パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

日曜礼拝 2021年5月30日

2021-05-30 20:29:48 | 日曜礼拝
礼拝ビデオ

聖書箇所:エペソ4:11 - 16
説教題:キリストの体を建て、成長する
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日曜礼拝 2021年5月23日

2021-05-25 12:56:17 | 日曜礼拝
礼拝ビデオ

聖書箇所:申命記18:14 - 22
説教題:モーセのような一人の預言者
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日曜礼拝 2021年5月16日

2021-05-16 21:50:09 | 日曜礼拝
本日の礼拝ビデオ(説教まで)

聖書箇所:マタイ14:13 - 21
説教題: 五千人の給食の意味
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日曜礼拝 2021年5月9日

2021-05-09 23:18:51 | 日曜礼拝
本日の礼拝ビデオ

聖書箇所:マタイ14:1 - 12
説教題:バプテスマのヨハネの死

導入)
  直前には、イエスの郷里であるナザレの人々がイエスにつまずいた記事が有りました。彼らのイエスについての理解が間違っていたからです。彼らは、イエスが神の使者であり、メシアであるとは思えなかったのです。今日の朗読箇所には、もう一人、イエスについて正しい理解ができなかった人物が出て来ます。

本論)
  1節 ヘロデはここで国主と呼ばれています。彼はヘロデ・アンティパスといい、ヘロデ大王の息子の一人でした。大王が無くなった後、その領土は大王の妹と三人の息子が統治するように、四分割されました。ローマ皇帝は彼に王位を授けませんでしたので、国主ということになりますが、便宜上王と呼ぶことも有ります。
  このヘロデの耳には、イエスやバプテスマのヨハネの情報が入ってきました。というのは、彼が統治した場所が、イエスがよく活動したガリラヤ地方と、ヨハネが活動したペレヤ地方だったからです。
  2節 ここで、ヘロデのイエスについての誤解とその理由が示されています。それは、群衆の中にそのようなことを言う人たちがいたからかもしれません。(ルカ9:7参照)ヨハネは獄中からイエスに自分の弟子に伝言を託して、イエスがメシアかどうかたずねさせたことが有り、二人が同時に存在していた時期が有るのですから、この誤解は理屈に合っていません。彼がヨハネを死刑にした良心の呵責のためにそのような理解の混乱が有ったのかもしれません。
  3節-5節 ここに、なぜヘロデがヨハネを投獄したのかの理由が出て来ます。彼はローマを訪れた時に、兄弟ピリポとその妻ヘロデヤに会いました。ヘロデはヘロデヤに一目惚れしてしまい、当時の妻と離婚してヘロデヤを妻に迎え入れました。ヘロデヤも、貴族程度の立場のピリポよりは、国主であるヘロデの妻の方が立場が高いと考える野心が有った様子で、その話にすぐ乗ってしまったようです。
  ヘロデはユダヤ人が多い地域の国主です。この行いは、ユダヤ人の不興を買うことになりました。それは律法に適っていなかったからです。それがヨハネが言った「不法です」ということの意味です。律法では、兄弟の妻と結婚できるのは、その兄弟が亡くなった時だけでした。そういう理由でヨハネもヘロデを諫めたのです。その動詞の時制から、彼が繰り返し継続的にそうしていたことがうかがえます。どうして彼がヘロデにそのようなことを伝える機会が有ったのかは定かではありません。ヘロデは、自分の権威を振りかざせば、バプテスマのヨハネがこの結婚に問題が無いと答え、ユダヤ人たちが納得するだろうということを期待したのではないかとする注解が複数有ります。もしそうであったとしても、彼の試みは失敗だったということになります。
  ヘロデはヨハネの口を封じるために、彼を殺してしまいたかったのですが、人々が彼を神の預言者と信じているので、そんなことをすれば、更にユダヤ人の不興を買うことになるので、実行できませんでした。
  6節-7節 ヘロデは誕生日に宴会を開きました。誕生日を祝うことは、ユダヤ人の間では無いことでした。歴史家のヨセファスは、誕生日を祝うのは異教徒のすることだと述べているそうです。ヘロデはユダヤ人の血筋では有りませんでしたし、周囲の文化に関心が有って、ギリシャ的な習慣を取り入れたのかもしれません。ヘロデヤの娘が踊ったという記述が有ります。当時は、祭礼の時以外に女性が男性の前で踊るのははしたないことだと考えられていました。しかし、ヘロデはそのようなことには頓着せず、それを喜んだということです。それで、彼女の求めるものは何でも与えると誓って約束をしました。マルコによれば、その誓いの言葉は、「国の半分でも与えよう。」という内容だったそうです。彼は王ではなかったので、実際にはそのようなことをする権限は無かったのですが、ペルシャ式の王の誓いの言葉を慣用的に用いたのだろうと思われます。
  8節-11節 明らかにヘロデヤの娘は、母親の意向を尋ねに出て行ったと考えられます。当時の宴会は、男性と女性は別々の部屋で開くものだったからです。ヘロデヤはすかさずヨハネの首を要求するように言いました。娘も即座にその願いを伝えにヘロデのもとに行きました。母親の復讐心を満たそうと考えたのでしょう。もしかしたら、彼女自身も母親の結婚が継続して、自分が王女のような立場で居続けられることを願ってのことであったかもしれません。
  ヘロデは心を痛めました。他の箇所では悲しむと訳される語が用いられています。ヘロデはヨハネを殺したいとは思ったのですが、彼の教えに耳を傾けることを喜んでいたとマルコは記録しています。しかし、大勢の人々の前で立てた誓いを破るのは面目を失うことでした。しかも、9節の誓いという表現は複数形です。繰り返し約束したのですから、破りようがありません。その願いの通りに、バプテスマのヨハネは首をはねられて亡くなりました。
  ヘロデヤもその娘も自分の欲に目が眩んでいたのでしょう。盆に載せられたヨハネの首をためらいもなく受け取りました。娘がヨハネの首をヘロデヤの所に持って行ったのは、斬首を命じた人にそれが確実に執行されたことを示すために首を持って行って見せるという習慣によったのかもしれません。
  12節 ヨハネの弟子たちは、ヨハネの体を引き取りに行きました。埋葬されないことは大変不名誉なことだったので、それは避けたかったことでしょう。また、通常は長男が体を引き取るものだったそうですが、ヨハネにはそのような家族は無かったであろうと思われます。弟子たちは、ヨハネとイエスの関係を知っていましたので、彼の死を報告しに行きました。

