Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

生島足島神社と別所温泉は面白い-オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこしについての感想

2020年11月13日 22時22分02秒 | 神話・伝承・民話

生島足島神社、信濃国分寺、別所温泉はレイライン?

2020年11月11日ルポライター・昼間たかし氏「オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし」という記事がハーバー・ビジネス・オンラインで出ました。以前から興味があったレイラインについてだったので検証してみました。

考えた人は誰?

記事によると上田市は別所温泉HPを元にしたそうです。別所温泉HPによると、このレイラインを考えたのはレイラインハンター内田一成さん。

レイラインの内容は一致してる?

上田市は寺社と温泉が直線と書いてますが、内田一成さんは夏至の朝日を受ける方向で聖地が揃ってると書かれています。

山のふもとにある信州最古の温泉といわれる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいる。……生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。祝 日本遺産認定 - 上田市ホームページ
つまり別所温泉は、「太陽と大地の力(“光”と“気”)」を“龍穴“である別所温泉に導き、背後に控えた山々により受け止め溜める仕掛けによって、さらに増強される構造となっている場所なのです。太陽と大地の聖地温泉「別所温泉」

レイラインハンター・内田一成さんは元々は信濃国分寺跡-生島足島神社-泥宮神社-女神岳というレイラインを遊びとしてお考えだったようです。「デジタルマップを使った遊び -レイラインハンティング-2006/09/13」

実際はどう?

信濃国分寺と生島足島神社と別所温泉は一直線ではありません。

信濃国分寺と生島足島神社と別所温泉

夏至の朝日が鳥居の間から昇るのは動画によると本当のようです。

生島足島神社レイライン

ブリン・セリ・ドゥの夏至のようです。Bryn Celli Ddu Summer Solstice Celebrations 2015 - ITV News

冬至の夕日が鳥居の間へ沈むのも動画によると本当のようです。

冬至の日の生島足島神社での夕日

ニューグレンジ古墳の冬至は有名です(レポート)。Winter Solstice at Newgrange - Inside the Passage Tomb

メイズハウの冬至等もあります(レポート)。Winter Solstice at Maeshowe, Scotland 2015

いつも大変お世話になっている日の出マップ(超便利です!)によると、生島足島神社の鳥居は冬至や夏至の角度で通っているのがわかります。

生島足島神社と冬至・夏至

浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイライン

生島足島神社は式内社で歴史があるようで、お名前が十種神寶の「生玉」「足玉」に似ているのと、その神寶が死と再生に関わること、温泉も大国主命と少彦名命の再生の開湯伝説とかかわることから、温泉の熱源である火山とのレイラインを見てみると、
浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイラインを描けました。

浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイライン

超暴れん坊の浅間山と、穂高神社の穗高見命(穂高大明神)( 綿津見神(海神)の子)・槍穂高カルデラの穂高連峰の間に位置するのは何か古代の人々の信仰の現れでしょうか?

別所温泉開湯縁起

天保14年(1843年)豊田利忠『善光寺道名所図会』五巻にて、開湯縁起が記載されていました。

豊田利忠『善光寺道名所図会』(天保14〔1843〕年)
小県郡出浦郷別所七久里温泉に浴す、(中略)
夫当初七久里温泉の由来を尋るに、人皇十二代景行天皇の御宇、日本武尊東夷征伐し給ふ砌、此地を通行し給ひけるに、南方の山下に煙気畳々と立昇りけれハ、如何なる故ならんと暫く見給ふ所に、一人の老翁忽然と出来り、尊に告て曰、此地に七ツの温泉あり、其性異り、是に浴せん者七種の病苦を離れ、寿命延長ならん、君是を開き給ふべし、吾ハ大己貴なり、努々疑ふべからずとて失給ふ、尊奇異の思ひをなし、山の麓を尋ね、七ヵ所の温泉を求て浴し、従卒をも浴さしめ試み給ふに、病苦にかゝれる者共速に平愈しけれバ、惣名を七苦離の温泉と号給ひ、大己貴尊をハ温泉明神と崇祭り給ふ、猶今我開闢此温泉久しく、此里に繁栄たるべしと誓ひ給ひ、七久里温泉と書遣し給ひしとなり(15(『新編信濃史料叢書 第二十一巻』(昭53 信濃史料刊行会)))
「ななくりの湯」小考,p.33-45,西山秀人,観光文化研究所所報,1,上田女子短期大学観光文化研究所,2003年3月
善光寺道名所図会」巻之五……またこの地に二つの高山あり。 伊弉諾・伊弉冊の二尊影向したまひ、男女の道を教へ登りたまひし頂なることを尊聞こしめされ、男神嶽・女神嶽と号け、社を嶺に立てたまふ。 この二山に各御手洗あり。 その流の落ち合ふ川を相染川と呼ぶ。 両嶽の神祠嶺を隔つれば、これを合はせ祀りて結神と名号たまふ。
別所神社 長野県上田市別所温泉,本地垂迹資料便覧

信濃国分寺-生島足島神社-泥宮神社-女神岳-大明神岳-保福寺峠-乗鞍岳剣ヶ峰レイライン

信濃国分寺も、生島足島神社を挟んで乗鞍岳剣ヶ峰とのレイラインが描けます。別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人から「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠も登場。生島足島神社は丁度いいお臍のような位置に建設されているように見えます。女神岳は乗鞍岳で、明神岳の穂高連峰は夫神岳なのでしょうか?

信濃国分寺-生島足島神社-泥宮神社-女神岳-大明神岳-保福寺峠-乗鞍岳剣ヶ峰レイライン

夏至の日はどこから昇るの?

生島足島神社の夏至の太陽は神門から望めるようですが、その方角はちょうど信濃国分寺跡のようです。(^▽^;)ちょっとできすぎなようでびっくり。

冬至の日はどこへ沈むの?

生島足島神社の冬至の太陽は三才山峠へ沈みます。この峠は別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人に「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠まで歩いて一時間の距離。元々の伝承は三才山峠の方かもしれません。天皇は日嗣の宮で太陽神の子孫という神話上の設定なので、弱った日本武尊は冬至の太陽のようとも言えます。

レイラインとは?

以前もいわゆるレイラインについて考えてみたのですが、同じ緯度、すなわち日時計が同じ高さを時間差をおいて示す寺社というのは時間や天体観測や暦と関係してくるので重要だったのではないか?と想像しています。 同じ経度の寺社は同時刻に南中や相対的に同じ位置へ天体を観測できますが、その天体と地表の高さは違ってきます。これも測定と関係していたのだろうと思うのです。

CIELO sundial tutorial

Inca descendents celebrate Inti Raymi, or winter solstice

冬至が太陽信仰において特別な意味を持つのは世界各国共通ともいえるでしょう。日本神話は太陽神が重要な神で天皇は日嗣の御子で太陽神の子孫という神話上の設定。
遥拝という考え方は直線状の遠くにある宗教施設への信仰ですから、このあたりの考え方の延長線上にあるのかもしれません。

宮中で今も行われている鎮魂祭は旧暦の時代、冬至の頃・新嘗祭の前日旧暦 11月中の寅の日の申の刻に行われていました。
物部神社 【猿女の鎮魂法】 11月24日鎮魂祭

Midsommar i Sundborn, 2017 - (Classical midsummer celebrations)

天=神の目線でみた配置を神を常に意識していた古代人が整えないのも逆に変なのかもしれません。ナスカの地上絵のようなものでしょうか?


より黄金比に近い近畿の五芒星

2019年01月23日 01時48分51秒 | 神話・伝承・民話

より黄金比に近い近畿の五芒星

前回の記事で近畿の五芒星のポイントを少し替えると南北の高さが合致した五芒星になりました。しかし西側のとんがりが他のとんがりよりかなり短い五芒星です。図形的により綺麗な黄金比になるポイントは桃川村の神宮寺[兵庫県淡路市江井1354]だと思われます。かなり正五角形に近く緯度は数メートルから数十メートル程度しかずれていないので、5か所の、より後世に建造された建物の位置による宗教的な意図を感じます。

より黄金比に近い近畿五芒星

元伊勢外宮と熊野本宮大社からの距離と内宮の緯度

西側の短い部分以外の各ポイント間隔は110.06km~111.11km。元伊勢外宮と熊野本宮大社から110.06km~111.11kmで、かつ、伊勢神宮内宮と同じ緯度の場所が綺麗な黄金比の近畿の五芒星を形成する場所だと思われます。

近畿の五芒星の推理1

その地点はこのようになります

近畿の五芒星の推理2

熊野本宮大社真北の線と伊勢神宮内宮真横の線との交差点から内宮までの距離と同じ距離の場所

熊野本宮大社真北の線と伊勢神宮内宮真横の線との交差点(135°46'24.37"E 34°27'18.67"N)から内宮までの距離約87kmと同じ距離の場所を探しました。下記のように、桃川村の神宮寺が一番近いポイントであるとわかりました。

近畿の五芒星の推理3

熊野本宮大社真北の線と伊勢神宮内宮真横の線との交差点(135°46'24.37"E 34°27'18.67"N)から距離をとった、伊勢神宮内宮の場所です。

近畿の五芒星の推理4

神宮寺が該当します

近畿の五芒星の推理5

その他のポイントからだと2.9kmくらいずれてしまいます。

近畿の五芒星の推理6

筆者は神宮寺と推定しましたが、妙京寺も元伊勢と熊野から等距離で、かつ、内宮と同じ緯度にあるので人為性を感じます。これらの宗教的意図の推定については、また後日。


いわゆる近畿の五芒星とレイラインについて調べてみました

2019年01月20日 15時36分04秒 | 神話・伝承・民話

いわゆる近畿の五芒星とレイラインについて調べてみました

日本には無数の神社仏閣・祠があるので図形は色々と書けるのですが、927年成立の延喜式の式内社や1000年以上前の古くて霊威のある神社仏閣に限れば、もしかするとなんらかの古代の人々の意図が見えるかもしれません。

近畿五芒星とは

近畿五芒星が初めて掲載されたのはムー1990年8月号220ページに掲載されたという北卓司(HN:森野奥人)の説のようで(後に書籍化「古代日本にカバラが来ていた―現代に及ぶ預言の謎」,鹿砦社,北卓司1995年5月ISBN-13: 978-4846300807)、その構成は「元伊勢内宮―多賀―熊野本宮―伊勢内宮―伊吹山」でした。多賀は淡路島の多賀で、ネット上では伊弉諾神宮があてられているようです。元伊勢内宮ではなく元伊勢外宮があてられているバージョンもあります。

緯度を合わせた新近畿の五芒星

しかしこれではかなり南北がずれてしまうので、本当に「五芒星」の形になるのかどうか調べてみると、
元伊勢内宮ではなく元伊勢外宮豊受大神社へ変更するだけでなく、
伊吹山を伊夫岐神社へ
伊弉諾神宮をその別当寺院の妙京寺へ変更すると南北の緯度がほぼピッタリ合致しました。不思議に思いました。

新・近畿の五芒星

1.伊夫岐神社(式内社 多多美比古命) 35.402554, 136.376606
2.元伊勢外宮豊受大神社 (式内社・豊受大神) 35.402599, 135.151411
3.妙京寺(式内社・伊弉諾神宮の別当寺) 34.455147, 134.853531
4.伊勢神宮(内宮)   34.455174, 136.725185
5.熊野本宮大社(式内社熊野坐神社 家都美御子大神
   熊野本宮大社御社殿 夫須美大神 33.840473, 135.773506
   熊野本宮大社旧社地 大斎原 33.834403, 135.774399
   熊野本宮大社東御前 天照大神 33.840574, 135.773849
   真名井社 天村雲命    33.833897, 135.770509

近畿の五芒星がより黄金比に近くなる「神宮寺」

近畿五芒星は伊弉諾神宮別当妙京寺から兵庫県淡路市江井の「神宮寺(34.455472, 134.821253)」へポイントを移すとより黄金比に近くなります。

新近畿の五芒星の真ん中を貫く神社仏閣ライン

 熊野本宮大社から真北のラインと、そのラインが行き当たる福井県小浜市の式内社・阿奈志神社(大己貴命)と末社・姫宮神社から南へ下るラインが近畿の五芒星の中心を貫きます。

奈良時代から平安時代に最も栄えた地域で、天狗さんの鞍馬山の由岐神社(大己貴命,少彦名命) 、式内社下鴨神社((賀茂建角身命)奈良殿神地天鳥舩)・式内社 出雲井於神社)、建仁寺新熊野神社(伊弉諾尊)、東福寺、式内社伏見稲荷大社(宇迦之御魂大神)、桓武天皇陵筒城宮跡、秋篠寺、橿原市内の式内社(冨都神社(冨都大神)、子部神社木葉神社(木花開耶姫)、天太玉命神社(天太玉命)、河俣神社(鴨八重事代主神))小子部蝶嬴神社(雷神)、ほうらんや火祭りの春日神社、式内社波比売神社(水波能賣命)等を通過します。

近畿の五芒星の真ん中の神社仏閣・洛中編

近畿の五芒星の真ん中の神社仏閣・奈良県編

いわゆるレイラインについて

1980年NHKで放送された仏像写真家の小川光三さんが著された「大和の原像―知られざる古代太陽の道」,大和書房,1980年,の北緯34度32分レイライン。レイライン(Ley line)の元は英国のAlfred Watkins氏(1855 – 1935)の著書The Old Straight Track(1925)のようです。

例えば「出雲大社、大山、元伊勢、竹生島、七面山、冨士山、寒川神社、玉前神社」というレイラインですが、緯度からみれば2つにわかれ、竹生島や七面山や富士山は入れないと思われます。

出雲大社-冨士御室浅間神社奥宮レイライン

式内社出雲大社(大国主大神)-式内社出雲路幸神社(猿田彦命 天鈿女命)-式内社能義神社(天穗日命)-元伊勢外宮豊受大神社(式内社比沼麻奈爲神社)-伊夫岐神社と出雲井-身延山-冨士御室浅間神社奥宮(旧本宮)のレイラインは「出雲」と名の付く箇所が3か所あります。

出雲大社レイライン

熊野大社-玉前神社レイライン

式内社熊野大社(素戔嗚尊)-大山-式内社寒川神社寒川大明神)-式内社玉前神社(玉依姫命)レイライン
熊野大社、寒川神社、玉前神社レイライン

富士山レイライン

富士山の剣ヶ峰は式内社南宮大社(金山彦命)、式内社前鳥神社(菟道稚郎子命)とほぼ同じ緯度のようです。
前鳥神社、富士山剣ヶ峰、南宮大社レイライン

熊野本宮大社-宗像大社レイライン

近畿の五芒星の新しいパージョンを作成したので、熊野本宮大社からのレイラインを探してみました。
式内社宗像大社市杵島姫神)が丁度該当しました。

伊勢神宮内宮-葛城山-鷲原八幡宮-対馬の和多都美神社レイライン

近畿の五芒星の伊勢神宮内宮からのレイラインも調べてみました。蛇穴の野口神社(神倭伊波礼毘古命)、葛城山、式内社伊弉諾神宮の別当・妙京寺、鷲原八幡宮-ミニミニ火山の笠山のふもと-対馬の和多都美神社(対州神社誌によると神功皇后・瀧津島姫命・湍津島姫命・市杵島姫命)のレイラインが形成可能です。

近畿の五芒星とトポロジー

これら延喜式神名帳に掲載された主に明神大の神社や仏閣で形成された五芒星。緯度が合っているだけに人為性は感じるのですが意図がわかりません。

五芒星といえば陰陽師安倍晴明、安倍晴明といえば天文博士。天体で五芒星といえば、その合で五芒星を描く金星を思い浮かべます。日本神話は星の神が少ないのですが、仏教の明星天子や記紀の星神香香背男や先代旧事本紀の天津赤星などが思い出されます。妙見信仰では北極星と明星(金星)が同一視されることもありますが、中央の平城京の帝を我々の視線(地球)とすると、その周辺を巡る金星の明けの明星や宵の明星がみられる動きのようでもあります。

Astronomy with MicroStation Orbit of Venus Dance of Planets

金星と地球と太陽のダンスの軌跡では、8つの星印が描かれます。道教では8が特別な数字で、日本神話も8という数字が重要ですが、金星と何か関係があるのでしょうか?マヤ歴では金星が基準となっているようです。
金星と地球と太陽のダンス、8つの星

金星と地球と太陽のダンスの軌跡では、3つの五芒星が描かれます。
金星と地球と太陽のダンス

昔々は太陽の周辺を回る金星と地球という考え方はたぶん日本ではなかったはずですが、もし太陽を中心と考えても五芒星は描けます「5会合周期と8年がほぼ等しいということは、金星と会合するのはたかだか5か所に限られるということを意味します。」国立天文台「金星日面経過」より引用

平城京-平安京を守るお祈りのようなものが、トポロジカルな配置に込められたのでしょうか??

