ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

薬がいらない体

2016-07-13 18:43:14 | 医療
私は、定期的に老人ホームを訪れます。
そこで得た実感─それは、長生きをしている人、いつもはつらつとして元気な人で、
薬をたくさん飲んでいる人は皆無だということです。
反対に、口を開けば体の不調を訴える人、顔色が悪く、明らかに元気がない人ほど、
意外や意外、「山盛りの薬」を後生大事に飲んでいることが多いのです。

ハッキリ言いましょう。長生きする人は、体が丈夫だから長生きするのではなく、
必要最低限しか薬を飲まないから、長生きするのです。反対に、必要のない薬を
飲みすぎるために、健康寿命を縮めてしまったと言えるケースも、多々あるのです。

薬を飲めば、たしかに、つらい症状はたちどころに消えてなくなるでしょう。しかし、
薬は、目先の症状を消しても、結果的には体の免疫力を下げてしまうのです。
このように体本来の力を阻害するのが、薬のもっとも恐ろしいところです。
だからこそ、「薬がいらない体」、すなわち「免疫力の高い体」をつくることが、
「元気で長生き」のために絶対不可欠なのです.

「老人のほとんどは、服用している薬を中止すると体調が良くなる」(著者訳)
これは、私が勝手に言っていることではありません。すでにおなじみ、医者なら
だれでも知っているはずの「ドクターズルール425(意志の心得集)」にも載っている
有名な教訓です。

これだけ見ても、私が独りよがりで薬の害悪を訴えているのではないことを
おわかりいただけると思います。まさに至言です。ところが、お年寄りたちが
症状を訴えるたびに、単純に薬を増やしていくという、ばかげた医者が本当に
たくさんいるのです。

そのため、老人ホームのお年寄りたちの多くが「薬漬け」になっています。
私は、数年前から、ときどき老人ホームを往診します。そのたびに、お年寄りには
薬好きの方がじつに多いことに驚かされます。まさに薬中毒さながらです。
本当に感心するやら唖然とするやら、その惨状には目を覆うばかりです。

したがって、老人ホームに新しく入居されてきたお年よりに対する、私の最初の
かかわりは、いかに薬中毒、薬信仰をやめさせるか─これに尽きます。
なぜなら、彼らは、熱心な薬信仰のゆえに元気や意欲がなくなり、確実に健康
寿命を縮めてしまっているからです。


─『一生薬がいらない体のつくり方 9割の薬は「飲んではいけない」』
  医学博士 岡本裕著 三笠書房知的生き方文庫

この本には日々できる免疫をあげる方法がたくさん紹介されている。
手の指先をつまんで揉む方法とかストレッチ、効率的なウォーキングなど。
分子生物学の三石巌氏も語っていたが医原病などの問題にも触れている。


「知りません」と「知ったかぶり」──サマセット・モーム

2016-07-12 18:26:21 | 知恵の情報
若いとき、私は、何でも知ったかぶりをしたかったものだ。おかげでよく面倒を引き
起こしては醜態をさらした。だが、その後悟ったことでももっとも有益だった一つは、
「知りません」ということのいかにやさしいかということである。事実そのために悪く
思われたことは一度もない。ただ一つ困るのは、そう答えると、その知らないといった
ことについて、実に滔々と教えてくれるのを最大の義務とでも心得ているらしい人間
のいることである。事実は、むしろぼくとして知りたくないことだっていくらでもあるの
だが。(『作家の手帳』サマセット・モーム 中野好夫訳 世界教養全集別巻4)

    ★   ★   ★   ★

知りません、と言うことのいかにやさしいかについて、モームのような人間通でも、
かなりの経験を積んでようやく悟ったのであるらしい。

一般に、人はなかなか、知りません、と言いにくいものである。殊に相手がこちらに
対して、すでにご承知でしょうが、というような態度ではなしかけているとき、それを
途中でさえぎるように、いや私は知らないんですよ、とはどうにも言い辛い。
そして、知ったかぶりを続けているうち、思わぬところで恥をかく結果となりやすい。
誰にも多少は身に覚えがあるだろう。その事については知りません、と最初に
断固と言いきるにはかなり勇気が要るようだ。

