苦労様でした。
次年度も頑張って下さい。
極めて具体的かつ稚拙めかした言い方ではあるが、「終わる三月始まる四月」は大変宜しい表現である。
評者・鳥羽省三は作者・小島節子さんに「はなまる」を差し上げます。
〔返〕 消さないでおきたい落書き一つあり明日からここに新入生が 鳥羽省三
○ 地方紙のおくやみ欄に載る名前知らぬ人なし奥飛騨の町 (高山市) 松田繁憲
「地方紙」の目玉記事は、「おくやみ欄」と「お誕生おめでとう欄」である。
そのうちの「お誕生おめでとう欄」に記載されているお名前の大半は、漢字の音訓とそのお名前の<よみ>とが一致しない、まるで国籍不明のようなお名前なのであるが、「おくやみ欄」に見られるご氏名は、例外的な少数を除いて、漢字の音訓表に則った古典的なご氏名であり、地付きの人々にとってはすっかりお馴染みのご氏名なのである。
思うに、本作の作者の松田繁憲さんは、地元の名士であり、生き字引なのかも知れません。
だとすればこそ、「おくやみ欄に載る名前」の中で、松田繁憲さんが「知らぬ人」は「なし」なのである。
〔返〕 知らぬ名も読めぬ名も無き<お悔やみ欄>だけに身を入れしみじみと読む 鳥羽省三
○ 雑貨屋も書店も消えしこの島にコンビニが来て夜を連れ去る (西海市) 原田 覺
「夜を連れ去る」が宜しい。
それまでは安息の時間帯であったものが、終夜営業のコンビニの灯りによって奪われてしまうのである。
〔返〕 煌々と夜を灯せるコンビニの中に紛れて鬱を飼ひ居り 鳥羽省三
○ 大荒れの春一番に雪崩たる三角山は山肌さらす (湯沢市) 佐藤亮子
一首全体が、ただの説明に終始しているなど、とり立てて優れた箇所が在るわけでも無い作品ではあるが、作者の居住地「湯沢市」と、作中の「三角山」に馴染みを感じたので選ばせていただいた。
〔返〕 きぞ一夜吹き荒れにける春一番 三角山は雪崩れ曝せる 鳥羽省三
○ 学生と間違へられてしまひけり講師としてはなほぎこちなく (奈良市) 杉田菜穂
それなりの努力はしているが、「なほぎこちなく」なのである。
学期始めの講義では、新米女性講師の、その「ぎこちなさ」が意外に好評を博すものである。
しかし、その「ぎこちなさ」のままでは、そのうちに性質の良くない学生たちになめられてしまい、授業妨害やポイコットどころか、セクハラまでされてしまう危険性がある。
今が肝心。
ただ今が肝心要のカンカン肝臓なのである。
その「ぎこちなさ」を愛情と威厳に変え、良い講義をするようになって下さい。
〔返〕 学生と間違えられるのも手の内だ幼顔して実のある講義 鳥羽省三
○ 弥生十三日今朝の原発霧ふかくコミュニティバス客なく走る (福井県) 大谷静子
乗客無しの「コミュニティバス」を、「霧」が「ふかく」かかっている早朝から走らせているのは、いかにも「原発」の町ならではの事である。
「今朝の原発霧ふかく」と言うのも、何やら謎めいていて深みがある。
「弥生十三日」は金曜日なのかも知れない。
〔返〕 霧深く未だ見えざる原子炉の方より響く怪しい霧笛 鳥羽省三
○ 毎日が旅立ちだから通勤のホームで向かいの夫に手を振る (枚方市) 神原佳代子
夫婦共働きとは言え、「毎日が旅立ちだから」は少し大袈裟。
しかし、その大袈裟がこの作品の魅力なのである。
本作の作者・神原佳代子さんは、熱々の新婚カップルの片割れなのか?
だとすれば、もう一方の片割れが向かい側のホームに居て、片割れ同士がお互いに暗号めかして「手」を振り合うのであるか?
