PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

Heavenly/Shangri-La

2022-10-29 16:32:15 | 音楽

Heavenly

 

シャングリラ(Shangri-La)とは

 

シャングリラ英語Shangri-La)は、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトン1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称。ここから転じて、一般的に理想郷と同義としても扱われている。(wikipedeiaをコピー📃ペースト🥜🙏)

 

概要[編集]

小説の設定ではチベットの未知の地域にある。ヒマラヤ山脈の西の果てを崑崙山脈のほうへ向かった辺りに、カラカル(Karakal)という名の8,500メートル以上の高峰があり、そのふもとの霧の漂う調和に満ちた谷間に、シャングリラという僧院が建っている。シャングリラに住む人々は普通の人々よりはるかに長生きし、老いる速さは非常に遅い。元は18世紀初頭にペローという名の宣教師が建てた僧院であったが、そこにチベット仏教僧侶らが集まり、図書館やセントラルヒーティングなど最新式の設備が整えられ世界中の知識も蒐集する研究の地となった。

この小説により「シャングリラ」という言葉は有名になり、1930年代後半以後、ヒマラヤ奥地のミステリアスな永遠の楽園、外界から隔絶された地上の楽園というような語と同義になった。東洋の桃源郷とならんで理想郷の代名詞となり、東洋(オリエント)へのエキゾチシズムを駆り立てる語になった。また神秘主義の総本山と認知され、地球の中心にある理想郷のひとつアガルタの首都に通じるとも言われる。

チベットの古い聖典には、「Nghe-Beyul Khimpalung」という名で、シャングリラのような聖地が7つ登場する。そのうちの一つは、ネパール奥地のマカルーの麓の Makalu-Barun 国立公園の近くのどこかにあるとされる[1]

シャングリ=ラの語源[編集]

「Shangri-La」(シャングリ=ラ)という言葉の語源はおそらく、標準チベット語の「ཞང་」(Shang, シャン、ツァン地方の一地域でタシルンポ寺の北)[2]、「རི」(ri, リー、「山」の意)、「ལ」(ラ、「山の峠」)に由来し、「シャンの山の峠」を意味する。また著者はシャンバラをモデルにしたといわれる[3]


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半年間の生き方のあらはれ…😵‍💫

2022-03-02 18:44:00 | 闘病

明日は、T尾先生記念日🐯👠🗓と、東洋医学科🌊に行ってきます🐈

 
前の記念日から、半年間、血液検査💉🩸の数値を良くするため節制がんばろうと思ってたのにも関わらず、不摂生しかしてないので、、💦(決心した事を全う出来なくて、基本的に毎日目先の楽しみや喜びに目が眩んでる自分自身にあきれはてる。。。)それなりの答えがでるはず…
 
それも、半年の生き方のあらはれ😵‍💫として、受け入れてまいります(先生たちにはご面倒をおかけしております🙇‍♀️)
 
今更、リングフィットアドヴェンチャーもう一度始めた。 あと2キロ落として(体重、重いから膝痛いし💦)、腹周りを運動で何とかしたいです💪

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血液検査の数値と東洋医学への未知

2021-09-16 10:43:01 | 闘病

おととい、だんなさんと大げんか、昨日病院で疲れたよう。。。(:3_ヽ)_(でも、だんなさん、送り迎えしてくだすった🚙 ありがとう。。。

 

疲れて、夜ごはん食べないで寝たから飢えてた😅❓(自分のことよくわからないー。。。)(なんとか、洗濯物畳んで、シャワー浴びて、寝た そっち優先した。。。)

 

マンモグラフィー、エコーはALL OKだったけど

 

血液検査のコレステロール値と肝臓の数値が悪かったので(それなのに、パルプンテ〈or メダパニ❓〉起こしたのか、帰り道のドライブスルーで月見バーガー食べちゃったよ。。。 母に、血液値のこと伝えた時、そのこと話したらしょうがねーなーꉂꉂ(ˊᗜˋ*)って笑ってたけど😅 生活習慣の問題は1日やそこらでなんとかならないから、ちゃんと作戦練らないと。。。 指針を持つために、先生に数値の内容プリントアウトしていただいてきました。。。📄)、食事やアルコールの摂生します

