臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(021:狐)

2010年04月07日 | 題詠blog短歌
(みずき)
   ややあつて「狐の嫁入り」笑む母は着ぬまま逝きし羽織縫ひゐし

 三十一音の中に盛り込めないような内容を強引に盛り込んで仕立て上げた作品と見受けられ、この一首には、作者の創作意図が読者に充分に伝わらない恨みが在る。
 そこで、これに込めた作者の創作意図や情念を充分に汲み取ったうえでこの一首を解釈すると、「私の母は優しく我慢強くいつも笑顔を絶やさない母であった。その母が、久しく手にすることの無かった縫い針を手にして、自分自身が着るためにと羽織を縫っていたが、それが出来上がるや否や、せっかくの羽織の袖に一度も手を通さないまま、黄泉路へと旅立って行った。今日はその母の初七日。私たち遺族はそれぞれに都合をつけて、母を亡くした父のもとに集まって母の思い出に耽ったが、その語らいが始まってからしばらくして、突然のお天気雨がひとしきり降り、母の思い出の庭を濡らして行った」ということになるのでしょう。 
 しかし、この一首からこのような意味を感じ取ることは出来ても、これを完成した作品として誉めることは、私には到底出来ない。
 仮にこの作品を私が誉めたとしたら、それは即ち、私が作者の力量を見限ったことの証しになるのでありましょう。
 本作の作者は、原作中のどの語をいちばん大事と思い、どの語をそれほど大事で無いと思っているのだろうか、と、評者としてはあれこれと考えざるを得ない。
 しかし、そうした評者の詮索は、作者としてはありがた迷惑なことであり、「私は、この作品中の全ての語を必要な語と思ったのであり、その結果として、この作品はこのような形となったのである。それなのに、作者でも無いお前が余計なことは言うな」などと仰られるかも知れない。
 かほど然様に、短歌創作やその解釈は難しいものである。
  〔返〕 羽織縫ひ着ぬまま逝きし母の日に狐の嫁入りややあって晴る   鳥羽省三
 冒頭の「ややあつて」は、本作の作者としては、どうしても使いたい言葉であったと思われるから、敢えて無理して使ってみたのである。
 「母の日」は、カレンダー上の<母の日>と解しても宜しいし、母の葬儀の日や母の命日と解しても宜しいでしょう。
 とは言え、これではまだ欲張り過ぎで、内容があまりにもごたごたとしている。
 そこで、
  〔返〕 召さむとて仕立てし羽織も召さぬまま母は黄泉路に旅立ちにけり   鳥羽省三
 としてみた。
 しかし、これではせっかくの「ややあつて」も「狐の嫁入り」も捨ててしまうことになる、と思ったら、次の一首を付け足せばいいことである。
  〔返〕 初七日の読経聞こゆる ややあって狐の嫁入り庭面を濡らす   鳥羽省三
 とかなんとか申し上げたが、私の論は、あくまでも、お題「狐」を離れた論である。
 失礼。 


(穂ノ木芽央)
   衣擦れの脚のあひだに狐の尾憶えたばかりのふたりあそびに

 覚えたてのラブゲームを「ふたりあそび」と言っているのでしょうか?
 だとすれば、それは穂ノ木芽央さん一流の文学的修辞であり、突き放した冷たい言い方でもある。
 それはどうでも、その「ふたりあそび」の最中に、その遊びの片割れの男が、もう一方の片割れの女の「衣擦れの脚のあひだに狐の尾」があるのを見つけてしまったのである。
 こうした場合、「これはしまった大変だ」と思うのは、見つけられてしまった女の方であると思われるのだが、本作の場合はまるで逆。
 「見なければ良かったものを見てしまった」と驚き悲しみ嘆き、挙句の果には、「これは見なかったことにしよう。見なかったことにして、このまま『ふたりあそび』を続けよう」と思って、その女の「衣擦れの脚のあひだ」から覗いている「狐の尾」をかなり気にしながらも、やがては彼女の股の間に手を突っ込もうとしたのは、あの気の弱い男だったのである。
 この果敢なく哀しく怪しい「ふたりあそび」の成り行きは、その後、一体どのように展開するのでありましょうか?
 コンコン狐の尾話、後は明日のお楽しみ。
 お代は木の葉一枚。
  〔返〕 尻尾持つ女狐とは知る さりながら落ちるとこまで堕ちて行こうか   鳥羽省三


