パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

パース日本語キリスト教会概要

2018-11-12 22:16:16 | 日記
*教会概要は常にトップに表示されます。活動報告は、スクロールしてご覧ください。*

パース日本語キリスト教会は、オーストラリア長老教会西オーストラリア中会に所属するHenderson Memorial Presbyterian Churchの日本語部です。日本長老教会と協力関係に有ります。

所在地 101 Kimberley Street West Leederville 6007 WA

集会
日曜礼拝     午後1時より(第五日曜日は合同礼拝のため午前10時半より)
聖書研究会   火曜日午後1時より
プレイグループ 水曜日午前10時より(就学前のお子さんとお母さんのためのグループです。)

関連サイト等
Henderson Memorial Presbyterian Church
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2001年にアメリカ人宣教師Stephen Young師によって開拓されました。
Stephen Young師は2013年に帰国し、テネシー州で日本語礼拝の開拓を始めました。
Stephen Young師の現在の奉仕は、こちらと、こちらからご確認いただけます。

2015年10月森本実牧師が就任しました。

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お知らせ

2018-11-12 22:13:15 | 日記
牧師休暇期間中につき、12月9日まで、日曜礼拝の報告はアップロードされません。
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日曜礼拝 2018年11月4日

2018-11-04 21:35:31 | 日記
聖書箇所:2テモテ3章14節~16節
説教題:み言葉に留まる

1)正真正銘の神のみ言葉に留まる
  テモテは使徒パウロからみ言葉を学びました。使徒は主人の言葉を忠実に伝える伝令とい 
 う意味が有ります。使徒を名乗るからには、その伝える言葉は正確にイエス・キリストのメ
 ッセージを伝える者でなければなりません。
  テモテはユダヤ人の母を持ち、子供の時、おそらく5歳ぐらいの時から旧約聖書を読み始
 め、聖書に通じていたと考えられます。
  そして、その聖書の言葉は、神の霊感によって書かれたものです。だから、信頼してその
 み言葉に留まるのです。

2)救いに導く神のみ言葉に留まる
  新旧約聖書は明らかにイエス・キリストを指し示しています。イエス・キリストご自身が
 復活の後に、エマオの途上で弟子たちに現れた時に、旧約聖書を通してメシア、キリストに
 ついて解き明かしました。
  14節、15節も、み言葉がイエス・キリストが救い主であること、また、その記述を理解す
 ることができることを示しています。また、その救いはイエス・キリストへの信仰から来る
 ことが示されています。
  この、救いに導く力の有る神のみ言葉に留まるのです。

3)あなたを十分に整えることができる神のみ言葉に留まる
  16節には、神のみ言葉が教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益であると述べられ、17
 節は、その結果として十分に整えることができるという流れで理解することができるでしょ
 う。教えとは健全な教義、戒めとは説得し証明すること、矯正とは正しい状態に回復するこ
 と、義の訓練とは子供の教育をも含意し、徳や良い性質を高め、神に受け入れられる状態を
 示す言葉です。
  神のみ言葉にはその力が有ります。ですから、あなたを十分に整えることができる神のみ
 言葉に留まるのです。
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日曜礼拝 2018年10月28日

2018-10-28 20:32:23 | 日記
聖書箇所:ルカ15章11節~24節
説教題:覚えておくべき三つの「いかに」

(導入)
 この箇所は「放蕩息子」という題で記憶されていることが多いのですが、父親の物語である
部分もあり、神と人間の関係についての例話になっています。その関係において、覚えておく
べき三つのポイントを確認します。

1)私たちは神から離れた生活がいかに罪深く惨めであるかを覚えておかなければならない
  この例話を聞いた人は、なんと酷い息子がいたものだと思ったことでしょう。生きている
 うちにい財産を分ける父親はいましたが、息子のほうから願い出るものではありませんでし
 た。そんなことは、「お父さん死んでください。」というのに等しいことでした。同様に人
 間も神と断絶し、心の内で神の存在を否定する存在になってしまっていたりします。
  この息子の態度は更に酷いものでした。生前に財産分与をしても、父親の存命中は、その
 管理は父親がするものでした。しかし、この息子はさっさとその財産をまとめて出て行って
 しまいました。それは、神からいただいた命と生活を神抜きで生きようとする人間の姿に重
 なります。
  しかし、彼の生活は惨めなものとなりました。お金が続く間でさえ、彼には満足が無かっ
 たと思われます。一文無になったばかりではなく、飢饉にも見舞われました。それは神から
 の罰だと考えられていました。働いてもろくな賃金も貰えず、汚い動物に囲まれた生活にな
 りました。
  この息子の生活が惨めなものであるように、神から離れた私たちの生き方も実は惨めなも
 のなのです。

