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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『ふがいない僕は空を見た』 窪美澄

2012-03-21 20:45:27 | 小説(国内女性作家)

僕の中から湧いて出た初めてのこの感じ。つまり性欲? でも、それだけじゃないはず――高校一年、斉藤卓巳。好きだった同級生に告白されたのに、なぜだか頭の中は別の女のことでいっぱい。切っても切り離せない「性」と「生」を正面から描き、読者の熱い支持を得た驚異のデビュー作。
出版社:新潮社




感想を書きづらい作品である。

読んでいる間はそのすばらしさに胸ふるえたのだけど、そう感じた部分をはっきりと明示することができない。
それがとってももどかしくてならない。
だからせめて、最初に結論だけを声に大にして、ここに言っておこう、と思う。

本作は本当にすばらしい作品である、と。


『ふがいない僕は空を見た』は、5篇の短篇から成っているが、そのうち前半3篇はきわどい性描写がなされている。
「女による女のためのR-18文学賞」を取っているためか、エロい――文学的に言うなら官能的な部分が多く見られる。本屋大賞で1位を取れなかったのも納得である。

だが性に関心のない人間はそうそういない。
性はすなわち生であり、覆い隠すことはできない存在でもある。
それを象徴的に現すのが、デビュー作でもある『ミクマリ』だ。

高校生を主人公にした不倫もので、恋愛部分だけ取っても切なく、若さがあふれていて、胸を打つ作品だ。
だけど、本作のすごいところは、主人公の背景に出産を持ってきているところだ。
セックスと出産は当然ひとつながりなのだけど、その物事を並べて描き、そこから人の営みと生き方を浮かび上がらせている様は印象的である。
作者のセンスの高さがうかがえるようだ。


続く作品たちもすべてすばらしい。

『世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸』は、『ミクマリ』を主婦の側から描いた作品だ。
変に気を遣い、流されるように生きて、皆から軽く見られ、姑や夫との関係に少しずつうんざりしている、あんずのキャラクターが印象的。
作者の観察眼や、心理描写の冴えが光る一品である。


『2035年のオーガズム』も好きな作品だ。
高校生の七菜が主人公だが、家庭、恋人、セックスと、何かと問題を抱えている。
だが最後の洪水のシーンで、それらすべてが浄化されるような雰囲気があり、その力強さが心に届いた。


『セイタカアワダチソウの空』は、この中では個人的には一番せつなく感じた。
苛酷な環境で暮らす少年が、そこから抜け出す手段を見つけ、それに賭けようか、と考えるけれど、現実はなかなか彼に厳しい。
最後に見せた、彼の優しい思いがじんわりと心に残る。


『花粉・受粉』は、大人になったいまだから心に響くのかもしれない。
主人公は出産のプロなのだけど、子育てに関しては、いつも手探りだ。
子どもの写真がネットに送られてくるときも、仕事の忙しさに逃げていた、と感じる部分が読んでいて、ぐっと来る。大人になってもわからないことは多い。
それでもラストに希望が滲んでいて、その温かさに胸が震える。


どうもまとまりを欠いた感想になってしまった。
ともあれ、作者の高い感性を垣間見るような作品集ということは、改めて述べたい。
この作者の別作品も読んでみたい。そう思わせるだけの魅力に富んだ一品であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『君は永遠にそいつらより若い』 津村記久子  

2011-11-29 23:24:22 | 小説(国内女性作家)

大学卒業を間近に控え、就職も決まり、単位もばっちり。ある意味、手持ちぶさたな日々を送る主人公ホリガイは、身長175センチ、22歳、処女。バイトと学校と下宿を行き来し、友人とぐだぐだした日常をすごしている。そして、ふとした拍子に、そんな日常の裏に潜む「暴力」と「哀しみ」が顔を見せる…。第21回太宰治賞受賞作にして、芥川賞作家の鮮烈なデビュー作。
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)




高いセンスを感じさせる作品である。

ユーモアにあふれ、笑える箇所がいくつもあるし、人間に対する観察に優れているし、軽い部分と重たい部分の塩梅が巧妙に配置されているしで、ただただ感心するばかり。
デビュー作にして、このセンスとはすごいな、とつくづく思う。


ユーモアや笑いに関しては、キャラクターの存在感に尽きるだろう。

解説によると、『ミュージック・ブレス・ユー!!』は本作の姉妹編に当たるらしいが、確かに共通する部分も多い。
特に主人公の造形はよく似ている。

主人公のホリガイの個人的な印象としては、下世話で、人と少しずれているってところである。
いい意味で品がなく、わりに下ネタが好きで、行動も変わっている。処女という言葉をポチョムキンと言い換えたり、昭和のいるこいるについて、まるでケンカを売るように語り出したり、ソイごまラテについて一家言があったり、気になる男性のヒップについて自作の歌までつくったり、ねぎの入ったビニール袋をもって垢抜けたビルに入るうかつさもある。
どう見ても、この人はおかしな子だ。

しかしそれゆえに、彼女はとてもおもしろく、魅力的なキャラとなっているのだ。
そんな彼女だからか、考え方や行動や会話は笑えるものが多く、読んでいて何度もにやにやしてしまう。
それだけでも、楽しい読書体験であった。


またほかの人物も観察が行き届いており、描写も的確で、興味を惹かれる。
アスミちゃんの身勝手なところとか、さばけた感じのオカノやイノギさん、他人から見て仕様もないことで悩んでいるヤスオカなど、ああ、こういう人っていそうだな、と感じさせるキャラクターが何人も登場する。
そんな彼らとのユーモアあふれるやり取りや、心理的な距離の探り合いがおもしろく、物語に引きこまれてしまった。