しかし、いったんその習慣をつけてしまえば、態度が率直である限り、決して侮られ
はしないこと請合いである。むしろ相手は勢い込んで詳しく説いてくれる。それは
結構、いい気分なのだ。人に好かれる最も簡単な方法は、誰にでも謹んで教えを
乞う姿勢なのである。

─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

今日の鳥越氏の知事出馬発表の会見でこのものを知らないということを素直に
表現しているのを見た。何十年もジャーナリストをやってきて、いろいろ知って
要るだろうがそれを鼻にかけることはなかった。石田氏もそうだったが、都民と
して、現在の政治に本当に心配をしているということがわかる会見だった。
都知事として、できるかどうか、実務をこなせるかどうか、はわからなかったが
彼の姿勢は伝わった。ここのところ、石田氏、鳥越氏の発言で力がなくとも
何とかしなくてはという想いが行動へつながっているのを知るたびにその
勇気を感じた。また、鳥越氏は、何にも知らなくてもやっていくうちにできてくる
というようなことを、自分のジャーナリストになり始めの頃の話や、キャスター
も四十代になってから、はじめて右も左もわからずだったができたことをあげ、
都知事も人間のやることは、なんでもだんだんやると慣れてきてできるという
ことを言っていた。それには、彼の人生経験からの教えがあった。
ここのところ、石田氏、鳥越氏、小池氏など、飾らない本音の話が聞けて
勉強になっている。

人間は条件に即応していかようにも変わるもの──谷沢永一

2016-07-11 18:38:24 | 知恵の情報
最高の教育者とは──マーク・トウェイン
生まれてから死ぬまで、人間ってものは、醒めてるかぎり、たえずなんらかの教育を
受けてるわけだよ。そして、その教育者の中でも第一番は、いわゆる人間関係って
奴だな。(『人間とは何か』マーク・トウェイン 中野好夫訳 岩波文庫)
  
 ★   ★   ★   ★   ★

世の中にいき行く行程の根幹は、そもそものはじめから終わりまで、人間関係を
いかに調節するかの工夫である。十人十色といえば卑俗に聞こえるけれども、
人間はひとりひとりすべて性格を異にする。もっとも、誰にも見られる個性の特色
を、そのすべてを理解することは、不可能に近いと観念すべきであろう。

しかし、少なくとも相手が何を喜びとし、何を嫌っているかを、それとなく見てとる
観察は、それほどむつかしくもないであろう。その一点にしぼって人の心を推し測る
のが、人間学の要点ではあるまいか。

そしてかりそめにも絶対に忘れてはならぬ重要な心得、それは、誰でも人は
境遇の移り行きにつれて、次第に或いは突然に、人変わりするという避けられない
事情である。たいていの人が相手の思いもかけぬ変化に接して、途惑ったり
不快の念を抱く。そのとき裏切られたと思ってはならない。人は条件に即応して
いかようにも変わるものだと、平素から心用意を怠らぬよう留意すべきである。

─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

夏目漱石が『こころ』の主人公に語らせた「平生はみんな善人なんです」を
思い出す。人間の愚かしさなのか、そうでなく、そういうものなのか。谷沢さんは
裏切られたと思うなとおっしゃる・・・人間の性質がそうでしかないのか。
愛や慈悲などは、どうなのか、変わってしまうのか。私が思うには、
備わっている確実なものでないから、教えとしてあるのだろうとは思う。
だから、機会あるごとに、いろいろな経験をするごとに愛と慈悲がどういう
ものなのかを思い返し、後悔して、自分を正すのだろう。

