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旧高取邸見学

2016-06-28 | 日記

6月28日(火)

 

小雨まじりの中、5年生の子どもたちは、北城内にある「旧高取邸」の見学に出かけました。

 

 

この旧高取邸は、平成10年に近代和風建築の見事さを残していることが評価され、国の重要文化財に指定されています。

 

 

広い邸内を、ボランティアガイドの方の説明を聞きながら回りました。

円い花びらのような形に切り取られた障子窓の向こうに見える部屋は、仏間です。

 

 

和風の庭園の向こうには、青い海も見えました。

 

 

旧高取邸は、高取伊好(たかとりこれよし/1850~1927)の邸宅です。

 

 

高取伊好は、多久の生まれ。

多久藩の東原庠舎や佐賀藩の弘道館などで漢学や国学を学び、明治になって上京して慶應義塾で英語と鉱山学を学んでいます。

唐津地方の炭鉱経営に乗り出し、三菱(三菱合資会社唐津支店は西唐津にある現在の歴史民俗資料館)に売却したのちは、杵島炭鉱の経営に携わり、巨万の富を得て「肥前の炭鉱王」と呼ばれるまでになった人です。

69歳で引退してから亡くなるまでの8年間を、この高取邸で過ごした伊好は、地域社会のために多くの寄附をした人としても知られています。

明治34(1901)年、辰野金吾の設計によって建てられたと言われる唐津小学校の建設費も、この高取伊好の寄附に大いに助けられたそうで、伊好の小学校への寄附は、佐賀県内15校に27回が記録として残っています。

 

 

能にも通じていた伊好は、邸内に能舞台を作りました。

杉戸絵は、京都四条派の絵師、水野香園の作です。

 

 

洋間にはグランドピアノも置いてありました。

 

 

高取伊好が開発に力を注いだ唐津の炭田から掘り出された石炭は、大島小太郎が敷いた鉄道や整備した港から全国に運ばれ、明治・大正期の唐津の経済発展の基盤となりました。

この二人の尽力がなければ、今の唐津の町はおそらく、平戸や松浦のような人口5万人もいないような町だったろうと私は思っています。

 

5年生の子どもたちは、「世界遺産」ならぬ「大志遺産」を選定して、その素晴らしさを選定理由として伝えようという流れで、この学習に取り組んでいます。

どんな「大志遺産」が選ばれるのか、楽しみですね!