また、上記のような軽い雰囲気だけでなく、重たい部分も上手い塩梅に描いており、それも本作の美点の一つになっている。

とは言え、たとえば河北との電話のシーンがちょっと浮いていると思うし、穂峰君の下の階のネグレクトされている少年がいくらかわかりにくい等の瑕疵はある。
けれど、これだけは書いてやろうという問題意識の高さははっきりと伝わってきて、簡単には無視できない。

特にイノギさんの過去には心を締め付けられる。
個人的には小林美佳の著書を思い出してしまった。いやな話である。苦しくなるくらいにいやな話だ。
「気遣いの人でいたい」と願うホリガイと違い、世の中には、そういう無思慮な人たちもいる。

だが全編のユーモアが、その重たいテーマもしっかりとポジティブな場所へと運んでいっており、読後の印象はなかなかいい。
デビュー作なりの瑕疵はあるものの、デビュー作とは思えないほどの高いセンスも見せ付けられる。
納得の一冊であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



その他の津村記久子作品感想
 『ポトスライムの舟』
 『ミュージック・ブレス・ユー!!』

『神様2011』 川上弘美

2011-11-08 20:44:50 | 小説(国内女性作家)

くまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めて―。1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わった―。「群像」発表時より注目を集める話題の書。
出版社:講談社




最初に読んだ川上弘美作品は、著者のデビュー作『神様』である。
感想の語りづらい作品だったけど、何かいいな、これ、と思ったことは覚えている。

今回久しぶりに『神様』を読み返してみたけれど、やっぱりすてきな作品だな、と改めて思う。
大した内容ではないけど、熊との寓話めいた不可思議な交流が、ものすごく自然に描かれていて愛らしく、やわらかい雰囲気になっており、読んでいてほっこりとした気分になれる。
なかなかの佳品だ。


『神様2011』はそれをベースにした作品で、福島原発事故後(作中では「あのこと」)の『神様』の物語を描いている。
「あのこと」の後、「ゼロ地点」から程近い場所に住む「私」と熊は放射線量を絶えずチェックしている。そして彼らの住む地域には防護服に身を包んだ人が、当たり前のように歩いている。熊が取った魚も放射性物質を気にして食べることはできない。
そういう世界である。

はっきり言って、この設定は、『神様』という作品にはまったくもってマッチしていなかった。
そのため読んでいる間、異物を飲み込んだような居心地の悪さを覚えてしまう。
そしてそれが作者の意図するところでもあるのだ。

「あとがき」を引用するならば、「日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ」を実践したものなのだろう。
そしてこの作品は、そんな作者の企み通りの作品となっていると言える。
落ち着かない気分にさせる点といい、すばらしい作品だ。


だけど読み終えた後、僕は同時にもどかしい気持ちになってしまった。
作者の企てはほぼ完全に成功している、と思う。
しかしそれでも僕は、『神様』という作品をこういう形にしてほしくなかったらしい。


文学者の中には、震災後の文学に言及する人がちらほらいる(といっても、数人しか思いつかないけれど)。
しかしそんな彼らの態度は、僕から見ると、震災後の異物感だけを抽出しているように感じられ、もどかしく見えてならないのだ。

これは僕の個人的な思いだが、「日常が続いてゆく」のなら、その日常を守るように描くこともまた震災後の文学なのではないか、って気もしなくはない。
これは僕が宮城に住んでいて、作家たちが東京に住んでいるという距離感のせいだろうか。いや、そんな一般化はよくないし、いくらか高慢な見方かな。

著者は『七夜物語』の連載中、被災地の愛読者から、連載小説を読むことで、日常というものがまだこの世界にあるのだと思える、という内容の手紙をもらったと別の場所で言っている。
そして僕が望むのも、その手紙ほど深刻ではないけど、同じ性質のものかもしれない。


『神様2011』は川上弘美の上手さを堪能できるいい作品、と思う。だけど個人的にはしっくり来ない。
結論としてはそういうことである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの川上弘美作品感想
 『パレード』
 『光ってみえるもの、あれは』
 『真鶴』
 『夜の公園』

『ミュージック・ブレス・ユー!!』 津村記久子

2011-10-21 20:45:42 | 小説(国内女性作家)

オケタニアザミは「音楽について考えることは、将来について考えることよりずっと大事」な高校3年生。髪は赤く染め、目にはメガネ、歯にはカラフルな矯正器。数学が苦手で追試や補講の連続、進路は何一つ決まらないぐだぐだの日常を支えるのは、パンクロックだった!超低空飛行でとにかくイケてない、でも振り返ってみればいとおしい日々。野間文芸新人賞受賞、青春小説の新たな金字塔として絶賛された名作がついに文庫化。
出版社:角川書店(角川文庫)




一言ですませるなら、僕好みの小説ってところである。

とぼけた笑いがあって、キャラがおもしろくて、だけど青春小説らしくもやもやした部分があって、同時に爽やかな部分があって、変に熱くて、変に引いていて、読んでいるとよくわからない心地よさを感じる。
僕にとって、この上ないほど魅力的な作品なのだ。


それでも一個だけ、本書の美点を挙げろと言われたら、主人公のオケタニアザミの魅力を挙げるだろう。
友人のチユキや、モチヅキとトノムラの男子もいいキャラだけど、アザミが抜きん出ておもしろい。

アザミは、髪の毛を真っ赤に染めて、歯に派手な色の矯正器をつけた、メガネの少女だ。外見だけだとアグリー・ベティを派手にした感じだろうか。
そういうある意味、悪目立ちしている人だけあって、ちょっとおかしな子でもある。
基本はローテンションで、間が抜けた感じもあって、そのためか、いろいろな発想やら観察やらが微妙にとぼけている。
大量のあぶらとり紙を見て、これを発電に使えないだろうか、と考えるところが僕は好きだ。
彼女の思考やら行動を読んでいると、にやにやしてしまう。