ひとり喜びながら仕事に打ち込む──北大路魯山人と木版画家・吉田博

2016-07-10 19:43:16 | 知恵の情報
なんでも楽しんで好きなことをやる。金を儲けようとか、やれこうやっては損だとか、
なんてケチな考えてことをやっては、決して儲かるものでなし、人に認められる
もんでもないね。

東京のある一流のすしやが新橋にあるが、あそこの主人が赤貝のひもなど
洗っている時、しゃあと手を動かし、「今日は市場にいいのがたった二十しか
なかったんだが、いいね、さすがに」なんてひとり喜びながら洗ってる。
ああでなくては、美味しいものひとつだって出来っこないんだし、あれでちゃんと
一流のすしやになりきるんだと思うね。

─『魯山人味道』北大路魯山人著 中公文庫


好きなことをやることがいちばんいい。自分の人生で、好きなことがいつ出てくるか
ということもある。小さい頃から、好きな道を見つけられてそれに打ち込めれば
幸せだが、人生を歩んでいくうちに見つけることもある。芸能人を見ていても
えっこんなことができるのと驚くことがある。日曜大工がプロなみだったり、
服をつくるのが簡単にできてしまったり。私は、表の芸能活動より、その好きな
自分で長くずっと人から言われなくてもやってきたその人の得意なものを知るのが
好きだ。

職人などもその製品をみると見事な仕上がりに驚く。最初に始めたときは
奉公などからかもしれないがいつしか自分の興味へ変わり、好きになっているという
ことが感じられる。昔の芸術も小さい頃から工房へ入りその中から、自分の興味を
培っていつしか、これが好きだというものをみつけたのだろう。そうでなくては、
ミケランジェロやラファエロ、ダ・ヴィンチなどの作品は生まれないように思う。

今日の日曜美術館(NHKEテレ)で吉田博の木版画の特集を見た。彼は、油絵画家
で、ちょうど黒田清輝の画風になっているころの人だ。彼の作風が黒田のように
印象派のようでなく、全然評判にならずだったが、ある時期から人に進められて
木版画をやるようになると、その興味と自分の表現がぴったりあって、見事なものに
なっていく。日本人は美の柔軟さがないのだろう、彼の木版画も認められない。
しかし、戦前から海外では認められていて、戦後になり、GHQの外国人が彼の
もとに集まってきてたちまち、彼の作品はアメリカなどに流れた。彼は、日本で
話題にならずとも世界を歩き自分の興味のあるものを題材にした。
「自然の美しさをそれを見たことのない人のために自分が表現してその美しさを
伝えたい」という彼の哲学が好きなものとあいまって成功している。油絵の色の具合
いより、鮮やかになり、彼の色彩の表現が生きている。日本では後に知ら
れるようになったが好きなものを見つけられたことは幸せだったに違いない。
彼の木版画の作品は何十にも刷り重ね微妙な色彩の陰影をだしている。陰影をだすため
ねずみ版というのがあるそうだがそのつかい方の妙味はすばらしいものだ。
浮世絵版画の技術が進んで彼に結実しているような思いかふと、した。
ネットで見れば彼の作品はすぐ見れる。興味のある方は、見てください。

 
 富士山の影のつかみ方と雲の漂う空気が見事に表現されている 

 
 建物の写実力や水面に映る建物の表現には思わず見入ってしまう
 

 木版画なのにこの水の写実のすごさには驚いてしまう・・・

 
 これは、ダイアナ妃が気に入って
 作品を持っていたらしい

レンブラントの教訓

2016-07-09 17:32:13 | 知恵の情報
 

その独特な光の明暗を対立させるリアリズムな画風で売り出したレンブラントは、
はじめ肖像画家として大成功した。アムステルダムで広大なな邸宅に住み、美しい
妻や多くの弟子にかこまれて、レンブラントは幸福の絶頂にあるように思われた。
三十五歳のときである。この年、射手組合から、金を出し合った組合員の全部を
一枚の絵にかく大きな肖像の群像を頼まれた。