〔返〕 毎日が熱々だから別々は昼間だけとは言えど旅立ち 鳥羽省三
○ アナログとテレビ画面に表示あり地デジ買わぬと非国民みたい (阿南市) 西田晴彦
「非国民みたい」とは、これまたかなり大袈裟です。
でも、NHKもかなりしつっこいことは事実である。
〔返〕 パソコンでBSを視る手も在って地デジ元年恐くはないぞ 鳥羽省三
○ 闇という字にも暗いという字にもある部首の音(おと)その音(ね)聴きたし (京丹後市) 木下 務
「闇という字」の「部首」は「もんがまえ」であり、「暗い」という語の「暗」の「部首」は「ひへん」である。
うろ覚えの知識で短歌を作る作者も愚か者であるが、それを入選作として、天下の朝日新聞に掲載した選者は天下の大馬鹿者である。
〔返〕 「恥を知れ、恥を」と叫ぶ父祖の声「心の花」の水枯れにけり? 鳥羽省三
○ ポシェットのひとつも持たず白鳥は大陸めざし日本海越ゆ (鳥取県) 長谷川和子
作者の長谷川和子さんは、バス一本で行ける鳥取市に出掛ける時でさえ「ポシェットのひとつ」や二つは持って行くのでありましょう。
それなのに、「ポシェットのひとつも持たず」「大陸めざし日本海」を越えて行く、あの「白鳥」は何たることか、というわけでありましょう。
「ポシェットのひとつも持たず」という上の句は、余人にはなかなか思いつかない優れた表現かと思われる。
〔返〕 ポシェツトを首にぶら下げ北帰行 白鳥さんの優雅な旅路 鳥羽省三
○ バレンタインのチョコを頬張り雛僧は托鉢へ発つ涅槃会の朝 (東根市) 庄司天明
「バレンタインのチョコを頬張り」と「托鉢へ発つ」とのミスマッチで笑いを取ろうとした作品のようにも思われるが、現代社会に於いては僧侶の子弟たる「雛僧」と雖も、バレンタイン・チョコを貰えたとか貰えなかったとかで一喜一憂する少年の一人に違いないから、「さもありなん」というところでありましょう。
〔返〕 師の僧は般若湯など召し上がり雛僧連れて托鉢へ発つ 鳥羽省三
○ みどり児を光背のごと背に負ひて寒のひと日のほのぼの温し (佐賀市) 古賀ゆき
「光背のごと背に負ひて」が抜群である。
合計特殊出生率が<1・3>以下の数字で推移する、昨今の日本社会なればこその一首なのである。
〔返〕 みどり児を後輩の如く扱ってビンタ食わせて平気な母も 鳥羽省三
○ 投げきれず棋士は天井を見上げたり五十九秒まで読まれ指す (横浜市) おのめぐみ
「天井を見上げた」としても、天井には何も書いてない。
それに、残り時間一分中の「五十九秒まで読まれ」たのに尚「指す」というのは、未練以外のなにものでも無い。
〔返〕 一分の五十九秒まで読まれても尚かつ指すとは馬鹿な棋士だよ 鳥羽省三
○ 早咲きの桜は不思議な場所に咲く倉庫の脇や資材置き場や (東京都) 野上 卓
「早咲きの桜」が「倉庫の脇や資材置き場」などの「不思議な場所に咲く」という発見が素晴らしい。
そう言われてみればその通りであるような感じで、極めて説得力のある表現と思われる。
〔返〕 甲州の身延の寺の汲み取りのトイレから見た枝垂桜よ 鳥羽省三
○ 神様に借りたるものをひとつづつ返すことなり老いるというは (大和市) 水口伸生
「神様に借りたるもの」の中でも、その最たるものは寿命である。
死への階梯は、その最たるものを年賦償還して行く階梯であろうか?
〔返〕 神様に借りたる物の一つにてこの清冽な我の面貌 鳥羽省三
○ 老いるとは春の無辺にあそぶことゲートボールの人々しずか (和泉市) 長尾幹也
これもまた真なり。
「春の無辺」の中を「人々」が「しずか」に「ゲートボール」に興じている光景は、通院の帰りなどに、私もしばしば目にする光景である。
〔返〕 見とれてるばかりでやれぬ光景の一つとしてのゲートボールよ 鳥羽省三
○ ひそやかに位牌伴う船旅と海に入りゆく夕陽見て言う (岡山市) 小林道夫
「海に入りゆく夕陽」を見ながら、本作の作者に「ひそやかに位牌伴う船旅」と言った人は、どんな人だったのでしょうか?
女性だろうか?
男性だろうか?
「位牌」に記されている戒名は?