レイラインとトポロジー

こちらも式内社で構成され、かつ、明神大の神社が多く、偶然にしてはとても出来過ぎなような気もしないでもありません。距離が長いので旧街道が関係した自然な物とも思えません。ただ、直線なだけに偶然の可能性も捨てきれず、まだなんとも言えませんが、その並び方になんらかの祭祀的意味合いが観てとれるのであれば、個々のケースでは意味があるものも在るかもしれないと感じました。レイラインはまだ作ったものがあるのですが、それはまた後日。


アテルイのお墓はきっとここ

2018年11月21日 22時00分56秒 | 神話・伝承・民話

アテルイのお墓の続き、筆写個人の説です。

「斬於河内国椙(?榲?)山」日本後紀

河内国榲山はどこ?

斬られた場所とお墓は別の場所かもしれません。交野郡が最も京の都に近く、可能性は高いと推測しています。

伝・阿弖流為の墓がある旧交野郡坂村の宇山バス停前・牧野公園(元は交野郡に2つしかない式内社・片埜神社敷地内。もうひとつの式内社・久須須美神社も隣接していた)は、昔は牧野村でした。

その牧野村の飛び地が山城国と河内国の国境にあります。粘土質の土です。周囲には楠葉平野山窯跡美濃山瓦窯跡群がある地域です。この飛び地は牧野村に合併された宇山村と養父村のものです。伝・阿弖流為の墓のすぐ近くにも牧野阪瓦窯跡があります。(赤枠の☆=片埜神社と伝・阿弖流為の墓)


河内国交野雄徳山とは?

阿弖利為が没した802年の6年後、宮中御器の陶土採取のため河内国交野雄徳山への埋葬禁止のお達しがでますが、現代では雄徳山は石清水八幡宮がある「男山」で京都府のはずだというイメージなのに、河内国と記載されています。

「禁葬埋雄河内国交野雄徳山。採造御器之土也。」類聚国史,巻七十九大同三年正月(808)

牧野村の飛び地がある場所はその「男山」の裾野にあたるので、その頃河内国交野雄徳山と呼ばれていた可能性があります。京都府側には太平記の登場人物が眠る大きな墓地もあります。

牧野村飛び地の南東に四人山がありますが、中井家文書・石清水八幡宮全図にも四人山やニゴリ池は描かれています


この牧野村(の中の旧宇山村・養父村)飛び地あたりが元々アテルイが斬られた地では?と推定しています。終戦後に送電線が引かれるのですが、その際に飛び地の元の地の旧牧野村の式内社・片埜神社の旧敷地である牧野公園の古い古墳山の上に弔いの石碑が牧野村飛び地から引っ越してきたのではないか?と推定しています。旧宇山村や旧養父村や養父山にも神社があったのですが、周辺の神社は九頭神の式内社・久須須美神社も含めて片埜神社へ合祀されています。

もしくは、斬られた場所である牧野村(の中の旧宇山村・養父村)飛び地から離れた牧野村(の中の旧宇山村・養父村)村内の神社でいつからか弔いのための石碑が建てられるようになり、それが明治維新後の合祀で式内社・片埜神社旧敷地内の牧野公園へまとめられたのではないか、と推定しています。

本当にアテルイは処刑されたのか?

疑問です。日本後記は散逸して日本略記にしか記録が残っていませんが、それぞれの版でこの部分の漢字が異なっていて、中には空白のものもあるからです。中には朱書きで「置水」と書いてあるものもあります。「置水之情 」の故事の通り、表だっては処刑されたようでいて実は京から離れた桓武天皇の遊興の地で反省を促されていたのだとしたら?

聖武天皇死刑禁止の詔

神亀2年(725)12月聖武天皇は死刑廃止の詔を下しました。

神亀二年(725)十二月庚牛。(聖武天皇) 詔曰。死スル者ハ不(㆑)可(㆑)生。刑セラル ル者ハ不(㆑)可(㆑)息(イコフ)。…見禁囚徒。死罪宣降徒流。流罪宣(㆑)従(㆑)徒。
〔殺された者は生き還ることも、刑を科せられる者が憩うこともない。死罪を宣告されたものは流罪に、流罪を宣告されたものは懲役刑に。〕続日本紀

アテルイは死罪の斬ですが、この聖武天皇神亀二年十二月庚牛の詔に従えば流罪です。818年嵯峨天皇が改めて死刑を実質停止しますが、検非違使等の現場での私刑はあったという二重基準だったようです。そこから逆に考えると、都にて公文書で死刑と記されたアテルイは死刑判決によりおのずと流罪扱いになったと思われます。坂上田村麻呂が現地で殺さず都へわざわざ連れ帰ったのは、都で死罪を宣告されれば流罪になれるからだったのではないでしょうか。


弓とアテルイ

2017年09月30日 01時22分04秒 | 神話・伝承・民話

河内国杜山と弓

弓幹の赤棠(杜)

先の記事達で漢語辞典から河内国榲山=山=杜山と書きました。杜=赤棠、弓幹に相応しい木の理を持つ木。

弖とは互の古字

弖とは互の古字、阿弖利為(阿弖流為)は阿互利為(阿互流為)。なぜ「弖」が使用されたのか?主観的ですが「弤」を想起しました。「弤」 とは「天子曰彫弓」「絵文采的弓。礼制,天子所用」。"漆成紅色的弓"・朱塗弓です。

片埜神社

今は道路を隔てて牧野公園内ですが、伝阿弖流為・母禮之塚と現在奉じられている塚は河内国交野郡の片埜神社境内に元々ありました。野見宿禰がひらいた片埜神社社家の岡田家は野見宿禰の末裔。菅原道真公も野見宿禰の子孫。

野見宿禰

野見宿禰は埴輪を発明した人で土師臣の祖。天皇崩御で殉死する習慣を改めたとの伝承があります。相撲で勝って国をもらった、はじめて相撲をした人です。

弓取り式と土俵祭とカヤの実

聡ノ富士 弓取り式

相撲といえば弓取り式。その土俵にはカヤの実をはじめ様々な供物が土俵祭で埋められます。

「大相撲では場所前に土俵祭りという儀式が行われ、はじめに相撲の三神への供物として、勝栗、こんぶ、米、するめ、塩、そしてカヤの実が土俵の中に封じられます。著名な石清水八幡宮や金刀比羅宮をはじめ、神饌にカヤの実が含まれる神社がいくつもあります。」 カヤについて – 飛騨のカヤの実 株式会社グリーンポケット飛騨

大相撲平成二十七年五月場所 土俵祭(フルバージョン)

弓引き神事とカヤの実

神社の弓引き神事でも、カヤの実が登場します。相撲と神事は同じ質のもののようです。

「午後二時神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包〔折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)〕が授与される。」 沼名前神社のページ, お弓神事

鞆の浦  「 お弓神事 」 広島県福山市2012年2月

「神事が終わって帰ろうとしたときに、世話人の方が「お守りどうぞ」って、え!? 最初お金いるのかと思ったら、お持ち帰りでした。…… それとこの地区にある天然記念物の「左巻きカヤ」の実(木も実も左巻きに育つそう)を頂きました。食べられるそうです。(実に左巻の線があります)」 リッチファミリー,たろたろの一日「弓引き神事」2012/1/9

弓取り神事

弓弦を鳴らしたり矢を射る儀式が多く、弓で踊る姿は少ないようです。

宇佐神宮 蟇目の儀

鶴岡八幡宮節分祭・・・鳴弦の儀

六夜祭「弓踊り」
 

アイヌの弓の舞

弓の儀式とアイヌの弓の舞、クリムセ。弓取り式もクリムセも大地をすくうという動作がくわわっていて、共通点も多いように思いました。

帯広カムイトウウポポ保存会「クリムセ」

自然の摂理を保つ弓引き神事

弓引き神事の目的は下記の様に論じられています。「天地東西南北」六宇。石清水八幡宮の八幡造り・六宇の宝殿にも通じます。「三本足の烏と兎」の三本足の烏の別名は赤烏、太陽。「牡曰棠。牝曰杜。樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。(説文解字)」、アテルイ歿した榲山=杜山は从烏沒切の山・赤山、つまり赤烏沒する山、太陽歿する山も意味できると思われるので宇宙の表現となっています。

「その本来の目的は、天地東西南北というあらゆる方角や三本足の烏と兎の的に象徴されるように、宇宙を象徴するものを射ることによって村落共同体の時間と空間を更新させることにあるといえる。」波部綾乃,弓神事の民俗的機能

片埜神社がある牧ノ郷(牧野郷)は真木の郷でもありました。扶桑の樹の上に止まる太陽(赤烏)を射る弓矢-弓矢の神・石清水八幡宮と石清水八幡宮護国寺(アテルイが没した頃は石清水寺)。

「男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。」 石清水八幡宮,石清水社・石清水井

カヤと宇

土俵祭、お弓神事、石清水八幡宮の神饌のカヤの実は碁盤や将棋盤の材料。盤もまた宇(宇宙)。土俵は宇宙。宇山(宇山村の宇山とは違い、坂村と宇山村と養父村に近接する小山)のアテルイの塚も宇にある、です。

土俵

「どこにどの色の房を下げるか位置が決まっていて、時計回りに、正面は黒。東は青、向(むこう)正面は赤、西は白です。この4色の房がそれぞれ象徴しているのは、黒は玄武、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎です。また、この4色は方角も表しています。黒は北。青は東、赤は南、白は西です。さらに、この4色は季節も表しています。黒は冬、青は春、赤は夏、白は秋です。」抜井規泰,黒・青・赤・白 土俵見守る4色の房のお話
碁はよく宇宙にたとえられる。……360碁盤の目の数は361。天元を除くと360で、これは円周の度数である。 365碁盤の目の数は361。これに四辺の数4を加えれば365となり1年の日数である。 碁と宇宙

禁野の弓

片埜神社は禁野にあるので、弓で狩りができるのは帝と貴族のみでした。アイヌのクリムセも鳥の美しさに射るのをためらう舞。禁野を北上してすぐの武道神・護国神である石清水八幡宮の放生会も、殺生への戒めです。片埜神社の野見宿禰は埴輪で殉死を無くした人。不殺生は、矢を目標物へ刺す行動から留め置くものである「」-大国主命と少彦名命(靫明神)-や葛胡簶(つづらやなぐい)-(式内社・片埜神社のある坂村の属邑・葛上村に式内社・久須々美神社と葛上寺(九頭神廃寺。聖徳太子七寺の内不明である葛木寺の可能性もあるそうです)がかつてありました)-のようで、護国と武器と武器を不殺生な状態へと収める容器にあたる禁野という国防の逆説の世界を宇の中で表しているように思えます。

護国と不殺生

元寇の際、西大寺の興正菩薩叡尊上人は石清水八幡宮護国寺にて敵も味方も乗る人を損なわず、船を焼失せしめたまえと祈られました。

「南北二京僧五百六十余人、集会宝前、一味和合勤行、叡尊説戒、々々終、乍恐述懐、即以平城御宇御託宣、訴申戎難、於大菩薩、以東風、吹送兵船於本国、不損来人、焼失所乗之船御云々、即不久大風吹出、雷鳴声発、向西而去、存神諾歟、」 金剛仏子叡尊感身学正記

天の星とアテルイ

2017年09月28日 00時56分18秒 | 神話・伝承・民話

阿弖利為の意味とは?

弖はの古字

弖はの古字「一説に、の古字の省畫」P.691,大漢和辭典縮小版,巻四,大修館書店(昭32)は根本、底に至るといった意味があるようです。

は二十八宿の宿、ともぼし

氐は「二十八宿の一。東方の第三宿。天秤(てんびん)座のα(アルファ)星を含む。ともぼし。宿。 」デジタル大辞泉
東方青龍七宿の第三宿星の宿 宿は天根とも名づけられ」P.445,西村甲,東洋医学序説 温故定礎,三和書籍,2017

龍の心臓部分の宿。西洋の星座のてんびん座にあたりますが、
宿の「ともぼし」という和名は、共星または友星なので、しょうか?

天の根に依って利を為す

阿~は~にコミットする、~に準拠してという意味だそうです。阿弖=阿にコミットするとは根本や天の根にコミットするということでしょうか。
利為とは利を為すでしょうか?利によるでしょうか。前者であれば、根本によって利を為す、でしょうか。もしそうであれば、先の記事で描いた甘棠之愛の召公奭のような人物像のようにも思えます。

「天の根」と榲山=

根といえば先の記事で検討した河内国榲山、榲山=榅山で榅には根の意味があります。天の根( 宿)でもあり大地に散った者として地中の根でもあり、統一される地方の豪族としての根でもあります。天と地をつなぐものは柱、すなわち )です。そして根の国とはオオナムチノミコトまたはスサノオノミコトのテリトリーで、先の記事で可能性をみた泰山府君(日本の陰陽道の祖神。赤山禅院の赤山大明神。本地は地蔵菩薩)と同一視されている神様です。

弖はの古字、异体字(異体字)は「互」

の異体字は「互」。弖の異体字も「互」「弖……俗文互字。」宿の和名「ともぼし」は互星のようです。 阿弖利為は「阿互利為」、阿弖流為は「阿互流為」になります。

「互利」とは互相有利。 (互利互恵的)

阿弖利為が「阿互利為」、阿弖流為は「阿互流為」ですが、「互利」とは"互相有利(互利互恵的)"の意味です。互利互恵をもとに為す人アテルイ、でしょうか。

夷大墓公とは?

