礼拝ビデオ
(コード:6AsX9+.8、説教は13:33-41:17)
聖書箇所:創世記1:29, 2:15 - 17)
説教題:エデンにいるかのように生きる
導入)
エデンは時間的にも場所的にも遥か彼方であるような印象が有ると思います。しかし、クリスチャンは、今でもアダムがそこで従っていた原則によって生きている部分が有ります。今回は、その中から、次の三つを取り上げてみたいと思います。
本論)
1)神に与えられた役割を果たし、神によって養われる
聖書朗読で確認した通り、神はアダムに役割を与えました。それに従っているならば、神はアダムの食物を生じさせてくださったのです。彼には食物の心配は有りませんでした。イエスも山上の垂訓で、衣食について心配しないようにと教えています。そして、神の国と神の義をまず求めるならば、そういう必要は満たされると言われたのです。
私たちの役割、為すべきことは何でしょうか。1)イエスを信じる(ヨハネ6:29、39-40) 2)イエスの教えを守る(ヨハネ15:17)3)教会を建て上げることが挙げられます。教会を建てる命令は大宣教命令(マタイ28:18 - 20)に含まれています。その実践は使徒行伝2:41 - 42で確認できます。彼らの集まりが教会として認識されていたことは、5:11からわかります。私たちがそのような取り組みをしている時、神様の養いを受けるのです。
2)神の守りと備えを信じて眠る
堕落する前のアダムとエバの睡眠は、健全で完全なものだったことでしょう。詩編127:2を見てください。これは、神がその愛する者たちのために、眠っている間にも彼らを守り備えてくださるので、自分の食物を得ることを心配して、睡眠を削って労苦する必要は無いという内容です。備えてくださるのは食物ばかりではなく、環境も整えてくださいます。ダビデの告白(詩編4:8)やソロモンの告白(箴言3:24 - 26)を参照してください。
この原則に従うために、早寝をしなければならないというわけではありません。しかし、最低でも、私たちは神がクリスチャンのために寝ている間にも備えてくださることを期待し、感謝して就寝するべきでしょう。クリスチャンには、眠ることもイエスの名によって為される必要が有ります。
3)いのちの木の実を選ぶ
エデンに有ったいのちの木と善悪の知識の木のを今日見ることは有りません。しかし、今でも私たちは、いつも、どちらの木の原則に従うかを選ばなければならないのです。いのちの木は、イエスによる義の象徴です。それは、永遠の命を与えることができます。善悪の知識の木は、人間の判断に基づく義の象徴です。それは、私たちに罪と破滅をもたらします。クリスチャンが人や行いを賞賛したり断罪する時、気を付けなければなりません。立ち止まって、その判断がどちらの木に属するかを考える必要が有ります。
まとめ)
これらの認識を持って日々を生きる時、私たちはエデンにいるかのように生きる歩みをしているのです。
(コード:6AsX9+.8、説教は13:33-41:17)
聖書箇所:創世記1:29, 2:15 - 17)
説教題:エデンにいるかのように生きる
導入)
エデンは時間的にも場所的にも遥か彼方であるような印象が有ると思います。しかし、クリスチャンは、今でもアダムがそこで従っていた原則によって生きている部分が有ります。今回は、その中から、次の三つを取り上げてみたいと思います。
本論)
1)神に与えられた役割を果たし、神によって養われる
聖書朗読で確認した通り、神はアダムに役割を与えました。それに従っているならば、神はアダムの食物を生じさせてくださったのです。彼には食物の心配は有りませんでした。イエスも山上の垂訓で、衣食について心配しないようにと教えています。そして、神の国と神の義をまず求めるならば、そういう必要は満たされると言われたのです。
私たちの役割、為すべきことは何でしょうか。1)イエスを信じる(ヨハネ6:29、39-40) 2)イエスの教えを守る(ヨハネ15:17)3)教会を建て上げることが挙げられます。教会を建てる命令は大宣教命令(マタイ28:18 - 20)に含まれています。その実践は使徒行伝2:41 - 42で確認できます。彼らの集まりが教会として認識されていたことは、5:11からわかります。私たちがそのような取り組みをしている時、神様の養いを受けるのです。
2)神の守りと備えを信じて眠る
堕落する前のアダムとエバの睡眠は、健全で完全なものだったことでしょう。詩編127:2を見てください。これは、神がその愛する者たちのために、眠っている間にも彼らを守り備えてくださるので、自分の食物を得ることを心配して、睡眠を削って労苦する必要は無いという内容です。備えてくださるのは食物ばかりではなく、環境も整えてくださいます。ダビデの告白(詩編4:8)やソロモンの告白(箴言3:24 - 26)を参照してください。
この原則に従うために、早寝をしなければならないというわけではありません。しかし、最低でも、私たちは神がクリスチャンのために寝ている間にも備えてくださることを期待し、感謝して就寝するべきでしょう。クリスチャンには、眠ることもイエスの名によって為される必要が有ります。
3)いのちの木の実を選ぶ
エデンに有ったいのちの木と善悪の知識の木のを今日見ることは有りません。しかし、今でも私たちは、いつも、どちらの木の原則に従うかを選ばなければならないのです。いのちの木は、イエスによる義の象徴です。それは、永遠の命を与えることができます。善悪の知識の木は、人間の判断に基づく義の象徴です。それは、私たちに罪と破滅をもたらします。クリスチャンが人や行いを賞賛したり断罪する時、気を付けなければなりません。立ち止まって、その判断がどちらの木に属するかを考える必要が有ります。
まとめ)
これらの認識を持って日々を生きる時、私たちはエデンにいるかのように生きる歩みをしているのです。