物語的な奥行きと広がりを備えた傑作である。
〔返〕 胸元に位牌抱えて瀬戸内に沈む夕陽を見入る船旅 鳥羽省三
○ きっかけを逃せば二度と訊けないということもある 春に降る雪 (横浜市) 原田彩加
「きっかけを逃せば二度と訊けないということもある」という上の句と「春に降る雪」という下の句とのバランスが絶妙である。
この両者は、関わりがあるとも無いとも思われる、希薄にして濃厚な関係である。
短歌観賞の楽しみは、そのバランスを計り、その間隙を埋めて行く楽しみである。
〔返〕 きっかけを逃したままで逢えぬ人 春降る雪にしみじみ思う 鳥羽省三
○ 排卵は五百余といふヒトの女(め)の一生(ひとよ)に吾子をふたり賜はる (神奈川県) 加藤三春
女性の排卵個数が「五百余」でしかないとは、私にとっての新知識である。
その「五百余」でしかない卵子に精子を的中させることは、まさに神業である。
となると、私も私の二人の子供たちも神業によって生まれた、ということになる。
生まれた命を大切にしなければならない所以が此処に在る。
〔返〕 吉凶のいずれの神かは知らねども五百に一個の命なりけり 鳥羽省三
○ 蝶々の標本のごと飾られて火野葦平の従軍手帳 (福岡市) 松尾あのん
「芥川龍之介展」や「斉藤茂吉展」などの文学者展で、対象作家の通信簿などが見開き状態で展示されているのを数回見たことがあるが、そのいずれもが、「蝶々の標本のごと飾られて」いたので、私は、本作の表現を極めてリアルに感じたのである。
「火野葦平」と言えば『麦と兵隊』などで名を馳せた作家である。
その彼の「従軍手帳」というのは、将に圧巻至極の見ものである。
〔返〕 浪人か御家人の如き顔をして徳川慶喜のスナップ写真 鳥羽省三
○ 通勤のバスに異例の客一人若き力士の春場所通い (高槻市) 奥本健一
ごく希には、ママチャリに乗って本場所入りする力士もいると言う。
可愛そうなのは、体重百五十kg超の力士に乗られたママチャリである。
〔返〕 登戸の川崎市立病院で出会った力士は時天空だ 鳥羽省三
この返歌に詠んだ内容は、実体験に基づいたものです。
それ以来、我が家では時天空を「登戸山」と名付けてテレビ桟敷で応援しています。
冒頭に「ドア閉ずる。」とあるが、「閉ずる」は宜しくない。
「ドアを閉じる」の「閉じる」は、文語ならば「閉づ」であり、口語ならば「閉じる」である。
本作の作者は、昭和六十一年七月一日に、内閣から告示された「現代仮名遣い」の手引きに「タ行濁音の<ぢ・づ>は、特定の場合を除いて<じ・ず>と書く」という趣旨の決まりが在ることを誤解し、更には文語と口語とをごちゃ混ぜに考えていたりもして、「ドア閉じる」或いは「ドア閉づ」とするべきところを「ドア閉ずる」などという言い方をしたのであろう。
昨今の歌壇の一部には、こうした出鱈目な言い方を野放しにする向きも見掛けられるが、それは当事者たちの見識とおつむの程度の問題であるから問題にするにも値しないが、他ならぬ馬場あき子さんが彼らと同列であってはいけない。
また、この「ドア閉ずる。」という句点を伴った一句は、それ以降の句とどのような関わりを持っているのかもはっきりしない。
あれこれと考えてみるに、この一首の意は、「春の明け方に、看守らが朝食の準備をさせるために囚人の中の調理師らを収容している房の扉を開けたので調理師の囚人らがその房から出て行った。その気配を同じ獄舎内の別の房にいた本作の作者が感じ、その後に、その房の扉が閉じられた」というものであろう。
「春は曙」という思わせ振りな表現も衒学趣味みたいで嫌味である。
調理師を「クック」と読ませるのも嫌味である。
表記上のミスが在り、表現上にも曖昧な点の在るこの作品について、ここまで理解することはなかなか難しい。
詠い出しに「ドア閉ずる。」という句を置いた作者の意図や、それに続いて「春は曙」を置いた意図も理解し難い。
獄窓の内側から投稿された作品であろうと、外側から投稿された作品であろうと、良くない作品は良くない作品である。
国外から投稿された作品であろうと、国内から投稿された作品であろうと、良い作品は良い作品である。
