地上に描かれる星々
東洋西洋他を問わず、結界のような「配置」による祈りがあります。神の意を反映するために天体現象とリンクされたものも多数あります。
2016年大ヒットした映画「君の名は。」では彗星による流れ星がみられますが、ネット上では先日から記事を書いている星田妙見宮・獅子窟寺の弘法大師空海降星伝説と関連があるのではないかという記述も散見されます(他にも降星伝説はあるのでこことは限らないと思いますが、七夕伝説の地なので恋愛映画と関連づけられ易いのかもしれません)。Twitter上でも以前話題になったお話ですがまとめてみました。
地上に降った天の川-七夕伝説と空海降星伝説
星田妙見宮へ初めて行った際に下記説明を読んだ際、目が点になった記憶があります。
「わが国の隕石落下記録上、二番目に古いとされる弘仁七年(八一六年)の星の降臨によって、この山の大部分が吹き飛ばされ、馬蹄形になっています。(略)※最古の記録は、七六四年 続日本紀(日本天文史料下巻神田茂編)」 星田妙見宮の降星伝説説明書き
こちらは割と新しく加えられた説明書きだと思うのですが、ペルセウス流星群に伴う現象であれば7月23日の降星とは合致しているようにも思えます。
「当山に伝わる弘仁七年(八一六年)七月二三日の七曜星降臨縁起の隕石落下地点が、この滝壺であったようだ。北斗七星と同じ方向からやって来るペルセウス座流星群、その母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石であったという。「私の再発見したスイフト・タットル彗星のかけらの鉄の部分が、星田妙見宮に落ちた可能性は非常に高いですねぇ。」彗星探検家 木内鶴彦氏『宇宙の記憶』より」 登龍の滝(星田妙見宮)説明書き
こちらのページでは2026年8月5日地球に再接近するスイフト・タットル彗星を再発見された木内鶴彦氏による説明を読むことができます。
2度あることは3度あるなら、 饒速日命が天の磐船で降臨した地に弘法大師空海が星を降らせたので次もあるかもしれません(^0^;)????)。NHKでも放映していましたが(コズミック フロント☆NEXT「地球への脅威 天体衝突」2016年2月4日)、2093年12月14日地球の近くを通過する予定のふたご座流星群本体3200 Phaethonなど人類は飛来して来る天体の脅威を回避できるようになるのでしょうか。
交野が原・天の川と七夕伝説-地上に降りた夏の大三角形
河内国・星田妙見宮の降星伝説と神社仏閣の配置について、神社に伝わる816年7月23日の空を ステラナビゲーターで描画して検証してみました。
こちらが816年7月23日の北天です。
「夏の大三角 その2 ~アルタイルとデネブ~ 浅田英夫2014/7/23」より
星信仰については、星田に「八丁三所(はっちょうみところ)」と言われている言葉がある。それは平安時代初期、嵯峨天皇の時代、弘法大師が私市の観音寺に立ち寄られ、ここで虚空蔵菩薩求門持(こくぞうぼさつくもんじ)の法を修められた。するとその法力によって、その夜、山手に仏眼仏母の光明が輝いた。そこで夜明けになってから山に登り、獅子窟寺山の吉祥院にある獅子の岩屋に入って仏眼尊の秘法を唱えられた。すると不思議にも大空から七曜の星が降り、それが三つに分かれて地上に落ちた。その星の降った所を探してみると、星田の高岡山の南にある星の森、光林寺の境内の森、もう一つは妙見山の頂にある三つの巨石である。以来、これらの石を「影向石(ようごうせき)」として祭ることになったと言われている。―妙見山影向石略縁起による。― ふるさと交野の地名 星田(ほしだ)
この816年7月23日の天頂の星を七夕の行事のように水鏡に映したと見立てて(丁度裏返った形で)交野が原の地図の上に置き、星田妙見宮の降星伝説の機物神社-牽牛石-獅子窟と重ね合わせると、概ね実際の夏の大三角形と天の川の方角に重なります。
獅子窟寺の獅子窟でを捧げた昔々の人達は七夕物語を地上にうつしたのかもしれません。
天の川と豪族・息長氏と新羅と百済
交野が原の山々を越えた西側に拡がる天王は、豪族・息長氏に関する史跡が多い地域です。息長氏の本拠地米原市にも伊吹山から流れる天野川があります。息長氏は古事記・日本書紀の神話の中では新羅系の王子・天日矛との関連がありますが、交野が原はその新羅と唐に滅ぼされた百済国の史跡が多く、外国での二つの国の王族が出会う地域でもあったようです。
この近江国坂田郡を根拠地とした古代豪族が息長(オキナガ)氏である。天野川流域には、5世紀末~6世紀後半の息長古墳群がある。(略)息長氏の先祖は開化天皇の皇子「日子坐(ヒコイマス)王」とされる。息長氏には、新羅から渡来したという天日槍(アメノヒボコ)伝承が結び付けられる。天日槍から数えて4代目・多遅摩比多訶(タジマヒタカ)の娘が息長宿禰王(オキナガスクネオウ)と結婚し生まれたのが息長帯比売(オキナガタラシヒメ)。神功皇后である。 近江史を歩く 41.湖北の古代豪族息長氏(米原市)