頼んだ組合員はだれもが正面から美しい姿に描かれるものと思ったが、レンブラントは
自由な構想で、全体としての生命の躍動を描いたので、各人の肖像は期待はずれの
ポーズになってしまった。この芸術的意図は組合員にはわからず、そういう勝手に
見えるやり方を傲慢と見て非難し、以後レンブラントには肖像を頼まないように
なった。これがもとでレンブラントの中年から晩年は不遇で、死の前は食うや
食わずであった。この組合員を描いた群像は「夜警隊」となづけられレンブラントを
代表する傑作の一つである。

先年レンブラントの生涯をテーマとした映画(旧)が封切られたが、そのラストの描写に
観客は大きな感動につつまれた。食うに困った老練レンブラントが海岸で打ち上げられた
腐った魚を拾っている。そこへ紳士が来て食物を買うと約束させて金貨を与える。
レンブラントは食品店へ行くと思いきや、絵具屋へ行き絵具の借りを払って新たに
絵具を買い、そして最後の傑作「ダビデに捧ぐ」を描き上げる。

この自分を捨てて後世に傑作を残そうとするひたむきな行動に、大きな感激を覚える
のである。もちろん映画制作者のラストの感激を盛り上げるためのフィクションで
あるが、このように感銘の要素の中には何らかの意味で「世の中のためになる
こと」という内容が包まれている。たんなるハッピーエンドに深い感銘はない。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

レンブラントの作品のなかにイエスがペテロに「お前は朝の鶏がなく前に三度
私を知らないというであろう」、というテーマを描いたものがある。その絵が印象
的だったが、フランコ・ゼフェレリの映画を見ていて、その絵を参考にしている
と感じたことがあった。ゼフェレリがイエスとして使おうとしていた役者のペテロ役
だったので、見事に自分が三度言ってしまったその瞬間の惨めな後悔の表情が
とても感動的だった・・・



(エル・ピラッテラ─レオナルド・ダ・ヴィンチ─レンブラント─セザンヌ)

魂の実態②──自分との合体

2016-07-08 18:06:35 | 知恵の情報
赤ん坊として生まれ、三ヶ月たったころ、本人の魂、に加えて、その人間を天上世界に
向けて誤りなく導くため、「誰々の本体(分身)として生まれる」というために、天上界から
善霊が降りてきます。
そして、それが本人の中にスッポリ入るのです。つまり、二つの魂が合体するわけです。
(この合体霊は、幽体離脱の時、普通は合体したままで、合体した人の身体をともに
守ります。それ以外、合体ではなく、天上界から降りてきて付き添ってくれる守護霊、
指導霊とともに三つの霊の関係性で人生を過ごします。死後は、それらの霊と別れ、
本人だけの魂が残ります。)

そして、天上界の霊の名前を用いて、「誰々の本体(分身)」となるわけです。
ですから、「山中さんの過去世」というのは正しい、言葉ではなくて、「山中さんと合体し
ている善霊の過去世」というべきなのです。山中さんが、昔から続く永遠の生命を
持っているわけではなく、これから手に入れる永遠に転生輪廻を繰り返す不滅の魂を、
今、現在の人生を通して、形作っているわけなのです。過去ではなく、未来が待っている
のです。

ですから、皆さんは、自然との調和、人との調和への責任と義務ばかりでなく、自分に
対する責任と義務があるのです。「自分の生命を大切にする」大きな意義が、ここに
存在するのです。未来において、一個の人間として、どの位の長い間、いろいろな
使命を与えられ、また、果たして行かねばならないか、自分が、天上界からの三人の
善霊(合体霊、守護霊、指導霊)に守られ、支えられ、導かれて一生を終え、天上界に
上がることが出来たなら、次の世で誰かの魂と合体し、その赤子のように(赤ん坊の
ときに入るのですが)何もしらぬ魂に、生きるべき道を手を取ってリードし、意識を通じて
自分の知恵と知識を与え、ともに喜び、ともに泣き、ともに苦しみあって行かねばならぬ
義務を、感じるようになるでしょう。