また音楽に対するのめり方も半端ではない。
洋楽パンクに関して僕は何も知らないけれど(彼女が好きなバンドでまともに聴いたことがあるのはニュー・ファウンド・グローリーくらい。むしろ彼女がそれほど好きでもないっぽい、アヴリルとかリンキンの方を聴いてる)、少なくともディープな知識を持っているな、と感じる。
洋楽おたくで、社会不適応者っぽい、という言葉に、それは自分のことだ、と反応するところからしても、重症だという自覚症状はあるのだろう。

加えて頭の回転が遅そうなためか、かなりギリギリのタイミングになるまで、自分の進路を決めていない。
そういう意味でも、社会的にやっていくのはいろいろ苦労するんだろうな、と感じさせられる。


そんな欠点まみれの彼女だけど、人としてはとっても魅力的な子だ。
そう感じるのは、近しい人間を大事に思っており、不正に対して敏感だからだ。
基本的に彼女らの周りには、世の中の社会がそうであるように、心ない言葉や態度を取る人がいる。
それに対して誰かが傷ついたら、アザミはその子を守るために動いたりする。

個人的には、オギウエをなじったところが良い。
それを最初に読んだときは、ずいぶん行動が極端だな、と思ったけれど、彼女がそんなことをしたのは、無意識のうちにチユキのことを考えていたからなんだなと、後になってから気づかされ、じーんと胸が震える。
アザミ当人は自分の気持ちに気づいていないけれど、そんな彼女の無意識の行動はあまりに熱い。

もちろん文化祭でのアザミとチユキの犯罪まがい(つうか犯罪だな)の行動もおもしろい。
モチヅキをなぐさめるところも、彼女の気まずいながらの優しさが伝わってきて好きだ。一連のやり取りには笑ってしまったけれど。
ラストのアニーに対する思いもすてきである。

世間的に見れば、小学校の担任が冷たく言い放ったように、彼女は社会不適応者かもしれない。
けれど、当人のことをちゃんと知れば、人としてのすてきな部分にいくつも気付かされる。
それが読んでいて心地よい。


そんな彼女の将来に対するもやもやした思いやら、恋やらがとぼけた味わいと雰囲気の中で、描きつくされていて、楽しい。
触れなかった以外にも印象的なシーンが多くて、ラストに淡い感動を覚えるところもいい。

感想としてはまとめにくい話なのだが、ほかの津村記久子作品も読んでみたい、そう思わせる力がある。
いけてない女子の、いけてない日常を、独特のトーンで描いた、まさしく一級の青春小説である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの津村記久子作品感想
 『ポトスライムの舟』

『ツナグ』 辻村深月

2011-10-12 21:00:47 | 小説(国内女性作家)

突然死したアイドルに。癌で逝った母に。喧嘩したまま亡くなった親友に。失踪した婚約者に。死者との再会を望むなんて、生者の傲慢かもしれない。間違いかもしれない。でも―喪ったものを取り戻し、生きるために会いにいく。―4つの再会が繋いだ、ある真実。新たな一歩を踏み出す連作長編小説。
出版社:新潮社




死んだ人間と生きた人間を会わせる窓口である、使者(ツナグ)をめぐる物語。
本書を端的にまとめるなら、そうなるだろうか。

正直その設定を聞いたときは、大丈夫かな、ありきたりな物語にならないかな、と手にとっておきながら不安になった。
だけど、そこは若手実力派の辻村深月。楽しく、そして感情をゆさぶる物語に見事仕上げている。


本書は連作短編集だが、どれも泣かせの要素が入っていて、感動的な話が多い。
基本的に僕は、泣かせようという作者の意図が見えると、かまえて読んでしまう人だが、それでも感動的だな、とすなおに思うことができる。

『親友の心得』が個人的には一番好きだ。
女子高生の嫉妬と友情を描いた物語だけど、彼女らの心情がなかなか読み応えがある。
相手に対する優越感や、それが覆されたことから生じる嫉妬心、自分が犯した過ちに対する後ろめたさ、それでも友人のことが好きだというまぎれもない感情など、複雑に絡み合う心情描写が胸に迫ってならない。
辻村深月は『凍りのくじら』しか読んだことないけれど、女の子の心情を描く筆は冴えているような気がする。

そのほかの作品も、ちょっとつくりすぎな面はあるものの、巧妙に話は組み立てられており、どれもおもしろい。


さて本書は、前半4篇を依頼者側の視点で描いており、最後の一篇のみ使者の視点から語らせている。

最後の『使者の心得』では、そっけなく、謎めいた存在でしかなかったツナグが、当たり前の高校生だということを教えてくれる。
正直最初読んだときは、別にツナグは、ミステリアスなままでも良かったのにな、と思ったのだけど、これはこれでいいかも、とだんだん思えるようになってくる。
そう感じたのは、依頼者たちと接触するにつれ、ツナグである歩美の心情に変化が起きることが大きい。
そこから歩美は、自分の過去をふり返り、両親の死に対し精神的な蹴りをつけ、ツナグの使命を受け入れていくことになる。その前向きな展開が、胸に沁みてならない。


死者と生者の交流は、書きようによっては、ただのお涙ちょうだいになってしまう題材だと思う。
だがそんな安直で終わることなく、死者の存在を通じて、生きている者たちが前へ向けて進んでいくというポジティブなメッセージ性が伝わってくるのが忘れがたい。
心に残る良作と感じた次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの辻村深月作品感想
 『凍りのくじら』

『リリイの籠』 豊島ミホ

2011-09-28 21:03:58 | 小説(国内女性作家)

絵のモデルを頼んだ加菜に、憧れにも近い感情で惹き付けられていく美術部員の春―生意気な女子生徒―由貴に、こっそり大切な思いを打ち明けてしまったえみ先生―容姿の劣る親友・実枝に彼氏ができ、穏やかでいられなくなる里加―女子高を舞台にキラめく感情の交差を描き出した、書下ろし1編を含む全7編。
出版社:光文社