 

T尾先生🐅に新しい未知(東洋医学への道)を開いていただいた🙏(神経内科 東洋医学科に紹介していただいた🧘‍♀️🙏)ので、新天地への期待とドキドキ。。。 はじまりの前のみじろぎ🕊

 

薬は漢方の黄連解毒湯を処方していただいてきました🙏(温度調節がまだうまくいかなくて頭に血が上りやすいので。。。) 女神散に続くポーション


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Deee-Lite - Runaway (Official Video)

2019-09-07 08:35:24 | 音楽

Deee-Lite - Runaway (Official Video)

 

キアーちゃーーーーん(吾にとって永遠ファッションアイコン そして、女神🗽

 

☕︎師匠は、ブルース・リー㊙️の東洋🍥 東への未知…⛵️)ですね😅

 

ディミトリー氏は、野性味MIXヒョウ柄…🐆 (髪型がお相撲さんのようだネ👀だとおもってた19歳の〈🍊モヒカンの〉私。。。🙏 とても失礼。。。👈コドモだったので許して〜


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幕末メガネメガネ🔍👓

2019-05-25 22:17:29 | 四国旅行
ホテルに帰ってきて、幕末の志士などの人物模様(リョーマとか、武市半平太とか、吉田東洋とか、岡田以蔵とか…)をあれこれを調べ始めたらキリ無くて(メガネメガネが止まらなくて🔍👓)、ほんと自分、オタク気質。。。

幕末、ちなまぐさすぎるー🙀



今日の宿屋の入り口に立つ龍馬

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COBRA 【Oi Oi Oi】

2019-01-31 14:45:45 | 音楽

COBRA 【Oi Oi Oi】

 

東洋の怒れるタンポポさーーーん🌼🎸


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Mickey Rooney_MR Yunioshi

2018-08-14 22:16:14 | 音楽

Mickey Rooney_MR Yunioshi

 

でもこの曲、ユニオシ氏のテーマ、大好き。。。「ティファニーで朝食を」のサントラ持ってたし、よく聴いてた)(てけてけてっててってって〜〜🎵🇨🇳🐼といういかにも中国っぽい、80年代あたりによく中国の人が現れる時に使われてたジングルも思い出す。。。 「あと◯◯あるよ〜〜!!」という喋り方も。。。)

 

ヘンリー・マンシーニによる楽曲

 

ちょっと、わんわん物語シャム猫の歌The Siamese Cat Song)も彷彿(シャム猫だけに、中国とかタイイメージ?? 映画「王様と私」のことも思い出す…

 

(ようするに、西洋の人からすると、東洋文化ってなんとなく境界がもやもやした憧憬と偏見の入り混じった勘違い解釈とファンタジー含みの“東の海の海域の文化はこんなイメージ”といった感じの大雑把な解釈だったのだと思います。。。🌐🌏☜ぜんぜん批判してなくてフラットな気持ちで言ってます🙏 映像の芸術の世界と、アジアの神秘の関係性…)

 

こういったオリエンタルテイスト、当時流行ってたみたいです

 

ティファニーで朝食を オリジナル・サウンドトラック
ヘンリー・マンシーニ,ヘンリー・マンシーニ,ジョニー・マーサー,ヘンリー・マンシーニ楽団
BMGビクター

 

【50周年記念盤】ティファニーで朝食を
Harkit/ Rambling RECORDS
Harkit/ Rambling RECORDS

 


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林静一 美人画

2018-01-27 16:08:14 | アート











彷彿🌸 小梅ちゃん🍬のジャケ(あと、寺山修司さん少女詩集のジャケ ポケットに名言を💬も)でも有名な、林静一さんの美人画

共通点、東洋の美


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西洋東洋ハイブリッド治療?