新聞歌壇の選者は、間違いを間違いとして正し、曖昧を曖昧として指摘する者でなければならない。
〔返〕 朝まだき調理師獄舎の扉開き囚人調理師(クック)ら出で行く気配 鳥羽省三
○ 窓に見る古墳の木々の芽吹き来て埴輪の馬の目覚むる気配 (岸和田市) 南 与三
本作は、鬱蒼と茂った「古墳の木々」の辺りに朝が訪れ、その「木々の芽吹き」も次第に明らかになる時刻のロマンチックな雰囲気を詠ったのであろう。
「埴輪の馬」は眼前に在るのか無いのか判らないが、それはそれでこの作品の優れた点なのであろう。
もう少し想像を逞しくして言えば、「埴輪の馬」はその「古墳」の主の副葬品として埋まっている(かも知れない)ものとして、作者の心の中に存在するものである。
〔返〕 芽吹き来て埴輪の馬を目覚ましむ古墳の木々の今朝のふくらみ 鳥羽省三
○ 落書きを消して教室明け渡す終わる三月始まる四月 (枚方市) 小島節子
年度末と年度始めの端境期たる春休みともなれば、全国至る所の学校で見られる光景である。
この教室で過ごした過去一年間の思い出に浸りつつ、この教室に来週から入って来る新入生たちへの期待感を覚えつつ、教師・小島節子さんは、この教室の備品たる机や教卓や本棚や時計や黒板や黒板消しの果まで、ぴかぴかに洗い立て、磨き立てているのである。
悪ガキ山田大智君の書いた「コジマ伝奇」という記念碑的な落書きも惜しみつつ消す。
その隣りに、学級委員の花村茉莉さんの書いた「落書き禁止」という落書きも彼女の清楚な顔を思い出しながら心を込めて消したのである。
一年間ご苦労様でした。
次年度も頑張って下さい。
極めて具体的かつ稚拙めかした言い方ではあるが、「終わる三月始まる四月」は大変宜しい表現である。
評者・鳥羽省三は作者・小島節子さんに「はなまる」を差し上げます。
〔返〕 消さないでおきたい落書き一つあり明日からここに新入生が 鳥羽省三
○ 地方紙のおくやみ欄に載る名前知らぬ人なし奥飛騨の町 (高山市) 松田繁憲
「地方紙」の目玉記事は、「おくやみ欄」と「お誕生おめでとう欄」である。
そのうちの「お誕生おめでとう欄」に記載されているお名前の大半は、漢字の音訓とそのお名前の<よみ>とが一致しない、まるで国籍不明のようなお名前なのであるが、「おくやみ欄」に見られるご氏名は、例外的な少数を除いて、漢字の音訓表に則った古典的なご氏名であり、地付きの人々にとってはすっかりお馴染みのご氏名なのである。
思うに、本作の作者の松田繁憲さんは、地元の名士であり、生き字引なのかも知れません。
だとすればこそ、「おくやみ欄に載る名前」の中で、松田繁憲さんが「知らぬ人」は「なし」なのである。
〔返〕 知らぬ名も読めぬ名も無き<お悔やみ欄>だけに身を入れしみじみと読む 鳥羽省三
○ 雑貨屋も書店も消えしこの島にコンビニが来て夜を連れ去る (西海市) 原田 覺
「夜を連れ去る」が宜しい。
それまでは安息の時間帯であったものが、終夜営業のコンビニの灯りによって奪われてしまうのである。
〔返〕 煌々と夜を灯せるコンビニの中に紛れて鬱を飼ひ居り 鳥羽省三
○ 大荒れの春一番に雪崩たる三角山は山肌さらす (湯沢市) 佐藤亮子
一首全体が、ただの説明に終始しているなど、とり立てて優れた箇所が在るわけでも無い作品ではあるが、作者の居住地「湯沢市」と、作中の「三角山」に馴染みを感じたので選ばせていただいた。
〔返〕 きぞ一夜吹き荒れにける春一番 三角山は雪崩れ曝せる 鳥羽省三
○ 学生と間違へられてしまひけり講師としてはなほぎこちなく (奈良市) 杉田菜穂
それなりの努力はしているが、「なほぎこちなく」なのである。
学期始めの講義では、新米女性講師の、その「ぎこちなさ」が意外に好評を博すものである。
しかし、その「ぎこちなさ」のままでは、そのうちに性質の良くない学生たちになめられてしまい、授業妨害やポイコットどころか、セクハラまでされてしまう危険性がある。
今が肝心。
ただ今が肝心要のカンカン肝臓なのである。
その「ぎこちなさ」を愛情と威厳に変え、良い講義をするようになって下さい。
〔返〕 学生と間違えられるのも手の内だ幼顔して実のある講義 鳥羽省三
○ 弥生十三日今朝の原発霧ふかくコミュニティバス客なく走る (福井県) 大谷静子
