platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

江利チエミファンとしての小林秀雄

2006-05-24 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 自分の要領を得ない文に辟易して、今日は安易に文筆家の力をお借りします。小林秀雄が江利チエミさんのファンだったということで、新聞社の人に「何故ファンなのか書けと」依頼されて書いた「江利チエミの聲(こえ)」という短い文章をみつけました。読んでいると自分が「何故青山航士のファンなのか」もよく分るような気がするのでご紹介します。(原文の旧い漢字は現代表記にしてあります)
 
 新聞社の依頼に「それは無理な話で、ファンはファンであってたくさんだと思ふのだが」といいつつ、「一番感心しているのは、言葉の発音の正確」で、その正確な発音で正確な旋律が流れ出すのが、聞いていて気持ちがいい、とのこと。確かにチエミさんの発音は、決してキンキンした感じはしないのに、声がしゃきっと立ち上がっているような印象です。なるほど。
 そして歌を絵にたとえて「節回しは色で、歌詞はデッサン」のようなものとして、「デッサンの拙さを色でごまかしている画家が多いやうに、歌詞の発音の曖昧を、節回しでごまかす歌手が実に多い。[略]余り正確に言葉を発音すると、歌の魅力を損なふと信じ込んでいるのではないかとさへ思はれる」

 これ、節回し=振付、歌詞の発音=技術って置き換えると、そのままダンス界にもあてはまるような・・・。そして青山さんのダンスが「見ていて気持ちがいい」理由ってこれだ、という気がします。例えばコンテンポラリー、と呼ばれているもののなかには、踊り手の思い入れだけで「新しい」振付として見せ、それをマスコミが面白がって取上げる、というようなことがままあります。
 青山さんが「おちばであそぼ」や「どうぶつケチャ」で回転の軸を倒す動きを見せるときは、そのあとに嘘の様に静かなポーズや大きな跳躍(しかも後方に)が綺麗に続きますが、「なんちゃってコンテンポラリー」だと、軸を外した動きのあと止まり切れず、どうかするとステップと称してよろけてたりするのです(本人としてはそういう「振付」なのでしょうが)。
 バレエ団、特定のカンパニーなどに属していない青山さんのファンは、皆さん言われるように今まで舞台やダンスに接する機会がなかったかもしれません。でも、それまで特にダンスに興味のなかった人「だからこそ」、マスコミに毒されたり広告に惑わされることもなく、青山さんの発音=技術の明瞭さを「気持ちよく」うけとめるんだな、と改めて思います。小林秀雄も特にジャズファンだったとか舞台好きだったというのではないようで、「無精者だから聞きに出向いた事はないが、テレビでは、よく聞くし、レコードも持っている」のだそうです。江利チエミさん、きっとこの文章を読んで喜ばれたでしょうね。
 
 「語るやうに歌へといふ教へは古くからあるさうだが名人でなければ、なかなか出来ないものらしい。」
 語るように踊れ・・・やっぱり青山さんのダンスを思い出します~。小林秀雄、かなりの江利チエミファンだったに違いありません。