『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

2023-04-25 23:57:02 | 気付き

能・『芭蕉』の解説を昨日聞いてから、ずっと江平の笛のことを考えていた。

草木ですら成仏するのを欲しているのだから、増してや楽器となると・・

思えば今更ながら「江平の笛」には気の毒なことをしてきたと思う。

元々、フルート以外の笛にさしたる関心もなかったところに、関根秀樹先生から何故か贈られて、その後、やはり関根先生が、この笛が活躍する場を沢山用意してくださり、あれよあれよと巻き込まれて、という経緯だったこともある。

もちろん、この竹笛で多くの方が喜んでくださるのは嬉しかったし、珍しさもあって、数年は吹いたけれど、やはり、よりロットの響きの追求が面白くなってくると、竹笛まで吹く時間と意欲はどんどんとなくなって行った。

15,6年間、ずっとしまいこまれたまま、一度も息を通してもらえなかった笛。

もし江平の笛の精が現れたら、そりゃあ、もう芭蕉の精どころか、大変な恨みつらみと悲しみを切々と述べたことだろう。

昨年11月6日に岩城先生から、私の江平の笛の演奏を聴いたのがきっかけで、85歳からギターを始めたとうかがい、また江平の笛を聴きたいとリクエストいただき、慌てて、翌日江平の笛を取り出した。

幸い割れなどもなく、ちゃんと音も出た。
フルートの進展に伴って、竹笛もきっと以前より上達しているに違いない、という見込みがあっけなく外れ、酷いものだった。

まあ、以前は今よりも力みも多くがっちり固めて吹いてたしな、と気を取り直して取り組んできたけれど、やはり鳴りが悪く、ずっと違和感が。
なんだか違う、なんだか妙だ・・・という思いのまま5ヶ月が過ぎたけれど、その結果震えまででてきてしまい、これはもうフォーカルジストニア一歩手前、というかもうなってるかも?というくらいのブラックホールに。

そして、本日、改めて江平の笛に謝りながら絹の細い飾り紐の房で中を掃除し、指孔、謡口などもそっと祓ってやったりした。

そしてその時気付いたのは・・・

通常フルートの頭部間のてっぺんはキャップがついて塞がれている。

篠笛や能管、龍笛も、みなそれは同様に塞がれている。

でも、江平の笛の頭にはキャップがない。
節の上一寸程のところで切られた状態そのままだった。

そんなことすら、今頃認識したのか、というお粗末さ・・

そして、その頭の空間にも、絹の柔らかな房をそっと入れてはらったところ、本当にごく僅かではあったのだけれど、ホコリが・・・

もちろん、この埃のせいだけではないのだろうけれど、この後の江平の笛の音はようやく納得のいくものに。

本当に可哀そうなことをしたものです。

それにしても、15年近くもしまわれっぱなしだったのに、この埃以外は、なんともなっていない竹笛。

これは関根秀樹先生の技術の高さの証明でもある。

あとは、先週あたりからだけれど、構え方を大きく変えた。

以前吹いていた時は慣れ親しんだフルートの持ち方のままで竹笛を持っていて、それで別に不都合なことはなかったのだけれど、今回、あまりにヘタになってしまっていたので、篠笛の構え方を真似てみた。幸いなことに、沢山の参考例が動画にあがっている。

改めて感嘆したのは、手の形、指の向きや長さをそのままに使おうとしている日本の文化と発想。

フルートはまずキーシステムありきで、左手の親指も使わねばならず、そのため、色々と無理をさせている。そして、「全ての指を同じように丸めて」という発想。

これはバッハタッチなど、鍵盤楽器における手指の構えにも通じる。
短い親指と小指に揃えるために他の3本の指を丸めて使うというもの。
これはこれで、もちろん一種「手の内」となり、上手く使えれば身体と末端を繋げる役割もある。

それが篠笛の右手は「全て同じに丸めて」ではなくて人差し指と小指は指腹だけれど、中指、薬指は第一関節と第二関節の間。これは、自然に体側に降ろした時の手指の形状に近く力みのないものとなる。

更に左手の親指はキィを押さえる必要もないので、後ろ側に回す事もなく、斜め下から笛を支えるように伸ばし、人差し指、中指、薬指は軽く曲げられて指腹で。
この左手の形状も、指の長さに沿った無理させることのない、自然な形状だ。