これは、先ず人類が発祥し、そして、魂ができて、その霊魂が永遠に存在するという
自然発生的な理論に即したもので、進化論あるいは、「物質不滅の法則」という科学
の理論にかなうものなのです。魂が最初からあるのならば、その魂は何処から来たか、
いろいろな属性、個性がなぜ霊魂に附随するのか─とまた、未解決の神秘な謎が
残されてしまうのです。科学とは神秘の解明であって、新たな謎を作るものではない
ことは改めて申すまでもありません。

そして、元素およびその化合物によって、構成される魂であるがゆえに、本人の記憶は
何億年、恐らく永遠に、保持することができ、このように魂は、不思議といえば不思議で
もある、一つのガス体(有機体)ともいえる、永遠不滅のものなのです。

─『天国の扉』たま出版

このメカニズムを考えるとき、ソクラテスがダイモニオンの声がするとか、
カントが定言命法といって、内なる道徳律を内なる感覚的な命令を受けている仕組みが
わかる気がする。私の記憶で面白いのは、片岡鶴太郎という芸能人がいるが、
彼の絵の本を読んだとき、彼がお笑いだけでなく、俳優をやったり、ボクサーをやったり
絵描きになったりしてこられたが、彼の転機には、彼は、「腹の声にしたがう」というエピソード
を語っている。実際に声が聞こえるらしいが、あれは、合体している善霊のように思う。
渡部昇一氏の『渡部昇一の 人生観・歴史観を高める事典』(PHP研究所)の本の
なかに内なる声をきく、という項目がある。あれも、上記合体霊の声に違いない。
脳の中で、客観的な自分が存在すると脳科学で言われるかもしれないが、霊体の
メカニズムを考えるとその方が現実的だ。自分の内側に問うときその答えが出てくる
時がある。自分の脳の考えだけでなく、善霊の方の考えだと思うとき心強いのでは
ないか。人は、孤独ではなく、生まれたときから守られているのだ。
うそ臭いと思わず、よく考えてみるとよい・・・

魂の実態①──有機物プラス宇宙エネルギー

2016-07-05 17:23:52 | 知恵の情報
動物および人間の魂は何処にあるのか。生命とは魂とどんな関わりがある
のかについては、長い間、科学の種々の分野で問題になり、討議の対象
になってきました。しかし、ある星ではすでに解決されていることで、比較的
簡単な仕組みなのです。

肉体と幽体(霊魂)の構造、分離の状態などから判断すると、しゃべる植物と
されているサボテンや、数種の高等生物を除くものでは、今のところ、魂に
当たるようなものは見出されてはいませんが、動物、人間などでは、大脳、
脊髄を含む身体内の全神経系の刺激反応およびその統合の働き、および
全細胞組織内の生活反応(生命維持の働き)など、その生命体としての
独自な働きによって習慣づけられ、教育された結果、条件反射に似た
慣性の法則に従い、属性を持つ有機物プラス宇宙エネルギー(人体に
含まれる素粒子)を魂と呼ぶのです。

わかりやすく言えば、魂という特別な何かが、Aさんという人間が生まれる
前から別に取ってあるわけではなく、Aさんが生まれた時に肉体に付随する、
その肉体内に含まれるありとあらゆる有機物に、細胞組織内に含まれる
Aさんのものである宇宙エネルギーの中の電子、陽子、中性子、並びに
(光子)、を魂の構成要素と見做してよいわけです。それが、Aさんの死後、
身体を離れて一つの気体の塊(火の玉→霊魂)となって、永遠に肉体とは
違った形となって存在するのです。これら有機物プラス宇宙エネルギーは
Aさんのものとして存在し、決して他のものと何かの拍子に一緒になって
しまったり、バラバラに形が無くなってしまったりはしません。本人がそう
望むとか、高次元の霊により消滅させられる以外はですが。