2)私たちは神がいかに慈悲深いかを覚えておかなければならない
  天の父は悪い者の上にも良い者の上に同様に太陽の光を照らす慈悲深い方であるとマタイ
 5章にも示されています。この例話では、生きているうちに財産を分けて欲しいという親を
 侮辱するような息子に対して、父親はそれをかなえてやっています。
  息子が帰ってきた時には、憐れみの心を示しています。年配の人が走るのは面目を失う行
 為だと思われていましたが、この父親は走っています。汚くて汗と豚の臭いがする息子を抱
 きしめて何度も口づけしています。
  旧約聖書では、ヤコブがエサウと再会する時に、エサウが走っています。そして、ヤコブ
 エサウに対して、神の顔を見るような思いで彼の顔を見ていると告白しています。この例話
 を聞いたユダヤ人たちには、この場面が連想されたであろうと思われます。

3)私たちは神にとって私たちの悔い改めがいかに喜ばしいかを覚えておかなければならない
  息子が悔い改めて帰ってきて、その気持ちを告白した時、父親がたいそう喜んだことはそ
 の待遇でわかります。
  まず一番良い着物を着せます。それは、ヤコブがヨセフに着せたような長い外套だという
 ことです。指輪と履物は、奴隷ではなく家族であることを表します。そして、全焼の犠牲を
 連想させる子牛が屠られて、食卓の用意がされています。
  神様は私たちの悔い改めをそのように喜んでいてくださるのです。



説教音声ダウンロード (mp3ファイルをダウンロードすることができます。)
ダウンロード画面右上のダウンロードボダンをクリックしてください。

SOUNDCLOUDプレーヤーは3週間程度で削除されます。
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火曜聖書研究会 2018年10月16日

2018-10-26 11:48:57 | 日記
聖書箇所:ヨハネ11章45節~57節

研究ノート
45節) イエスがご自身について証されたことと、ラザロが生き返ったことが大きな証拠とな
   り多くの人がイエスがメシアであることを信じた。
46節) パリサイ人たちに報告をした者たちは、彼らが送り込んだスパイのような人物であっ
   たかもしれない。彼らはイエスを信じるにいたらなかったようである。
47節) すでにイエスを殺すことは決めていたが、それ以上の具体策がなかなか立てられなか
   ったのかもしれない。彼はイエスがしるしを行っていることは認めていた。そうすると、
   彼らの中では、イエスは申命記13章に警告されている偽預言者という認識であったかも
   しれない。
48節) イエスをメシアと認めて全国民がついて行けば、イエスは王になり、ローマからの独
   立を導くことになると考えられた。そうなれば、ローマ軍が送られて、自治は取り上げ
   られ、神殿も破壊される恐れが有った。
49節) 「その年の大祭司」という表現から、その職が聖書的に運営されていなかったことが
   わかる。大祭司はいわば終身制であった。だから、旧約の逃れの町の規定でも、逃れて
   町に入った者は大祭司が死ぬまでそこに留まらなければならないという規定が有った。
   大祭司の職は、この当時は金や権力で手に入れる部分が有った。カヤパの発言は、自分
   の立場を守るためでもあったかもしれない。イエスを殺すことを明確に後押し、世俗的
   な判断しかしていない。
51節) 次の52節と併せて記者ヨハネによる解説である。カヤパが語ったことは、神の働きに
   よる部分が有ることを示している。大祭司は年に一度至聖所に入る務めが有り、その時
   には神の言葉を取り次ぐことも有りえたから、その意味においては適任であった。
    「散らされている神の子たち」という部分は狭義に取れば、各地に分散しているユダ
   ヤ人で、広義に取れば、異邦人クリスチャンということになる。
53節) それまでもイエスを殺すことに決めていたから、これまでにもまして、綿密に殺害計
   画を立てるようになったということだろう。
54節) エフライムは田舎で、もしかするとやや山間に有る町であったと思われる。人目を避
   けていた。そこでは、弟子たちを教えることに専念されたかもしれない。
55節) 田舎からエルサレムに上った人たちがイエスの噂をしているのは、自分の町にはイエ
   スが直接来たことがないからであったかもしれない。
57節) イエスの居場所を知っている者は届け出なければならないという命令が公布されてい
   たので、イエスの噂をしていた人々の中には、賞金目当ての者もいたかもしれない。

ごく簡単なまとめ
・キリストのメシアとしての証は確かである。
・どんな証も受け入れない頑なな心の有様に注意しなければならない。
・イエスの死は神の摂理によることであり、単純に政治的事件ではない。

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