僕は男なので、女子高の雰囲気については、何も知らない。
だからこの小説に出てくる、女子社会の雰囲気は、読む分には非常に楽しく、同時に少しうっとうしい気分にさせられる(もちろんいい意味だ)。
そう男の僕に感じさせてくれるほど、本作では女子高生や二十代女性の心理が丁寧に表現されているのだ。そのためいろいろおもしろく、多くのことを発見させられる。
と同時にも、僕が突然女になったとしたら、この世界でやっていけないなとも思った。女子の社会って、めんどくさそうである。


本作中では、『忘れないでね』が一番好きだ。
主人公の美奈は、みんなから避けられている空気が読めない女、真琴と親しくなる。その微妙な関係がおもしろい。
美奈が真琴と仲良くするのは、自分をきらきらと見上げてくれるからで、優越感を味わっていたいからだ。
しかし同時に、そんな関係から逃れたいと思っているところもおもしろい。そして最後にはそれとはまた真逆の自分の感情に気付くことになる。
美奈という少女は、そういう意味、いろいろな感情を抱えもった、かなり複雑な子に感じられた。
だけど、その入り組んだ心理の揺れが、男の僕にはとても新鮮に映り、きわめておもしろく読めた。


そのほかにもいい作品は多い。

憧れにも似たふしぎな親近感を一人の少女に抱いているのに、それをすなおに発露しない心理がおもしろい、『銀杏泥棒は金色』。
地味系女子の、微妙に屈折した心理や、派手な女性への憧れめいた感情がおもしろい、『ポニーテール・ドリーム』。
女性同士が相手を見るとき、微妙な意地の悪さが心に残る、『いちごとくま』、など。


男の僕に女心などわかるはずがない。
それだけに、僕には思いつきもしない発想や心理があって興味を引かれる。わからないからこそ、おもしろい。
女性はなおのこと、男が読んでも、本書はなかなか楽しい一冊ではないかと思った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『こちらあみ子』 今村夏子

2011-09-09 20:18:14 | 小説(国内女性作家)

少女の目に映る世界を鮮やかに描いた第26回太宰治賞受賞作。書き下ろし作品『ピクニック』を収録。
出版社:筑摩書房




行動が奇矯な人を、変な人、と一口で片付けるのはとってもたやすい。
けれど、変な人が変なことをするのには、それなりの理由というものがあるようだ。
この本に収められた二作品を読むと、そんな当たり前のことに改めて気づかされる。


表題作の『こちらあみ子』に出てくる少女あみ子は、とっても変な人だ。

たとえば、あみ子はカレーライスをインド人の真似をして、手で食べたりする。
授業には参加せず、保健室登校をくり返してばかりいる。
風呂に入らなくたって、平気でもある。
彼女にはのり君という好きな子がいるのだが、彼の気持ちなど、まったく考えずに、一方的にどーでもいい話をしたりする。自分の食べかけのクッキーを平気で食べさせようとする。
また、妹を死産して、落ち込んでいる義母に、「おはか」をつくって見せ、「きれいじゃろ」「死体は入っとらんけどね」と無邪気に声をかけたりする。
言っては悪いけれど、近くにいたら結構迷惑なタイプだ。

基本的に、あみ子は他人の目を気にせず、自分の思った通りの行動をしがちなのだ、と思う。
そしてそのことを、他人がどう思っているかはまったく考えようとはしない。加えて他者への共感能力に欠けているように見える。
精神医学はずぶの素人だけど、アスペルガー症候群か、もっと定義の広い広汎性発達障害かな、と読んでいて感じる。

でもそんなあみ子の行動にだって、彼女なりのちゃんとした理由がある。
たとえばのり君にやたらまとわりつくのは、もちろん彼のことが好きだからだし、一緒にいることが楽しいからにほかならない。
死産したばかりの義母に、おはかをつくって見せたのも、彼女なりに考えた末の、義母へのプレゼントなのだ。
端から見るとひどいことだけど、そこには悪意のかけらもない。

たぶん彼女には悪意という概念がないのだ、と思う。
ただ彼女は自分の心にすなおなだけだ。そして感情に従って、ひたむきに行動しているだけでしかない。

もちろんその生き方は、社会とは適応しない。
社会とは自我を殺して生きざるをえない世界だからだ。何より人は他人に対して、あたりまえ(もしくは常識)、というものを押しつけたがる生き物でもある。
だからあみ子が最後、あのような処遇を迎えるのは必然と言える。
しかしそこに悲観的な雰囲気はないのだ。あみ子はあくまでこれからも、自分の心に素直に、あるがままを受け入れて生きていくのだろう。

その雰囲気が新鮮で、キャラクターのたたずまいもインパクトがあり、大変心に残った。
ふしぎな味わいと、奇妙な読後感に充ちた一品である。


併録の『ピクニック』もおもしろい。

こちらも変な人が出てくるのだけど、この作品で印象に残るのは、当の変な人である七瀬ではなく、彼女に対処するルミたちの方だ。
ルミたちは芸人とつきあっていると語る七瀬の言葉を信じてあげようと、かなり気を遣っている。
ある意味、彼女らの行動は日本人らしくて興味深い。

だがたぶんそんなルミたちの行為が、七瀬を苦しめているのでは、と感じる面がいくつかあった。
特にそう感じたのは、七瀬の妄想を保つために、ルミたちが妄想のネタを七瀬に提供するところだろう。
それは彼女たちからすれば、善意かもしれない。けれど、七瀬にとっては、だんだん苦痛になってきたのでは、と感じる場面もなくはない。

