パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2017年8月29日

2017-08-29 21:19:49 | 日記
聖書箇所:ヨハネによる福音書3章16節~36節
研究ノート

・16節~21節はイエスのニコデモに対する説明の一部と考える立場も有る。
・1章6節~13節の内容に合致する。
・世を愛されたというのは、人類を愛することを表すものである。
・イエスとバプテスマのヨハネが同時に悔い改めのバプテスマを授けていた時期がある。
 ヨハネのバプテスマが神から来たものであることを認証することになる。
・ヨハネの弟子たちが論議した相手は単数で表されている。説明の流れから、イエスの弟
 子の誰かと論議したということかもしれない。すると、きよめについての論議は、バプ
 テスマについての論議であったかもしれない。
・ヨハネの弟子たちは、ヨハネのイエスについての証しを受け入れていたはずだが、ここ
 では、人々がイエスの方に行ってしまうことに残念な気持ちを持っていたことを示す。
・花婿と友人のたとえで、ヨハネは主役はイエスであって、自分ではないことを示し、同
 時にイエスの在り方を喜んでいると告白している。
・上から来る方、地から出る者は、イエスとヨハネに対応するかもしれない。イエスが天
 から来られてヨハネよりも優れた存在であることは明らかである。
・イエスのあかしは、神の救いの計画のあかしであり、それを受け入れる者は神が約束を
 全うする存在であることを受け入れ、確認したことになる。
・36節は18節の再確認と言える。

ごく簡単なまとめ
・神はその御子をお遣わしになるほどに人類を愛されている。
・バプテスマのヨハネのわざは神から来たものである。
・御子イエスは天から来て父なる神の御心をあらわした。
・信じる者は永遠の命を持つが、イエスに聞き従わない者には神の怒りがとどまる。
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日曜礼拝 2017年8月27日

2017-08-27 20:46:48 | 日記
ワーシップソング
主の名を賛美せよ
イエス、麗しい御名
主イエスの聖名は

聖書箇所:マタイ5章33節~48節
説教題:続 塩気のない塩

前回は、パリサイ人たちの塩気のない塩のような実践についての警告を、イエスは十戒
からの二項目を取り上げて弟子たちに与えた。今回はその他の律法の戒めから三つの例
を上げて警告を続ける。

誓いについて(33節~37節)
パリサイ人たちの実践:神の名によって誓った場合は必ず果たさなければならないが、
神以外のものを指して誓った場合は、守らなくてもかまわない。
問題点1:この世に有るものは全て神のものであり、神の権威の下に有る。神の名によ
って誓っていなくても同じく有効な誓いと考えられるべきである。
問題点2:そのような誓いは最初から破れることを考えてのことであるから嘘と同じで
ある。また、そういう誓いは、自分の体面を保つためになされ、神に信頼した行動では
ないから、一種の偶像礼拝であり、罪である。

「目には目を、歯には歯を」について(38節~42節)
パリサイ人達の実践:この戒めの精神は、過度な復讐を避け、平和に解決を目指すこと
に有ったが、この戒めをたてに法的に報復することをに走っていた。
「悪い者」とは、悩ませる者、性格の悪いものという意味。
「右の頬を打つ」とは、侮辱行為で、右手の甲で相手の頬を打つことであった。

イエスの弟子としては、そのような取り組みではなく、寛容で平和を求めることをしな
けれなければならない。

「隣人を愛し、敵を憎め」について(43節~48節)
パリサイ人たちの実践:レビ19:18の戒めが、同胞を愛するようにというものであるこ
とを再解釈して、異邦人、罪人を敵として憎めと教えていた。46節、47節に取税人や
異邦人が出て来るのはその関連と考えられる。

48節は、天の父が完全であるように完全であれと弟子たちに求めている。これは文脈
から理解する必要がある。「だから」という接続詞に導かれている。天の父が分け隔
てなく悪い人にも正しい人にも太陽の恵みという愛を注いでいるように、弟子たちも
分け隔てなく人々を愛するようにということになる。