乗客無しの「コミュニティバス」を、「霧」が「ふかく」かかっている早朝から走らせているのは、いかにも「原発」の町ならではの事である。
「今朝の原発霧ふかく」と言うのも、何やら謎めいていて深みがある。
「弥生十三日」は金曜日なのかも知れない。
〔返〕 霧深く未だ見えざる原子炉の方より響く怪しい霧笛 鳥羽省三
○ 毎日が旅立ちだから通勤のホームで向かいの夫に手を振る (枚方市) 神原佳代子
夫婦共働きとは言え、「毎日が旅立ちだから」は少し大袈裟。
しかし、その大袈裟がこの作品の魅力なのである。
本作の作者・神原佳代子さんは、熱々の新婚カップルの片割れなのか?
だとすれば、もう一方の片割れが向かい側のホームに居て、片割れ同士がお互いに暗号めかして「手」を振り合うのであるか?
〔返〕 毎日が熱々だから別々は昼間だけとは言えど旅立ち 鳥羽省三
○ アナログとテレビ画面に表示あり地デジ買わぬと非国民みたい (阿南市) 西田晴彦
「非国民みたい」とは、これまたかなり大袈裟です。
でも、NHKもかなりしつっこいことは事実である。
〔返〕 パソコンでBSを視る手も在って地デジ元年恐くはないぞ 鳥羽省三
○ 闇という字にも暗いという字にもある部首の音(おと)その音(ね)聴きたし (京丹後市) 木下 務
「闇という字」の「部首」は「もんがまえ」であり、「暗い」という語の「暗」の「部首」は「ひへん」である。
うろ覚えの知識で短歌を作る作者も愚か者であるが、それを入選作として、天下の朝日新聞に掲載した選者は天下の大馬鹿者である。
〔返〕 「恥を知れ、恥を」と叫ぶ父祖の声「心の花」の水枯れにけり? 鳥羽省三
○ ポシェットのひとつも持たず白鳥は大陸めざし日本海越ゆ (鳥取県) 長谷川和子
作者の長谷川和子さんは、バス一本で行ける鳥取市に出掛ける時でさえ「ポシェットのひとつ」や二つは持って行くのでありましょう。
それなのに、「ポシェットのひとつも持たず」「大陸めざし日本海」を越えて行く、あの「白鳥」は何たることか、というわけでありましょう。
「ポシェットのひとつも持たず」という上の句は、余人にはなかなか思いつかない優れた表現かと思われる。
〔返〕 ポシェツトを首にぶら下げ北帰行 白鳥さんの優雅な旅路 鳥羽省三
○ バレンタインのチョコを頬張り雛僧は托鉢へ発つ涅槃会の朝 (東根市) 庄司天明
「バレンタインのチョコを頬張り」と「托鉢へ発つ」とのミスマッチで笑いを取ろうとした作品のようにも思われるが、現代社会に於いては僧侶の子弟たる「雛僧」と雖も、バレンタイン・チョコを貰えたとか貰えなかったとかで一喜一憂する少年の一人に違いないから、「さもありなん」というところでありましょう。
〔返〕 師の僧は般若湯など召し上がり雛僧連れて托鉢へ発つ 鳥羽省三
○ みどり児を光背のごと背に負ひて寒のひと日のほのぼの温し (佐賀市) 古賀ゆき
「光背のごと背に負ひて」が抜群である。
合計特殊出生率が<1・3>以下の数字で推移する、昨今の日本社会なればこその一首なのである。
〔返〕 みどり児を後輩の如く扱ってビンタ食わせて平気な母も 鳥羽省三
○ 投げきれず棋士は天井を見上げたり五十九秒まで読まれ指す (横浜市) おのめぐみ
「天井を見上げた」としても、天井には何も書いてない。
それに、残り時間一分中の「五十九秒まで読まれ」たのに尚「指す」というのは、未練以外のなにものでも無い。
〔返〕 一分の五十九秒まで読まれても尚かつ指すとは馬鹿な棋士だよ 鳥羽省三
○ 早咲きの桜は不思議な場所に咲く倉庫の脇や資材置き場や (東京都) 野上 卓
「早咲きの桜」が「倉庫の脇や資材置き場」などの「不思議な場所に咲く」という発見が素晴らしい。
そう言われてみればその通りであるような感じで、極めて説得力のある表現と思われる。
〔返〕 甲州の身延の寺の汲み取りのトイレから見た枝垂桜よ 鳥羽省三
○ 神様に借りたるものをひとつづつ返すことなり老いるというは (大和市) 水口伸生
「神様に借りたるもの」の中でも、その最たるものは寿命である。
死への階梯は、その最たるものを年賦償還して行く階梯であろうか?
