ある雑誌に「よく聞かれる『西日本の人は昔は納豆を食べてなかった』なんて通説はうそ。ちゃんと記録に、西日本でも古くから納豆を食べていたと書いてあります。」という趣旨の記事が載っていました。その記録というのがいつ頃のなんという文献なのか一切書いてないので、なんともモゾモゾした気持ちになるのですが、この記事、糸引き納豆と別の納豆を混同している可能性が高いのです。
今日納豆と言えば、多くの読者が想像するのは「健康に良い」と盛んに宣伝されている糸引き納豆です。確かに西日本の熊本には糸引き納豆を食べる文化があるのですが、他の西日本各県では糸引き納豆はめったに食べませんでした。例えば、1987年に発行された山口米子先生の「日本の東西「食」気質」という研究書でも、このことは指摘されています。同書p60~63によると、関西では糸引き納豆は第二次世界大戦後に広まったそうです。ちなみにこの本によると、熊本で例外的に糸引き納豆を食べていた理由については、加藤清正の逸話にちなむと伝承されているそうです。
熊本以外の西日本では、糸引き納豆は戦後広まった「新しい食品」ですが、その代わり、大徳寺納豆などの糸を引かないしょっぱい納豆や、砂糖で煮込んで作る甘納豆などが古くから存在しました。そして、ここが重要なのですが、西日本では納豆というと暗黙の内に、こうした糸を引かない納豆のことを指すことがしばしばあったのです。
私が子どもの時、テレビのバラエティ番組で、ある人気タレントさんのしくじり談が放送されていましたが、確かこの様な内容です。そのタレントさんが駆け出しだった昭和40年代ごろ、ロケで四国のある県の旅館に泊まり、「僕は朝ご飯に納豆がないと食が進まないので、納豆を必ずかけてください。」と仲居さんに頼んだら、仲居さんは「本当に納豆をかけてよろしいのですか?」と怪訝な様子になりました。翌朝、朝食に出たのは甘納豆がけの白いご飯。ショックを受けたタレントさんが「どうして甘納豆?」と仲居さんに尋ねると、逆に仲居さんの方が不思議がって「当地では納豆といえばこれのことです。これを食べたいのでしょう?」と答えたのでした。
というわけで、冒頭の雑誌の話題に戻るのですが、原稿執筆者が西日本のどの地方の文献を読んだのかは定かでないのですが、熊本の記録を読んで西日本全体がそうだったと勘違いしたのか、そうでなければおそらくその文献での納豆とは、大徳寺納豆や甘納豆などだったのでしょう。
まあ、現代人が古い文献を読む時にはこの手のミスはよくあるのです。いつかそのうち、有名な和食研究者の同じパターンの失敗談もご紹介したいと思いますが、和食文化を研究する際には細心の注意が必要だと痛感し、自戒を込めて書きました。