(壬生キヨム)
   ツギハギはセロハンテープでくっつけろ ある晴れた日の狐の嫁入り

 「狐の嫁入り」を「お天気雨」の意と解釈するならば、「ある晴れた日の」という四句目は過剰表現で不必要な句となろう。
 したがって、本作の「狐の嫁入り」は、昔話の世界の「狐の嫁入り」と解釈しなければならないことになる。
 しかし、昔話の中の「狐の嫁入り」は、本来は闇夜に行われるものであり、提灯の灯りで以って、「ああ、あそこで狐の嫁入りが行われているなー」と人間どもに感じさせるものであるから、この点からしても、本作の四句目「ある晴れた日の」は、矛盾した表現となる。
 そこで思うに、本作の作者は、「『ある晴れた日』に『狐の嫁入り』が行われたが、その花嫁行列の最中に、突然、お天気雨(狐の嫁入り)が降って来て、せっかくの花嫁衣裳が『ツギハギ』だらけとなってしまって馬脚を現しそうになってしまった。 そこで、それではいけないとばかりに、『ツギハギはセロハンテープでくっつけろ』という次第になってしまったのである」という意味を込めて、この「ツギハギ」だらけの一首を創作したのではなかろうか。
 二通りの意味を持った「狐の嫁入り」というロマンチックな言葉も、語源から遊離してしまえば、こういう使われ方をされることにもなるのである。
 評者としては、「狐につままれた」という気持ちで聞いているしか無い。
  〔返〕 親泣かせ花嫁泣かせの天気雨濡れた衣装は木の葉継ぎ接ぎ   鳥羽省三
 

(れい)
   半月がおぼろにかすむ秋の夜を母待つ子狐クンクンと鳴く

 ごく平凡な狐親子の昔話である。
 人間に化けて子供を産んだ女狐が、化けの皮を剥がされてしまい、泣く泣く森の中に帰ってしまった後、残された子狐が母狐を恋しがって「クンクンと鳴く」のである。
 「半月がおぼろにかすむ秋の夜を」という舞台設定が月並みなのである。
  〔返〕 満月が光り輝く春の夜を娘を置いて宇宙に旅立つ   鳥羽省三 


(珠弾)
   じゃんけんに始まり狐、野球拳 すっぽんぽんになっておしまい

 「じゃんけん」の種類としての「狐拳」と「野球拳」を挙げて、その多種多様な「じゃんけん」の全てに負けて「すっぽんぽん」にされてしまって、これで「おしまい」というわけなのである。
 本作の作者の意図としての「おしまい」は、<万事休す・一件落着>という意味の名詞であろうが、私は、この「おしまい」を、女が金切り声を上げて自分の子や夫に向かって言う、「そんなに勉強が嫌いだったら、学校なんか辞めておしまい!」「そんなに辛かったら、会社なんか辞めておしまい!」と言う場合の「おしまい」と解釈する手もあると思った。
 この場合の「おしまい」は、口語動詞「しまう」の命令形「しまえ」に、尊敬の意味を込めて言い替えた形「おしまい」なのである。
  〔返〕 鳥羽などにからかわれてるくらいならいっそ短歌をやめておしまい   鳥羽省三