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火曜聖書研究会 2017年8月22日

2017-08-22 16:17:18 | 日記
聖書箇所:ヨハネによる福音書3章1節~15節
研究ノート

・ニコデモがユダヤ人の指導者であるということは、ユダヤ人議会の構成員であることを
 示すものと思われる。ユダヤ人指導者達の間で、イエスについての判断の手順を守るこ
 とを提起したり、イエスの埋葬の手伝いをしたことが福音書には記されている。この様
 な立場の人物がイエスの教えを真摯に求め、また従っていたことを示すことが、良い証
 となるという判断をしたのであろう。
・夜訪ねて来たのは、人目を避けることや、懇ろにイエスと語ることを願ってであろう。
・彼が「私たち」と言っているので、アリマタヤのヨセフの様に、他にもイエスをメシア
 認めるパリサイ人達が存在した様子がうかがえる。
・バプテスマのヨハネの証しや、イエスの行ったしるしが、イエスが神から来たことを充
 文に証していたことが判る。
・3節のイエスの答えは唐突に思えるが、ニコデモの心の中に有る質問が神の国について
 であるということが、イエスにはわかっていたと考えられる。
・ユダヤ人は「新しく生まれる」という表現を、異邦人が改宗する時に用いたらしい。
・ニコデモは、イエスが異邦人の改宗について述べたのではないことは理解したので、母
 の胎に戻ることはできないことを指して、その真意を尋ねようとする。
・諸説有るが、水と御霊は、悔い改め、信仰告白を伴うバプテスマと、その時に働いて聖
 霊と考えるのが妥当に思われる。
・ヘブル語でもギリシャ語でも風と霊は同じ語が用いられるのは興味深い。
・風の存在はその影響によってわかるものであって、直接目で確認することはできない。
 同様に、聖霊の働きもその影響が見えるけれども、直接目で確認することはできない。
・ニコデモは指導者であったので、イエスは彼の理解度に期待を示したようである。神の
 霊の働きは旧約聖書にも言及されているからである。詩篇51:10、エゼキエル11:19を
 参照
・11節の主語が「わたしたち」となっているのは、イエスと弟子たちを示すからである。
・知っていることとは、旧約聖書のメシア預言等、見たこととは、イエスの奇跡等を示す
 と思われる。それを、12節では「地上のこと」ととらえることができる。
・「天上のこと」とは、神の領域に属することであり、聖霊の働き等を示す。
・「天に上った者」と言えば、旧約聖書にはエノクとエリヤが見出されるが、ここでは、
 天に属する知識を持ち、それを人にもたらす者という意味でとらえることができる。そ
 して、それが「人の子」であると述べることによって、イエスが天から下った神の御子
 であることを証言している。
・モーセが荒野で蛇を上げた記述については、民数記21章4節~9節を参照。
・「上げられる」というのは、木に掛けられることを指すのは民数記の記述から明白であ
 り、当時の社会情勢では、ローマの司法による十字架刑としか理解できない。
・神の命によってモーセが上げた青銅の蛇は、解毒の奇跡をもって人を蛇の毒から救った
 が、十字架のイエスを信仰を持って見上げる者は、罪の毒から解放され、永遠の命を持
 つことになる。

ごく簡単なまとめ
・ニコデモの様に、旧約聖書の記述としるしを通してイエスを信じる信仰の姿勢に倣う。
・神の霊がその主権を持って私達に働いてくださった恵みを思い感謝する。
・イエスの公生涯の初期から復活(2章)と十字架は語られていた。


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日曜礼拝 2017年8月20日

2017-08-20 21:35:12 | 日記
ワーシップソング
主の名を賛美せよ
イエス、麗しい御名
主イエスの聖名は

聖書箇所:マタイ5章17節~33節
説教題:塩気のない塩

律法について(17節―20節)
イエスの公生涯の初期からパリサイ人や律法学者との対立が有ったことがうかがえる。
イエスはメシア預言の成就であり、贖いの祭儀律法の完成者であるから、律法を廃止し
たのではなく、ことごとく成就させた方である。

律法を守らないように教える者への言及は、パリサイ人が解釈を施して重い、軽いとの
区別を教え、その結果律法の精神を守れていないことに対する警告と考えられる。

塩気のない塩の有様(21-37節)
律法に関するパリサイ人や律法学者の実践に対しての警告となっている。律法を代表す
る十戒から、先ず二つの項目を取り上げている。


殺してはならない
行動において人は殺さなかったが、心の中は憎しみ、軽蔑、断罪が満ちていた。それは
神が似姿に創造された他の人間をないがしろにし、亡き者にする思いであった。
1ヨハネ3:15は、そういう者は人殺しであると明言している。イエスの例話は、審判と
罰が伴うことを示している。

塩気のある有様は、弟子道の一つである「平和を作り出す者」となることである。それ
が和解も含む。

コドランとはローマの貨幣の最小単位だった。我々の罪の代価はイエスが払われた。


姦淫してはならない
実際に婚外の性的交渉を持たなかったが、心の中はふしだらな思いに満ちていた。情欲
を持って女を見るというのは、具体的な性的交渉を空想することである。更に、離婚に
ついて述べている。律法学者たちは、気に入らないことが有れば離婚状を書けば離婚で
きるとしていた。妻の立場も考慮に入れず、気に入った女性を見つけては離婚状を書く
ようなことをしていた。手続き上姦淫でないが、その実態は姦淫と変わらなかった。

塩気のある有様は、弟子道に則って神の前に謙遜になり、平和を作り出し、情け深くあ
ることである。

目をくりぬくこと、手を切り取ることをすれば人をつまづかせなくなることはない。
問題は心の状態である。我々の敬虔を目指す努力には聖化の力は無い。


塩気のない塩は何の役にも立たない。そのような人々は望が一切無いのだろうか。悔い
改めよというイエスの招きに応えて弟子道を歩む者は塩気を得ることができる。

1)塩気は悔い改め、考えを変えることによって得ることができる
2)塩気は律法の成就であるイエスの義によって得ることができる
3)塩気は心を守り、見張ることによって維持される。

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日曜礼拝 2017年8月13日

2017-08-13 21:02:47 | 日記
ワーシップソング
イエス様触れてください
ただ一つの願い
感謝の心

聖書箇所:マタイ5章1節~16節
説教題:弟子道

この時点では12弟子は選ばれておらず、マタイの召命も9章まで待つことになるが、既に
弟子たちがいた。イエスは彼らに弟子の在り方を教える。4章17節の「悔い改めよ。」と
いうイエスの呼びかけてに応じた弟子たちに、その実際を教えている。ルカによる福音
書では同様な教えが12弟子に語られている。繰り返し教えられたことがうかがえる。
この新しい生き方は、決して人間の方法と共存できないことが地の塩の例話で警告され
ている。

1)イエスの弟子たちはキリストに在る義のみを追い求める。
2)イエスの弟子たちは天の御国を追い求める。
3)イエスの弟子たちは神の栄光を表す生活を追い求める。

詳細は音声でご確認ください。

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