フルートの時に使っていた手の内によるテンションは竹笛には強すぎたということもようやく気付いた次第。

野球のボールを投げるのとピンポン玉を投げるのでは、違うよね、という話。

大分、竹笛の軽さに対応できるように。

江平の笛の右手は人差し指と中指しかないので、小指ではなく、のばした薬指を支える指にすることに。左手はもともと小指はない。

とりあえず、今回はこれでやってみようと思う。


能そして現代音楽

2023-04-25 00:38:41 | 音楽・フルート

久々の千駄ヶ谷の国立能楽堂。とはいっても、本日は大講義室。

5月5日の本公演に先立ち開催された能楽師・加藤眞悟氏による特別事前講座にうかがいました。
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4月23日(日)午後2時~4時
国立能楽堂大講義室  
ゲスト:甲野善紀(古武術実践研究家)
参加費1,000円(当日、5月5日の本公演チケット購入者は500円)
 ①『芭蕉』のあらすじと見どころ
 ②『芭蕉』の能面と能装束
 ③舞は表現の頂点「序の舞」舞と無
 ④「舞の身体表現」対談&実技:甲野善紀&加藤眞悟
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加藤氏は哲学科で学ばれたとのことで、氏独自の深い洞察による世阿弥の能の解釈など、とても面白く、すぐに話に引き込まれました。

能は魂を鎮めるもの、と知識としては知っていたものの、縄文時代から続いてきた神道、そして中国から伝わった仏教の中で培われてきた『草木国土悉皆成仏』、そして都のそこらかしこで目の前で人が死ぬのが当たり前だった武家社会の時代における『祟り』や『六道輪廻』の話から解かれる解説に、より理解と共感を深めることができました。

特に世阿弥とその世阿弥の思想を受け継ぐ金春禅竹の作品は、鎮魂とはいっても、生きている人間が亡くなったもの達の魂をどうのこうのして、というのではなく、負けた側にも、その理があり、能の中でその精神性がツーツーツーっと上がっていき、悩みが晴れていく、という解説。

深く心に響くお話でした。

今回、予習として世阿弥の『風姿花伝』を読んでいったのですが、もう一度、改めて読み返さなくては・・と思いました。

面の取り扱い方、鏡の間、装束などの解説も興味深く拝聴。
そして5月5日の本公演で演じられる『芭蕉』の解説。
人ではなく、芭蕉の葉の精なのだから、まさに『草木国土悉皆成仏』。
本公演がさらに楽しみになりました。


そして後半は甲野先生との対談。

甲野先生は日本の武家政治が数百年続いたこと、禅、浄土真宗等のお話をされ、そして、剣道の話に。
そこから身体の使い方。「正しい基本」と言われていることの真偽を鵜呑みにするべきではない、というお話を。

また剣道を嗜んでいらしたという加藤氏と実際に竹刀を使っての立ち合いも。
最新の技に加藤氏も驚かれていました。

丹田をギュルギュルギュルっと感じることができる大和座りや、腕先を使っての方向転換のやり方、などに客席から感嘆の声が上がりました。

会場には音楽家講座に参加された皆様も多く、ご挨拶。

加藤氏と甲野先生にご挨拶して、退席。

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その後は上野文化会館会議室に。

ずっと本番と重なったりして参加出来なかった演奏表現学会の会合に久々に参加。

この日は、名ピアニスト・作曲家の野平一郎氏を迎えてのフランス現代音楽のレクチャー。

野平氏は、この文化会館の音楽監督であり、この春からは東京音楽大学の学長となられた。そのような、とてもお忙しい中の登壇。

メシアン、デュティユー、ブーレーズ、そして実際にパリで野平氏と交流のあった様々な現代の作曲家達とその作品の紹介。

トータル・セリエズム、スペクトル楽派、さらにはサチュラシオン(飽和)楽派・・

頭の中は???だらけとなったけれど、これらのフランス現代音楽の根本にある思想は、それまでの「人間中心の否定」だという。

そして、それに代わって、構造主義、フッサール、フーコー、レヴィナス、デリダ等の「哲学」がその基盤になっているとのこと。

ミュライユによるオーケストレーションのコンピュータソフトの作成、そしてコンピュータ支援作曲の話も、面白かった。

さらにこうした動きはとてつもない速さで今も加速しているのだろうな・・・


まさにサチュラシオンな一日でしたが、心地よい疲れ、というか全く疲れを感じないくらいの充実度でした。

14世紀の世阿弥の日本から一気に現代のフランスへ。
700年の時と場所の隔たり、そして全く異なる世界と思想。

正直、現代音楽は苦手。なんとかメシアン、ギリ、デュティユーでまでかなあ・・・

でも、それは、自分が常に音楽に対峙する時「人間=自分の感情中心」だったことに気付かされた。

聴き方、演奏する時の「構え」からして違っていたのだから、好きになれるはずはない。

池田清彦氏、そしてお弟子の西條剛央氏の唱えるところの『構造構成主義』的な構えになれれば、自身の苦手も変わっていけるのかもしれない。

ウクライナのシルベストロフが前衛から機能和声に回帰したように、本来の音楽はこちら側ではないか、という思いは依然としてあるけれど。

現代音楽は一体誰が必要としているのだろう?くらいに思っていたのだけれど。

これを機に、少しずつ聴いてみようかな・・


芭蕉の葉の精霊が現れるくらいなのだから、AIの精霊だって居るかもしれません。

『草木国土AI悉皆成仏』?


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写真は文化会館2階の精養軒で一息ついて。
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