えみしの大墓公という意味でしょうか。夷を除けば大公望と一文字違いです。漢字の「望」には下部が土である異字体があるので間違えたのでしょうか。
大公望は牧野の戦いで殷を破りますが、アテルイの碑があるのは京阪牧野駅近くの宇山バス停前の牧野公園です。行政区分では坂村ですが、宇山村はすぐ隣で宇山もすぐ隣。交野ヶ原の禁野の一部でもある坂村・宇山村は昔は牧之郷(真木郷)の一部でした。

大墓とは先祖代々の墓

大墓とは「特指祖坟」 (先祖代々の墓)。意味は夷の先祖代々の墓でしょうか。異邦人の先祖代々の墓でしょうか。-平穏無事な先祖代々の墓でしょうか。先祖代々の墓を平らにしてしまう人でしょうか。

弖と (互)と

弖はの古字で、 も弖も異字体は「互」ですが(類聚日本後紀の弖の文字はかなり「互」の姿を残す)、そこから感覚的には、ですが「 」を想起しました。互ではなく弖という文字を図形的に使用する意味がそこにあるように思えたからです。

は「漆成色的弓」(漆製紅色の弓)、「趙岐注: “,彫弓也。天子曰彫弓。

彫弓(弓)とは天子の弓

绘文采的弓。礼制,天子所用。」天子-日本では天皇-が使用する装飾された弓のようです。

互ではなく弖という文字を使用したのは天子の弓を表現するためではないかと思うのです。アテルイが802年没した榲山・(・杜山)は、杜=赤棠の山で、先の記事でも見たように弓幹にするに優れた木。赤い棠を弓幹にした漆の「紅色」の弓・天子の(彫弓)の神となったのがアテルイで、石清水八幡宮(860年~)が弓の八幡神であるのと関係があるのではないかと思うのです。

石清水八幡宮すぐ南の河内国交野郡は石清水八幡宮の領地も多い地域ですが、式内社は二社でその片方の久須々美神社も今はなくとても少ない地域で、その原因は石清水八幡宮の台所事情を支える地域だったからだと思われます。石清水八幡宮の所在地は山城国ですが、河内国交野郡は石清水八幡宮の氏子的存在で、交野神人の政治力は強かったようです。

もし宇山が終焉の地であるのならば石清水八幡宮との関連性も考えて良いと思われます。矢が宇佐八幡宮にあらわれた金鳩が鏑矢で、天子の彫弓はアテルイ、のように。

 

河内国は南北に長く、今現在アテルイの碑がある最北端の交野郡牧ノ郷宇山-交野ヶ原の禁野に指定された地域でもある-が該当するかどうかの確証はありません。 夷大墓公阿弖利為、宇山の古墳群(大墓-先祖代々の墓)の上に(-墓を平らにする)-して土葬された公である可能性も否定できません。

797年の続日本紀に延暦八年(789年)頃の阿弖流為の戦いが記録されています。840年の日本後紀に延暦二十一年(802年)の阿弖利為の処刑が記録されています。かなり時間が経過した日本後紀の記述は、神格化的な含意があるように感じられてなりません。写本で伝えられる段階でも政治的・咒的な変化があったのではないでしょうか。弓の幹に向いているという樹木・杜=赤棠のように接ぎ木の台のような根本となって護国寺の根で生き続けているように思えます。

勅祭・石清水祭放生会にお出ましになるのは延暦寺の僧侶方々。赤山禅院は京都御所の鬼門を守る延暦寺の塔頭です。

 

石清水八幡宮にジャンボ御神矢 京都・八幡


甘棠の愛-アテルイと坂上田村麻呂

2017年09月27日 03時51分13秒 | 神話・伝承・民話

六国史の日本後記に記された「河内国榲山」が阿弖利為の没した(802年没)場所の記録として最初のものだと考えています。

椙-杉村の山説

古事記(712年)と日本書紀(720年)の全文検索をしても出てきません。
椙は和製漢字です(大漢和辭典,大修館書店,昭和35年)。
大元の日本後記(840年頃)は別の漢字であった可能性が高いと思います。
説文解字によると榲は「杉」という意味があるので椙(スギ・杉)と書いても間違いではありません。

「植山」説

榲には草や樹勢の勢いという意味もあるので植も間違いでもないと思います。明和元年(1764)の日本後記の写本でも「植」と朱書きし「榲」を「植」と読もうとしていたようです。植の宋体は椙と似ているので、ここで写しに変化が出た可能性があります。

榲山(没山、棺山)

榲山=没山; 「沒也。」(説文)
なので、没-亡くなる山。

榲は榅なので
榲山=榅山=棺( )山でも意味は通りそうです。

 

阿弖流為ではなく阿弖利為

河内国で没したのは延暦八年六月続日本紀 40巻(797年)の「阿弖流為」ではなく「阿弖利為」です。彼らが同一人物なのか親族なのかはよくわかりませんでした。

弖と利と梨-阿弖利為の漢字にこめられた意味

榲は杜(説文解字)。杜は梨類を指しますが、梨は阿弖利為の「利」が木に乗る姿です。
杜は赤棠。弓幹を造るに最適な性質を持つようです。
弖は和製漢字ですが、弓でしょう。阿弖利為は最強の武具である弓を作る樹・赤棠にたとえられたような武芸者であったのかもしれません。もののけ姫のアシタカのようです。

草木疏】甘棠,今棠棃,子色白少酢,滑美。赤棠,子澀而酢,無味,木理堅韌,可作弓幹
陸璣·草木疏】赤棠,子澀而酢,無味。木理韌,可作弓幹

「杜、赤棠。……赤棠、木理靭かにして、又以て弓幹を作るべし。」 爾雅 釈木 (孫引き)
杜はアテルイのようです。陸奥梨は阿弖利為なのでしょうか。

甘棠の愛

杜は甘棠。詩経の「甘棠の愛」召公 のエピソードもこめられているのかもしれません。榲は杜で杜は甘棠ですし、榲には樹木の勢いよく茂るの意味もあります。今も人々から愛される阿弖利為の碑に合致します。斬るなも坂上田村麻呂の助命の気持とあうようです。

「こんもりと茂ったりんごの木
枝翦るな幹伐るな
召伯さまがやどらした木じや

こんもりと茂ったりんごの木
枝翦るな君伐るな
召伯さまが休ました木じや

こんもり茂ったりんごの木
枝翦るな花抜くな
召伯さまがいねました木じや」
『詩経』「国風・召南」(孫引)

雄徳山-男山と女山、牡山と牝山

牡曰棠。牝曰杜。樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。説文解字 なので
杜山=牝山杜山=赤山となるとも言えます。そこがアテルイ終焉の地?かもしれません。

河内国も共同管理していた牡山(現八幡市の男山・雄徳山)の烽火。

「牡山烽火。無所相當。非常之備。不可。宜山城河内兩國。相共量定便處置彼烽燧。」 日本後記,延暦十五年9月(796年)

男山・雄山の対となる女山・雌山が八幡市の男山にもあってもおかしくはないものの、中井家文書「石清水八幡宮全図」では西山や四人山などが描かれているのですが、複数ピークのうちどれが該当するのかわかりません。4つの郡、山城國久世郡・山城國縄喜郡・摂津国嶋上郡・河内国交野郡で囲まれているのですがどの地域がどこに所属というのも変化があったようで明確ではありません。

禁葬埋雄河内国交野雄徳山。採造御器之土也。」類聚国史,巻七十九大同三年正月(808)

大阪府=河内国に該当する男山の裾野や丘陵にも粘土層の土地があるのですが、そこがもしかすると牝山に該当し、阿弖流為阿弖利為没6年後の808年に交野の民草へそこへ埋葬することはならぬとのおたっしが出たのかもしれません。
1つは和気清麻呂にまつわる伝承の足立寺跡がある西山の裾野、継体天皇樟葉宮跡・桓武天皇郊祀壇跡との伝承がある交野天神社周辺で、戦前は交野神社(かたのじんじゃ)でした。牧野公園の伝阿弖流為碑の横の神社も片埜神社(かたのじんじゃ・延喜式では片野神社)です。
もうひとつは山城国との国境、戦前の牧野村飛び地です。牧野村は牧野公園の伝阿弖流為碑横の片埜神社・久須々美神社(両方の神社ともに交野郡に2つある式内社)があった坂村、渚村・禁野村・磯島村・小倉村・宇山村・養父村・上島村・下島村(全て河内国交野郡)が明治22年合併してできた村です。

延命の神・泰山府君(赤山明神)と阿弖利為

「樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。」説文解字
榲山=杜山、杜山は赤山ともいえます。823年、新羅の張保皋が中国山東省に建設した赤山法華院の赤山明神を想起させます。京都の赤山禅院をたてた円仁は張保皋の支援を受けて唐で学んでいます。

泰山府君は延命の神。ここも、アテルイの延命を含意させるものがあるように思います。

泰山府君は、中国五岳(五名山)の中でも筆頭とされる東岳・泰山(とうがく・たいざん)の神であり、日本では、陰陽道の祖神(おやがみ)になりました。赤山禅院の由緒

没する烏、赤い烏-太陽の赤烏

-从困切。去聲。(唐韻)
榲山は"从困切"山。烏の没する山。榲山=杜山=赤山なら、没する赤い烏の山。赤烏とは金烏、太陽の中にいる三本足の烏、太陽の異名です。交代で扶桑の木の上へ昇る10日。木の上の利である梨(杜・榲)。日(太陽)である赤烏。弓で射落とされる9日(榲=从烏困切)。弓幹をつくる"赤棠=杜"。射落とす弓と射落とされる烏が榲という文字の中に隠されているように思います。中国神話の后 羿 の射日弓神話のようです。アテルイの碑の周囲は真木(牧)の郷と呼ばれていました。真木の上の日(太陽)と土地に眠るかつての日(古墳群)の地。

2人の王が同時に国を統治できないという意味をこめたのでしょうか。

「下有湯谷,湯谷上有扶桑,十日所浴。在黑齒北,居水中,有大木,九日居下枝,一日居上枝。」海外東經

天帝である帝夋 (嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた[1]。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をつかわした。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる[2]。
1.袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 289-296頁
2.松村武雄 編 『中国神話伝説集』 社会思想社<現代教養文庫> 1976年 15頁wikipediaより

赤烏は陰陽師安陪晴明の著との伝説がある三国相伝陰陽膽轄 内伝金烏玉兎集にも書かれています。その書を見たいと希望した道満と晴明の対決(フィクション)。晴明を裏切り道満と不実の仲となった妻の名前は「梨子」でした。

2体並葬の宇山2号墳と刀の宇山1号墳

-从困切。 去聲。(唐韻)

榲-没する从烏-のように宇山2号墳では2体が埋葬されていたのが発掘されたようですが、偶然でしょうか?それとも坂上田村麻呂などがこのアテルイが没したより更に昔の埋葬とアテルイの顛末を混同させて、桓武天皇の遊興の地、渡来人も暮らす交野ヶ原で彼らの延命を謀ったのでしょうか?

宇山2号墳……6C中頃……木棺直葬 (1・2号遺骸)
宇山1号墳……7C初頭~前……横穴式木室 ……銀象嵌鍔付太刀、鉄鏃
西田敏秀 1994「北河内の後期古墳と終末期古墳」『平成4年度市民歴史講座 飛鳥・奈良時代の河内 と大和 講演記録集』、枚方市教育委員会・枚方市文化財研究調査会,from94頁,吉田知史,交野の古墳時代集落動態より孫引き

石清水八幡宮護国寺の六宇の宝殿と宇山

アテルイの碑と片埜神社がある坂村に隣接する宇山。石清水八幡宮の建物は六宇の宝殿(正殿三宇。外殿三宇)です。
六宇は天地と四方(東西南北)の意味もあります。六宇のある山は六宇の山といえるでしょうか。宇山、一宇は片埜神社のニックネームのようなものなのでしょうか。

始め、釈行教、南都大安寺に居す。曾つて貞観元年、宇佐の神祠に詣し一夏九句、昼は大乗経を説き、夜は密咒を誦す……教、漸く山城州、山崎に至る。其の夜、又、夢中、太神告げて曰く、師、我が居る所を見よと。覚めてこれを見れば則ち、東南、男山、鳩の峯の上、大光現ず。 186頁,黒川道祐著,宗政五十緒校丁,岩波文庫 雍州府志(上),岩波書店,2002年

結論

皇祖を祀る八幡宮、王権同志の衝突。中国日本新羅の神話、没する太陽の神話をかけて王権制覇の正統性を主張しながら相手を讃え、延命の可能性もうっすらと匂わせた-桓武天皇の遊び場で漢系・朝鮮半島系の渡来人も暮らす都から離れた郊外、交野ケ原の牧(真木)の郷・へ逃がした物語かもしれないと思いました。

処刑したというのは、公文書偽造かもしれません(笑)。

結論:きっと2人はボーイズラヴ甘棠の愛('◇')ゞ。

merry christmas mr lawrence (1983) - respect or love

「それは自分が今まで会ったなかで、一番立派な男の髪の毛である。その男は敵側で、もう死んでしまったが、それでもやはり大変立派な男で、自分は決してわすれない。こと切れたあの男の頭から、例の金髪を自分が截りとったのは、ただひたすら、あの男の後世の住処を与えんとしたがためである。戦争が終わった暁には、祖先の御魂を祭る御社に、その髪をもち帰り、奉納するつもりだ。……ロレンスは、すでに日本に帰国していたヨノイに、金髪を送ってやった。折返しヨノイの深い謝辞をしるした手紙が送られてきた。例の髪は神社の聖なる火に捧げた、と。手紙によれば神社は美しい場所にあり、秋祭りの日など、さながら全山、山火事のように真赤に燃えさかる楓の木の生い茂る急な丘陵のなかの、杉の木に囲まれた道をずっと潜りぬけた果てのところにある。雲に聳える高みから滝がほとばしり、下手の川と池に流れこみ、そのあたり、鯉と身のこなしの早い鱒が、いっぱいに泳いでいる。まわりの空気には、さまざまな樹木の馨が漾い、ゆたかな水に清められている。かのひとの御霊に、まことにふさわしい住処である、とあなたも分かってくださるだろう、とあり、ヨノイの自作の詩で結んであった。
春なりき。
弥高き祖霊畏こみ、
討ちいでぬ、仇なす敵を。
秋なれや。
帰り来にけり、祖霊前、我願う哉。
嘉納たまえ、わが敵もまた。」
242頁,由良君美・富山太佳夫訳,ローレンス・ヴァン・デル・ポスト,"種子と蒔く者",戦場のメリークリスマス〔影の獄にて〕映画版,思索社,1983

 

 


宇山・杜山・植山・椙山・榲山-アテルイはどこへ

2017年09月25日 01時25分29秒 | 神話・伝承・民話

前の記事で阿弖利為(アテルイ)が没した場所を調べてみましたが、ひとつひとつみていきます。

阿弖利為阿弖流為が没した場所の記録

六国史の1つ「日本後記」延暦二十一年八月の記事に没した場所が記されています。それを写したものが日本紀略、類聚日本後紀です。

  • 日本後記
    「夷大墓公阿弖利爲盤具公母礼(禮)……河内国榲(搵)山」日本後記,明和元年(1764)
  • 類聚日本後紀
    「夷大墓公阿弖利為盤貝公母禮等……河内国椙山類聚日本後紀,第五巻,徳川義直(編),近世中後期転写
  • 日本紀略
    「夷大墓公阿弖利爲盤具公母礼……河内国木?山(きへんに空白)」98番目,日本紀略,,,
  • 日本紀略(誤写?「久邇宮文庫本の「植」字のくずし字を「杜」に読み誤ったことであった。」アテルイの処刑地について
    「河内國植山387頁,日本紀略,国史大系第5巻,経済雑誌社編,合名会社経済雑誌社,1897-1901

写本の誤り?

