パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

聖書研究ノート 2023年5月9日 (1)

2023-05-09 11:41:10 | 火曜聖書研究会
聖書箇所:ヨハネ12章27節~36節

27節 「心が騒いでいる」のは、23節の「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」の内容を受けている。十字架の死による贖いと復活の時が近づいていたから。だから、心が騒いでも、そのことの成就のために来たことを確認している。

28節 証として、天から父なる神の声が聞こえる。「すでに栄光をあらわした。」というのは、洗礼の時、メシアのしるしとしての奇跡のわざ、変貌の山での出来事と考えられる。「もう一度栄光を現そう。」については、この時の天からの声よりも、イエスの復活と昇天と理解する方がよかろう。

30節 天からの声が、イエスに確信を与えるためのものではなく、周囲にいた人たちが、イエスがメシアであることを悟らせるためのものである。

31節 「この世を支配する者」は、反キリストの勢力や死の使いが考えられる。イエスの復活によって、死の力は打ち破られたので、「今」とイエスが言われたことを考えると、後者の方が可能性が高いと思われる。

32節 26節との関連で読むと良いと思われる。すると、「すべての人」は、イエスに仕え、イエスについて来る人のことになる。その人は、イエスの所にいるべきであり、天の父がその人に報いてくださる。そのことが整うのは、イエスが昇天される時である。

33節 23節で、イエスの死が近いことは示された。この節では具体的に語られていないが、既に繰り返し弟子たちには語られていた。文脈においては、イエスの死よりも、その後の昇天と救いの完成に焦点が有る。

34節 この群衆は、旧約の預言とイエスの言葉に矛盾が有ると感じて質問をしている。「キリストはいつまでも生きておられる」ことは、詩編110:4や、イザヤ9:7 に記されている。イエスが、「人の子は上げられなければならない」と言ったのが、死ななければならないという意味に取られた。彼らの中には、まだ、この世の王としてのメシアという理解から離れられない人たちがいた。「その人の子とはだれですか。」という問いは、別の種類のメシアがいるのかという疑問かもしれない。

35節36節 イエスは、それまでに十分に自分が旧約で預言されたメシアであることを示して来たので、ここでは明確な答えを出さなかった。この時質問した群衆は、イエスを肯定していなかったと考えられる。だから、続く36節を併せて、イエスが直接語り掛けることのできる時間が残っている間に、正しいメシアと救いの知識を与えることのできる光であるイエスの言葉を信じなさいと呼び掛けている。
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