まとめ)
  このような残酷な内容の記事から、私たちは何を読み取るのでしょうか。様々な読み取りが可能であろうと思いますが、今回は次の二つを取り上げてみたいと思います。

1)ヘロデは聞く耳の無い者の例である
  ヘロデの耳にはイエスに関する報告が多く届いたと思いますが、彼はイエスをメシアと理解することができませんでした。また、悔い改めることもしませんでした。彼はバプテスマのヨハネに不公正な扱いをしました。ヘロデヤとその娘も、その罪の性質を露わにしました。
  わたしたちは、彼らのように、自分の欲望、地位、富を、正義や他人の命よりも重んじるようなことが有ってはなりません。クリスチャンは、イエスの言う聞く耳の有る者でなければなりません。イエスを救い主として信じ、受け入れ、その教えに従うのです。私たちはイエスにのみ信頼するのです。富や自分の能力にも頼ることなく、私たちの命と生活を神に委ねるのです。

2)バプテスマのヨハネは、様々に意味でイエスの先駆者であった
  ヨハネはユダヤ人に悔い改めを呼び掛けて、洗礼を授けました。また、人々にイエスを「神の子羊」と紹介しました。イエスもまた悔い改めを呼び掛けて、洗礼を授けていました。
  ヘロデは、ヨハネを殺さなければならないことを悲しみましたが、体面を重視して首をはねさせました。ポンテオ・ピラトは、イエスに罪が無いことを知っていましたが、暴動を恐れてイエスを十字架につけるように引き渡しました。二人はどちらも同じように死刑になりましたが、そのことによって使命を果たしました。
  ヨハネは、死ぬときに、決して自分の生涯が無駄ではなかったことを知っていたと考えられます。一度はつまずいて、弟子たちにイエスがメシアかどうか尋ねさせましたが、イエスの答えは彼に十分な確信を与えるものであったはずです。ヨハネは死に直面した時、イエスがメシアである確信の故に、穏やかな心持であったのではないかと思います。私たちがイエス・キリストへの信仰を持つ時、私たちは裁きにあうことがなく、永遠の命に移っているのです。ヨハネも同様の確信を持っていたのではないでしょうか。イエスの教えを信じ従い、また、ヨハネの確信に倣っていきたいものです。
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日曜礼拝 2021年5月2日

2021-05-02 18:24:53 | 日曜礼拝
本日の礼拝ビデオ

聖書箇所:ナホム1:1 - 15
説教題:彼らはみな、断ち滅ぼされた

導入)
  ナホムは紀元前663年から612年頃の間に活動した預言者と考えられます。彼はアッシリアの首都であるニネべの滅亡の預言をしています。この章の最後の文が、「彼らはみな、断ち滅ぼされた。」というものになっています。何故神はニネベの滅亡を宣言されたのかを見ていきましょう。

本論)
本文の構成を追って見てみたいと思います。

1.神のご性質に関する記述(1節―7節)
ー1.神は正義を求められる(2節-3節)
  この箇所の表現を読むと、妬むと復讐するという表現が有って、物騒な感じがしますが、ここで言わんとすることは、神は正義を求める神だということです。妬むというのは、旧約聖書では、偶像礼拝に対する神の反応として用いられる表現です。創造者である神を無視して、人間が作り上げた神々を崇拝するという行為に対するものです。神は誠実な信仰を求められるのです。

ー2.神は怒るのに遅く慈悲深い(3節)
  神はヨナという預言者をニネべに送りました。悔い改めなければ、神がニネべの民と都市を破壊するという警告の預言をしました。ナホムによるニネべ滅亡の預言はそれから200年後のことなのです。

