臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「歌会始の儀」の御歌を読む(其の二)

2010年01月18日 | ビーズのつぶやき
〔召人〕
  武川忠一さんの詠進歌
     ○ 夕空に赤き光をたもちつつ雲ゆつくりと廣がりてゆく

 「赤雲」は瑞兆とか。
 詠進歌が講師たちによって朗詠される時、その作者は、起立し一礼した後、直立不動の姿勢を保たれたままで、自作の朗詠を聞いていらっしゃるのだが、召人の武川忠一さんの場合は、ご高齢の為なのか、起立や一礼もままならず、介添えの方に支えられてやっと起立する有様で、起立後もふらふら震えていらっしゃるようなご様子であった。
 見ている側の私としては、直立不動の姿勢を保たれるのに必死な、武川忠一さんがあまりにもお気の毒で、その時ばかりは詠進歌の披露時間の長さがとても気になりました。
 伝統ある「歌会始の儀」の召人に選ばれることは、歌人にとっては最も名誉あることでありましょう。
 そうであるからこそ、召人には今後も歌壇の最長老クラスのご高齢者の方が選出されることになりましょう。
 「立ち居もままならない歌人は召人に選ばない」という訳にも行かないと思われるます。
 そこで、今後は、車椅子の使用を認めるなど、儀式の運営に一考を要しましょう。


〔選者〕
  岡井隆さんの詠進歌
     ○ 光あればかならず影の寄りそふを肯ひながら老いゆくわれは

 本作の作者の岡井隆さんこそ正しく、「光あればかならず影の寄りそふ」ことを、身を以って体験なさった歌人でありましょう。
 かつての前衛短歌の旗手もまた、「光あればかならず影の寄りそふ」ことを「肯ひながら老いゆく」という訳でありましょうか?
 この一首から私は、高齢化社会の住人であることの悲哀をしみじみと感じました。
 歌壇は、日本の現代社会に先駆けて<高齢化社会>に傾斜して行った。
 かと言って、岡井隆氏が主宰される結社誌『未来』の「彗星集」の群がる人々などを初めとした、若い歌人たちに多くを期待することは出来ません。
 我が国<日本>の未来及び、結社誌『未来』の未来は、一体、どうなるのでありましょうか?


  篠弘さんの詠進歌
     ○ 金箔の光る背文字に声掛けて朝の書斎にはひりきたりつ

 「金箔の光る背文字に声掛けて」という上の句が実にすばらしい。
 「金箔の」⇒「光る」と、詠進歌を彩るに相応しい語句を並べ連ねた後、それらを「背文字に」が受けてささやかな変化を見せ、それが更に「声掛けて」という三句目の五音に収束されて行って、「金箔の光る背文字に声掛けて」という洒脱な一句を成しているのである。
 <祝賀>の意有り、<肩透かし>有りで、実に気の利いた上の句と成り得ているのである。
 読書人・篠弘氏は、この日の為に、ご自宅に厳しい書斎を構え、その書斎に、この日の為に、万巻の書物を積み上げて来られたのだと申しても過言では無いでしょう。
 歌人・篠弘邸の書斎に積み上げられている万巻の書物は、この日の為に、「金箔の背文字」を背負わせられているのだと言っても、決して過言ではないでしょう。
 新年の<初笑い>宜しく、どうけふざけた挙句、歌人としてのご自身の日課のスタートを詠い上げて見せたのは、篠弘さんならではの離れ業でしょう。


  三枝昂之さんの詠進歌
     ○ あたらしき一歩をわれに促して山河は春へ光をふくむ

 本作の作者は、山が在っても山梨県のご出身。
 山梨県出身者の口から発せられる「山河」という語には、また格別な含蓄がありましょう。
 三枝昂之さんは、昨年、歌人仲間の山本かね子氏の懇願を容れて、ご自身の手足とも頼む、ご実弟・三枝浩樹氏を<沃野短歌会>に送り出さねばならなかった。
 そうした三枝昂之さんにとっては、今年は、正しく「あたらしき一歩をわれに」促す年に
なりましょう。
 昨今の歌壇では珍しく、頭脳明晰な三枝昂之さんは、「歌会始の儀」の場を借りて、ご自身の故郷の山河と対話し、併せて、今年の自己の抱負をも述べられたのである。 


  河野裕子さんの詠進歌
     ○ 白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅

 我が連れ合いは、<歌詠み>ならぬ<歌読み>である。
 その連れ合いの弁によると、今年の「歌会始の儀」の場面での河野裕子さんの「面差しはまた一段とか細くおなりになった」のだそうだ。
 ご病気のせいでありましょうか、近頃また一段と面差しの細くなった、河野裕子さんの「すぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅」は、どんなに淡淡とした「白梅」でありましょうか。
 目前に咲いている白梅の印象と、作者の「すぎゆきし歳月の中」に「咲ける白梅」の印象とが相重なって、すばらしい白妙の世界が展開されている。
 「すぎゆきし」の置かれた位置も微妙。
 作者は、先ず「白梅に光さし添ひすぎゆきし」と詠うことによって、初春の光を浴びながら散って行く「白梅」に目を止め、次に「すぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅」と、ご自身の記憶の中に咲いている「白梅」にも想いを馳せているのである。


