精神面における原因と結果の法則には、運命と自由意志の両方があり、一人ひとりの
宿命と、自分の選択という責任の両方が必ずあります。というのは、原因があるところ
には、必ず結果がなければなりませんし、原因と結果は必ず対等だからです。
物質の世界でも、精神の世界でも、ひと続きの原因と結果は絶対にバランスがとれて
いなければなりませんし、それゆえに、永遠に公平であり、永遠に完璧でなければ
ならないのです。
ですから、すべての結果はあらかじめ定められたものだといえますが、それを運命
づけた力は自分でつくった原因にあり、気まぐれな意志によって勝手に決められた
ものではないのです。
わたしたち一人ひとりが、この原因と結果の鎖に巻き込まれています。わたしたち
の人生は原因と結果でつくられているのです。自分で原因の種を蒔いて、自分
でその結果を刈り取っているのです。わたしたちがすることの一つひとつが原因
となり、それに対応した結果を生むことによってバランスがとられなければなりま
せん。
わたしたちは、原因を選ぶことができます。これが自由意志です。しかし、結果を
選んだり、変えたり、避けたりすることはできません。これが運命です。つまり、
自由意志とは原因を生み出す力のことであり、運命とはその結果のことなのです。
それゆえ、どの人も何らかの結末を運命づけられているというのは、事実ですが、
その命令を(自分でも知らず知らずのうちに)下していたのは自分自身なの
です。逃れることのできない幸運も悪運も、自分自身が過去になしたことに
よってもたらされたのです。
─『「思考」が運命を変える The Mastery of Destiny』
ジェームズ・アレン 松永英明訳 ワニ文庫
量子力学によって、原因結果がなりたたなくなるということがあるが、新たな
とらえかたとして、概念を変えれば量子力学を用いるという原因を作れば、結果が
不確定だとしても統計的なものとか、ある枠のなかの結果を予測する方法とか
いままでの結果の捉え方でない結果を考えられるような気がする・・・
少なくとも、生活のなかで、原因ー結果を使ってゆくことは、自分の考え方、
行動が安定するのではないかと思う。運命を占いで考えてみるとき、出てきた
卦の原因を考えてみることは、面白いのではないか・・・
宿命と、自分の選択という責任の両方が必ずあります。というのは、原因があるところ
には、必ず結果がなければなりませんし、原因と結果は必ず対等だからです。
物質の世界でも、精神の世界でも、ひと続きの原因と結果は絶対にバランスがとれて
いなければなりませんし、それゆえに、永遠に公平であり、永遠に完璧でなければ
ならないのです。
ですから、すべての結果はあらかじめ定められたものだといえますが、それを運命
づけた力は自分でつくった原因にあり、気まぐれな意志によって勝手に決められた
ものではないのです。
わたしたち一人ひとりが、この原因と結果の鎖に巻き込まれています。わたしたち
の人生は原因と結果でつくられているのです。自分で原因の種を蒔いて、自分
でその結果を刈り取っているのです。わたしたちがすることの一つひとつが原因
となり、それに対応した結果を生むことによってバランスがとられなければなりま
せん。
わたしたちは、原因を選ぶことができます。これが自由意志です。しかし、結果を
選んだり、変えたり、避けたりすることはできません。これが運命です。つまり、
自由意志とは原因を生み出す力のことであり、運命とはその結果のことなのです。
それゆえ、どの人も何らかの結末を運命づけられているというのは、事実ですが、
その命令を(自分でも知らず知らずのうちに)下していたのは自分自身なの
です。逃れることのできない幸運も悪運も、自分自身が過去になしたことに
よってもたらされたのです。
─『「思考」が運命を変える The Mastery of Destiny』
ジェームズ・アレン 松永英明訳 ワニ文庫
量子力学によって、原因結果がなりたたなくなるということがあるが、新たな
とらえかたとして、概念を変えれば量子力学を用いるという原因を作れば、結果が
不確定だとしても統計的なものとか、ある枠のなかの結果を予測する方法とか
いままでの結果の捉え方でない結果を考えられるような気がする・・・
少なくとも、生活のなかで、原因ー結果を使ってゆくことは、自分の考え方、
行動が安定するのではないかと思う。運命を占いで考えてみるとき、出てきた
卦の原因を考えてみることは、面白いのではないか・・・