ー3.神は力強く全能である(3節-6節)
  この部分の記述は、出エジプト記の内容を思い出させます。神は雲に中に現れました。ユダヤ人の先祖に紅海やヨルダン川を渡らせました。神は自然を治める力が有ります。地名が出て来ます。バシャンは豊かな牧草、カルメルは穀物とブドウの生産、レバノンは杉の生産で知られていました。神はいつでもその豊かな産物を取り去ることができます。そのような力有る神を、いかに強力な軍隊を誇るアッシリアでも打ち負かすことはできません。

ー4.神を信頼する者に良くしてくださり、守られる(7節)
ナホムという預言者の名前は、慰める者という意味が有ります。この歴史的文脈においては、神がアッシリアからユダ王国を守るという宣言は大変な慰めであったと思われます。

2.ニネべの滅亡とその理由に関する記述
―1.その滅亡 
  8節の記述の通りのことがニネべに起こりました。紀元前612年に、メディアとバビロンの連合軍がニネべを攻めていたました。その時に、洪水が起こり、ニネべの城壁が約200メートルにわたって押し流されました。その破れ目から攻め込まれて、ニネべは陥落してしまいました。10節の記述は、その時にニネべの兵士たちが如何に無力であるかを述べています。いばらは無用無価値であることを表します。酔っ払いは自分の体も制御できなくなっています。そんな有様では戦うことができません。乾いた刈り株は火がつけば瞬く間に燃えてしまいます。

ー2.その理由 
  9節、10節には、ニネべが神に悪だくみをするという表現が出て来ます。アッシリアはユダ王国に圧力をかけていました。神の民を苦しめるということが、神に対する悪だくみと考えることはできると思います。しかし、それ以上に霊的な攻撃の方がさらに悪いものだったと考えられます。それが、ニネべが完全に断ち滅ぼされた理由と言えるかもしれません。2列王記18:28-30にその例の一つが出ています。アッシリアの将軍が、ユダの民に神への信頼を失わせようとしています。また、35節では、真の神を、他国の神々と同等の弱い神格として扱うことによって、神を貶めています。32節では、神に求めるべき生活の安定を、外国の富や豊かさに求めさせようとしています。
  神が正義を求め、また、頼る者に慈悲深いことも、ニネべの滅亡に関係していると考えられます。神を求める者の求めに従って救い出してくださった例が、2列王記19:35-37に出て来ます。アッシリアの軍隊が一晩で打ち滅ぼされました。おそらく疫病が発生したのではないかと考えられています。その時にユダ王国攻撃を指揮していた王は、自分の息子たちに殺されてしまいました。このようにして、ニネべ滅亡の前にも、神はユダを救ってくださっています。ネヘミヤ1:14では、ニネべの滅亡が再度述べられています。二度と繁栄することはなく、偶像は破壊されました。彼らの神は偽物の神でありました。ですから、神の預言通りにニネべの繁栄は終わったのです。

3.神の民の義務に関する記述
  ニネべの滅亡の知らせは伝令によってユダ王国にも伝えられたことでしょう。伝令はマラソンの故事のように、走って知らせを伝えたので、「平和を告げ知らせる者の足」という表現が出て来ます。知らせの届くエルサレムは山地に建てられていましたので、「山々の上にある」という表現がされています。使徒パウロは、福音宣教の描写のためにローマ10:15でこの部分を引用しています。敵からの解放の喜びと感謝から、ユダの人々は彼らの義務を神に果たさなければならないのです。

―1.祭りを祝うこと 
  祭りは複数形です。過ぎ越しの祭り、五旬節の祭り、仮庵の祭りを指します。祭りは神の恵みを記念するためのものです。罪の贖いと神の恵みが、覚えられ、祝われなければならないのです。アッシリアの圧政の元では、これらの祭りがなかなか祝われなかった様子です。それが取り除かれたのですから、きちんと祝いなさいということです。

―2.請願を果たす 
  アッシリアに圧力をかけられている時、神に誓願をする者がいたことでしょう。アッシリアから救い出してくだされば、これこれのことをいたしますという約束をしたのです。今やその願いは叶えられたのだから、約束を果たしなさいということです。

  現代に生きる私たちはそのような請願をしていないと思われるかもしれません。私たちの場合は、洗礼を受ける時に、神の言葉に従って生活し、教会を建て上げる奉仕をすることを受け入れたことが該当すると言えるでしょう。

まとめ)
1章の構成を追う形で確認をしました。それぞれが聖霊に導かれて感じた所に目を留めれば良いと思いますが、一応いつものようにまとめてみます。

1)神は正義であり力強い
特にこの箇所では、神は偶像礼拝をし、神に逆らう者を罰せずにはおかれないということに留意すると良いでしょう。

2)神は信頼して従う者を守られる
新約聖書においては、イエスが山上の垂訓で同様のことを述べています。野の花や鳥を養われる神は、当然人間をも守り養ってくださるのです。

3)神は私たちの礼拝と祭りを求める
アッシリアの圧政から救い出されたことが、祭りを守り、請願をはたす義務の理由です。イエス・キリストによる罪から贖い出されたこと、恵を与えられていることがいつも思い起され、感謝の告白がされるべきなのです。
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