Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

映画「風立ちぬ」 宮崎駿監督、最後(?)の作品を観て

2013年09月09日 03時16分59秒 | 映画

※まだアニメーション映画「風立ちぬ」を観賞されていない方へ。ネタバレ的内容が含まれています。 海辺の墓地 ポール・ヴァレリー

あの時代がまたやって来る

プロパガンダ インターネット上の様々な評価を事前に見てしまい、変な感覚で映画を見ました。ネット上の評論家はあまり面白くないと述べられていたものですから、どうしようか迷っていました。映画は観る方の心を映す鏡で正解・不正解はありませんが、鑑賞前に先入観を持つのは危険だとしみじみ思った名作でした。堀越二郎とカプリー二男爵の夢が重なった様に、私と、私の知る設計士の生き方と、ひどい暑気あたりに悩み出した頃から時々滞在している軽井沢の風景が重なって、更に父母、祖母の戦中戦後のお話が周りを巡るような感覚がして、私の心の風景に強く刻まれた映画となりました。この感想文もまた私だけの心象風景です。


当時の世界最高峰の戦闘機・零戦を設計した天才の宿命とその道を照らしだす女性との、生と死の運命を超えた、生き生きと生きた愛の物語。少年時代の飛行機の夢にさえ弾薬と破壊の兆候が暗示される、宿命の天才。カプリー二男爵と2人の夢が合体したという世界の中での会話でも飛行機は殺戮をもたらす武器でもあると明言されます。やがて進学しエリート設計士として就職。満州事変美しい飛行機への憧れ、戦争の足音と殺戮兵器としての飛行機の呪われた側面。才気を持つものとしての挑戦と苦悩、矛盾の道を照らすミューズ的アニマを描き出すために、宮崎駿氏によって堀越二郎と堀辰雄の人生が重なり合わされていきます。そこにはずっと病床にふせていたという宮崎氏の実母、前妻を結核で亡くした父-零戦の部材を製造していた-の姿もあったのかもしれません。戦争と反戦、武器に関わった父と自分自身のおぼろげな罪の意識との僅かな和解のようなものも。

昭和金融恐慌、1927年

軍需産業の発展と共に歩んできた(科学)技術は功罪矛盾しています。関東大震災とその後の戦費の膨張と経済の低迷、日中戦争、太平洋戦争-共にその罪に関わるしかなかった運命の中で、共に闘い去っていった人達への追悼もあったのかもしれません。それは2011年以降の技師達の苦悩の姿の様でもあります。

世界恐慌

在日外国人と日本の上流階級が集う魔の山・軽井沢にて、ゾルゲがモデルと言われているカストルプから日本の暗い先行きとドイツの航空工学者ユンカース博士がナチスを批判したため追われたことを聴く(後に拘束下死去)。それがきっかけか自身も特高警察にマークを受け、上司から「会社にとって役に立つ内はお前を守る」と告げられます。(これが本当のマークであるのか、航空機工学の天才を囲う口実であるのかは解りません。 )

二・二六事件 1940年東京オリンピック

日銀の大量国債買取即時売却というトリックで支えていた戦時財政が、二二六事件・ 高橋蔵相暗殺 を契機に破綻を迎えようとした時代。(今は黒田総裁下、異次元緩和で国債を購入している時代。)

1927年昭和金融恐慌、1930年昭和恐慌。(1991バブル崩壊、1997金融危機、2008リーマンショック、2010欧州金融危機・・・)

1936年にIOCで決定した1940年東京オリンピックが幻と消えた時代。(photo:サイト http://www.geocities.jp/miyazakis2/ さんより参照)

逃げる術もない時代。負けるかもしれないと口にすることすらできなかった時代。

大政翼賛会

盧溝橋事件


松岡洋右 ジュネーブ決別の際のメッセージ

碓氷峠(トリップアドバイザー提供)

軽井沢ショー記念礼拝堂(トリップアドバイザー提供)

軽井沢聖パウロカトリック教会(トリップアドバイザー提供)