日本後記(榲山)→類聚日本後紀(椙山)のルートと、
日本後記(榲山)→日本紀略(植山)→(きへんに空白)→(杜山)というのは単純でしょうか?

漢字の意味から考える

(=)を大元と考えてみました。渡来人も住む古代の河内国では判読可能であった榲の文字は時代を経て使用されなくなり、榲の多義な意味の中から述べたい意味を限定した漢字へと書く際に混乱が生じたのかもしれません。榲は杜、柱、杉、柱、木の盛んな様、ひつぎのような「はこ」の意味があるようです。

  • 椙(すぎ) 和製漢字
    • 榲の多義から杉を抜き出したくて「杉=椙」と写本した
    • 榲=""(根・草木繁盛・棺)と書こうとして間違えて「椙」と写本した
    • 榲の多義から杜(阻塞、やまなし・野梨・杜梨・甘棠・棠梨・赤棠)を抜き出したく「杜」と写本した(果物の資料)。
    • 榲の多義から榅(草木繁盛)という意味を抜き出したく「植」と写本した

 

榲 15277
  • 1.ヲツ ヲチ〔集韻〕烏沒切
  • 2.ウン〔集韻〕紆問切
  • 3.ヲン〔集韻〕烏昆切
  • 4.ヰン〔集韻〕委隕切
  • 1.
    • 一.やまなし。〔正韻〕榲、杜也。
    • 二.はしら。〔集韻〕榲、柱也。
    • 一.すぎ。〔集韻〕榲、杉也。
    • 二.ね。〔集韻〕榲、根也。
  • 4.
    • 一.木の盛なさま。〔集韻〕榲、木盛皃。
    • 二.はこ。〔集韻〕榲、一曰、櫝(※ひつぎ)
489頁,大漢和辭典尺版六巻,大修館書店,昭和35年
  • 《唐韻》《集韻》𠀤烏沒切,音膃。榲桲,果似𣙁也。
  • 《魏王花木記》榲桲,棃別種。
  • 《本草圖經》生北土,似𣙁而小。
  • 又《正韻》於問切,音醞。杜也。《正字通》榲桲,俗呼杜棃。 
  • 又《集韻》烏昆切,音溫。杉也。又根也。 
  • 又《集韻》委隕切,音惲。木盛貌。 
  • 又《集韻》紆問切,音醞。柱也。
康熙字典,頁544第21(孫引き
杜 14477
  • ト ヅ……
  • 1.やまなし。こりんご。あかなし。山野に自生する果樹の一。……棠梨。甘棠。……
  • 2.とぢる。ふさぐ。とざす。……
  • 3.たつ。杜、絶也。……
150頁,大漢和辭典尺版六巻,大修館書店,昭和35年
杜 ……《說文》甘棠也。牡曰棠,牝曰杜。樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。 漢典
棠 ……《說文》牡曰棠。牝曰杜 ……。今之海棠皆華而不實。葢所謂牡者曰棠也。从木。尚聲。徒郎切。十部。 漢典

烏(山海経の太陽の烏のような?)が没し棺と共に大地に還り、大地から植物の茂る死生観でしょうか?
杜棠には実がなり海棠には食せる実ならず。それとも暴れん坊を閉じ込める(杜絶)山という意味でしょうか。ひつぎの山という意味でしょうか。

山の意名前から考える

杉村の山?

椙山すぎやま=河内国交野郡杉村の山が該当地であれば、河内国交野郡杉と記載されたことでしょう。では、どこでしょうか?

男山は沢山の名前を持っている

石清水八幡宮がある男山は複数ピークがある低山です。牡山、雄徳山、鳩ヶ峰、鳩嶺、鴿嶺、香爐峰、香爐山と様々な呼ばれ方をしています。

なし-杜と棠と牡と牝

棠と杜の説文解字に「牡曰棠。牝曰杜。」とありましたが、棠が牡山なら杜の杜山は牝山になるのかもしれません。複数ピークのどれかが当時牡山と呼ばれていて、牝山(杜山)もあったのかもしれません。それが八幡市の男山と対なのか他の地域かはわかりません。

「雄德山 在八幡町上方 一名鴿(※ハト)嶺又名香爐峰又八幡山北臨京師東連甘南備山」山城国綴喜郡,五畿内志. 上巻並河永 著,日本古典全集刊行会,昭和4-5

地理と距離-平安京ではなく河内国で処刑の不合理さ

明確に処刑場所を書き記さなかったのは助命を願った漢系渡来人を祖とする坂上田村麻呂と百済系渡来人を祖とする桓武天皇が阿弖利為阿弖流為を渡来人が沢山住む河内国へ逃がす作戦だったのかもしれません。

桜と似ている陸奥山梨、秋子梨、日本山梨。北支豆梨とイヌナシの花-Pyrus ussuriensis とPyrus pyrifolia var. pyrifolia

実がならないのは牡と牝があるからではないのですよと、梨の自家不和合性かけて、異民族の人的交流と文化の豊かさをアピールしたのでしょうか。渡来系の祖先を持つ桓武天皇と坂上田村麻呂。そして大和へ併合される陸奥の阿弖利為阿弖流為

今日の枚方牧野公園 2016年4月15日

長岡京や平安京内にも処刑場はあったはずなのに遠く郊外の-桓武天皇は記録にのこる範囲内では2回の郊天祭祀をおこない、頻繁に狩りや管弦に訪れていた-河内国で処刑をした理由とは、処罰を希望する宮中の眼から彼等を隠すためだったのではないでしょうか。それとも桓武天皇の遊び場でもある遠方の河内国へ陸奥から来た阿弖利為阿弖流為を運んで処罰する理由が何かあったのでしょうか?処刑はナシよだったりして。

マメナシの花


アテルイのお墓は河内国のどこ?

2017年09月21日 21時43分25秒 | 神話・伝承・民話

アテルイ阿弖利為の処刑地と埋葬地は同じ?

ドラマや歌舞伎、演劇で有名な東北の英雄、アテルイは802年に河内国で処刑されたと記録されています。
処刑地と埋葬地はどこでしょう?筆者のアテルイのお墓の場所の推定はこちらです

「斬於河内国椙(?)山」日本後紀

  • 椙山
  • 杜山(牡山=男山?))
  • 植山(=上山→宇山?)
  • 「搵(ヲン,ウン,ヲツ,ヲチ)〔意味:没、殁〕」山(大漢和辞典より)
  • 「榲(ヲツ,ヲチ,ウン,ヲン,ヰン)〔烏、杜、柱、杉、根、木盛皃、櫝(ひつぎ)〕」山(大漢和辞典より)

等が考えられますが諸説あります。

搵山または榲山という名前の山が当時あった?

搵山(搵=没、殁)や榲山(榲=烏、杜、柱、杉、根、木盛皃、櫝(ひつぎ))という山が当時あったのかもしれません。

宇山-河内国交野郡一の宮・片埜神社横の通称首塚では?

2007年、関西岩手県人会、羽黒山出羽神社、胆江日日新聞社、音羽山清水寺、片埜神社他の方々の寄付で河内国交野郡にあたる宇山バス停前の牧野公園に伝阿弖流為・母禮之塚が建設されています。片埜神社(延喜式内社)境内ではなく、道路を隔てた隣の牧野公園内にあります。

牧野公園内の該当する塚やその周囲にあった古墳はより古い時代のものです。その塚や古墳の上から阿弖流為が埋葬されたとしても矛盾はありませんが、
しかし禁野-天皇や貴族以外の鷹狩りを禁じられた場所であるため殺生は無いはずという「河内国禁野交野供御所定文」を元にした馬部隆弘氏の説もあります。

伝阿弖流為・母禮之塚

それに対して阿弖利為阿弖流為が没した西暦802年頃は禁野は天皇・貴族以外の「狩り」は禁じられたものの、殺生への禁忌思想自体はまだ発生していないとの指摘があり、河内国で平安京に最も近い交野郡の宇山周辺のこの地もあり得るかもしれません。

「とすれば、鷹飼と殺生禁断とが明らかに結びつけられたのは三代の格が編纂された時期(八世紀~十世紀初頭)ではなく、『類聚三代格』が編纂された時期(恐らくは十一世紀)ではないか。」竹ヶ原康弘,『徒然草』第百二十八段に関する小考,国語論集,215頁,2012年

伝阿弖流為・母禮之塚の昔からある石

片埜神社隣牧野公園内の伝阿弖流為・母禮之塚。その隣の坂公園や周辺には複数の古墳が存在します(例:宇山1号墳、2号墳牧野坂古墳)。

宇山一号墳から出土した銀象嵌直刀鍔宇山一号墳から出土した銀象嵌直刀鍔

桜の名所の公園の真ん中の塚が該当の塚です。昔から地元では大王のような偉い人の首塚と言われてきました。小さな碑が現在の碑の木を挟んだ裏側に昔からあったのですが、塚自体に登ることが禁でした。車道をはさんで隣の阪公園の古墳が胴塚だと伝えられてきました。

山城國と河内国の国境、山崎橋南詰め・男山の麓?

石清水八幡宮が鎮座する男山(標高約130m)と西側の鳩ヶ峰(標高約144m)現在の地名ではその南東に広がる地域も男山と呼ばれています。

阿弖利為阿弖流為山崎橋南詰の男山の麓で処刑された説があります(桓武天皇,57-58頁,西本昌弘,山川出版社2013年)。
男山(牡山)の烽火や山﨑橋は山城国と河内国との共同管理。藤原種継が処刑された山崎橋の南詰ではないかという説です。
しかし住所が京都(山城國)で管理が山城國&河内國である山崎橋、"烽火"が共同管理だった牡山(男山)で処刑されたなら「山城國で斬された」と書くはずで奇妙に思います。

「牡山烽火。無所相當。非常之備。不可蹔闕。宜山城河内兩國。相共量定便處置彼烽燧。」日本後記,延暦十五年9月(796年)

「平安京遷都以来3年を経過し、男山の烽火は非常の備えとして不可欠なので、山城・河内両国による共同管理を命じている……境界施設を接した両国が管理するという体制は、対岸の山崎とを結ぶ山崎橋でも同様であった……山城・河内両国に命じて、橋南北両辺に橋守を置き、かつ橋辺に居住する有勢人も加わって橋を管理させる……つまり、古代山﨑橋は、山城・河内両国が官民一体で管理したのである。」179頁,上原真人,国境の(くにざかい)の山寺-石清水基地万宮前身寺院に関する憶測-

男山(雄徳山)は河内国所属だった?

地元の交野郡民が使用した埋葬地・雄徳山(男山)にて処刑された説もあります。

禁葬埋雄河内国交野雄徳山。採造御器之土也。」類聚国史,巻七十九大同三年正月(808)

「また大同三年(808)には、供御器を造る土を調達する場所であるという理由で、河内国交野の雄徳山での埋葬が禁止されている。」82頁,井上真綾,牛山佳幸,古代日本における穢れ観念の形成,信州大学教育学部研究論集第9号,2016年

大同三年交野郡(のちに石清水八幡宮の神人が住む地域でもあった)の民が"交野郡"の雄徳山(男山)への埋葬を禁じられた件を前提とすると上記の河内国男山の麓の山﨑橋南詰で処された説もありえるように思えますが、交野郡の雄徳山の範囲が不明です。
供御器を造るために埋葬を禁じるということは陶土が出る場所のはずで、地質図を見ると交野天神社(足立寺瓦窯跡、樟葉平野山瓦窯跡の近く)、樟葉台場跡近辺久修園院周辺や男山断層沿い、洞ヶ峠近辺~美濃山美濃山瓦窯跡群周辺)にかけて点在する陶土地質地が該当し、烽火を掲げる標高が高い鳩ヶ峰や男山並びに男山北側の山﨑橋も埋葬が禁じられた地域に該当しないと思われます。
もし鳩ヶ峰の南東方向麓の樟葉台場跡~久修園院付近や交野天神社周辺(その北側の八幡市には男山雄徳の地名が残っていますが)、または洞ヶ峠周辺地域も雄徳山と呼ばれる地域に当時含まれていたのであれば、河内国交野郡の民は埋葬地にしていてそれを禁じられたのかもしれず、そこで阿弖利為阿弖流為も処されたか埋葬されたのかもしれません。

京都西南部 産業技術総合研究所 地質調査総合センター 地質図類データダウンロード

陶土が出るであろう埋葬を禁じられた雄徳山や宇山周辺の他も含めて河内國のなんとか山で処されたのだと思われますが、もしウヤマという地名の可能性が高いのであれば、禁野から外れる(天の川以南)河内國交野郡の上ノ山遺跡も可能性はあると思われます。

処刑された地しか記されていませんが、埋葬地は処刑された地とは別で、それが宇山の塚であった可能性はあります。近接した片埜神社河内国交野郡式内社二社のうちの一つで、すぐ東に式内社の久須々美神社がありました。その北側には渡来人が建設にかかわったと思われる古代寺院の九頭神寺があったことがわかっています。

陶土もでる河内国の交野天神社~捨翠寺周辺は山城國との国境ですし、同じく陶土が出る河内国最北端の久修園院周辺は北河内自転車道と木津嵐山自転車道を結ぶ地点で、淀川と男山に挟まれて道路がなく、淀川満水で自転車道走行不能の際に堤防上の車道走行を回避しようとすればここの大変広い農地の中の細い農道を通過するしかない国境。この地も雄徳山に入るのであれば阿弖流為が処刑された地の候補として有力だと思います。しかし明確な場所が判明しないのであれば、河内國の桜の名所・宇山で供養するのが一番良いように思いました。(より細かい検証をしてみました


饒速日尊天孫降臨の鳥見白山と鳥見白庭山はどこ?