  永田和宏さんの詠進歌
     ○ ゆつくりと風に光をまぜながら岬の端に風車はまはる

 「ゆつくりと風に光をまぜながら」では無く、<いちはやく味噌と何かとをまぜながら>歌壇をかき回そうとしている輩が多いから、歌壇の要・永田和宏さんのご苦労と悩みは絶えなく、その責任はあまりにも重い。


<入選者(年齢順)>
 (東京都) 古川信行さん(94)の詠進歌
    燈台の光見ゆとの報告に一際高し了解の聲

 作者・古川信行さんについては、「歌会始の儀」の歴代の入選者中の最高齢者ともお聴きしている。
 重ね重ねおめでとうございます。
 本作は、「第二次世界大戦中、海軍軍人として乗船していた輸送船が魚雷攻撃を受けて損傷し、 帰投した特務艦から、下田の灯台の光が見えた時の安堵感」をお詠みになったのだそうだ。
 度重なる海難事故やソマリア沖の海賊のことなどが、何かと話題となっている今日、この一首は、真に時宜にかなった作品かと思われる。
 「一際高し了解の聲」という下の句が、現実感と臨場感を感じさせ、極めて印象的である。


 (静岡県) 小川健二さん(84)の詠進歌
    選果機のベルトに乗りし我がみかん光センサーが糖度を示す

 作者の小川健二さんは、「自身が丹精込めて栽培した果物を慈しむ気持ちを、お題<光>から着想を得た情景に託した」と語り。
 「今夏の天候を伝える新聞記事を読んだり、農作業をしているうちにふと感じた気持ちを表現した」とも語る。
 余談ながら、農協などが経営する選果場への選果機導入に常に付き纏うのは、納入業者から幹部職員などへの賄賂の噂である。
 そうした噂話を他所に、「選果機」は今日も調子良く回り、その「ベルトに乗りし我がみかん」の「糖度を」「光センサーが示す」のである。
 ご自身が丹精込めて育て、収穫した「みかん」が、選果機のベルトの上に載せられた時の嬉しさと不安は、また格別なものでありましょう。
 この一首は、そうした蜜柑栽培者の素朴な感情を余すところ無く伝えている。


 (群馬県) 笛木力三郎さん(82)の詠進歌
    冬晴れの谷川岳の耳二つ虚空に白き光を放つ

 谷川岳は群馬・新潟の県境に跨る三国山脈の山である。
 頂部は二峰に分かれており、それぞれ「トマの耳」(標高1,977m)、「オキの耳」(標高1,963m)と呼ばれる。日本百名山の一つ。
              「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より」
 朝日新聞の群馬県版の記事に拠ると、本作の作者の笛木力三郎さんは、この一首を、「若いころに登った谷川岳の冬景色を詠った」と話されているそうだ。
 笛木さんは短歌結社「歩道」に参加しておられ、「『歩道』は、見たものをそのまま詠う写実主義。教えを忠実に守ってきたのが今回の受賞につながった。『歩道』のおかげです」と、入選の喜びを語っておられたそうだ。
 冬の谷川岳の雄姿をお詠みになった本作は、「歌会始の儀」の入選作に相応しい堂々たる作品ではある。
 だが、これを若い時の経験に基づいて詠った、と話されるところや、これと『歩道』の写実とを結び付けて語られるところなどは、小学校三校の校長をお務めになった後、群馬県の人権擁護委員などを歴任された作者の、真摯なるご性格を思わせて興味深い。
 アララギ系結社の歌人たちは、未だに口癖のようにして、「短歌は写実に基づかなければならない」などと主張して居られるが、笛木さんの入選作は、先刻、私が引用し掲出した、谷川岳に関する『ウィキペディア』の記事を見ただけでも、十分に創作可能と思われるのだが、図書やインターネットの記事などに取材して創った作品と、高齢者が青年時代の経験に取材して創った作品とでは、何か決定的な違いが在るのだろうか?


