ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

厳しさのない慈悲は人をだめにします

2016-09-21 17:59:36 | 知恵の情報
慈悲についてお話しましょう。
善人は憐み深く人助けばかりしますが、彼等が善人と呼ばれて賢人とならないのは
何故でしょう。

慈悲は悲しみを共に感じることから起こっています。
この自然の中で人類だけが意識を持ち、慈悲を持っているのは、苦しみながらも
生きてゆかねばならないことへの救いともなっています。

しかし、慈悲はそれだけでは人を救うには至りません。憐みという悲しみにとらわれ
ているだけでは一時しのぎの人助けしかできないのです。
何をする場合でも一時しのぎでは、後から必ず破たんが来るように、人助けもユート
ビアづくりもそうです。何がそれにとって建設的なのか、を考えて慈悲をかけねば
ならないのです。

厳しさとは言っても、きつくするのや、むざむざ失敗しようとするのを放って置く、
或いはしごく、というのとは違います。
直すべきところ、改善せねばならぬものを甘やかさず辛抱強く見守ることです。
善人であるだけではユートピアづくりは難しいのです。賢くなければ悪らつな人間
に頭からねじ伏せられてしまいます。

個々の家庭でもそうであるように、より良く生き、家庭を守り、外からの侵入を
許さないというには賢さが必要なのです。
厳しさのない慈悲は人をだめにします。賢さのない善は実らないのです。
(エル・ピラッテラ 3月24日 口述筆記土田展子)

─『希望と愛と光』 JI出版より

慈悲とは、生きとし生けるものすべて(一切衆生への)の慈悲の心と理解している。
慈しみ、哀れみの心だがそこに厳しさが必要だといわれる。
慈悲とは素直に考えると感情的な感覚だと思うのでそこに厳しさを加えると慈悲自体の
性質に矛盾がきはしまいか・・・
慈悲の気持ちを持っても、それに流されるな、客観的に自分を見ていなければいけない
ということなのだろうか・・・


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