〔返〕 神様に借りたる物の一つにてこの清冽な我の面貌 鳥羽省三
○ 老いるとは春の無辺にあそぶことゲートボールの人々しずか (和泉市) 長尾幹也
これもまた真なり。
「春の無辺」の中を「人々」が「しずか」に「ゲートボール」に興じている光景は、通院の帰りなどに、私もしばしば目にする光景である。
〔返〕 見とれてるばかりでやれぬ光景の一つとしてのゲートボールよ 鳥羽省三
○ ひそやかに位牌伴う船旅と海に入りゆく夕陽見て言う (岡山市) 小林道夫
「海に入りゆく夕陽」を見ながら、本作の作者に「ひそやかに位牌伴う船旅」と言った人は、どんな人だったのでしょうか?
女性だろうか?
男性だろうか?
「位牌」に記されている戒名は?
物語的な奥行きと広がりを備えた傑作である。
〔返〕 胸元に位牌抱えて瀬戸内に沈む夕陽を見入る船旅 鳥羽省三
○ きっかけを逃せば二度と訊けないということもある 春に降る雪 (横浜市) 原田彩加
「きっかけを逃せば二度と訊けないということもある」という上の句と「春に降る雪」という下の句とのバランスが絶妙である。
この両者は、関わりがあるとも無いとも思われる、希薄にして濃厚な関係である。
短歌観賞の楽しみは、そのバランスを計り、その間隙を埋めて行く楽しみである。
〔返〕 きっかけを逃したままで逢えぬ人 春降る雪にしみじみ思う 鳥羽省三
○ 排卵は五百余といふヒトの女(め)の一生(ひとよ)に吾子をふたり賜はる (神奈川県) 加藤三春
女性の排卵個数が「五百余」でしかないとは、私にとっての新知識である。
その「五百余」でしかない卵子に精子を的中させることは、まさに神業である。
となると、私も私の二人の子供たちも神業によって生まれた、ということになる。
生まれた命を大切にしなければならない所以が此処に在る。
〔返〕 吉凶のいずれの神かは知らねども五百に一個の命なりけり 鳥羽省三
○ 蝶々の標本のごと飾られて火野葦平の従軍手帳 (福岡市) 松尾あのん
「芥川龍之介展」や「斉藤茂吉展」などの文学者展で、対象作家の通信簿などが見開き状態で展示されているのを数回見たことがあるが、そのいずれもが、「蝶々の標本のごと飾られて」いたので、私は、本作の表現を極めてリアルに感じたのである。
「火野葦平」と言えば『麦と兵隊』などで名を馳せた作家である。
その彼の「従軍手帳」というのは、将に圧巻至極の見ものである。
〔返〕 浪人か御家人の如き顔をして徳川慶喜のスナップ写真 鳥羽省三
○ 通勤のバスに異例の客一人若き力士の春場所通い (高槻市) 奥本健一
ごく希には、ママチャリに乗って本場所入りする力士もいると言う。
可愛そうなのは、体重百五十kg超の力士に乗られたママチャリである。
〔返〕 登戸の川崎市立病院で出会った力士は時天空だ 鳥羽省三
この返歌に詠んだ内容は、実体験に基づいたものです。
それ以来、我が家では時天空を「登戸山」と名付けてテレビ桟敷で応援しています。