ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

交際を長続きさせるための工夫をする人はほとんどいない──ラ・ロシュフコー

2016-07-19 19:01:23 | 知恵の情報
交際というものがいかに人間に必要なものかは言うまでもあるまい。
誰もがそれを望み、それを求めているからだ。しかし、交際を楽しいものにし、
長続きのするものにしようと色々工夫する人は殆どいない。
(『箴言と省察』市原豊太 平岡昇訳「世界教養全集2」平凡社)

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人間関係をひとくちに交際と呼ぶとするなら、世にはいかにも交際上手なタイプも
あれば、見ていて気の毒に思えるほどの交際下手も少なくない。この場合、交際
下手はほとんど必ず臆病である。相手になにか言おうといちおう心を動かしても、
いやこんな平凡な話をして哂われはしないかと案じて口を閉ざす。

この窮地から脱出する方法はただひとつ。哂われてもよいと覚悟を決める決断
である。人間は恥をかくごとに成長するものだという鉄則を忘れてはならない。
口惜しい思いを何回も経てこそ、人は一応の交際家になれるのだと、腹を決めて
かかったら気が楽になる。

─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より


人は、自分のことしか考えていないのが普通であり、こちらから、いろいろ工夫しても
相手が合わせてくれないのが当然に思える。たまに、時間があき、お互いに
会ってもいいかなという状態がでてきたとき会えるようだ。仕事などの用事の必要性
からは、いくらでも会うことは、できるが、こころをかよわせるような会い方はなかなか
できるものではない。そこに友達というものが存在するのだろう。イエス・キリスト
は、その友の状態の人間関係をとらえ、「その友のために命を捨つ、これより大いなる
愛はなし」と説いた。親子の愛でなく、男女の愛でなく、「友の愛」の関係性を重要視
した。友の関係性は、どういうものだろう。感情、知性、理性の調和した状態か・・・