2017-01-21 20:06:31 | 事象への想い





メモ📝 新しいがん治療のひとつの方向性

多様化とか、一見対極に見えるor双極を成すように見える媒体の融合って、超絶Wonderful💫だし、(大)興奮する。。。(*゚∀゚*)


どんどん可能性が拡がり、とけあい、混ざり合い、仲良くできますように・・・


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山瀬まみ PEACH TREE FIZZ CM (1990)

2014-10-30 19:22:19 | 心象風景


 

これ、キャンペーンガール(店舗派遣..)として宣伝してた(まさに1990年頃 夏

 

恵比寿の酒屋での仕事の時にお昼休み(3時休憩?)にラフィンノーズ(その頃はコブラ)のナオキさんに駅前のルノワールでクリームソーダおごっていただいた記憶が蘇った。。。

 

わーきゃーナオキさんですかー??みたいなこと、酒屋の前で言ってたので。。。中途半端な田舎から都会に出て来て一人暮らしで超アッパーだった私。。。)

 

(恵比寿の)ここら辺が事務所なんだよねーとか、折角立てた金髪逆毛ヘア(←ダイエースプレーで 人呼んで東洋の怒れるタンポポ...)に鳩の糞落とされて、めちゃくちゃブルーみたいな話をルノワールで聞いてた憶え。。。


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カオサンでタイ古式マッサージ

2014-07-25 17:59:36 | タイ旅行

ワットポーからの移動は(人生初の・・・)トゥクトゥクで(けっこうスピード出します~~~

 

ディカプリオ主演のザ・ビーチの出だしの舞台カオサン通りに来ました~~~

バックパッカーが多く訪れる一角で、昔はかなりアブナい場所だったそう。。。 バリ島のクタと同じくDrug関連で。。。(ザ・ビーチではディカプリオがカオサンでヘビの生き血を飲んでたよね。。。

手には歩くバンコク(と云う本) ガイドブックを持ってると観光客丸出しで恥ずかしいってオシャレなハートを持つ(←どうぶつ占い。。 子鹿キャラ)ダンナさんが言ってましたが。。

 

最近は映画ザ・ビーチの影響もあって&規制がなされて、おしゃれなバーetc.がたくさん立ち並ぶ通りになってるみたいです(でも少し奥に入るとまだ危ないところがあるらしい~~~ まぁ、日本の新宿とかもそうだけど.....)

 

朝からたくさん歩いてすっかり汗だくでもはやスッピン状態の私ですが、この後、ダンナさんの強い希望で、初めてのタイ古式マッサージに行ってまいりました

 

しかし、油断してたところ、かなりハードなマッサージだということが判明。。。(タイ古式マッサージ、“二人ヨガ”と呼ばれているほど、アクロバティックな体勢で施術をされます~~)よくある台詞の奥歯ガタガタいわしたるってもしかしてこのこと??ってぐらい、漫画みたいに奥歯がガタガタ言ってた私です

 

でも、リンパの流れが良くなったのではないかという実感。。。(リフレッシュ) 施術が終わった後、熱いお茶をいただきました(それも東洋医学的に意味がありそう.....

 


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Once Upon a Time - Mulan fails to declare her love to Aurora - 3x03

2014-06-18 15:11:48 | 映画

Once Upon a Time - Mulan fails to declare her love to Aurora - 3x03

 

ハングオーバー2で、スチュの結婚相手のタイ美人を演じてた女優さんはジェイミー・チャンってお名前の韓国系アメリカ人の方だったみたい(超魅力的でした 意志の強そうな切れ長の目と笑う時の口元が好き~~

 

おとぎ話のキャラクターたちが魔女の呪いによりおとぎの国での記憶を無くして現代のアメリカに住んでいるという設定のテレビドラマ、ワンス・アポン・ア・タイムでは、ムーラン役を演じたみたい

 

私も、ディズニープリンセスのキャラを演じるとしたら、(今年になってラプンツェルとかも観る以前はベルアリエルが良かったけど。。。)今は積極的にムーランがいいな。。。(顔〈←東洋系〉からいっても順等。。。 とそんな妄想を映画を観ながら頻繁にしてる私。。。 ここでも・・・