(如月綾)
   あれはきっとすっぱい葡萄と諦めた狐みたいに君を忘れる

 「すっぱい」作とは言いながら、それなりの味わいのある作品である。
 お腹を空かした狐が居て、バラ線で囲まれた葡萄園の葡萄を狙っている。
 しかし彼女は生まれついての臆病狐だから、そのバラ線を飛び越えたり破ったりしてまでその葡萄畑の中に四足を踏み入れるまでの決心はつかないのである。
 挙句の果に彼女は、「ああ、あの葡萄はすっぱい葡萄なのだ。私が臆病だからあの葡萄畑の葡萄を食べられないのでは無い。あの葡萄がすっぱい葡萄だから私はあの葡萄畑の葡萄を食べないのだ」と、自己欺瞞の屁理屈をこね回すのである。
 その自己欺瞞の「狐みたい」に適当な理屈をつけて、本作の作者の如月綾さんは、恋しくて恋しくてならない「君を忘れる」ふりをするのである。
 自分用の羽織を縫い上げたとたんにあの世行きとなった母、セックスフレンドの女性を尻尾持ちの女狐と知りながらも入れ揚げている男、ツギハゲだらけの花嫁衣装を着て嫁入りしなければならない花嫁、母狐に置き去りにされた子狐、野球拳で負けて素っ裸にされてしまったビジネスマン、あれは酸っぱい葡萄のような男だと無理矢理に思い決めてしまって、恋しくてならない男を諦めてしまう女。
 かほど然様に、この世の中には不幸な生き物ばかりが満ち溢れているのである。
  〔返〕 恋しくてならぬ男を諦める女の食べぬ酸っぱい葡萄   鳥羽省三

 
(鮎美)
   神様の前のくちづけ 灯籠に照らされてゐた狐のおもて

 村の鎮守のお稲荷さんの神前での結婚式風景である。
 時あたかも村祭りの真っ最中。
 「灯籠に照らされて」怪しく光る「狐」の面が、花婿と花嫁の「くちづけ」を見つめているのである。
  〔返〕 その夜の花嫁御寮は処女のまま狐おもてが気になり燃えず   鳥羽省三


(リンダ)
   商売の繁盛まつる鳥居よこ舌出す狐二匹が座る

 「商売の繁盛まつる鳥居よこ」とは、<伏見稲荷大社の大鳥居の横>という意味なのか?
 もしそうだとすると、そこに狛犬代わりに鎮座している「二匹」の「狐」は「舌」を出していることになる。
 私は来週、関西旅行に行く予定であり、その途中に伏見人形の製造元にも寄るつもりであるから、この際じっくりと、実地に検証してみるとしよう。
 事と次第によっては、私は本作の作者を、嘘吐きのリンダ狐と決め付けなければならないことにもなってしまう。
  〔返〕 岩国の今津神社の境内で白蛇様がぺろり舌出す   鳥羽省三 


(畠山拓郎)
   現れし狐タイプの細身の子 狸タイプと入れ替わりして

 最近、私は銀座は勿論のこと、新宿であれ、横浜であれ、社交女性を置いている場所には、足を踏み入れないようにしている。
 その理由は他でも無く、お足が無いからである。
 私が全盛だった頃の新宿の酒場には、<欧陽菲菲>紛いの「狸タイプ」の社交女性がうようよしていて、その女性たちの胸乳を掻き分け掻き分けしながら、私は浴びるようにドンペリを飲んだものであった。
 それも今となっては昔のこと。
 今の私は、「狐タイプの細身」の老妻に介護されている毎日である。
  〔返〕 現れぬ狐タイプの細身妻 私のしもはそろそろ替え時   鳥羽省三


(理阿弥)
   暮れの春トロット習う子狐ら黒靴下の二匹三匹

 <ズンチャッチャ、ズンチャッチャ…>と三拍子の「トロット」を「習う」小娘たちが、あの理屈屋の理阿弥さんの周囲にも徘徊するのだろうか?
 だとすれば、「これはびっくり玉手箱、虫をも殺す理阿弥さん」である。
 しかし、その小娘どもを「暮れの春トロット習う子狐ら黒靴下の二匹三匹」と決め付けているのは、さすが理阿弥さん、その面目の躍如たるものが感じられる。
 「暮れの春」佳し、「子狐ら」佳し、「黒靴下の二匹三匹」佳し。
 佳いことだらけの「暮れの春」の一首である。
  〔返〕 暮れの春「黒靴下の子狐を一匹分けて呉れ」の春かな   鳥羽省三