─『天国の扉』たま出版より参照

非常に詳しく書かれている。驚くのは、この霊に合体する状態が
あることだ。長くなるので次にしたいが、他の星では、すでにこれらの仕組み
は理解されているという。もっと地球での宇宙人の情報を握っている人は
謙虚になり、公開するべきである。UFO関連の情報は混乱していて、
正しい情報を捉えていくのはむずかしい。SFの映画ばかりでなく、現実の
情報もあるのに公表しないのは、なにか陰謀があると思われてもしかたが
ない状況だ。


しばしの休止──日野原重明

2016-07-04 18:29:04 | 知恵の情報
「いのちに齢を加えるのではなく、齢にいのちを加える」
というG・M・ピアゾール医師(1880~1966)のことばは、いのちの価値は単に
暦の長さにあるのではなく、その深さにあることを教えてくれます。
古代ギリシャの哲学者ソクラテス(前470頃~前399)もまた、
「ただ生きるのではなく、善くいきることが人間の課題である」
と言っています。一生を、一年を、一日を、どう深く、蜜に生きるかを私たちは
考えなければならないのです。

人が自分自身の快楽のためだけに生きる限り、いのちの深さは実感できないで
しょう。生きていることの意味は、自分で探し勝ち取るもので、それがつまり
生きがいにつながります。

私が尊敬するウィリアム・オスラー医師は医学生たちに向けて、初代キリスト
教父・聖ヨハネス・クリソストム(344頃~407)のことばを引用しながら、
「忙しいさなかにも自分自身を見つめるときをもつように」
と語りました。

私たちは小さな渓流から、だんだんに川幅を広げ、やがて死という大海へ
向かう者たちです。川の流れに身をおくあいだは、自分がどういう姿で流れ
ているのかがよくわかりません。ですから、ときどきは淀みから岸辺に
上がって、川の流れ全体を見なさい、とオスラーは言いました。岸辺に立って、
人々の流れゆくさまを見、
「では、自分はこの先どのように流れていこうか」
としばし思いを巡らしてから、また流れのなかに戻ることを、オスラーは若い
人たちに説いたのです。このような機会を英語ではリトリート(retreat)
「退修会」と言います。

せわしないときこそ、しばしの休止も必要なのです。歳を重ねるにつれて
複雑なものを背中いっぱいに背負い込まざるをえなくなった私たちは、
若い人よりも一層、自分を見つめるひとときをもち、あらためて自らの
生きがいを問わなければなりません。いわば作戦の練り直しです。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

音楽を聴くことや、ただぼーっとしてみる、禅を組んでみる。
海に仰向けになり、浮かんでみる、いろいろな休止の仕方があるにちがいない。
先日取り上げた、「歩くこと」も自分を見つめるひとときになると思う。
自分が大腸がんになり、その後の静養で歩いたが、それは、自分を無心に
させてくれたし、それまでの自分の生き方を見直す機会にもなった。
自分を休めながら、自分の流れていくさまを見ることができる。上手に
歩きながら作戦の練り直しを考える。






(エル・レグシェリル─ソクラテス─ルソー─中江兆民)


砂糖を摂れば頭の回転がよくなる

2016-07-03 18:58:31 | 医療
健康に気をつかう人々のあいだでは、よく「"三白”は体によくない」と言われる。
ここで言う三つの白い食品とは、白米、砂糖、塩のことである。そこで彼らは
砂糖や塩を控え、白米をやめて玄米を食べるのである。