2017年08月07日 02時37分24秒 | 神話・伝承・民話

そして虚空見日本国とのたまう

物部氏派に人気(?)な先代旧事本紀での饒速日尊天孫降臨ですが、河内国哮峯の次に行った大和国の場所は二種類の記され方をしています。天神本紀では「鳥(闕画?)見白山」、天孫本紀では「鳥見白庭山」と記載されていますが、天神本紀で鳥という漢字を闕画しているのは鳥=神として避諱したためで(神話から天皇家は沢山の鳥の名前が出てくる)、天孫本紀では避諱した名の山の前庭的山を「鳥見白庭山」と指し記したと推定しました。

「饒速日尊襄 天神御祖詔 乗 天磐船 而天 降坐於河内國河上哮峯 則遷 坐於大倭國鳥※見白山 所謂乗 天磐船 而翔 行於大虚空 睨是郷 而天降坐矣即謂虚空見日本國是歟」"天神本紀"先代旧事本紀 10巻,前川茂右衛門,寛永21 (1644)
天祖以 天璽瑞寶十種 授 饒速日尊 則比尊稟 天神御祖詔 乗 天磐船 而天 降坐 於河内國河上哮峯 則遷坐 於大倭國見白 天降之儀明 天神紀?謂乗 天磐船 而翔 行於大虚空 睨 是郷 而天降謂 虚空見日本國 是歟」"天孫本紀"先代旧事本紀 10巻,前川茂右衛門,寛永21 (1644)

鳥見白庭山、鳥見白山

屯鶴峯から虚空蔵山と城山

上空からも白いと解る山と言えば、屯鶴峯を思い浮かべます。群れる鶴の様に見える峯です。庭のようでもあるので、白庭山にはぴったりです。

屯鶴峯 奈良県香芝市


屯鶴峯

その屯鶴峯から視た夏至の日の出は弘法大師空海作の虚空蔵像のある弘仁寺の虚空蔵山から昇ります。饒速日尊の「虚空見日本国」の虚空が出てきます。また後ろには城山(しろやま)が見えます。

屯鶴峯から見た夏至の日の出


虚空蔵山麓の弘仁寺(奈良市)

虚空蔵山から屯鶴峯、穴虫峠

その虚空蔵山から冬至の日の入りは屯鶴峯~サカイ・平地山遺跡へ沈みます。サカイ・平地山遺跡はサヌカイト(鉄器が渡来するまで石矢尻や農機具の原料)の産地。また難波へ続く大坂、穴虫峠が見えます。この一帯は古墳時代の棺の石材として知られる二上山石の産地でもあります。

虚空蔵山からみた冬至の日の入り


穴虫峠

穴虫峠から城山

その穴虫峠から見た夏至の日の出は、奈良市の城山(しろやま)から昇ります。

穴虫峠夏至の日の出

城山から穴虫峠、淡島神社

城山から冬至の日の入りは穴虫峠へ沈みます。そのさらに奥には、少彦名命と大己貴命、つまり日本書紀で神光照海となった大国主(大己貴命)の幸魂・奇魂オオモノヌシが「吾欲住於日本國之三諸山。」 と述べたお話のペア2神と、息長足姫命(神功皇后)を祀った淡嶋神社方向です。カシミール3Dによると近つ飛鳥方向には大鳥大社も目視できるようです(城山山頂は木で覆われたため実際は見えないだろうけれど)。また手前には、まるで前庭のように立つ虚空蔵山も見えます。

城山の冬至の日の入り

城山から、西方の虚空蔵山と城山

夏至の日の城山は、兵庫県の虚空蔵山や城山、和田寺山、西光寺山、竜王山へ太陽が沈みます。近つ飛鳥(難波)も遠つ飛鳥も見渡せます。
この光景とそっくりな風景が、河内国交野郡星田村(交野市)の茄子石の滝で観られます。茄子石の滝(聖滝)は城山の御前立のようです。

奈良市の城山、夏至の日の入り

茄子石の滝、夏至の日の入り

西方の虚空蔵山から、城山と三輪山の奥の院野々上岳

その兵庫県の虚空蔵山から見る冬至の日の出は四条畷市の正傅寺を通して奈良市の城山、その奥には神光照海エピソードのオオモノヌシの三輪山(大神神社)の奥院、雄神山・雌神山の野々上岳方向となります(白石国津神社と雄神神社の御神体)。

三田市の虚空蔵山から見る冬至の日の出

鳥見白山は奈良市の城山、その奥には三輪山の神オオモノヌシ

古墳時代の棺の材料である二上山石が採れる穴虫峠。そのむこうに少彦名と大己貴神の淡嶋神社(日本書紀の神光照海=大己貴神の幸魂奇魂=三輪山のオオモノヌシ)。西方に望む虚空蔵山から城山を望む際に奥にたたずむ三輪山(大神神社)の奥院、雄神山・雌神山=野々上岳。先代旧事本紀の天神本紀「鳥見白山」にて闕画で鳥とされたのは神光照海=三輪山で、鳥見白山は城山だと推定しました。その御前立的なトポロジーな場所は、河内国星田村の茄子石の滝(聖滝)からの風景だと思われます。

武烈天皇陵と虚空蔵山

直系でも数代離れた継体天皇がその帝の座を継ぐ正統性を相対的に引き立てるために、超過激な天皇として設定されたのではないかと言われている武烈天皇の陵から望む夏至の日の出も、奈良市の虚空蔵山から昇ります。虚空蔵は金星(明星)と関係がありますが、神話世界の国の制定で最後まで抵抗した天香香背男(天津甕星)は金星だそうです。

武烈天皇陵から見る夏至の日の出

伊賀の霊山、虚空蔵山、武烈天皇陵、穴虫峠、屯鶴峯

最澄が寺院をひらいた伊賀の霊山から視た冬至の日の入りは、奈良市の虚空蔵山、穴虫峠、屯鶴峯、武烈天皇陵、山添村岩屋枡形石へ沈んでいきます。瓊瓊杵尊天孫降臨の末裔である天皇さんの陵墓と重なる虚空蔵山が、天孫本紀の「鳥見白庭山」ではないかと推定します。

伊賀の霊山から見る冬至の日の入り

茄子石と妙見山と郊天祭祀と神光照海

生駒山の真北が交野市星田妙見宮の妙見山ですが、その交野ケ原でおこなわれた郊天祭祀と日本書紀・古事記の神光のエピソードについて、次は書きます。廃郊祀壇五畿内志"河内志 交野郡" 日本古典全集刊行会 昭和4-5年


初の天孫降臨?虚空見日本国の饒速日命と天磐船、哮峯

2017年08月06日 18時07分31秒 | 神話・伝承・民話

天孫降臨神話の哮峯

先代旧事本紀は日本書紀・古事記と違い邇邇芸命より饒速日命が先に河内国哮峯~大和国鳥見白山(鳥見白庭山)へ天孫降臨し、「虚空見日本国」と言った設定で、本居宣長や徳川光圀から絶大なる低評価を受けていたようです(^▽^;)。

河内名所図会の石船巖=現在の磐船神社=神話の天磐船と思われます。
河内國河上哮峯はその後方の山(採石場だった)と思われます。現在、フリークライミング場となっている哮が峯(元採石場)も候補ですが、近くのバス停の名前が哮橋(いかるがばし)、その橋に実際に刻まれている漢字は皚酵橋(ナンバー出版の1974年版交野市の地図では白豈酵橋)なので、皚酵橋(いかるがばし)→哮橋(いかるがばし)→いかるがみね→哮峯→河内國河上哮峯という変化が起きたのではないでしょうか。皚は白い輝きの意味なので、酵-酒のおりが白くきらきら輝く、削られた雲母が川底でキラキラ輝く天の川にかかる橋という意味だったのではないでしょうか。

神話に記載された哮峯、天磐船

「饒速日尊稟 天神御祖詺 乗天磐船 而天降坐於河内國河上哮峯 則遷 坐於大和國鳥※見白山 所謂乗 天磐船 而翔 行於大虚空 巡 睨是郷 而天降坐矣即謂 虚空見日本國是歟」"天神本紀"難註先代旧事本紀10巻,寂顕

哮峯、天磐船にまつわる記録

その祭祀の祠は大和国添下郡南田原村のにあったようです。

「巖船神祠 在㆓南田原村㆒𦾔時記曰饒速日尊󠄁襄㆓ 天神御祖󠄁詔㆒乗㆓天磐船㆒而天降坐㆓ 河内國河上哮 峯㆒ 即此」五畿内志"大和志 添下郡"

河上哮峯は河内国讃良郡田原村にあり(現在の磐船神社の山)、石船明神を祀っていたのは大和国南田原村。岩が所在しているのは河内国讃良郡。神座石自体は河内国交野郡に所属していたようです(詳しくは「平斎の日記 [神仏]『五畿内志』の「田原村石船山」」)。

「河上哮峯 在㆓田原村㆒今號(号)㆓石船山㆒饒速日命降臨之地峡中有㆑石長五丈許渓水通㆓石下㆒和州南田原村石船明神神輿幸㆓于此㆒因呼曰㆓石船岩㆒今其禮(礼)雖(いえども)㆑廢(廃)毎年六月晦日土人相集修㆓禊事于此㆒神座石屬(属)交野郡」 五畿内志"河内志 讃良郡" 日本古典全集刊行会 昭和4-5年

河内国交野郡(交野市)側の若宮神社の由緒書きに河内国と大和国の村々での顛末が記載されていました。交野市側では天田神社にて祀られているようです

若宮神社畧(略)記 当社は私市の氏神で住吉四神を祭神として祀ってあります。当地区には天田神社(住吉神社を祀る)か古来より祭祀されてありますがもともとこの社は産土の神を祀ったものと考えられます。上古天孫饒速日尊が天ノ磐船に乗って之の地方ら(磐船宮)降りられ大和に入られ、その子孫が天乃川を中心として大和河内地方に勢力を伸し交野物部氏の強大な部族を形成したのでありますがこの部族の総社としての磐船宮も「船に乗って天降った天乃川文化圏」との考え方と住吉信仰が混同しいつのまにか住吉四神を祭神と誤って伝承して来たのでありましょう。 その後宮座の事が解決せず約270年前各村々(河内・大和)は磐船明神乃分霊を神輿に乗せて持帰り祭祀しましたが私市に古くから天田神社に在りましたので若宮神社と称号したのでありましょう。 一祭神 住吉四神(但し天孫饒速日尊を起源とする) ……一来社 秋葉明神社 元獅子窟寺境内に在 長慶天皇御霊社として祀ると思われる。

また磐船神社御旅所の説明文にも顛末の記載がありましたので孫引きします。

お旅所由来 私市をはじめとする交野が原は、弥生時代の頃、肩野物部氏と呼ばれる氏族が稲作農耕文化を伝え開拓された所で、ここより2キロ程天の川を遡った磐船明神を祖神としてお祀りしておりました。祭礼になると、私市の村では磐船明神の神霊を神輿にのせて、磐船街道を下り村にお迎えし若宮神社にて祭礼を催すと共に安泰を繁栄を祈念し私市村を一巡した。その御神幸の行き帰りに神様と人々が休憩をするためにここ「しぐれの里」にお旅所が建てられました。 その後交通事情などにより、御神幸の神事は廃れて、お旅所も現存せず、二基の灯籠のみが再建されて往年の神事をしのばせております。 「磐船神社お旅所跡・梅の木の伝説跡へ行く 2015/2/11 ひまつぶし人のプーさんの日記です。

饒速日の哮峯天孫降臨。鳥見白庭山は鳥見白山?

2017年03月10日 01時06分19秒 | 神話・伝承・民話

饒速日の天孫降臨。鳥見白庭山か鳥見白山か?

「虚空見日本国」という言葉からは天に衝き抜ける宙の果てなく広がる中空を想念いたしますが、金鵄が風に乗って大和盆地の空を大らかに飛翔し続ける視線からはそのような光景が見えているのでしょうか。

天磐船、金鵄、八咫烏、鳥見など、飛翔する大和の神話世界ですが、天孫降臨神話の地名について以前から少し気になっていた点があり確認しました。(※後日の記事で哮峯と天磐船の具体的な伝承地について記載しています)

饒速日天孫降臨は鳥見白庭山ではなく鳥見白山

記紀によれば邇邇芸命(ニニギ)の天孫降臨後、その子孫の神武天皇が九州地方から東征して奈良(大和国)へ入る前に、饒速日が大和へ天孫降臨しています。

「抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」 http://mmm4382.hatenablog.com/entry/2017/01/23/220133
ところで鹽土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、『東に美(ウマ)し国がある。青い山を四方に囲まれて、その中に天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛んで降りた者が居る』とのこと。 思うに、その土地は必ずこの大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所だろう。六合(クニ=国)の中心となるだろう。 その飛び降りた者とは饒速日(ニギハヤヒ)だろう。その土地へと行って、都にしようではないか 日本書紀 神武記 即位前紀−2 http://nihonsinwa.com/page/854.html

邇邇芸命(ニニギ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の天孫降臨ですが、先代旧事本紀によるとニギハヤヒの河内国への天孫降臨が先です。

「饒速日尊稟(襄) 天神御祖詺(詔) 乗天磐船 而天降坐於河内國河上哮峯 則遷 坐於大和(倭)國鳥※見(トミノ)白山 所謂乗 天磐船 而翔 行於大虚空 巡 睨是郷 而天降坐矣即謂 虚空見日本國是歟」難註先代旧事本紀,寂顕 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546718/82http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553447/52 | http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563302/8

饒速日尊は、天神の御祖神のご命令で、天の磐船にのり、河内国の河上の哮峯(いかるがみね)に天降られた。さらに、大倭国の鳥見の白庭山にお遷りになった。天の磐船に乗り、大虚空(おおぞら)をかけめぐり、この地をめぐり見て天降られた。すなわち、“虚空見つ日本(やまと)の国”といわれるのは、このことである。 http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/yaku/tenjin.html

河内国河上哮峯→大和国鳥見白山→大空巡りて、「虚空見日本国」はこれか?と述べています。
ではそれぞれの地名はどこか具体的な地名に該当するのでしょうか。それとも神話的世界の常で、心の現実(ファンタジー)を指しているに過ぎないのでしょうか?