古代史やアジアの歴史にとても暗く見当違いかもしれませんが、実在が確認できる一番昔の天皇と言われている継体天皇も福井・滋賀県方面の豪族の地から来た方ですから、今に続く皇室の祖先は滋賀県福井県方向からの血縁も重要なのかもしれません。
機物神社・糸吉神社は渡来人由来の神社だといわれています。悲劇の伝説のある源氏の滝の麓にある糸吉神社は今ブラタモリで流行中(?)の崖状の地形のへりにあり、町を広く見渡せる場所にありました。ただ、崩壊が進んできているようで神社は少し荒れています。
たとえば,交野市倉治の古墳群や津田・藤阪の古墳群などは渡来人の交野忌寸が住んだ土地で,彼らは大陸の織物文化をこの地に伝えた。 民間伝承の地域的特性に関する歴史地理学的研究-交野ヶ原における天体伝承を事例に 中村好恵(佐々木高弘ゼミ)
冬至の復活の祈りか-太田茶臼山古墳-交野山観音岩の日の出ライン
交野山 観音岩からの大阪夜景 Night View from Mt.Kono Osaka Japan
冬至の日の出について興味深いラインがあります。宮内庁が継体天皇陵とされていますが歴史学者からは否定的見解を受けている太田茶臼山古墳から見た冬至の日の日の出は交野山の頂にある信仰の巨大岩「観音岩」の上にありますが、そのライン上に百済王神社、禁野車塚古墳、村野神社、機物神社、糸吉神社、源氏の滝が並びます。冬至を境に日の光は長くなりますから、クリスマスの様に太陽信仰の復活の祈りであったのかもしれません。渡来系の神社が多く並ぶことからも、もしかすると唐と新羅に滅ぼされた百済国の復活の祈りであったのかもしれません。
交野が原の地上の北斗七星?
1000年以上前の神社と遺跡の配列でその妙見信仰の北辰(北極星)と北斗七星信仰を地上で描けないかを試みると、北斗七星と北辰(北極星)の位置関係的な配置が見えてくるのは興味深いと思いました。昔々の人達の呪詛返し(??)なのかもしれません。
下記はステラナビゲーターの西暦816年7月23日の大阪府交野市の夜空です。(ステラナビゲーターはとても楽しいソフトです)
主に千年以上前の神社・史跡で交野が原に北斗七星を描いてみました。1つは継体天皇が即位した樟葉宮ではないかと言われている交野天神社を剣先星とする北斗七星。その北斗七星が示す北極星(北辰)は、新羅国と関係がある豪族・息長氏の重要な神社、京都市八坂神社とも関係が深い元祇園・朱智神社の近くの三国の国境を指しています(河内国・山城国・大和国)。
もう1つはその朱智神社も含めた北斗七星で、この北斗七星が指し示す北極星の位置は本物の継体天皇陵ではないかと言われている今城塚古墳ですが、天神社は元々別の場所(交野天神社の可能性あり)から移設されたそうで何かの意図-今城塚古墳を指し示す意図?-があったのかもしれません。
朱智神社が立つ地域は「天王」という地名で、その東の普賢寺地域は筒城宮(多々羅都谷)の継体天皇の時代に栄えた息長氏の勢力範囲、朱智神社の祭神は迦邇米雷王(開化天皇曽孫・神功皇后祖父)、古事記では新羅国王子アメノヒコボシの子孫と迦邇米雷の息子・息長宿禰王の間に神功皇后は誕生しています。東の北斗七星は新羅-神功皇后-継体天皇系とも言えます。
西の北斗七星は、継体天皇が即位した樟葉宮のある交野天神社。その祭神は百済王家10代末裔の方が母の桓武天皇の父、光仁天皇。桓武天皇が天神を拝んだといわれる杉本神社または日置天神社、百済王家ゆかりの百済王神社、こちらは百済系+継体天皇の北斗七星と言えます。
曳かれていないだんじり 枚方市 日置天神社(その1) 中横、新屋敷
そしてこの交野ケ原を荘園としていた石清水八幡宮の新宮山八幡宮(旧星田村)の冬至の日の出は東大寺大仏殿ですが、その建立は唐の貢献が大。交野ケ原は唐+新羅、百済、日本が共生する地でした。東大寺の開眼をされた菩提僊那はインドの僧でした。
平成の鑑真像が誕生 奈良、唐招提寺で開眼法要
東大寺・菩提僊那大遠忌法要(唄・散華)
第15回枚方・百済フェスティバルに協力しました 2015年5月13日 四天王寺ワッソ
北辰(北極星)信仰の地の北斗七星が指す北極星が豪族・息長氏の朱智天王という符号と、継体天皇という符号は、男系の継承ができず
手白香皇女の「女系の血」が天皇家の血筋を伝えた時代の王統、外交(百済と新羅+唐)についての対話の名残りなのでしょうか。
キトラ古墳の天文図とあうかしら?とも思ったのですが、中国の星座と現代の星の対応がよくわからずやめました。
交野ケ原の地上の北斗七星と地上の夏の大三角形の整合性
上記、交野ケ原西の北斗七星と夏の大三角形で整合性があるかどうかを見るために夏の大三角形から北極星を探してみましたが、概ね夜空の通りになり整合性がありました。