 

ワンス・アポン・ア・タイム シーズン1 コレクターズ BOX Part1 [DVD]
クリエーター情報なし
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

 

ワンス・アポン・ア・タイム シーズン1 コレクターズ BOX Part2 [DVD]
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草枕 一章 夏目漱石

2012-05-10 03:56:58 | 心象風景

青空文庫から・・・ ルビの部分はあとで(次の日)直します

 

 

山路を登りながら、こう考えた。
 

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
 

住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
 

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖れば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

 

余の考えがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸おりた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何なんの事もなかった。

 

立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目めが確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋うずめている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
 

土をならすだけならさほど手間も入いるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩きよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿くって、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉わたると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。
 

たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入いって、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
 

巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下ろすと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。

 

春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想い、籠るとぞ知れ」
 

なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲しみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 

しばらくは路が平らで、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
 

詩人に憂いはつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。
 

しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。

 

恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
 

これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 

それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。
 

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。

 

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 

二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛うかべてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几を担かついで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。
 

もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折の頬冠や、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。

 

ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞いをするからである。

 

しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や幽篁とは性の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支えない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気げなしに見られる。言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識する事が出来る。
 

ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたれ懸かかっていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出だして、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾とくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃こまやかでほとんど霧を欺あざむくくらいだから、隔へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 

路は存外広くなって、かつ平らだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。

 

「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
 糠のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入いる。羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度で生暖かく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。
 

茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽つくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入いらぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。


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英国の淑女教育とルイス・キャロルのコミュニケーション法

2006-06-22 14:59:37 | 事象への想い
「不思議の国のアリス」が生まれたイギリス・ヴィクトリア時代(1837~1901)の女の子の教育というのは、かなり徹底されていたらしく、厳しい淑女教育のひずみから、拒食症(カレン・カーペンターもこの病に苦しみましたね・・・。)などの神経症を起こす少女の例が多数見られたそうです。

「不思議の国のアリス」の作者、ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラドウィッジ・ドジソン)はもともと英国オクスフォード大学の数学教授でしたが(彼の父は厳格な英国教会牧師だったそうです。)「不思議の国のアリス」という物語は、内向的で対人恐怖症気味だったキャロルとって、心を許せる唯一の存在である、“淑女教育が完了していない無垢な少女たち”へのコミュニケーション手段として生まれました。(キャロルは、相当な“大人嫌い”“男の子嫌い”だったそうです。)
大学関係者の娘たちのお守り役を引き受けることが多かったキャロルが、少女たちと川遊び(ボート遊び)に行った先で、少女たちに「なにかお話をして!」とせがまれ、少女たちを楽しませることを至極の喜びとしていた彼が即興で少女たちに聞かせたおはなしが「不思議の国のアリス」の元になりました。 

少女が成長してしまうと(淑女としての雰囲気が頭角を現してくると)キャロルはぱったりとその子に対して興味を失い、成長過程にある無垢な少女をまた大学内で見つけ、コミュニケーションを楽しみ(基本的には少女たちとお話しするだけで彼は満足したみたいです。あとお手紙もよく書いてたみたい。〔↓下に関連の本を貼り付けました。〕キャロルは少女のヌード写真を撮って学内で問題になったことがありましたが、それ以上のことはなかったみたいです。でもヌード写真を撮るだけでもかなり問題ですよね(^_^;)私は持っていたキャロル関連の本の中に載っていた少女ヌードを母に見られてしまい、すごく軽蔑されたことがあります・・・。「あんたこんなに痛々しい姿を見て何とも思わないの?」って・・・。)、死ぬまで大学内で過ごし独身をつらぬいたようです。

ヴィクトリア時代の女性と教育―社会階級とジェンダー

ミネルヴァ書房

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アリスへの不思議な手紙―ルイス・キャロル珠玉のメルヘン

東洋書林

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写真家ルイス・キャロル

青弓社

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こんなのもありました・・・
階級としての動物―ヴィクトリア時代の英国人と動物たち

国文社

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コメント (6)
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