Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

饒速日の哮峯天孫降臨。鳥見白庭山は鳥見白山?

2017年03月10日 01時06分19秒 | 神話・伝承・民話

饒速日の天孫降臨。鳥見白庭山か鳥見白山か?

「虚空見日本国」という言葉からは天に衝き抜ける宙の果てなく広がる中空を想念いたしますが、金鵄が風に乗って大和盆地の空を大らかに飛翔し続ける視線からはそのような光景が見えているのでしょうか。

天磐船、金鵄、八咫烏、鳥見など、飛翔する大和の神話世界ですが、天孫降臨神話の地名について以前から少し気になっていた点があり確認しました。(※後日の記事で哮峯と天磐船の具体的な伝承地について記載しています)

饒速日天孫降臨は鳥見白庭山ではなく鳥見白山

記紀によれば邇邇芸命(ニニギ)の天孫降臨後、その子孫の神武天皇が九州地方から東征して奈良(大和国)へ入る前に、饒速日が大和へ天孫降臨しています。

「抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」 http://mmm4382.hatenablog.com/entry/2017/01/23/220133
ところで鹽土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、『東に美(ウマ)し国がある。青い山を四方に囲まれて、その中に天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛んで降りた者が居る』とのこと。 思うに、その土地は必ずこの大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所だろう。六合(クニ=国)の中心となるだろう。 その飛び降りた者とは饒速日(ニギハヤヒ)だろう。その土地へと行って、都にしようではないか 日本書紀 神武記 即位前紀−2 http://nihonsinwa.com/page/854.html

邇邇芸命(ニニギ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の天孫降臨ですが、先代旧事本紀によるとニギハヤヒの河内国への天孫降臨が先です。

「饒速日尊稟(襄) 天神御祖詺(詔) 乗天磐船 而天降坐於河内國河上哮峯 則遷 坐於大和(倭)國鳥※見(トミノ)白山 所謂乗 天磐船 而翔 行於大虚空 巡 睨是郷 而天降坐矣即謂 虚空見日本國是歟」難註先代旧事本紀,寂顕 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546718/82http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553447/52 | http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563302/8

饒速日尊は、天神の御祖神のご命令で、天の磐船にのり、河内国の河上の哮峯(いかるがみね)に天降られた。さらに、大倭国の鳥見の白庭山にお遷りになった。天の磐船に乗り、大虚空(おおぞら)をかけめぐり、この地をめぐり見て天降られた。すなわち、“虚空見つ日本(やまと)の国”といわれるのは、このことである。 http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/yaku/tenjin.html

河内国河上哮峯→大和国鳥見白山→大空巡りて、「虚空見日本国」はこれか?と述べています。
ではそれぞれの地名はどこか具体的な地名に該当するのでしょうか。それとも神話的世界の常で、心の現実(ファンタジー)を指しているに過ぎないのでしょうか?

神武天皇聖蹟調査委員会

戦前は国家神道の影響で神武天皇東征神話は政治利用されていたようです。紀元二千六百年奉祝記念事業として、昭和13[1938年 大和宇陀郡神武天皇聖蹟圖繪がまとめられました。これらの事情で、地名自体が変更されている可能性もあるようです。

鳥見の鳥は鳥ではない

画像で記したように、鳥見の漢字の鳥は鳥ではありません。非常に変形した形であったり、点が3つであったりしています。こちらは他の鳥です。

 

白庭ではない

原文には「庭」という文字が見当たりません。ネットでも広く「白庭」という説が見られますが、近鉄が開発している新興住宅地の白庭台やその近辺の古地図でも白庭という地名を確認できません(追記:天孫の部では鳥見白庭山となっています。また、「富雄川と「富の小川」では角川地名大事典 鳥見を引用して由来を記しています。これらは昭和13年の「神武天皇聖蹟調査委員会」の影響を強く受けているようです。)

闕画?

中国の辞典「康煕字典」では皇帝の名前を記すのに闕画したので、点点が一個少ない鳥や、不思議な形をした鳥も、もしかすると高貴な存在に対する闕画かもしれません。

畢方?

中国の山海経に出てくる東方に住む一本足の鳥、畢方のような霊力のある鳥にちなむ地域をあらわしたかもしれません。闕画はその神獣にたいするものなのかもしれません。

金鵄?八咫烏?

神武天皇を導いた金鵄や八咫烏のことかもしれません。

島?

鳥の下の点が3点なので、島の略字(島見白山)かもしれません。奈良盆地南部は昔、湖でした。その湖に浮かぶ島状の地形があったのかもしれません。

鳥見白庭ではなく鳥見山か

一番可能性が高いかもと思うのは、非常に重要な祭祀の場所、靈畤の鳥見山です。金鵄の神話と関係がある地名のようで、皇祖の天神がまつられています。しかし日本書紀の鳥見は先代旧事本紀と違って鳥の漢字は通常の鳥です。

「及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。」 日本書紀http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html | http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563100/16
「皇軍は、輝く鵄に助けられたので、ここを鵄邑と改名した、それが訛って鳥見となったという。」 http://hjueda.on.coocan.jp/koten/shoki9.htm
「四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天神、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。用祭皇祖天神焉。」日本書紀”神武天皇四年春二月壬戌朔甲申の条” http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html
「わが皇祖の神霊の御加護によって大和を平定することができた。よって天神を郊祀し、大孝を申べようとおもう。よって霊畤を鳥見山の中に立てて、皇祖天神(みおやのあまつかみ)をお祀りもうしあげた、」 http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/102.htm

