ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

しばしの休止──日野原重明

2016-07-04 18:29:04 | 知恵の情報
「いのちに齢を加えるのではなく、齢にいのちを加える」
というG・M・ピアゾール医師(1880~1966)のことばは、いのちの価値は単に
暦の長さにあるのではなく、その深さにあることを教えてくれます。
古代ギリシャの哲学者ソクラテス(前470頃~前399)もまた、
「ただ生きるのではなく、善くいきることが人間の課題である」
と言っています。一生を、一年を、一日を、どう深く、蜜に生きるかを私たちは
考えなければならないのです。

人が自分自身の快楽のためだけに生きる限り、いのちの深さは実感できないで
しょう。生きていることの意味は、自分で探し勝ち取るもので、それがつまり
生きがいにつながります。

私が尊敬するウィリアム・オスラー医師は医学生たちに向けて、初代キリスト
教父・聖ヨハネス・クリソストム(344頃~407)のことばを引用しながら、
「忙しいさなかにも自分自身を見つめるときをもつように」
と語りました。

私たちは小さな渓流から、だんだんに川幅を広げ、やがて死という大海へ
向かう者たちです。川の流れに身をおくあいだは、自分がどういう姿で流れ
ているのかがよくわかりません。ですから、ときどきは淀みから岸辺に
上がって、川の流れ全体を見なさい、とオスラーは言いました。岸辺に立って、
人々の流れゆくさまを見、
「では、自分はこの先どのように流れていこうか」
としばし思いを巡らしてから、また流れのなかに戻ることを、オスラーは若い
人たちに説いたのです。このような機会を英語ではリトリート(retreat)
「退修会」と言います。

せわしないときこそ、しばしの休止も必要なのです。歳を重ねるにつれて
複雑なものを背中いっぱいに背負い込まざるをえなくなった私たちは、
若い人よりも一層、自分を見つめるひとときをもち、あらためて自らの
生きがいを問わなければなりません。いわば作戦の練り直しです。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

音楽を聴くことや、ただぼーっとしてみる、禅を組んでみる。
海に仰向けになり、浮かんでみる、いろいろな休止の仕方があるにちがいない。
先日取り上げた、「歩くこと」も自分を見つめるひとときになると思う。
自分が大腸がんになり、その後の静養で歩いたが、それは、自分を無心に
させてくれたし、それまでの自分の生き方を見直す機会にもなった。
自分を休めながら、自分の流れていくさまを見ることができる。上手に
歩きながら作戦の練り直しを考える。






(エル・レグシェリル─ソクラテス─ルソー─中江兆民)