人は、耐えることを、自由を奪われることのように思っています。病の床にある人も
健康ならば享受できるはずの自由を病によってことごとく奪われているように感じる
ことでしょう。
けれども、耐えることを自ら選びとって病を耐えたとき、たとえからだは病によって
自由を奪われたとしても、その人の内面は心の大きなゆとりを体験します。
これほど豊かな、何ものにも束縛されない自由はありません。そして、この
内面の自由を体験したことによって、人は人間として一段と高みに立つことが
できるのです。
直面する困難を自分のなかでどうとらえるか、そのとらえかた次第で私たちの
生きかたは大きく変わってきます。
苦難や不幸を、
「なぜ私がこんな目に遇わなければならないのか」
と呪っているかぎり、人はその状態にとらわれ、停滞し、身動きをとることができ
ません。その境遇にいつまでもこだわるのではなく、
「ここから始まるのだ」
ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます。発すべき問いは、
「なぜ、こうなのか」ではなく、「さて、どうするか」なのです。
両足は、「いま」という地点をしっかりと踏みしめ、目はずっと両方を見つめるのです。
そうやって耐えている姿は、外から見るかぎりでは何もせずじっとしているだけの
ように映るかもしれませんが、その人の心の内側には、自分の生きかたの流れ
を変える大きな力がすでにたくわえられようとしています。
耐えるとは受身で消極的な姿勢ではなく、これほど内なる勇気をもって現実に
立ち向かう態度は、ほかにはありません。
─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より
小林真央さんのことを思い出した。
まさにこの状況にある。
ブログを立ち上げたのも彼女の心境が変わったのだろう。
ここから始まり、「さてどうするか」・・・
大きな力が、気となって蓄えられ、奇跡が起こせるか・・・
大腸がんをやった私としては、生きてもらいたい・・・
健康ならば享受できるはずの自由を病によってことごとく奪われているように感じる
ことでしょう。
けれども、耐えることを自ら選びとって病を耐えたとき、たとえからだは病によって
自由を奪われたとしても、その人の内面は心の大きなゆとりを体験します。
これほど豊かな、何ものにも束縛されない自由はありません。そして、この
内面の自由を体験したことによって、人は人間として一段と高みに立つことが
できるのです。
直面する困難を自分のなかでどうとらえるか、そのとらえかた次第で私たちの
生きかたは大きく変わってきます。
苦難や不幸を、
「なぜ私がこんな目に遇わなければならないのか」
と呪っているかぎり、人はその状態にとらわれ、停滞し、身動きをとることができ
ません。その境遇にいつまでもこだわるのではなく、
「ここから始まるのだ」
ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます。発すべき問いは、
「なぜ、こうなのか」ではなく、「さて、どうするか」なのです。
両足は、「いま」という地点をしっかりと踏みしめ、目はずっと両方を見つめるのです。
そうやって耐えている姿は、外から見るかぎりでは何もせずじっとしているだけの
ように映るかもしれませんが、その人の心の内側には、自分の生きかたの流れ
を変える大きな力がすでにたくわえられようとしています。
耐えるとは受身で消極的な姿勢ではなく、これほど内なる勇気をもって現実に
立ち向かう態度は、ほかにはありません。
─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より
小林真央さんのことを思い出した。
まさにこの状況にある。
ブログを立ち上げたのも彼女の心境が変わったのだろう。
ここから始まり、「さてどうするか」・・・
大きな力が、気となって蓄えられ、奇跡が起こせるか・・・
大腸がんをやった私としては、生きてもらいたい・・・
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