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末盧館見学

2015-04-16 | 日記

4月16日(木)

 

6年社会科は日本の歴史の学習から始まります。

その教科書の最初に出てくるのが、米作りの日本最古の遺跡である菜畑遺跡。

その展示館が「末盧(まつろ)館」です。

 

 

末盧館の館長さんは、昨年度「辰野金吾」の学習でお世話になった、お馴染みの田島館長です。

館長さんのお話を聞いたあと、1・2組分かれて、田島館長と学芸員さんの案内で見学をしました。

 

 

館の2階に上ると、菜畑遺跡のジオラマがありました。

 

 

今から約3,000年近く前の縄文時代晩期から弥生時代にかけて、海に面した日当たりの良い南向きの谷間の平地だったこの地で、日本の米作りは始まったのです。

 

 

学芸員さんから、米作りの技術が伝わったルートについての説明も聞きました。

 

 

館内には、様々な出土品も展示してありました。

 

 

その中に、こんなものがあります。

菜畑遺跡の縄文時代晩期の地層から出土した、日本最古の「鍬(くわ)」です。

 

 

自慢話をします。

ここに展示してある鍬とは違いますが、ここから出土した数枚の鍬のうち1枚は、私が見つけたものです!

 

菜畑遺跡が発掘されたのは、昭和50年代。

当時大学生だった私は、夏休みや春休みのアルバイトとして、この発掘調査のお手伝いをしていました。

バイパス道路になる予定だった土地をユンボで削り取っているうちに、土器片や豚の骨などが出てきたので、手掘りになり、最後は手で泥土をすくうようにして作業が進められました。

私の成果としては、それまですくった泥の中から炭化米が見つかった程度でした。

炭化米こそが大発見なのですが、誰もが炭化米や土器片などを見つけていたので、私たちにとって、これらは珍しいものではなかったのでした。

 

その日、雨上がりの泥水につかったような発掘現場の中で、同じ学生アルバイトの友だちが、木の板を見つけました。

後で分かったことですが、それは「矢板」と呼ばれる、田の畔道を崩れないようにするために打ち込んだ板でした。

「ていねいに掘れよ~! 字の書いてあるかもしれんぞ~!」

など冗談を言いながら発掘作業を進める若い学芸員さんの一人が、今の田島館長さん。

そんな中で、私の手に、ぬるっとした感覚の何か硬いものが触れました。

(あ、木だ!)

そう思った私は、形を確かめようと、泥水に浸かっている木の縁を探りました。

おおよそ50cm×20cmくらいの木の板だということが分かりました。

 

「木の板が出てきました!」

私は大声で叫びました。

「折らんごてせろよ!」

の声を聞きながら、そっと持ち上げようとしたとき、板の中央に置いていた親指が、ズブッと板を突き抜け泥水の中へ入っていきました。

(あっ、こわした!?)

と最初思いましたが、円い感じで穴が開いていることが分かってきたので、そう伝えると、田島さんともう1人の学芸員の方が飛んで来られて、

「これは、すごいよ」

と話されていたのを覚えています。

あとで、同じような板が何枚か出てきたこと、中央の穴は棒を通すための穴で、田を耕すためのクワだと思われるという話を聞いて、すごいものを掘り当てたんだと思いました。

 

以上が、私の自慢話です。

6年担任をして、ここに見学に連れて来るたびに、この自慢話を子どもたちにしたものでした。

 

さて、館内には、竪穴住居の模型も展示してあります。

 

 

火を焚いて、調理したものを食べていた様子や、貫頭衣を身にまとった姿など、当時の暮らしの様子が分かりました。

 

外にある竪穴住居も見学しました。

 

 

中に入った子どもたちは、

「秘密基地みたい。わくわくする!」

「ここで火を焚いて、火事にならなかったのかな?」

「やっぱり今の家の方がいいかな」

など、いろんな気づきをつぶやいていました。

 

外には、当時の田んぼも復元されていました。

 

 

ここでは、今も実際に、田植えや稲刈りなどを行い、収穫したお米を食べたり、土器作りをして稲わらを使って野焼きするなど、一連の体験活動が行われています。

毎年希望者を募ってされていますので、時間のある子どもたちは、ぜひ参加してみるといいなと思います。

 

 

今では見なくなった「藁小積み」です。

昔は秋になると、どこにでもこうして藁を積んで残し、燃料や飼料、あるいは生活用品を作る材料としても活用されていました。

こうした藁小積みの積んである冬の刈田で、草野球をして遊んだ思い出もよみがえってきました。

 

子どもたち以上に、昔のことを思い出しながら、いちばん見学を楽しんだのはこの私だったのかもしれません。

 



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