そう考えると、善意と無邪気な悪意は、ときとして表裏一体なのかもしれない。
そんなことを考えてしまい、ラストが若干空恐ろしく感じられた。何にしろ強く印象に残る作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『きことわ』 朝吹真理子

2011-03-31 20:02:09 | 小説(国内女性作家)

永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、突然断ち切られたふたりの親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にして、ふたたび流れはじめる―。第144回芥川賞受賞。
出版社:新潮社




巧みとしか言いようのない作品が、必ずしもおもしろい作品とは限らない。
あるいは、おもしろくない作品が、必ずしも下手な作品とは限らない。
『きことわ』はその典型のような作品だと個人的には感じる。
少なくとも、お話という点に限るなら、僕の趣味の作品ではない。


『きことわ』をざっくりとまとめるなら、幼いときからの知り合いである二人の女性の記憶をめぐるお話、と言ったところだろうか。

正直なところ僕からしたら、だから何、っていう感じのお話でしかなかった。
盛り上がりも特にないまま、物語は淡々と進んでいくばかりだ。その過程で、二人のきずなや関係性の強さが見えてくるけれど、それだけのことでしょ、という風に僕には見える。
それはひょっとしたら僕が男で、女性同士のきずなのようなものに興味が惹かれないからかもしれない。
ともかく、お話そのものの印象は、個人的には辛くならざるを得ない。


だが技術的な観点から見ると、本書はびっくりするくらいに上手いのだ。

『きことわ』でまず目を惹くのは文章だろうか。
流れるようなという形容が文章ではよく使われるが、本作の文章も、本当に流れるような雰囲気がある。
一つ一つの単語の選び方が適切で、自然であり、心にすっと沁み込んでくるような訴求力に満ちている。
おかげで大して興味を惹かれない物語だけど、これっぽちも飽きることなく読み進めることができるのだ。
これは強烈な美点だろう。


また物語の構成力もすばらしい。

この小説では、記憶を扱っているためか、時間軸が大きくいじられている。
一応、メインの流れは、逗子にある別荘を閉めるための片づけをしている現在にあるが、その過程で頻繁に過去の二人の記憶が挿入されていく。
そのエピソードの入れ方が本当に自然で、かなり上手いのだ。
そしてその入り組んだ記憶の海から、二人の関係性が立ち上がってくるところなどは、ため息が出るほど巧妙である。

また二人の記憶が、現実とも幻想ともつかない味わいに満ちている点も、一読忘れがたいものがある。
髪を引っ張られる話に限らず、記憶であるのに、文字通り夢の中のできごとのようなエピソードもいくつかあり、その不可思議な雰囲気は味わい深い。


本作は僕の趣味には合わない面も多くある。しかし同時にいくつもの美点に彩られた一品でもある。
きっとすなおに楽しめる人には、この上なく心地よい作品なのだろう、と感じる次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第5回 尾崎一雄『暢気眼鏡』
 第75回 村上龍『限りなく透明に近いブルー』
 第126回 長嶋有『猛スピードで母は』
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』
 第139回 楊逸『時が滲む朝』
 第140回 津村記久子『ポトスライムの舟』
 第141回 磯憲一郎『終の住処』
 第143回 赤染晶子『乙女の密告』
 第144回 朝吹真理子『きことわ』
 第144回 西村賢太『苦役列車』

『チャイ・コイ』 岩井志麻子

2010-12-21 20:54:08 | 小説(国内女性作家)

ひとり旅で訪れたベトナムで、私は恋に落ちた。この男と寝たい、という狂おしい思いを恋と呼ぶならば。サイゴン川のほとりで、ホテルの部屋で、互いを求め合う淋しい男女の物語。選考委員の圧倒的な支持を得て、第二回婦人公論文芸賞を受賞した話題の意欲作。
出版社:中央公論社(中公文庫)




渡辺淳一の言葉を借りるなら、本作は「全体の八割近くがセックスに関わる描写」でつづられた小説である。

実際ストーリーはベトナムで出会った男に欲情し、その男を求める過程を女性視点から描くといったものだ。
そのため、全体的にエロティックで、良い意味で淫靡である。
そして女性らしい、もったりというか、ねっとりとした感性が前面に出ているという印象を受ける。
とにもかくにもあまりに女性的な物語であろう。

そういうこともあるためか、男の僕は、正直ピンと来ないし、だから何、としか思えない部分もあった。
身も蓋もない言い方をするなら、本書は、ヤってるところをひたすら描いているだけの作品でしかないからだ。


それでもその女性的な物事の受け止め方は、僕にはないものばかりで興味深いことは事実だ。
被虐的なセックスを求めるところや、奉仕的に愛人を求めるところなどは、特にその印象を強くする。
具体的にどうとは言いづらいが、少なくとも僕にはない感じ方ばかりで、新鮮な印象を受ける面は多い。

また本当にしょーもない話なのだが、これだけ性描写があるのに、読んでいて思ったほど興奮しない点にも驚かされる。
それは僕のような男性と、作者のような女性とでは、性的な興味に関するツボがちがうことも大きいのだろう。
そういう意味でも、本書は男性性とは大きくちがう、女性性による小説と言えるのかもしれない。


僕個人は正直合わないと感じる部分は多かった。
だがこれはこれで見ようによっては、本当に興味深い小説というのは事実である。

評価:★★(満点は★★★★★)

『風琴と魚の町・清貧の書』 林芙美子

2010-12-08 20:38:23 | 小説(国内女性作家)

行商人の子として放浪の旅に育ち、私は古里を持たないと断言した著者が、唯一“旅の古里”と懐かしんだ尾道を舞台に描く自伝的処女短編「風琴と魚の町」。“魚は食べたし金は無し”と歌いながら、隣の墓地から拝借したお供え花を飾って楽しむ、極貧の若夫婦の姿がほほえましい「魚の序文」など、代表的な初期短編9編を収録。社会の底辺で明るさを失わずに生きる庶民の姿が逞しい。
出版社:新潮社(新潮文庫)