桜井市の鳥見山説

麓には等彌神社や桜井茶臼山古墳があります。

鳥を見る白山で「虚空を見る日本国」?金龍山 長福寺

金龍山長福寺から見た冬至の日の出は、虚空蔵山と国見山の間から登ります。「虚空見日本国」?というニギハヤヒの問いかけは神武天皇に先立つ初めての国見でもあるので、神話の物語性の意味を国の地理へ意味づけする地としては有意義な場所かもしれません。

大和国・金龍山長福寺から見た冬至の日の出

また、奈良県には2つの鳥見山がありますが、春分の日の標高700m代の鳥見山も、冬至の日の桜井市の鳥見山も、日の出は国見山から上ります。鳥見山が国見に意味づけられているようです。

鳥見山の日の出・冬至

鳥見山の日の出・春分の日

鳥見白山の鳥とは迦陵頻伽(妙声鳥)?

金龍山長福寺の本堂柱に迦陵頻伽が描かれているのが見つかりましたが、その鳥とは迦陵頻伽(妙声鳥)でしょうか?そしてあの「鳥見白山」の鳥は闕画であり、それは迦陵頻伽(妙声鳥)への畏れを表現するためのものなのでしょうか。国宝の金銅能作生塔には、ここが中心であればという開祖・行基の祈りがあった?のかもしれません。

県教育委員会は3日、解体修理中の長福寺本堂(生駒市俵口町、国重要文化財)の内陣柱に、上半身が人で下半身が鳥の想像上の生物「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が描かれていたと発表した。

柱に迦陵頻伽図 - 長福寺本堂 2014年7月4日 奈良新聞 http://www.nara-np.co.jp/20140704103657.html
長福寺は聖武天皇の勅願で創建されたと伝えられ、本堂は瓦葺きの入り母屋造り。平成24年から解体修理が行われ、それに伴う調査で堂内の柱などから大日如来図、迦陵頻伽(極楽浄土に住む想像上の鳥)図、三千仏図、弥勒来迎図などの絵画が確認された。  県教委では奈良教育大の大山明彦教授と京都造形芸術大の山田真澄准教授の協力で絵画の復元作業を進めており、特別陳列では鮮やかな彩色で復元された大日如来図や迦陵頻伽図を見ることができる。

極楽に住む鳥の姿も 生駒の長福寺の仏画復元図公開 橿考研博物館 2016年03月19日 産経新聞奈良支局 最新ニュース http://sankei-nara-iga.jp/news/archives/6639
金銅能作生塔〔こんどうのうさしょうとう〕国宝
 総高26.3cm  銅製  鎌倉時代
  能作生塔は仏舎利〔ぶつしゃり〕を納める舎利塔の一種で、能作生とは万物生成をつかさどる根源の珠・如意宝珠〔にょいほうじゅ〕を納める塔です。水瓶〔すいびょう〕形に作り、頂には三方火焔〔かえん〕付き宝珠を蓮台にのせ、塔身部は魚々子〔ななこ〕地に蓮華唐草〔れんげからくさ〕文様を線刻し鍍金〔ときん〕・鍍銀〔とぎん〕を施し、中央で上下に分かれ蝶番〔ちょうばん〕止めとしています。当時の代表的な金工作品といえます。

http://www2.city.ikoma.lg.jp/dm/11/1102chofukuji/110202kongonosa/110202kongonosa.php

饒速日の子孫、恵賀美神社(万年山古墳)と鳥見山

ニギハヤヒの子孫・伊香色謎命(伊迦賀色許売命)は孝元天皇との間に彦太忍信命、開化天皇との間に崇神天皇と御真津比売命をもうけたことになっていますが、そのゆかりの地が肩野物部の地・交野ヶ原の伊加賀町ではないか?とうたがわれています。万年山古墳(恵賀美神社)からは大陸から伝わった鏡が八面出土しています。

恵賀美神社も、ニギハヤヒ天孫降臨と関係があるとされる鳥見山周辺も、高龗神(淤加美神)が主祭神です。

恵賀美神社と鳥見山を線で結んでみると恵賀美神社→獅子窟寺境内→大庵寺跡境内→西大寺境内→虚空蔵山大国見山飛び火山龍王神社境内→高龗神社境内→鳥見山と、水の神様の間に仏様がはいるラインになります。
ニギハヤヒが降臨した哮峯の伝承地と鳥見山をつなげると、哮峯→磐船神社境内→宝来山古墳・垂仁天皇陵内(ニギハヤヒの子孫・香色謎命の孫)→唐招提寺境内→鳥見山とつながります。

鳥見白山の白山は金剛山?

河内国河上哮峯(交野市の岩山または二上山?)→大和国鳥見白山(鳥見山?)→虚空見日本国(長福寺?)となるのでしょうか?

大阪と奈良をまたがる金剛山山頂や、麓の一事主神社から夏至の日の出を見ると、鳥見山と鳥見山の間の額井岳(ぬかいだけ・大和富士)から上ります。額井岳の山姿は漢字の山の様に3ピークで、その姿は先代旧事本紀の「鳥見白山」の3つの点々の鳥の文字のようにも見えます。3つの点々の鳥-鳥見山と3ピークの大和富士と鳥見山を眺める白山が金剛山(葛城山)であった?とも感じられます。

どの説が有力かは、住んでいる町次第でしょうか。だいたい、地元びいきなようです。



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