しかし、私に言わせれば、この「三白」はいずれも健康を維持するために欠かせない
ものである。とくに砂糖は、脳の働きをよくするために欠かせない。なかには
白砂糖をやめて黒砂糖にしたほうがいいと思っている人もいるようだが、脳に
とっては、白も黒も関係ない。黒砂糖が白砂糖より勝っているのはミネラルの
量だけだから、ほかの食品からミネラルを十分に摂れるなら、どちらを使っても
かまわないのである。

脳が必要としているのは、ただ一つ、ブドウ糖だけだ。砂糖は、そのブドウ糖の
有力な供給源になる。だから、頭を使う仕事をしている人や受験生は、積極的
に砂糖を食べて自分の「脳力」が全開になるようにすべきなのである。

ブドウ糖が不足していると、それを補うために肝臓がブドウ糖を作りはじめる。
糖新生と呼ばれる働きである。その際、骨格から取り出されたタンパク質が
材料として使われる。それをわざわざブドウ糖にかえるわけで、そのためには
多大なエネルギーが消費される。エネルギーが大量に発生すれば活性酸素
も大量に発生する。それを避けるためにも、十分なブドウ糖を摂取しておく
必要がある。

なぜ、砂糖罪悪感が広まったのか

もちろん、ブドウ糖の供給源は砂糖だけではない。即効性という点では砂糖
がベストだが、米飯やパンなどが持っているデンプンもブドウ糖を含んでいる。

とくに朝は、ブドウ糖を十分に含んだ食品を食べなければいけない。朝食を
抜くなどもってのほかだ。そんなことをしたら、いわば「脳死」状態で仕事や
学校に出かけていくようなものである。頭がボーッとしたままスタートしたのでは、
ろくな一日にはならないことだろう。

すぐに頭をフル回転させたかったら、なるべく朝食に甘いものをたべたほうが
いい。ご飯一膳、パン一枚でもいいから、かならず食べるようにする。どうしても
時間がなければ、バナナ一本でも構わない。
「甘さ控えめ」がありがたがられるご時世だが、世の中、そんなに頭を使い
たくない人が多いのだろうか。

そもそも、砂糖が体に悪いという説が世界的に流布したのは、政治問題が
その引き金であったという説が有力である。キューバ危機に際し、ケネディ
大統領はキューバと全面対決する決心をした。一方、キューバ経済は
砂糖の輸出に大きく依存している。

そこで、砂糖を罪悪視している医学論文はないかと、ケネディのスタッフは
躍起となった。そうして、ようやく、何ら科学的根拠のない粗雑な論文に彼
らは出会ったのである。その結果、あくかは良貨を駆逐するの例えどおり、
ケネディ・サイドのキャンペーンは見事に世界に広まっていったのである。

─『医学常識はウソだらけ  分子生物学が明かす「生命の法則」』
  三石巌著 クレスト社 参照

三石氏の情報を読むたび、世間で体によいと思って甘さ控えめになっている
テレビの食べ物番組などみると残念である。牛丼などは、つゆの甘さが現在
では、酷いものだ。味はうまく出しているが以前のものとおいしさ半減である。
つゆだくにしてもちっともおいしくない・・・すき焼きの砂糖を効かした
牛の味覚がまったくない。吉野屋は、先代の創始者が肉にあうワインを入れた
ことが味の決め手になっていた。あの甘みとワインのこくはもう取り戻せない
のか・・・
世間の健康志向は、医者の間違った理屈がまかりとおってどれだけ、食べ物
のおいしさを損なっているのか、三石氏のような、分子生物学的捕らえ方
をしながら、自然というものをもっと見直すべきだ。

運命とは──原因は自分の意志でつくるもの、その結果が運命となる。

2016-07-02 19:00:22 | 知恵の情報
精神面における原因と結果の法則には、運命と自由意志の両方があり、一人ひとりの
宿命と、自分の選択という責任の両方が必ずあります。というのは、原因があるところ
には、必ず結果がなければなりませんし、原因と結果は必ず対等だからです。