解説のタイトルが「貧乏を愛した作家」となっているけれど、なかなか上手いタイトルだな、と思った。
というのも、この作品集に出てくる人物は大概貧乏だからである。


個人的には、貧乏ゆえ食に対して貪欲なところが、読んでいておもしろかった。

たとえば『魚の序文』。

この小説に出てくる夫婦は貧しく、食事にも困っている状況だ。それでも女房は前向きで、金を得る手段を探している。そこがなかなか微笑ましい。
だがどれだけ前向きな態度でいても、腹が減るときは減るらしい。
実際、女房は作中、こんな落書きを書き残している。
「一、魚の序文。二、魚は食べたし金は無し。三、魚は愛するものに非ず食するものなり。四、めじまぐろ、鯖、鰈、いしもち、小鯛。」
この文章だけで、彼女はよっぽど腹が減っているんだろうな、というのがよくわかる。
本当に、申し訳ないけれど、これを読んでちょっと笑ってしまった。
そこは明るいユーモアがあり、貧乏なわりに暗くない点がいい。


表題作の『風琴と魚の町』にも、食に関するシーンが出てくる。

この小説で、親子三人でうどんを食べるシーンがあるのだが、ここが僕は好きだ。
このとき娘の食べるうどんにだけ、油揚げが入っている。だが娘はその油揚げを、働いてお金を稼いでいる父にあげようとする。
そのシーンに、読んでてにこにこしてしまった。
そこからは親が子を思い、子が親を思う心が伝わってきて、温かい気分に浸ることができる。

それを抜きにしても、『風琴と魚の町』はいい小説だと思う。
方言や、市井に生きる人々の生活をリアルに生き生き描いていて、心に響く。
ラストは戦前ということもあり、理不尽な展開が待っているが、それもまた市井の生活の一つだ。
明るくもあり、悲しくもあり、微笑ましくもある、非常に優れた一品である。


そのほかにもいい作品は多い。

方向性の見えない話なれど、親との関係が丁寧に描かれていて読ませる、『耳輪のついた馬』。
男の優しさに触れ、徐々にほだされていく女の心が印象的な、『清貧の書』。
恋愛遍歴の波乱万丈なところがおもしろい、『田舎言葉』。
作家として目の出ない夫と、それを支える嫁の夫婦仲が心地よい、『馬の文章』。
神経症になっていく男の異常な行動と心理が不気味で、悲しく、恐ろしく、凄みさえ感じられる、『牡蠣』。
作者と思しき主人公と、家族との心理的葛藤がリアルな、『人生賦』、など。


それぞれ味わいがあって、読んでいても楽しい。変に心に残る作品集である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しをん

2010-11-22 20:42:17 | 小説(国内女性作家)

まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.―ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。多田・行天の魅力全開の第135回直木賞受賞作。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




この本を読んでいる最中に思い浮かべた言葉は、無難、である。

本書は短編集で、どの物語もプロットは非常にうまくまとまっている。読めばなかなか楽しめる。
そして(あえて酷な言い方をすれば)それ以上でないのだ。
そういう意味、本当に達者だとは思うけれど、無難なのである。


しかしキャラクターの描き方は、上手い。

本書はいわゆるバディものである。
主人公の多田は、わりにまっとうな男であり、相棒である行天は飄々としていて、どこか破天荒。
その対比が上手く描かれていて、楽しめる。

もちろんこの手のジャンルにおいては、ありがちな造形である。
けれど、それぞれの個性をしっかり描出しているので、既視感をあまり感じさせない点がよい。


そんな多田と行天の関係は、つかず離れずといったところだろうか。

二人の間には、友情めいた感情が湧く瞬間だってあるし、突き放してやりたいと思う瞬間だってある。
心が弱ったときは、話を聞いてもらいたくなるし、何か異変があれば、ときに相手のことを心配する。

それは言葉で安直に規定できるものではない。そんな微妙な距離感が興味深い。


印象的には淡い感じで、大きな賞を取るほどの誉められるポイントがわからないが、それなりには楽しめる。
絶賛はしないし、人には薦めないし、高い点はつけないけれど、少なくとも悪くはない作品である。

評価:★★(満点は★★★★★)

『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀

2010-09-30 20:40:54 | 小説(国内女性作家)

「今朝起きたらひどく頭が痛んだ。バルタザールが飲みすぎたのだ」一つの肉体を共有する双子、バルタザールとメルヒオールは、ナチス台頭のウィーンを逃れ、めくるめく享楽と頽廃の道行きを辿る。「国際舞台にも通用する完璧な小説」と審査員を瞠目させ、第3回日本ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




裏表紙によると本作は、日本ファンタジー大賞の選考で、「「国際舞台にも通用する完璧な小説」と審査員を瞠目させ」たそうである。ほぼ絶賛の評だ。
だけど、僕にはそこまで絶賛されるポイントがよくわからなかった。

もちろん読んでいる間は楽しんで読むことはできる。
だけど、読み終えた後に引っかかるものが少ないのである。
つまらないわけではないが、心に訴えかけるものが足りない。作中の人物を引き合いに出すなら、「コルヴィッツ」のように「印象希薄」な小説なのだ。

結局、最終的には趣味の問題ということになるのだろう、とは思う。
僕はもっと情念に富んだ凄みのある作品が好きなのだ。この小説にはそれが欠けているように思う。


けれど、小説としての完成度が高いのは認めざるを得ない。

特に一つの体に、メルヒオールとバルタザールの二つの人格が共存しているという設定がおもしろい。
語りが途中で入れ替わったりするところもおもしろいし、他方が眠っていたり、気を失っている間に、片方が自分のしたいことをすることもある、という部分もユニークと思う。
一方の人格が、自分の体から抜け出せるというところも、突飛ではあるが、アイデアがおもしろくて、楽しく読むことができた。