(のわ)
   穀物に雨があたってほどけゆく狐の親子が山から降りる

 穀雨は二十四節気の一つであり、太陽暦の四月二十日頃がその日にあたる。
 その意味は「百穀を潤す春雨」ということであるから、その頃ともなると、「穀物に雨があたってほどけゆく」ことにもなり、「狐の親子が山から降りる」ことにもなるのであろう。
 本作は、暖かくて温くて明るい。
 人間様が大切にしている種籾を狙って「山から降りる」のであろうが、この「狐の親子」は憎めない。  
  〔返〕 お腹空き山から下りて来た狐 兵十さんの銃に当たるな   鳥羽省三


(南葦太)
   姪っ子よ幸せであれ 着ぐるみのパジャマ(狐)につつまれている

 「姪っ子よ幸せであれ」などと、南葦太さんという方は、インテリに似合わず単刀直入な物言いをなさる方である。
 これでは身内びいき丸出しではありませんか。
 少しは慎まなければ、女性が寄り付きませんよ。
 この分では、可愛い姪っ子さんが「包まれている」「狐」の「着ぐるみのハジャマ」も、昨年のクリスマスプレゼントとして、葦太叔父さんが買ってあげたものと思われる。
 姪っ子さんは、狐の着ぐるみハジャマに包まれて、愛くるしい眼差しで叔父さんにウインクなどするから、これからも葦太叔父さんは、この姪っ子さんに再三化かされて、いろんなフレゼントをしなければならない破目になってしまうことでしょう。
 そして、その挙句には、ご自身の婚期まで逸してしまうことでしょう。
 と、ここまで書いて来たのではあるが、この四月に、その南葦太さんがご結婚なさると言う。
 おめでとうございます、南葦太さん。
 本当におめでとう。
  〔返〕 これからは子作り専念葦太さん。姪っ子なんぞ糞喰らえだね。   鳥羽省三

 
(飯田和馬)
   小肥りは人間であり金色の狐ガールは畜生である

 同じ年頃の青年でも、南葦太さんと飯田和馬さんでは、どうしてこんなにまで違うのだろうか?
 これは明らかに飯田和馬さんの方が良くない。
 「小肥りは人間であり金色の狐ガールは畜生である」とは、人間憎悪の感情を丸出しした、反社会的な考え方ではありませんか、少しは慎みなさい。
 「狐ガール」とて女性。
 飯田和馬さんとて、そのうちに「小肥り」小父さんとなるのである。
 この両者がくっ付いて、子供作ったとしても、それに何の不都合がありましょうか。
  〔返〕 書を捨てて狐ガールと遊びなよ彼女の胸の底にも血潮   鳥羽省三


(高松紗都子)
   母の手がつくる狐のかげを見た白い障子はあたたかかった

 右の掌を左の掌の四本の指で握り、両手の親指を立てれば、耳の尖った狐の顔になる。
 そして、その右手の中指と人差し指の間を少し空ければ、その狐が口を空けた姿となる。
  〔返〕 冬の夜の影絵遊びのきりの無や狐も兎も障子に映る   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   ふかぶかと雪降る町へ狐火をたよりにいつか向かう日がくる

 今から半世紀以上昔の事。
 都会生活に憧れて、北東北のとある田舎町の駅から夜行列車に乗って、上京した一人の女が居た。
 その女は、首尾良く東京の一廓で職を得、それから間も無く恋人も得て、めでたくゴールインとはなった。
 しかしながら、その幸せの日も長くは続かず、離婚して失意の人となったその女には、「ふかぶかと雪降る町へ狐火をたよりにいつか向かう日がくる」ことになったのである。
 評者は、この話を人伝に聞いたのではない。
 評者自身の従姉の一人から、実体験として聞いたのである。
 本作を目の当たりにした瞬間、私は、その従姉の昔語りを思い出した。
  〔返〕 やがて来る別離の日々を恐れつつ従姉・奈津子は身を開きにき   鳥羽省三