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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【鑑】第434回 ほくでんファミリーコンサート

2007年10月15日 21時33分45秒 | 鑑賞記録
第434回 ほくでんファミリーコンサート
2007.10.12(金)18:30開演, 室蘭市文化センター, 入場無料(整理券)
管弦楽 札幌交響楽団, 指揮 尾高忠明

W.A.モーツァルト(1756~1791)
■交響曲第25番 ト短調Kv.183
■交響曲第35番 ニ長調"ハフナー" Kv.385
■交響曲第36番 ハ長調"リンツ" Kv.425
アンコール1 ディベルティメント第2番 Kv.137 より 第2楽章
アンコール2 ディベルティメント第1番 Kv.136 より 第3楽章

・勤務時間が終わると同時にバタバタと会場へ向かう。車に乗り込み、さぁ行くか! というときに「整理券忘れた!」ことに気づく。危ない危ない。改めて出発してしばらくしてから、着替えようと思っていた上着が作業着のままであったことに気づきました。これがもしKitaraなら作業着で行くのはちょっと勇気が要りますが、田舎な室蘭ならまだなんとか。。。
・会場に着くと、入口で大学オケの後輩が一人でタバコをふかしている。聞いてみると「整理券が無いので、開演間際に空きがあれば入れてもらおうか」とのこと。そこへ見知らぬ女性が通りかかり、余っているという整理券をくれました。ついでに私が持っていた整理券の余りもそこでハケました。
・開演30分ほど前には着きましたが、会場に入ると既に7割方座席は埋まっており、良い席はとれず空いていた壁際の席へ。
・ステージセッティング:自分がいつも使っている会場で、プロのオケがどういう配置にするのかは興味のあるところです。山台は二段。木管一列目は台には乗らず、二列目が一段目、金管とティンパニが二段目。反響板は通常よりも下げてあり、1mほど空いた側面の隙間には、暗幕と、苦し紛れのついたてが[写真]。う~ん、見栄えはやはりよろしくない。ステージの奥行きがあまりないことによる弊害。実際、音が出てみると、隙間による影響はそれほど無いように感じられました。また、指揮台には鉄製の手すりが。当会場では、こんなの初めて見ました。会場で新たに用意したのか、札響さんの持参品なのか。
・プログラムはオール・モーツァルトの交響曲が3曲(!)。そして指揮は外から呼んだ指揮者ではなく音楽監督の尾高氏なので、まるで "定期" のような "ファミリーコンサート" とはとても思えない内容です。一体なんなのか!? また、オケは小さ目の編成で来るのかと思ったら、1stVn 6pult~の編成でした。
・25番:奏者がステージに出てきてみると、照明の当たり具合に濃淡があり、照明のセッティングは一体どうしちゃったのか、などとボーっと考えていると第一音が始まってしまいました。いいところを見逃した。1楽章は有名ですが、2楽章以降を聴くのはおそらく初めてです。3楽章が終わり、ほとんど休み無く4楽章へいざ突入! というときに某パートが楽譜を落とすアクシデントあり。仕切り直して4楽章へ。考えてみると、オケのパート譜(売り譜)はホチキスなどでとめるでもなく、バラバラになっていることがほとんどですが、何か意味があるのでしょうか。会場の特性らしくチェロは相変わらずよく聴こえませんが、コントラバスがとてもよく鳴っていました。
・35番:モーツァルトの交響曲の30番台は、どれがどんな曲だったか曲名だけではさっぱり区別がつきません。音を聴いて始めて「あぁ、これか」という具合です。この曲は過去弾いたことがあり、2楽章が特に印象に残っていたのて注目して聴きました。Vnのトリルがキレイです。所々、付点のリズムが複付点のリズムになっていたりと、ちょっと記憶と違うように思う個所もありましたが、楽譜が違うのか、単なる気のせいか。1stVnが素っ裸になる8分音譜の刻み。以前、千歳で弾いたときの鳥肌のたつような響きの記憶が甦ります。3楽章あたりから眠くなり、4楽章では朦朧とした意識でコントラバスの凄まじい左手の動きを目で追っていました。「うぁぁ~大変そう~~」 コントラバスにとっては地獄のようなプログラム?
・36番:これも過去どこかで弾いた曲かと思いきや、全然記憶にない曲でした。モーツァルトのいわゆる六大交響曲で弾いたことが無いのは、これだけらしい。途中から沈没 zzz…
・K136:キレイでした。なぜかこの曲だけ他とは違うオケの "ノリ" の良さを感じました。
・尾高氏の指揮については総じて、奇をてらうことのない、その曲に対して私が持つイメージ通りの演奏という印象。音響的にはどうもヌケが悪く、スカッとしない感じ。会場の問題。
・どうせなら "プラハ" を聴きたかった。。。
・客数約1200名[目測]:9割の入り。赤ちゃんの声やら、ドアの開閉音やら、鈴の音やら、マナーモードの携帯がブーブーいう音やら、ポケットティッシュをくしゃくしゃいわす音……演奏中なかなかにぎやかでした。将来はノイズキャンセラの技術が演奏会場にも導入されるようになるのでしょうか。
・終演後、ステージ上にいた某氏よりメールが。「ぴかりんさん、すぐ見つかりました」 そ、そんなに目立ってる……?? 作業着は脱いでいたのだけれど。
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あぁ、勘違い ~地球岬

2007年10月14日 22時08分42秒 | 日記2005-10
 皆様こんばんは。電子レンジと電気ストーブを同時使用してしばらくぶりにブレーカーを落としたぴかりんです。