神武天皇聖蹟調査委員会

戦前は国家神道の影響で神武天皇東征神話は政治利用されていたようです。紀元二千六百年奉祝記念事業として、昭和13[1938年 大和宇陀郡神武天皇聖蹟圖繪がまとめられました。これらの事情で、地名自体が変更されている可能性もあるようです。

鳥見の鳥は鳥ではない

画像で記したように、鳥見の漢字の鳥は鳥ではありません。非常に変形した形であったり、点が3つであったりしています。こちらは他の鳥です。

 

白庭ではない

原文には「庭」という文字が見当たりません。ネットでも広く「白庭」という説が見られますが、近鉄が開発している新興住宅地の白庭台やその近辺の古地図でも白庭という地名を確認できません(追記:天孫の部では鳥見白庭山となっています。また、「富雄川と「富の小川」では角川地名大事典 鳥見を引用して由来を記しています。これらは昭和13年の「神武天皇聖蹟調査委員会」の影響を強く受けているようです。)

闕画?

中国の辞典「康煕字典」では皇帝の名前を記すのに闕画したので、点点が一個少ない鳥や、不思議な形をした鳥も、もしかすると高貴な存在に対する闕画かもしれません。

畢方?

中国の山海経に出てくる東方に住む一本足の鳥、畢方のような霊力のある鳥にちなむ地域をあらわしたかもしれません。闕画はその神獣にたいするものなのかもしれません。

金鵄?八咫烏?

神武天皇を導いた金鵄や八咫烏のことかもしれません。

島?

鳥の下の点が3点なので、島の略字(島見白山)かもしれません。奈良盆地南部は昔、湖でした。その湖に浮かぶ島状の地形があったのかもしれません。

鳥見白庭ではなく鳥見山か

一番可能性が高いかもと思うのは、非常に重要な祭祀の場所、靈畤の鳥見山です。金鵄の神話と関係がある地名のようで、皇祖の天神がまつられています。しかし日本書紀の鳥見は先代旧事本紀と違って鳥の漢字は通常の鳥です。

「及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。」 日本書紀http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html | http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563100/16
「皇軍は、輝く鵄に助けられたので、ここを鵄邑と改名した、それが訛って鳥見となったという。」 http://hjueda.on.coocan.jp/koten/shoki9.htm
「四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天神、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。用祭皇祖天神焉。」日本書紀”神武天皇四年春二月壬戌朔甲申の条” http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html
「わが皇祖の神霊の御加護によって大和を平定することができた。よって天神を郊祀し、大孝を申べようとおもう。よって霊畤を鳥見山の中に立てて、皇祖天神(みおやのあまつかみ)をお祀りもうしあげた、」 http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/102.htm

桜井市の鳥見山説

麓には等彌神社や桜井茶臼山古墳があります。

鳥を見る白山で「虚空を見る日本国」?金龍山 長福寺

金龍山長福寺から見た冬至の日の出は、虚空蔵山と国見山の間から登ります。「虚空見日本国」?というニギハヤヒの問いかけは神武天皇に先立つ初めての国見でもあるので、神話の物語性の意味を国の地理へ意味づけする地としては有意義な場所かもしれません。

大和国・金龍山長福寺から見た冬至の日の出

また、奈良県には2つの鳥見山がありますが、春分の日の標高700m代の鳥見山も、冬至の日の桜井市の鳥見山も、日の出は国見山から上ります。鳥見山が国見に意味づけられているようです。

鳥見山の日の出・冬至

鳥見山の日の出・春分の日

鳥見白山の鳥とは迦陵頻伽(妙声鳥)?

金龍山長福寺の本堂柱に迦陵頻伽が描かれているのが見つかりましたが、その鳥とは迦陵頻伽(妙声鳥)でしょうか?そしてあの「鳥見白山」の鳥は闕画であり、それは迦陵頻伽(妙声鳥)への畏れを表現するためのものなのでしょうか。国宝の金銅能作生塔には、ここが中心であればという開祖・行基の祈りがあった?のかもしれません。

県教育委員会は3日、解体修理中の長福寺本堂(生駒市俵口町、国重要文化財)の内陣柱に、上半身が人で下半身が鳥の想像上の生物「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が描かれていたと発表した。

柱に迦陵頻伽図 - 長福寺本堂 2014年7月4日 奈良新聞 http://www.nara-np.co.jp/20140704103657.html
長福寺は聖武天皇の勅願で創建されたと伝えられ、本堂は瓦葺きの入り母屋造り。平成24年から解体修理が行われ、それに伴う調査で堂内の柱などから大日如来図、迦陵頻伽(極楽浄土に住む想像上の鳥)図、三千仏図、弥勒来迎図などの絵画が確認された。  県教委では奈良教育大の大山明彦教授と京都造形芸術大の山田真澄准教授の協力で絵画の復元作業を進めており、特別陳列では鮮やかな彩色で復元された大日如来図や迦陵頻伽図を見ることができる。

極楽に住む鳥の姿も 生駒の長福寺の仏画復元図公開 橿考研博物館 2016年03月19日 産経新聞奈良支局 最新ニュース http://sankei-nara-iga.jp/news/archives/6639
金銅能作生塔〔こんどうのうさしょうとう〕国宝
 総高26.3cm  銅製  鎌倉時代
  能作生塔は仏舎利〔ぶつしゃり〕を納める舎利塔の一種で、能作生とは万物生成をつかさどる根源の珠・如意宝珠〔にょいほうじゅ〕を納める塔です。水瓶〔すいびょう〕形に作り、頂には三方火焔〔かえん〕付き宝珠を蓮台にのせ、塔身部は魚々子〔ななこ〕地に蓮華唐草〔れんげからくさ〕文様を線刻し鍍金〔ときん〕・鍍銀〔とぎん〕を施し、中央で上下に分かれ蝶番〔ちょうばん〕止めとしています。当時の代表的な金工作品といえます。

http://www2.city.ikoma.lg.jp/dm/11/1102chofukuji/110202kongonosa/110202kongonosa.php

饒速日の子孫、恵賀美神社(万年山古墳)と鳥見山

ニギハヤヒの子孫・伊香色謎命(伊迦賀色許売命)は孝元天皇との間に彦太忍信命、開化天皇との間に崇神天皇と御真津比売命をもうけたことになっていますが、そのゆかりの地が肩野物部の地・交野ヶ原の伊加賀町ではないか?とうたがわれています。万年山古墳(恵賀美神社)からは大陸から伝わった鏡が八面出土しています。

恵賀美神社も、ニギハヤヒ天孫降臨と関係があるとされる鳥見山周辺も、高龗神(淤加美神)が主祭神です。

恵賀美神社と鳥見山を線で結んでみると恵賀美神社→獅子窟寺境内→大庵寺跡境内→西大寺境内→虚空蔵山大国見山飛び火山龍王神社境内→高龗神社境内→鳥見山と、水の神様の間に仏様がはいるラインになります。
ニギハヤヒが降臨した哮峯の伝承地と鳥見山をつなげると、哮峯→磐船神社境内→宝来山古墳・垂仁天皇陵内(ニギハヤヒの子孫・香色謎命の孫)→唐招提寺境内→鳥見山とつながります。

鳥見白山の白山は金剛山?

河内国河上哮峯(交野市の岩山または二上山?)→大和国鳥見白山(鳥見山?)→虚空見日本国(長福寺?)となるのでしょうか?

大阪と奈良をまたがる金剛山山頂や、麓の一事主神社から夏至の日の出を見ると、鳥見山と鳥見山の間の額井岳(ぬかいだけ・大和富士)から上ります。額井岳の山姿は漢字の山の様に3ピークで、その姿は先代旧事本紀の「鳥見白山」の3つの点々の鳥の文字のようにも見えます。3つの点々の鳥-鳥見山と3ピークの大和富士と鳥見山を眺める白山が金剛山(葛城山)であった?とも感じられます。

どの説が有力かは、住んでいる町次第でしょうか。だいたい、地元びいきなようです。


日本の神話時代:日本と最初に言ったのは誰?

2017年02月22日 00時55分02秒 | 神話・伝承・民話

日本と最初に言ったのは誰?

郷土史資料を読んでいた最中、ふと 「日本」という名前を一番はじめに述べたのは誰ということになっているのだろうという点が気になり始めました。
河内国には日本神話に出てくる哮峰であるという場所が二カ所あり、一番最初に日本と呼称された場所はそこですよ、というお話を聴いたことがあります。

全く門外漢ながら、日本書紀(720年)や古事記(712年)をざっくりと調べてみました。

古事記の世界観

古事記の中で陸地側は「倭」「大八嶋國」「秋津島」「虚空」「芦原中国」と色々な名前で呼称されています。

倭は出雲に対してと指定する地方の地名のようです。
倭を告げた最初の存在は大国主命の元からスクナヒコナが常世国へ去った後、海からやってきて倭の御諸山へ自分を祀るよう告げた光る神です。

大八嶋國という名称は伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みで造られた8つの島を指すので、今の日本の範囲よりもかなり狭い範囲しか指しません。
秋津島という名称も「大倭秋津島(虚空(天御虚空秋津根別)(本州)」を産んだよ、とさらりと語られていて、後世の呼び名なのか造った神様がその時からそう呼んでいたのかも解りません。

「葦原中国」は黄泉比良坂で伊邪那岐命が桃へ告げています。しかし日本国というよりもより広い地上を意味するようにも感じます。

古事記では「葦原中国」は伊邪那美命との黄泉比良坂での物語りの中で伊邪那岐命が告げたことが描かれていますが、他の名称は告げたものなのか名付けたものなのか、はじまりがよくわかりませんでした。しかし日本書紀では色々なことがわかります。

日本書紀の世界観

日本書紀では
天神が伊弉諾尊・伊弉冉尊へ「豐葦原千五百秋瑞穗之地」と国産みするように誘い告げます。
また、後に神武天皇がはじめての国見の際に「秋津島」(蜻蛉が繋がっているような)と呼称します。

日本国

神光照海

少名毘古那(スクナヒコナ)が常世国へ去った後、素戔嗚尊の息子大己貴神が出会う神光日本国と告げていますが、その光は大己貴神の幸魂・奇魂、すなわち大己貴神自身であり、「吾欲住於日本國之三諸山。」(日本国の三諸山に住むぞ)と告げているのでその時点では既に日本国の三諸山が何処を指すのかは定義済みであるようなので、これが最初の日本国ではなさそうです。

虚空見日本国

神武天皇が目指した「東の美し国」へ饒速日命は「虚空日本国」と虚から見て天磐船で天孫降臨します。神話の中ではこれが最初の日本国である説は妥当であるようです。
先代旧事本紀によると高皇産霊尊の子・饒速日命は弟の瓊々杵尊より早くに河内国・河上の哮峯へ降臨し、大倭国の鳥見の白庭山へ行ったとあるようです。( http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/yaku/tenjin.html )

虚空という表現は古事記においても見られます(大倭豊秋津嶋(本州)の名前である天御虚空秋津根別)。日本国の始原に仏語の虚空があるなら、神道の世界においては日本の根本に仏もまたあるを意味するのかもしれません。記紀が献げられた天皇・元明天皇と元正天皇は母と娘の女帝ですが、日本神話の礎が女帝の時代に築かれたというのは、とても興味深いです。

冬至夏至の日、饒速日命が天孫降臨された河内国・河上の哮峯のすぐ近くの 星田新池上流の地獄谷の 茄子石の滝(聖滝) から虚空蔵山へ沈む夕日が眺められます。

茄子石・夏至の日の入り妙見山・虚空蔵山・竜王山


引用資料

古事記

倭:伊邪那岐命・伊邪那美命 (大倭豐秋津嶋)、光が大國主神に言う(倭之青垣東山上)
秋津嶋:伊邪那岐命・伊邪那美命  大倭豐秋津嶋、天御虛空豐秋津
虛空:伊邪那岐命・伊邪那美命 天御虛空豐秋津
葦原中國:伊邪那岐命が桃へ言う。 天照大御神之命(豐葦原之千秋長五百秋之水穗國)

古事記 上巻-2/神代七代

1.「(伊邪那岐命・伊邪那美命)次生大豐秋津嶋、亦名謂天御虛空豐秋津根別。故、因此八嶋先所生、謂大八嶋國。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_02.html

「次に大豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ=本州)を生みました。この名前を天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキツネワケ)といいます。 」
http://nihonsinwa.com/page/185.html

創世編

2.「猶追、到黃泉比良此二之坂本時、取在其坂本桃子三箇待擊者、悉逃迯也。爾伊邪那岐命、告其桃子「汝、如助吾、於葦原中國所有宇都志伎此四字以音青人草之落苦瀬而患惚時、可助。」告、賜名號、意富加牟豆美命。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_02.html

「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に至ったときに、桃の実3個を投げると、軍勢は退散しました。 イザナギはその桃に 「お前は私を助けてくれたように、人民が苦しいときには助けてくれ」と言い、意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)という名前を与えました。」
http://nihonsinwa.com/page/200.html

3.「故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_03.html

「スサノオの悪さを見た天照大御神(アマテラスオオミカミ)は恐ろしくなって、天の岩屋(=天の岩戸)の中に籠ってしまいました。すると、高天原は暗くなり、葦原中国(地上)も暗闇となり、朝が来ない永遠の夜となったのです。」
http://nihonsinwa.com/page/227.html

古事記の大國主神

4.「又其神之嫡后、須勢理毘賣命、甚爲嫉妬、故其日子遲神、和備弖三字以音、自出雲將上坐倭國而、束裝立時、片御手者、繋御馬之鞍、片御足、蹈入其御鐙而、歌曰、」

「八千矛神(ヤチホコ神=オオクニヌシ)の正妻の須勢理毘売(スセリヒメ)はとても嫉妬深い女神でした。そのために、八千矛神は当惑してしまい、出雲から大和へと移動しようと、旅支度をしました。」
http://nihonsinwa.com/page/288.html

5.(神皇産霊神の子小名毘古那神登場退出の後)
「是時有光海依來之神、其神言「能治我前者、吾能共與相作成。若不然者、國難成。」爾大國主神曰「然者、治奉之狀奈何。」答言「吾者、伊都岐奉于之青垣東山上。」此者、坐御諸山上神也。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_04.html

「大国主神(オオクニヌシ神)は言いました。
「大国主神(オオクニヌシ神)が凹んでいると、海を光ってやってくる神が居ました。その神が言うには
「私を丁寧に祀れば、わたしはあなたと共に、国を作ろう。もし祀らなければ巧くいかないだろう」
ならばあなたの魂を治め祀るにはどうしたらよいですか?」
すると
「私の魂を大和を取り囲んでいる山々の東の山に斎き祀れ」
と答えました。
この神は御諸山にいる神です。」