物質の世界でも、精神の世界でも、ひと続きの原因と結果は絶対にバランスがとれて
いなければなりませんし、それゆえに、永遠に公平であり、永遠に完璧でなければ
ならないのです。

ですから、すべての結果はあらかじめ定められたものだといえますが、それを運命
づけた力は自分でつくった原因にあり、気まぐれな意志によって勝手に決められた
ものではないのです。

わたしたち一人ひとりが、この原因と結果の鎖に巻き込まれています。わたしたち
の人生は原因と結果でつくられているのです。自分で原因の種を蒔いて、自分
でその結果を刈り取っているのです。わたしたちがすることの一つひとつが原因
となり、それに対応した結果を生むことによってバランスがとられなければなりま
せん。

わたしたちは、原因を選ぶことができます。これが自由意志です。しかし、結果を
選んだり、変えたり、避けたりすることはできません。これが運命です。つまり、
自由意志とは原因を生み出す力のことであり、運命とはその結果のことなのです。

それゆえ、どの人も何らかの結末を運命づけられているというのは、事実ですが、
その命令を(自分でも知らず知らずのうちに)下していたのは自分自身なの
です。逃れることのできない幸運も悪運も、自分自身が過去になしたことに
よってもたらされたのです。

─『「思考」が運命を変える The Mastery of Destiny』
  ジェームズ・アレン 松永英明訳 ワニ文庫

量子力学によって、原因結果がなりたたなくなるということがあるが、新たな
とらえかたとして、概念を変えれば量子力学を用いるという原因を作れば、結果が
不確定だとしても統計的なものとか、ある枠のなかの結果を予測する方法とか
いままでの結果の捉え方でない結果を考えられるような気がする・・・

少なくとも、生活のなかで、原因ー結果を使ってゆくことは、自分の考え方、
行動が安定するのではないかと思う。運命を占いで考えてみるとき、出てきた
卦の原因を考えてみることは、面白いのではないか・・・

自然の法則は、人間の生き方を導く──ニュートン

2016-07-01 19:41:20 | 知恵の情報
自然哲学〔自然科学〕は、自然の枠とはたらきとを発見し、それらを可能なかぎり、
一般的な規則、または、法則に還元すること──これらの規則を観察と実験に
よって確立し、そこから事物の原因および結果をひきだすこと、のうちに存する。
(王立協会設立試案)

わたしは自分が世間の眼に、どのようにみえるかは知らない。しかし、わたし
自身眼には「真理」の大洋がわたしのまえに未発見のまま横たわっているとき、
海岸でたわむれつつ、ときどき普通のよりも一そうなめらかな小石、または
一そうきれいな貝殻を見つけて、打ち興じている少年に似ていたように
思える。

ニュートン(1643~1727)
イギリスの大科学者。万有引力、光の分析、微積分法、を発見して、近代の
物理・数学・天文学の基礎をきずいた。

─『一日一言 -人類の知恵ー』桑原武夫編 岩波新書から

彼は、正統科学になっている科学的、数学的な発見もしているが、
神の神秘性についても興味を持ち、”神秘論”や、”悪魔論”について
も研究している。しかし、この資料が膨大にあるらしいが、国会図書館が
閲覧できないようにしているとも聞く。彼の正統科学の業績を
汚さないためらしいが、そういうことは、やめてもらいたい。

彼は、小さいころ気が弱く、母と一緒に田舎の学校へ疎開したことが
あったが、いじめにあった。しかし、あるとき、自分の意志を強く
出して、そのいじめっ子に対決して、勝つことができた。それ以降は
しっかりとした生き方ができるようになったと、昔読んだ伝記に
記されていたのが私の記憶にある。彼の発見は、自分を克服した延長に
あるのか、とそのとき確認できたように覚えている。
彼の姿勢のなかに「原因結果の法則」(因果律)がある・・・





(エル・パヌルエラ─ニュートン─ )