そんな二人がくりひろげる物語は、メロドラマチックである。

義母であるベルタや、従妹のマグダと、双子の関係はラブロマンスの要素があって、その印象が特に強い。
それ以外にも、ハプスブルク家の崩壊からナチスが幅を利かせるまでのオーストリアの歴史背景を通して語る部分は、ヨーロッパの純文学の趣きがあるし、双子の設定は幻想小説の味わいもある。
二人の財産を狙う男の登場で、ナチス将校を交えた駆け引きがくりひろげられるところはさながらサスペンス小説のようだ。
それでいて、メルヒオールとバルタザールの放蕩生活と転落は無頼派小説の様相さえある。

基本的に作者はサービス精神が旺盛なのだろう。そう強く思わせるほど、作品の味わいは豊かである。


僕個人は物足りなさを感じるところもあった。
でも、きっとこうした要素を楽しめる人は多いと思う。
プロット運びは巧みだし、そういった面にもおもしろさを感じる人はいるかもしれない。

個人の趣味はともかく、作品の質だけを言えば、まちがいなく上級の作品と感じた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『乙女の密告』 赤染晶子

2010-09-04 02:14:09 | 小説(国内女性作家)

京都の大学で、『アンネの日記』を教材にドイツ語を学ぶ乙女たち。日本式の努力と根性を愛するバッハマン教授のもと、スピーチコンテストに向け、「一九四四年四月九日、日曜日の夜」の暗記に励んでいる。ところがある日、教授と女学生の間に黒い噂が流れ……。
言葉とアイデンティティの問題をユーモア交えて描く芥川賞受賞作。
出版社:新潮社




工業大学という、理系単科大を卒業した僕は、総合大の雰囲気ですら、まともにわかってない。
理系的思考法に走りがちな人しか集まらない工業大と総合大では、多少雰囲気もちがうのだろうか、という気もしなくはない。そうでもないかもしれないが、それすら僕にはわからない。
まして外語大のような文系単科大など、僕にとっては、まったく知らない別世界の話だ。


だからここに描かれる、外語大の雰囲気はずいぶん新鮮に映る。

もちろんコメディタッチゆえに、デフォルメされている部分はあろう。
それでもスピーチコンテストで『アンネの日記』こと、『ヘト アハテルハイス』を暗唱する様子や、外語大に属する女子集団の心理などは、知らない世界のため、非常に楽しく読み進めることができる。


楽しく読めるのは、先に触れたコメディタッチの面も大きいと思う。
アンゲリカ人形とか、ひよこのキッチンタイマーとか、細かいアイテムが非常におもしろい。
しかもそれにまつわる短いエピソードにも笑ってしまう。
「あたくし、実家に帰らせて頂きます!」のバッハマン教授のセリフの部分はベタだけど笑ってしまった。

これだけ笑えるネタをいくつも書けるのは、書き手に抜群のセンスがある証拠だ。
おかげで途中までは楽しく読むことができる。


だが、ラストの部分がどうしても腑に落ちず、もやもやした気分を抱いてしまった。

ユダヤ人でありながらオランダ人になることを夢見る、アンネ・フランクのアイデンティティの問題。
そして、乙女たちの中で孤立するみか子の問題。
この二つが呼応し合って、物語が進むという構成は、よくわかる。

だが、カタルシスに満ちたラストの文章のわりに、読み終わった後は、何かがすっきりしない。


多分それは「乙女」なるものを、僕が感覚的に理解できていないからだろう、と思う。

タイトルにも使われているわりに、ここで描かれる「乙女」なるものの定義はあいまいだ。
「乙女」は潔癖で、不潔なものを嫌い、真実ではなく、噂を根拠に、他者を排除する。
それは頭では理解できるけれど、男の僕には感覚的に理解できない。

「わたしは乙女である」と言う、みか子の「乙女」としての認識。
「アンネ・フランクはユダヤ人」という言葉がアンネを追いつめたという事実。
この二つが共鳴しているのはわかる。

そして、アンネ・フランクは「ユダヤ人であって一人の人間だった」という結論と、みか子の現状とが、ラストに至り重なりあう、という構成も理解できる。それが知的であることも認める。

けれど「乙女」を理解しない僕は、「乙女」であることと、「乙女」でないことの差異が、どうもつかめない。
おかげで感覚的に、物語の結末を受け入れることは難しかった。


理系単科大卒の男にとって、文系単科大女子の世界は別世界の話だ。
そこに暮らす人たちの感性も、僕にとっては、完全に理解しきれない次元の話なのかもしれない。

おもしろかっただけに、そういう結論に至ってしまったのがいささか残念である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第5回 尾崎一雄『暢気眼鏡』
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』
 第139回 楊逸『時が滲む朝』
 第140回 津村記久子『ポトスライムの舟』
 第141回 磯憲一郎『終の住処』

『アーモンド入りチョコレートのワルツ』 森絵都

2010-08-05 21:29:19 | 小説(国内女性作家)

ピアノ教室に突然現れた奇妙なフランス人のおじさんをめぐる表題作の他、少年たちだけで過ごす海辺の別荘でのひと夏を封じ込めた「子供は眠る」、行事を抜け出して潜り込んだ旧校舎で偶然出会った不眠症の少年と虚言癖のある少女との淡い恋を綴った「彼女のアリア」。
シューマン、バッハ、そしてサティ。誰もが胸の奥に隠しもつ、やさしい心をきゅんとさせる三つの物語を、ピアノの調べに乗せておくるとっておきの短編集。
出版社:角川書店(角川文庫)