古事記 葦原中國の平定

6.「天照大御神之命以「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。」言因賜而天降也。」
http:http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_05.html

「天照大御神(アマテラスオオミカミ)は命じました。
豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミズホノクニ=葦原の長く長く幾千年も水田に稲穂のなる国=日本)は、わたしの子供である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ命)が統治すべきだ」 と言い、天から降りることになりました。」
http:http://nihonsinwa.com/page/310.html

日本書紀

神武天皇=イワレビコ

虛空:饒速日命(虚空見日本國)
豐葦原千五百秋瑞穗之地:天神が伊弉諾尊・伊弉冉尊へ述べる。
日本國:神光(大己貴神の幸魂奇魂)が大己貴神へ述べる。または饒速日命(虚空見日本國)。
秋津洲:神武天皇


日本書紀神代上 第四段(伊弉諾尊・伊弉冉尊)

7.「一書曰、天神謂伊弉諾尊・伊弉冉尊曰「有豐葦原千五百秋瑞穗之地、宜汝往脩之。」
http:http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

「ある書によると
天津神がイザナギとイザナミにいいました。
豊葦原(トヨアシハラ)の千五百秋に瑞穂の地がある。おまえたちはそこに行って治めなさい」
http://nihonsinwa.com/page/672.html

8.「廼生大日本(日本、此云耶麻騰。下皆效此)豐秋津洲。」

「すぐに大日本豊秋津洲(オオヤマトトヨアキツシマ)が生まれました。 」
http://nihonsinwa.com/page/671.html

日本書紀神代上第八段

9.「于時、神光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此國乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」是時、大己貴神問曰「然則汝是誰耶。」對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」大己貴神曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶。」對曰「吾欲住於日本國之三諸山。」」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

「すると、神々しい光が浮かび、海を照らして、たちまちやって来ました。その光が言いました。
「もしも、わたしが居なければ、お前はこの国を平定出来なかっただろう。わたしが居てこそ、この大きな結果を出すことが出来たのだ」
このときオオナムチは言いました。
「では、お前は誰だ??」
光は答えました。
「わたしはお前の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)だ」
オオナムチは言いました。
「なるほど。そうか。
お前は、わたしの幸魂奇魂だ。
これから何処に住みたいと思うか??」
すると答えました。
「わたしは日本国(ヤマトノクニ)の三諸山(ミモロヤマ)に住もうと思う」
それで宮殿を作り、祀りました。それが大三輪(オオミワ)の神です。」
http://nihonsinwa.com/page/736.html

日本書紀神代下第十一段

10.「彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊、以其姨玉依姬爲妃、生彥五瀬命、次稻飯命、次三毛入野命、次神日本磐余彥尊、凡生四男。久之彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊、崩於西洲之宮、因葬日向吾平山上陵。」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_02.html

「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)はその叔母(母の豊玉姫の妹)の玉依姫(タマヨリヒメ)を妃として、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を産みました。次に稻飯命(イナイイノミコト=稲飯命)を産みました。 次に三毛入野命(ミケイリノノミコト)を産みました。 次に神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)を産みました。 」
http://nihonsinwa.com/page/848.html

日本書紀神武天皇即位前紀

11.「抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」」

「ところで鹽土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、
『東に美(ウマ)し国がある。青い山を四方に囲まれて、その中に天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛んで降りた者が居る』とのこと。
思うに、その土地は必ずこの大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所だろう。六合(クニ=国)の中心となるだろう。
その飛び降りた者とは饒速日(ニギハヤヒ)だろう。その土地へと行って、都にしようではないか」 」 
http://nihonsinwa.com/page/854.html

日本書紀神武天皇十有二月癸巳朔丙申

12.時、長髄彥乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天神之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。(饒速日、此云儞藝波揶卑。)」

「そのとき、長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに使者を派遣して、天皇に告げました。
「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。
天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。
その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。
(饒速日は「儞藝波揶卑(ニギハヤヒ)」と読みます。)」

日本書紀神武天皇卅有一年夏四月乙酉朔

13.「因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大神目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空日本國矣。」」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html

「腋上(ワキガミ)の嗛間丘(ホホマノオカ)に登りました。
そして国を状況を見回して言いました。
「あぁ!!! 良い国を得たものだ! 内木錦之眞迮國(ウツユウノマサキクニ)ではあるが、蜻蛉(アキツ=トンボのこと)が繋がっているようでもあるなぁ」
(姸哉は鞅奈珥夜(アナニヤ)と読みます。)
これが秋津洲(アキヅシマ=日本列島のこと)という名前の由来です。
昔、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が名付けて言いました。
日本(ヤマト)は心安らかな『浦安の国』だ。
細い矛が沢山ある…
細矛(クワシホコ)の千足(チダ)る国』だ。
磯輪上秀眞國(シワカミホツマクニ)だ。」
(秀眞國は袍圖莽句爾(ホツマクニ)と読みます。)
また大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)が名付けて
玉牆内國(タマガキノウチツクニ)」
と言いました。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は天磐船(アマノイワフネ)に乗って太虛(オオゾラ)を廻って、この国を見て降臨しました。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)はこの国を「虚空(ソラ)見つ日本(ヤマト)の国」と言いました。」

少名毘古那(古事記)-造化の三神の神皇産霊神(古事記)高皇産霊尊(日本書紀)の子
大穴牟遲神(古事記)

古事記の虚空津日高=山幸彦


イザナギ・イザナミ・カグツチ・製鉄の神話,2014年8月2日

2017年02月06日 03時12分02秒 | 神話・伝承・民話

2014年8月に呟いていたtwitterの過去ログです。(togetterにも一部残っていたものです

 
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2014-08-02 04:10:32 +0000 象徴ー表象ーアーキテクトな世界から言えば、産道の向こうは生誕と死の国で、恐れの象徴だった。死して腐敗し雷神を身にまとったイザナミは黄泉の国の主となり人間に死をもたらすと宣言している。日本はその国を穢れとして避けてきた国で、文化的背景はかなり違う。   ###   <a href="http://twitter.com/download/iphone" rel="nofollow">Twitter for iPhone .
2014-08-02 04:14:10 +0000 ギリシャ神話では火は永遠に赦されることのない罪をおかして神から盗むものだった。日本では、国産みの母神が産道を焦がし死亡して出産していて、永遠の罪である火に象徴される意識と認識、智慧や文明への原罪感は乏しい。   ###   <a href="http://twitter.com/download/iphone" rel="nofollow">Twitter for iPhone .
2014-08-02 04:53:16 +0000 プロメテウスの火は人間に科学をもたらすのに、イザナミの産道を焼いて生まれたカグツチ神はイザナキに剣で首を切り落とされる。その中から相撲の始祖でもある建御雷神があらわれ、十束剣を携えて根の国黄泉の国の主でもある大国主から出雲国を譲り受ける。祖母イザナミの国のいる黄泉のの領域が、   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 04:54:15 +0000 このような経緯で平定される物語、ともいえる。プロメテウスでは火は科学だった。では、日本では??   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 05:08:19 +0000 国産神話の二柱の女神から生まれ、その女神を死に至らしめた火の神。日本では火神誕生が母女神の死と父神による火神の斬首分割が伴い、プロメテウスは火と刑罰が交換で、その刑罰はゼウスが恋する女性は父を超える子を産むという「災いの予測」を授け解かれる。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 05:21:12 +0000 火(科学)を人間に授けたプロメテウス【潜在性・先見の明】はゼウスの運命を予見し刑罰を許されるけれど、ゼウス達が人間界へ送ってパンドラをプロメテウスの警告を無視して受け取り翻弄される弟のエピメテウス【後知恵・経験】は人類に災いをもたらす。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 09:51:35 +0000 日本神話は文明や科学としての火って、あるのかな。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 09:55:06 +0000 国産みの母神イザナミの火神カグツチの出産と母神の死と根の国行き+父神イザナキの十束剣による火神の斬首による神産み(建御雷神)、父神の根の国行きと十束剣をふるっての帰還、十束剣を携えた建御雷神が母神のいる根の国の主でもある大国主の出雲を平定。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 09:56:45 +0000 天照大神の孫ニニギノミコトから不実を疑われた木花咲耶姫は産屋に火を放ち火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)を出産。山幸彦は綿津見大神の娘豊玉姫と結婚し、彼もイザナミ・イザナギと同じく見るなの禁を侵し八尋和邇の姫を見て別居。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 09:57:46 +0000 ギリシャ神話のそれとは違い、神が産んだ火神は、どちらかといえば火山に近いイメージかも。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:22:08 +0000 日○会議が注目されて、彼らが持つ国○神道的世界観が注目されているけれど、江戸末期~明治時代に変質した日本の精神史の、第二次世界大戦への転落を意図した流れへの回帰は、ものすごくあなどれない強力な流れだと思う。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:24:41 +0000 神話が持つ力は、人間が生きる意味である「物語」の追求の中でも最も原型的で魅惑的なストーリーを共同で見られる力。その求心力は実は凄まじい。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:26:36 +0000 神話的世界へも文学や哲学を通じて親しみを感じている文系と違い、理系は完全に切れているだけではなく否定している。だから、宗教的ヌミノースな魅力にめっぽう弱い。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:27:56 +0000 @Artanejp 彼らは、日本の最古層というだけではなく、元日本の上流階級とも重なる階層なので、戦前の頃を思いでしてしまいますね。   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:31:44 +0000 彼らの不合理的な世界に今の科学者達が反対できるか?できると思う。淡々と実証する。なんとかかんとかは、実験してみたけれど効果が無い、それだけでいいと思う。相手の方々への罵詈雑言には、なんの意味も無い。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:35:42 +0000 地域の周辺には日本の神話的世界の最古層の祭祀の跡が沢山ある。古層な神社の周辺で、最近スピリチュアルな行事をしている方達がいる。それはとても危険だよ。儀式には儀式なりに、意味も効果もある。最低限、儀式に参加している方々の共同幻想が高まる効果はある。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:38:03 +0000 神様は、畏れに畏れて、しずかに祀るのが良いのでは。ましてや、現代社会の政に神様の名前を出すのは、神話の持つ求心力を軽視しすぎなのでは??   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:42:26 +0000 カグツチ神を産み火傷をしたイザナミの多具理から生まれた金山毘古神と金山彦神(火山・鉱山・製鉄神)。天の岩戸で登場する鍛冶神の天津麻羅。アマテラスと、アマテラスとスサノオの天津彦根命の子、一つ目の神の天目一箇神とダイダラボッチもたたら製鉄の神。つまり自然と技術と力の世界で、   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:42:38 +0000 プロメテウスはゼウスの鍛冶神ヘーパイストスから火を盗み人間に与える。出雲地方で人間に鍛冶の火を伝えるのは高天原から出雲の民へ降りた金屋子神。すなわち【下賜】。では意識の火としての性質は?   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:43:10 +0000 天の岩戸で太占をするのは、天児屋命、太玉命。その際の鍛冶は天津麻羅とイシコリドメ。彼らは岩戸で舞うアメノウズメと共に後にニニギ(火瓊瓊杵)と共に天孫降臨する。予見(占い)と「火」はペアだけど原罪的テーマは無い。火の神カグツチを   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:43:20 +0000 火の神カグツチを産み死に至り、黄泉津大神となるイザナミの元から帰還したイザナギが禊ぎで意識の象徴目を洗うと月読神と天照大御神(太陽神)。天孫降臨→ニニギ(火瓊瓊杵)と占いの鍛冶の神達→火照命(海幸彦)・火闌降命(火須勢理命)、彦火火出見尊(山幸彦)→天皇、火は【下賜】。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:43:33 +0000 そしてイザナミ-火の神カグツチから人間へ火が下る際に必要なのが【切断】。カグツチを斬るイザナギの天之尾羽張、黄泉の国で追いかけてくる妻イザナミを祓う天之尾羽張、太古の龍を斬るスサノヲの布都斯魂剣、出雲平定時のカグツチの末裔建御雷神の布都御魂剣。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:44:12 +0000 プロメテウスの弟エピメテウスは見るなの禁を侵しパンドラの箱の災いをもたらす。彦火火出見尊(山幸彦)も見るなの禁を侵し妻を失う。オルフェウスは冥界で見るなの禁を侵し妻を失う。イザナギも冥界で見るなの禁を侵し妻を失う。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:47:48 +0000 イザナギが、オルフェウスのように冥界で見るなの禁を侵し、人類にもたらされた災い「生と死の境において伊弉諾尊は大岩(千引石(チビキノイワ)と杭で入り口を塞ぐと 向こうより毎日1000人の生者を殺してやると叫ぶので伊弉諾尊は、なら俺は1500人の女に子を生ませようと言い返した。<続」   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:48:27 +0000 "伊弉諾の黄泉下り" http://t.co/EXqX7I2bjn @pririn_ http://myths.xyz/japan/15.html ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 16:51:29 +0000 @k_caoru その後プロメテウスはゼウスの運命を予見(pro(先に、前に)+ metheus(考える者)from WIKI)して、罰から許されます。兄の警告を無視した弟のエピメテウス(epi(後の)+ metheus (知恵))はパンドラの箱を開けて災いをもたらします。   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-02 17:08:01 +0000 @k_caoru ゼウスが恋する女神テティスの秘密とゼウスの運命をゼウスに教えて、プロメテウスは助かるけれど、トロイ戦争につながります。 http://t.co/vVIFrw5Tye http://www.ozawa-katsuhiko.com/3greece_syudai/greece_syudai_text/greece_syudai05.html ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:06:22 +0000 プロメテウスが人間に与えた火は鍛冶神ヘーパイストスの火バージョンよりも、太陽の火(アポロンの二輪車の火)がより一般的でポピュラーだと思います。ヘーパイストスはパンドラの製造者でもあります。 @irakusa 技術や発明を盗む者への警告なども意味しているのでしょうね   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:10:23 +0000 人間が人間から盗む次元ではなく、ブルフィンチ版にあるように「すべての動物を征服すべき武器を作り、土地を開拓する道具を作り、また住み家を暖めて寒さをしのぐ方法も知ったのであります。最後に技術や、貨幣鋳造や、商売や、取引の方法までも #######<a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck.
2014-08-03 13:12:34 +0000 承前>彼らが習得したのも、すべてこの火の賜物でありました。」P.33ブルフィンチ作野上弥生子訳「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫にあるように、プロメテウスの火は文明の比喩だと感じました。 @irakusa 技術や発明を盗む者への警告なども意味しているのでしょうね   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:17:44 +0000 プロメテウスの火が太陽の火であるなら、日本神話のイザナギの左目、天照大神(太陽神)の高天原からたたら製鉄の本場島根県へ降りた金屋子神はやはり太陽の火の伝承者で、しかも死人を好んだ性質からイザナミの黄泉の国との関係性も指摘できます @irakusa 技術や発明を盗む者への警告   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:31:47 +0000 火が人に下る経路§イザナギとイザナミの子カグツチ→イザナギのカグツチの斬首→建御雷神→出雲平定の経路§イザナミの嘔吐物から金山毘古神、金山毘売神そしてイザナミは黄泉大神となり、§イザナギの左目から太陽神(天照大神)→ニニギ(天日高日子)→山幸彦(火遠理命)→架空の天皇家<続き   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:34:09 +0000 それは権威ではなくコンセンサスで、社会は科学側のコンセンサスをある程度参考にして動いている。コンセンサスは永遠に更新を続ける。この営みが科学なのでは??RE https://t.co/QBxsuxe1vw https://twitter.com/tonkyo_Vc/status/495859894004617216 ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:49:01 +0000 承前>§イザナギの左目から太陽神(天照大神)→天照大神と素戔男尊誓約→ニニギ(天日高日子)→山幸彦(火遠理命)→架空の天皇家§天照大神と素戔男尊誓約→天津日子根命→天目一箇神(鍛冶の神)。で、   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:56:37 +0000 §天目一箇神(鍛冶鉱山師の神)は火と製鉄の神であると同時に天孫降臨の際に降りてきた占いの神、太玉命の五神の一で、筑紫・伊勢忌部の祖。一つ目で、もののけ姫にでてくるダイダラボチとも関係がある(伝承地にはたたら業との関係)。天津麻羅の同一ともされる。でも、   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 13:58:52 +0000 プロメテウス神話も、イザナギ・イザナミも創造神だけれど、プロメテウスのような原罪的テーマはなくて、神が下賜する神の火だから、やっぱり日本人にとっては文化は大陸から伝承してきたもので、神から原罪をともない盗った危険な火というテーマは、希薄なのかもしれない。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 14:01:05 +0000 朝永振一郎さんも原子力をプロメテウスの火になぞらえていますが、願望はパンドラの箱の中にとじこめて願望としてとじこめるのもまた知恵かもしれませんね。 @irakusa 今起きている事件からそれを感じます   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 14:17:53 +0000 @irakusa さて、この件はどうなるのでしょうか。でもまあ、粛々と証明するしかないのでは。   ### ## ## <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 14:29:02 +0000 先見の神§天照大神と素戔男尊誓約→天津日子根命→天目一箇神(鍛冶の神)が太占の神太玉命の五神の一として忌部の祖となったのは、鍛冶とは神聖なものだったのかもしれない。祭祀と切り離せず、太占の世界とも関係があった。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 14:32:58 +0000 宮崎駿がもののけ姫で描き出した、たたら製鉄と森と人狼娘の世界って不思議で、たたら場は日本では女人禁制の世界。原罪のテーマを組み入れるための創造だったのかな。で、鍛冶と鉱山のダイダラボッチの反乱は、公害の象徴みたいな。金屋子神も死と関係があるし、その信仰の場はイザナミの終焉の地。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 14:34:42 +0000 天照大神と素戔男尊誓約→天津日子根命→天目一箇神(鍛冶の神)、天目一箇神も伝承のダイダラボッチも、宮崎駿の描くダイダラボッチも一つ目の神で。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:13:38 +0000 もう1つの系が天孫降臨以前の饒速日命による天孫降臨。天の岩戸にも出てくる鍛冶神天津麻羅と関係があるとされる製鉄の職能集団?と思われる天津麻良(物部造の祖)がいる。饒速日命の十種神宝は鎮魂招魂、靖国神社の根は非常に古層。禁だと思う。 http://t.co/lTpIWyPTH4 http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:21:55 +0000 うちらの原罪は、死後の魂の所在まで国家が管理して、生きている時間だけではなく死後の時間も支配してしまった大事にあるのでは。日本の神話もエジプト神話とと同じく、王権の強化の為に後世作られた部分が大半を占めている。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:27:32 +0000 饒速日命の物部氏が伝える魂の秘儀は、本来は神と人間の関係だけのもので権力が介在するものではなかった。国家が神道と仏教と手を組んで全ての魂の帰還場所を設定し、行動も死後の場所もそこに定めたのって、魂の支配に他ならない。魂の支配は良心の支配でもあるし、王権の世界への個の埋没でもある。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:30:17 +0000 宗教や神話が持つ威力はあまりも強烈だと思う。戦前の日本人が特に迷信深かったわけでもないし、ニセ科学を批判する理学博士もまた、新しい時代に人工的に作られた宗教施設をおもんじ、宗教的な存在で。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:37:03 +0000 エジプト神話も日本神話も王権の正当化の為に元来あった神話に後世宮中で挿話された物語だけれど、魂の行方が王権の世界と共にある文化と、個々人の魂が王権や国家とは全く無縁に「神と私」の間にある文化とでは、個々人の良心の帰属先が全く異なる。これが個人主義と日本のような全体主義との違いで、   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:41:06 +0000 キリスト教文化と個人主義は神と私の個人的な関係性がベースで、科学のあり方も実はキリスト教の延長線上にあって、うちらの文化の奇妙な権威-実は猿山のボスの政治力-と、彼らの言う権威-内在化されたprincipleやそれをベースにしたdisciplineとは大きく違う。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:44:55 +0000 うちらはいつ、この世界最古の王権とその神話的世界から自由になれるんだろう。ずっと、その王権の為に死に挑んだ魂を模範として生きていくのだろうか。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:53:42 +0000 宗教人と国家が揃って死後の世界のあり場所を1つに定め、国民が国家が創作した王権の世界に埋没し個々人の思考と自由を奪われ、その力で何百万人もの命を冥界に吸い込んだ時代を懐かしみ、理想化し、再現したい人達がいる。あれは間違いだったと思うし、あれは本来の宗教じゃないよね。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 15:56:43 +0000 あくまで、戦前の宗教は、人工的に作られたもので。宗教者と官僚による、フェイク。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 16:02:01 +0000 源氏物語に出てくる帝も、皇子の光源氏も、別に庶民の魂の管理者でもなんでもなく、等庶民と同じく神仏を敬う側だったし、神道の統治者ではなく、僧侶の教えを請い、寺院を建立し、住吉の神に祈るものでもあったわけで。それが本来で、神様の上ではなく神仏の下だったのに。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 16:46:49 +0000 プロメテウスが女神テテュスの子がゼウスを凌ぐことを予見して、大鷲に肝臓を啄まれる罰から開放された、というバージョンではなく、プロメテウスはアトラスに出会う前のヘーラクレスに救出されるというバージョンがポピュラー。神の火を盗んだ予見の神の罰を救うのは結局、「力」なのかな。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 16:55:08 +0000 ギリシアの神の火盗りと鍛冶神と罰と力による救出、日本の火の出産と神殺しと技能集団としての神の火の下賜-たたら製鉄と科学技術。未だに作り方が解らない紀元前のインドのウーツ鋼。とても不思議な世界。 http://t.co/n1Z6KWCwVA http://www.nihongo.com/aaa/chigaku/tetsu.htm#10 ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 17:16:32 +0000 鋳物製鉄鉱山師は、農具・工具・刀剣・貨幣の司で、権力や文明技術そのもので、その神の神話は、その文化圏が(科学)技術とどんな風につきあったかのかすかな痕跡なのかも。昔は神職としての製鉄と祭祀で、大宝律令で典鋳司が担い、その後公家の真継家の管轄になる。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
2014-08-03 17:17:43 +0000 科学の源流は全て哲学でその哲学の故郷がギリシアならば、科学が持つ物語性の基調とは、プロメテウス神話なのかもしれない。   ###   <a href="https://about.twitter.com/products/tweetdeck" rel="nofollow">TweetDeck .
             