 (北海道) 西出欣司さん(74)の詠進歌
    前照灯の光のなかに雪の降り始発列車は我が合図待つ

 本作の作者は、元国鉄職員。
 本作は、「国鉄勤務時代に見た、始発列車の前照灯で雪がきらめく様子」を詠んだのだそうだ。
 大幅の字余りを気にすること無く、初句を「前照灯の」としたのが良かった。
 駅の構内で発車の合図を待っている機関車の大きさが、この字余りの初句によく表わされている。


 (兵庫県) 玉川朱美さん(73)の詠進歌
    梅雨晴れの光くまなくそそぐ田に五指深く入れ地温はかれり

 本作の作者が、初めて歌を詠んだのは二十七年前とのこと。
 その頃、洋裁の仕事をしていた玉川さんは、結婚を控えた長女に「ドレスがほしい」と頼まれた。 
 心を込めて縫いながらふと浮かんだ、「我よりも幸せあれと願いつつ佳き日待ちいる娘のドレス縫う」という歌が町の広報誌に載ったのだそうだ。
 入選歌は、「7月、梅雨の晴れ間に地元で見かけた田植え後の情景を詠んだ」のだそうだ。
 「五指深く入れ地温はかれり」と、具体的に詠んだのが功を奏した。
 

 (長野県) 久保田幸枝さん(72)の詠進歌
    焼きつくす光の記憶の消ゆる日のあれよとおもひあるなと思ふ

 「幼少時にサハリンで体験した空襲」について、お詠みになられたのだそうだ。
 久保田さんは30年ぶり2回目の入選ですが、「きっと最高齢だろうと思って参ったら、まだ20いくつも上の方がおられて、これはまだ1回位可能性があるかな」と3度目の入選に意欲を見せて居られたそうです。
 「この意欲だけは見習わなければ」とは、評者の弁である。
 「あれよとおもひあるなと思ふ」という四、五句目は、飯田市で短歌教室を主催しているという作者らしい、巧みな表現である。


 (大阪府) 森脇洲子さん(69)の詠進歌
    我が面は光に向きてゐるらしき近づきて息子(こ)はシャッターを押す

 本作の作者の森脇洲子さんは、「四十年ほど前に、両目とも次第に視力を失う網膜色素変性症と診断され、次第に両目の視力が失われて行くような状態であったが、夫の靖さんが病死した1102年頃、明るさだけがかすかに分かる程度の全盲の状態になった」方だと言う。
 「近づきて」「シャッターを押す」「息子(こ)」とは、ご長男の尚志さん(39)のことであり、森脇さんは、このご長男からの「『光』はお母さんのためのお題や。見えない光を歌にしたら」という激励の言葉に勧められて、「頑張って私の光を歌おう」と思って、応募したのだそうだ。
 「宮内庁からの知らせに、うれしさと緊張で足がガクガクと震えました」とは、森脇洲子さんの喜びの言葉である。
 「我が面は光に向きてゐるらしき」という表現は、森脇さんの目の現在の状態を物語っているのであろう。


 (東京都) 野上卓さん(59)の詠進歌
    あをあをとしたたる光三輪山に満ちて世界は夏とよばれる

 「三輪山」は、奈良県桜井市に在る、海抜467mの山。
 全山が大神神社の御神体とされ、山一帯が松の古木に蔽われている。
 大和三山と呼ばれる、畝傍山・耳成山・天香久山と共に歌枕の地として名高い。
 その「三輪山」に、「あをあをとしたたる光」が「満ちて」、その時初めて「世界は夏とよばれる」という捉え方は、スケールが大きい。
 そして、「あをあをとしたたる光」という上の句の表現の背後には、活玉依姫のもとに三輪山の神が通ったという三輪山伝説のストーリーなどが感じられ、時間と空間との大きくて深い広がりも感じられる。
 本作の作者・野上卓さんが、本作を創るに当たって、『小倉百人一首』で有名な、持統天皇の歌、「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」を意識されたのならば、この歌の広がりは更に大きくもなり、「歌会始の儀」の入選歌としての輝きも更に増して来るのである。


 (福岡県) 松枝哲哉さん(54)の詠進歌
    藍甕に浸して絞るわたの糸光にかざすとき匂ひ立つ

 作者の松枝哲哉さんは、国重要無形文化財久留米絣の技術保持者として著名な方。
 本作は、藍染めの製作過程で得られた感興をお詠みになったのであろう。
 「光にかざすとき匂ひ立つ」という下の句が、大きな広がりと明るさを感じさせ、「歌会始の儀」の入選作に相応しい輝きを感じさせる。


 (京都府) 後藤正樹さん(48)の詠進歌    
    雲間より光射しくる中空へ百畳大凧揚がり鎮まる

 「滋賀県東近江市で昨年5月に行われた八日市大凧祭で<百畳敷大凧>を引いた時の情景を詠んだ」とのこと。
 <凧揚げ>は、正月に相応しい勇壮な行事であり、しかも、その空に揚がる凧は<百畳敷大凧>であるから、めでためでた尽くしの一首である。
 「雲間より光射しくる中空」が、何かと苦難が予想される中にあって、一筋の希望を持って決して諦めない、私たち日本人の象徴のようにも思われるが、作者の後藤さんもまた、「世の中が明るくなってほしい」との思いを込めて、この一首をお詠みになったのだそうだ。


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