本作には3つの作品が収められているけれど、どの作品も総じて、とっても爽やかだ。
それぞれの作品は、テーマもトーンもちがっているけれど、後味のよさは、すべての作品において共通している。
これは書き手に抜群のセンスがある証拠なのだろう。


最初に収録されているのは、『子供は眠る』。

これはひと夏の少年たちの物語だが、平たく言えば成長ものなのだろう。
一面的な見方しかできなかった少年が、ちがう視座を持つことができるのを成長というのなら、主人公の恭は成長している。だが多分成長そのものは、ここでは重要ではない、という気がする。
重要なのは、成長によって伴う別れと、成長しても消えない、友情の記憶だと思うからだ。

個人的には、ラストのシーンがじーんと胸に響いてならなかった。
「今年のぼくは、卑怯だったよ」と手を抜いて勝負したことに対して恭がわびるのに対し、リーダー格だった章は「おれなんか、昔から卑怯だよ」と言う。
このやり取りが爽やかで、僕は好きだ。そしてそこから少年たちの別れと、友情とがほのかに感じられる点がすばらしい。


二番目に収録された、『彼女のアリア』は恋物語である。

描かれているのは、少年と少女の恋で、それゆえにとっても甘酸っぱい。
また主人公が少年ということもあって、男の子らしいまっすぐさが読み手にも伝わってきて、とっても心地よい。
ラストのキスシーンを見ていると、彼らの思いの純粋さがギンギンと伝わってくるようだ。どろどろに汚れた大人の僕には、それがあんまりにまぶしく映る。
しかしそのまぶしさこそ、この作品の最大の美点なのだろう。


最後に収録された、『アーモンド入りチョコレートのワルツ』。
この作品が個人的には一番好きな作品だ。

とは言え、何が良いのか、上手く言えない作品である。
もちろん構成は抜群に上手いのだけど、重要なのはそこではない。あえて強引に理由をつけるなら、ともかく雰囲気が良いのである。

物語に登場する、絹子先生とサティのおじさんと君絵は、基本的にちょっと変わった人たちだ。
絹子先生はふわふわしたところがあるし、サティのおじさんはエキセントリック、君絵はいかにも危なっかしい女の子である。
そんな中にあって、主人公の奈緒だけはいたって普通だ。
しかし、絹子先生いわく、彼女はどこにもよけいな力が入っていなくて、それゆえに人の気持ちを安らかにする、とのことである。彼女もまた地味なりに個性的なのだろう。

そんな不可思議なバランスの四人の交流がとっても美しい。
もちろん、それぞれの人間にはそれぞれの問題があり、美しいばかりでは済まない。
けど、「みんなが自分をつらぬいている」ことで、最終的に爽やかな雰囲気が生まれている点が印象的だ。
解説の言葉を借りるなら、それぞれの個性をしっかり「肯定」しているからこそ生まれた爽やかさなのだろう。

その麗しさが読後も消えずに胸に残る。本当に良い作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの森絵都作品感想
 『風に舞いあがるビニールシート』

『流しのしたの骨』 江國香織

2010-05-31 20:35:42 | 小説(国内女性作家)

いまはなにもしていず、夜の散歩が習慣の19歳の私こと子、おっとりとして頑固な長姉そよちゃん、妙ちきりんで優しい次姉しま子ちゃん、笑顔が健やかで一番平らかな‘小さな弟’律の四人姉弟と、詩人で生活に様々なこだわりを持つ母、規律を重んじる家族想いの父、の六人家族。ちょっと変だけれど幸福な宮坂家の、晩秋から春までの出来事を静かに描いた、不思議で心地よくいとおしい物語。
出版社:新潮社(新潮文庫)



本作はいくつかの細やかな事件は起こるけれど、プロットに一貫した筋があるようには見えない。
そのため動きや変化に乏しく、何も起こらない、ただ日常を書き写しただけの作品、という印象を受ける。

そう書くと、この作品が、恐ろしくつまらないものに見えるかもしれない。
しかし本作は大したことは起きないのに、ふしぎとおもしろい作品である。

理由は単純に、ここに登場する家族がすてきで、彼らの生み出す空気が愛らしいからだ。


宮坂家にはいいキャラがそろっている。

個人的には、いかにもおっとりした雰囲気のそよちゃんや、いかにも空気の読めない感じのしま子ちゃん、規律を重んじて四角四面な感じの父親などが、好きだ。
変に強烈ではなく、どこにでもいそうな感じなのに、確かな個性出ていて、これっぽちも嫌味ではないところが、特に良い。
一言で言えば、読んでいて心地よいのだ。


そんな個性的な面々が、味のあるエピソードを次々と生み出している。

個人的には、母の誕生日プレゼントに、父がハムスターのウィリアムを出すところなどは好きだ。
ロマンチックな母親と無口な父の対比が、ほのかにおかしく、読んでいてほんわかとした気分になれる。
しま子ちゃんにバギーを送るところも好きだ。
次姉のエキセントリックな発想をみんな反対せず、受け止めようとするところなどはいかにも暖かい。


だがそのような暖かい部分ばかりでなく、ひんやりした部分にも、光るものがあるから、またたまらない。

特におっとりしたそよちゃんが離婚のことを語るシーンが好きだ。
「私たち、お互いにほんとうに半分殺しあったのよ」
そよちゃんは自分の離婚を形容してそう言った。それはちょっと怖い言葉だけど、彼女が言うと、しっくり来るところなどはさすがだな、と感心してしまう。

そのほかにもすてきで印象的な場面が多い。


この手の雰囲気重視系の小説を、僕は積極的に読む方ではない。
けれどたまに読むと、深く胸に響いて心地よい気分になれる。

そしてそんな暖かであり、ときに残酷でもある雰囲気を、的確に捉える江國香織という作家を、僕は改めてすごいと思うのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの江國香織作品感想
 『神様のボート』