太陽信仰?北河内の神社トポロジーと日の出・日の入り

2017年01月16日 00時31分23秒 | 神話・伝承・民話

北河内の神社仏閣と日の出・日の入り-富士山・明神大神宮

先日からの続きです。以前Twitterでも宗教学者の島薗進先生が近畿の五芒星金山遺跡の地上の北斗七星旧星田村の降星伝承等神社仏閣の面白いトポスを呟かれていたのですが、交野ケ原・旧星田村の星田妙見宮の妙見信仰に鑑み、妙見信仰の北辰(北極星)と明星の同一視と山の並びを調べてみて気が付いた点をメモします。昔々の宗教人の祈りが少し垣間視えた様な気がしました。

今城塚古墳-熱田神宮ラインと和気神社と明星山+妙見山

実在を確認できる最古の天皇、継体天皇(507 - 531年)の真の陵墓と言われている今城塚古墳熱田神宮を直線で結ぶと、宇佐八幡宮神託事件(769年)の和気清麻呂の和気神社と明星山と妙見山の上を線は通る。

今城塚古墳-熱田神宮-箸墓古墳-住吉大社

今城塚古墳

8月18日今城塚古墳、明星山+妙見山+阿星山

その今城塚古墳から元明天皇即位日だと言われている西暦707年8月18日と同じ2016年8月18日の日の出は、明星山と妙見山が重なる。後方左側に釈迦ヶ岳、右側に御在所岳と妙見山、前方左側に阿星山、右側に明星山。地蔵菩薩を秘仏とする長寿寺や白山神社のある阿星山については次の牽牛石にて。

今城塚古墳8月18日の日の出

牽牛石

中山観音寺跡の牽牛石の夏至の日の出は、今城塚古墳でふれた阿星山からの日の出です。

冬至の今城塚古墳と朱智神社

冬至の日の出は、以前の記事で恐らく北辰(北極星)を示すだろうと推定した京田辺市・天王の朱智神社から昇ります。

今城塚古墳冬至の日の出と朱智神社

旧正月の今城塚古墳と灯明寺山

2017年1月28日の旧正月の日の出は、廃仏毀釈で横浜の三渓園へ移築された燈明寺三重塔があった灯明寺山から昇ります。ここでもまた、失しなわれた伽藍につきあたります。廃仏毀釈では相当大規模な伝統が失われてしまいました。

今城塚古墳旧正月の日の出と灯明寺山

今城塚古墳-箸墓古墳ラインと星の森、聖滝(茄子石)、堂跡嶺

今城塚古墳と箸墓古墳を結ぶ線上に交野ケ原・降星伝説の星の森、戦前にあった巨石・茄子石の跡(聖滝)、続群書類従・河内国小松寺縁起の廃小松寺(現在四条畷cc)にある堂跡嶺(小松山)が重なる。

住吉大社-明星輪寺ラインと南宮大社、妙見山、哮ヶ峰、堂跡嶺

住吉大社明星輪寺の線上に堂跡嶺(小松山)、哮ヶ峰( 饒速日命・天磐船の天孫降臨)、妙見山、鉱山の神・金山彦命の南宮大社がある。

堂跡嶺

堂跡嶺、富士山、妙見山+明星ヶ岳

今城塚古墳-箸墓古墳ラインと住吉大社-明星輪寺ラインの交点にくる堂跡嶺(小松山)から富士山へラインを引くと、妙見山と中腹に虚空蔵菩薩を本尊とする古刹・明星山宝生院国分寺のある明星ヶ岳がラインの上で重なる。延長すると淡路島の石屋神社をさす。

堂跡嶺、富士山、妙見山+明星ヶ岳

夏至、堂跡嶺(小松山)では8月18日富士山と明星ヶ岳の方角から日が昇る。

堂跡嶺(小松山)の8月18日の日の出

堂跡嶺と夏至の乙姫岩、冬至の乙姫山

夏至、堂跡嶺(小松山)横の現在ゴルフクラブの建物が建設されている辺りから夏至に乙姫岩と艮山から日が昇り、冬至は乙姫岩と亀山から日が昇る。

堂跡嶺(小松山)横の夏至の日の出

堂跡嶺(小松山)横の冬至の日の出

石屋神社

石屋神社-堂跡嶺-妙見山-明星ヶ岳-富士山ライン

堂跡嶺(小松山)と富士山のラインの延長線上にある淡路島の石屋神社が元在った場所、城山から富士山への線上に明星ケ岳と妙見山が並ぶ。

石屋神社-富士山

石屋神社と明星ケ岳と妙見山

8月18日の日の出は富士山の方角、妙見山と妙見山の間、明星ヶ岳と堂跡嶺(小松山)・御机神社の方向から昇る。

石屋神社8月18日の日の出

石屋神社、夏至の日の出

夏至の日の出は養老山、鏡山と龍王山の間から昇る。

石屋神社、夏至の日の出

妙見山と金星(虚空蔵菩薩・明星菩薩・明星天子・普香天子)

古墳や神社仏閣の配置では、明星・妙見信仰の意図をもって配置されている様子なので他の妙見山と明星山、虚空蔵山の配置を見てみました。

茄子石

茄子石・夏至の日の入り妙見山・虚空蔵山・竜王山

星田新池の公園から奥まった場所にあり、古地図では家ほどの大きな石があったと言われている茄子石(現在の聖滝近辺)から観た夏至の日の入りは、妙見山と虚空蔵山の間の竜王山です。

茄子石・夏至の日の入り妙見山・虚空蔵山・竜王山

正傅寺

正傅寺と明星ヶ岳・妙見山・富士山

8月18日、八丁三所の降星伝説の獅子窟寺と同じく薬師瑠璃光如来像のある四条畷市の正傅寺では富士山の方角で明星ヶ岳と妙見山が重なった場所から日は昇ります。

正傅寺8月18日日の出

夏至の日の出

夏至や冬至の日の出にはなにかの祈りがこめられているようです。

星の森

交野ケ原の降星伝説の星の森の夏至の日の出は、伝説の中で弘法大師空海が祈った獅子窟寺の獅子窟のある百重ヶ原の王の墓(亀山院陵)から昇ります。

星の森の夏至の日の出と王の墓(亀山上皇の墓)

まだまだ興味深い配置がみられるのですが、それはまた次回メモします。これら人為的に祈りの気持ちを表わしたであろう配置や山々へのネーミングは、仏教と神道の教義に詳しい人が見ると色々面白いものなのかもしれません。

以前島薗進先生、平川秀幸先生他Twitter上の先生達が呟いていた神社のトポロジーとが頭の中であわさり色々と調べたのですが、つくづく感じたのは、各神社はほぼ元寺院であり、寺院と神社は昔はセットであった点です。どれだけ大規模な伝統の破壊が明治維新時の廃仏毀釈の時に起ったのか、どれほど大量の仏教芸術が破壊されたり流出したりしたのかと思うと-そういえば今回調べたあの寺院や神社のお地蔵様は破壊されていたな、とかを思い出すにしても-物凄い規模の喪失だったのだなぁと残念に思います。これら祈りの思いを込めた神仏の配置の破壊が-空海さんの足跡が残っているのですが-もし、日本の精神世界の荒廃となにか関係があるとするのならば、本当は再現の上、さらに時代に合わせて統合変容しなければならないのかもしれません。