この春信州で偶然に立ち寄った学徒動員の碑の前でその出会いに衝撃を受けながらご冥福をお祈りしました。美しい松本市街とアルプスの風景を眺めているのは私か、まだ子供であった兵士なのか解らなくなる様な気持ちでその時代の過酷さに胸を痛めました。「他の人にはわからない」映画の主題歌、ユーミンの「飛行機雲」。飛行機雲のように上空を遙かに流れていく人影と飛行機の機体の飛行機雲。私が出会ったあの碑には故国の思いと覚悟が刻まれていましたが、彼らの時代。私達には彼ら一人一人の気持ちを知るよしもありません。この主人公の矛盾と対峙する心持ちも。今の価値観から見て彼らにこうあって欲しいと思う姿と今の時代での考えから戦中を生きた彼らの気持ちを推量したり批判するのはあまりにも不遜であると思いました。この主人公と妻が重病でありながら共に過ごした気持ちも私達の理解をある意味超えているのかもしれません。今の感覚からすれば入院し、闘病につきそう姿が理想かもしれませんが、戦争のさなかに軍需産業に関わった日本人設計士にその道はなく、命が短いと知った妻と感染を恐れず口づけを重ね最後の時間を過ごす主人公は死を覚悟し最後まで共に居たのだと思いました。当時はまだ死の病であった結核患者の最期はとても辛いもので、ずっと夫に褒めてもらっていた美しい姿のまま夫の記憶に残っていたかった菜穂子の心について、彼女が富士見へたった直後の部屋の中で黒川婦人が独り言を述べています。


風 クリスティーナ・ロセッティ作詞 西条八十訳詩

Who Has Seen the Wind? By Christina Rossetti Who has seen the wind? Neither I nor you: But when the leaves hang trembling, The wind is passing through. Who has seen the wind? Neither you nor I: But when the trees bow down their heads, The wind is passing by. 「まだ風は吹いているか」と二郎に告げるカプリー二と同じく、菜穂子も夢の中とつながっていた存在だったのかもしれません。初めての汽車で出会う少女の菜穂子「Le vent se lève, (風立ちぬ)」、二郎は答えます「il faut tenter de vivre(いざ生きめやも)」。その直後に日本の運命を大きく変える関東大震災が発生し、火災を遠く眺めながら菜穂子の乳母を背負い神社へと逃げます。後に菜穂子の乳母は大学生の二郎を訪ねシャツや計算定規を返しにくるのですが二人は出会わず、後年失意の内に軽井沢で成人した菜穂子と出会い、シャツを返却に行ったその2日後に結婚し子供もいると告げられます。乳母は菜穂子の分身のような存在で、小説「菜穂子」がたどった母の様な愛と情熱をさけた結婚を選んだ菜穂子を暗示している様にも思えます。二人が出会った泉のモデルとなったと思われる泉にこの夏偶然立ち寄りました。幸福の谷の南、テニスコート通りの奥にある小さな泉でした。(「風立ちぬ」で描かれる軽井沢は堀辰雄が晩年を過ごした追分のからっとした開けた風景、または北軽井沢側の浅間牧場あたりの風景がモデルなのかもしれません。)

万平ホテルホテルの食堂で二郎を探す菜穂子のシーンにとても強く感情移入しました。 万平ホテルのレストランがモデルかもしれません。それからは二郎よりも菜穂子が主人公であるかのようにクロスしていきます。このシーンには、とても強く引き込まれていきました。

(photo:トリップアドバイザー提供)

軽井沢高原教会出会ってすぐに風を運んできた少女、菜穂子の上昇気流を受けていざ生きる主人公。時代の矛盾と生死を超えて生きた2人の人生は、今の時代のように計画済みの人生をそれぞれ冷たい孤独の中で生きる私達よりもとても色彩豊かな幸福な時間であったように思えます。最後は死の谷ではなくその地名の通り石畳の「幸福の谷」を歩いたのではないでしょうか。それゆえにファウストのラストのように菜穂子は主人公を許し、彼らが煉獄と呼んだ何も無い草原の救いの無い中で技術という功罪の矛盾へ主人公を誘ったカプリー二と共にたたずむ二郎の魂を救い、ファウストのラストのように昇天するのではなく生きてと述べたのかもしれません。

(写真:トリップアドバイザー提供)

白糸の滝(トリップアドバイザー提供)

"Komm! Hebe dich zu höhern Sphären! Wenn er dich ahnet, folgt er nach."(MATER GLORIOSA )

"Alles Vergängliche Ist nur ein Gleichnis    Das Unzulängliche, Hier wird's Ereignis Das Unbeschreibliche, Hier ist's getan    Das Ewig-Weibliche Zieht uns hinan."

Mahler symphony no.8


And then I knew t'was wind