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『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

1952年・雨に唄えば・テネシーワルツ・そして・・・

2006-05-30 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 『雨に唄えば』が発表された1952年、日本では14才の小さな女の子が「テネシー・ワルツ」でデビューしました。
 この年には、サンフランシスコ平和条約によりGHQの日本支配が終わり、「豊か」とは言えなくても、蔵前国技館が新装開館し華やかな相撲のぼりが復活したり、競馬のためにアメリカからサラブレッドが輸入されたりと、人々の暮らしに娯楽が戻ってきたようです。手塚治虫の「鉄腕アトム」の連載も開始されています。
 終戦の1945年生まれの子どもが小学校に入学したわけですが、前年比マイナス27万人の154万人、当時としては「激減」ということで報じられています。でもこれ、今の110万人強よりも多いのですよね・・・。現代日本の「少子化」を実感したりもしました。
 その一方で、戦没者遺族が政府の援助に不満を示し、官邸前で座り込みをしたり、また、フィリピン戦争未亡人連盟が、日本から戦争孤児に対し贈られた玩具の受け取りを拒否するなど、生々しい戦争の傷跡の見える時期でもあったようです。
 
 時々引っ張り出させていただいている淀川長治さんは、終戦して3日め、自宅付近でアメリカ兵のトラックが停まり、兵士達が話しているのを聞いて「胸ドキドキ」したそうです。「・・・もうアメリカ映画そのまま。戦争でアメリカ映画を見られなかった私。アメリカ映画に飢えきっていた私。」
 戦前に見たアメリカ映画を、密かな夢のように抱いていた人は他にもきっとたくさんいたことでしょう。「敵国だった」という事実とは切り離された次元で、生き生きとしたアメリカ文化への憧れは、戦後、日本中に広がっていったといいます。江利チエミというまだあどけなさの残る女の子が、少し不似合いなくらいに艶やかな声で歌う「テネシー・ワルツ」には、戦争の傷跡を癒し、未来を信じさせるような生命力があったのかもしれません。
 
 昨日亡くなられた岡田真澄さんは、この年有楽町に開場した日劇ミュージックホールが初舞台だったそうです。出演予定だった『グランドホテル』を降板され、回復につとめておられるとのことでしたが・・・。どこか空しかったり危機感のある現代の豊かさとは異質な、往時の華やかさをたたえた方がまた一人、人生の幕をおろされました。でもいつかまた幕の向こうに、お姿を見る事があるかもしれませんね。島田歌穂さんの歌声に、江利チエミさんの姿を見たように。