 室蘭の名所である地球岬から見える海の向こうの対岸は内地(青森)だとばかり思ってましたが、実際、内地はほとんど見えないことに今日気がつき愕然としました。
 あぁ、勘違い。

コメント (3)
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【本】市民科学者として生きる

2007年10月13日 18時08分47秒 | 読書記録2007
市民科学者として生きる, 高木仁三郎, 岩波新書(新赤版)631, 1999年
・"高木仁三郎" 自伝。休む間もなくひたすら "核" の問題に命を捧げた男が、病床から過去を振り返る。その内容にズッシリと重みを感じる。著者は本書が出版された約一年後に死去。
・内容を想像しづらい点で、書題がイマイチしっくりこない感じ。
・「ライト・ライブリフッド賞(RLA)については、後からも触れるが、環境、平和、人権の分野では「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれる賞で、日本ではあまり知られていないが、私たちの世界では大変重みのある世界的な賞である。」p.5
・「アメリカの「ニュージアム」(メディアの博物館)の行った全米ジャーナリストらの選考によると、「二〇世紀の百大ニュース」の第一位は、やはり「広島・長崎への原爆投下」だという」p.12
・「私はちょうどその1938年に生まれ、1945年には小学校一年で敗戦を経験した。その後原子核化学を専攻し、約40年間「核」と付き合ってきた。その初めの三分の一は、原子力利用を進める体制内の研究者として、残りの三分の二は、大きな研究・開発体制からとび出した、独立の批判者、市民活動家として。」p.13
・「夏休み前までは、日本は神国で天皇は神、英米は鬼畜の類である、と言っていたその同じ教師たちが、あれは軍人が仕組んだ野蛮な戦争で、天皇が神なんてことはありえない、これからは民主主義の社会で米軍(駐留軍)は解放軍だと言う。  七歳の少年には、むずかしいことは何も分からない。しかし、大人たちの言っていることや態度が嘘っぽく、卑屈に見えたのは強く印象に残った。(中略)戦争体験に根ざして次第に私の中に強まっていた考え方の傾向は、国家とか学校とか上から下りてくるようなものは信用するな、大人たちの言うこともいつ変わるかも分らない、安易に信用しないことにしよう、なるべく、自分で考え、自分の行動に責任をもとう、というようなことだった。」p.27
・「この友人関係が互いの知的・精神的成長を促したことは疑いをいれない。皆それぞれに得意分野をもちこみ、とたえば丸山は三木清などの哲学書を、美濃部は多分に兄姉の受け売り的な芸術論やマルクス主義理論を、私は雑多な文学論や恋愛論、さらには数学書なども持ち出すというふうに、大いに背のびをしながら、相手を論破しようと努めた。こういう競り合いの中で、さらに広く独特の交友関係が形成されていったと思う。中学三年生の頃には、この同級の友人関係の知的レベルを向上させることに、私自身は興味をもち意識的になっていたと思う。」p.34
・「兄の指導で今でも感謝していることは、徹底的に自分で考えることを教えてくれたことだ。数学の勉強は、岩切晴二の『解析精義I』から始めろ、というのが兄の指導で、それも一つの問題を解くのに、何時間かけてもよいから考えて、自分で答えに到達しろ、というのだった。」p.47
・「後年、ある人に「あなたの人生は失望と挫折と失敗の積み重ねによって初めて成立しえた」という趣旨のことを言われたのも確かである。」p.57
・「いずれにしても、右の道を選ぶか左の道を選ぶかはさして重要ではなく、その道を歩むかが枢要の問題だろう。」p.63
・「私としては教授たちから「化学とはこういうものだ」と教えこまれる前に、自分なりの化学観をまずもちたかったのである。ここでも子どものとき以来の流儀が保たれていた。  そして、そのやり方は、それなりに化学という学問の価値に――あくまで自分流ではあったが――目覚めさせる効果をもったと思う。」p.65
・「物理学は古い言葉で究理学とも言われるが、多くの物理学者たちの気分には、物理学こそ物事の究極の理を明かす学問だという思いがあるのではないだろうか。」p.69
・「原子力産業は、政治的意図や金融資本の思惑が先行して始められた産業であり、技術的進歩を基盤として自ら成長していった産業とはかなり性格を異にしていた。(中略)結局、この政治性と技術的脆弱性が後に「もんじゅ」の事故をはじめとして広く国民の不信と不安を買う日本の原子力開発の問題点につながったのである。」p.73
・「では、いったいお前は何がやりたいのか。これがその時私がいつも自問していたことで、けっこう厳しい問いであった。これにきちんと答えなければ、科学者としてのアイデンティティーの確立はあり得ない。」p.75
・「その研究にのめりこめばこむ程、他方で自分の身のまわりの放射能の安全には鈍感になっていた。  二、三年もした頃には、研究を手伝ってもらった若い助手の人に、「少しぐらいの放射能を恐れていては一人前になれないぞ」などというようになっていた。」p.80
・「考えてみると、私が興味をもってやった仕事は、放射性物質の放出や汚染に関するものが多く、しかもその結果は、「放射性物質の挙動は複雑で分っていないことが多い。もっともっと基礎の研究を固めなくては」というものだった。しかし、会社で期待されていた放射能の専門家としての役割は、一口に言えば、「放射能は安全に閉じこめられる」とか、「こうすれば放射能はうまく利用できる」ということを、外に向かって保障するというものだった。(中略)それからは、ことあるごとに私は会社で居心地の悪さを経験することになった。」p.85
・「無言が胸の中を唸つてゐる
 行為で語れないならばその胸が張り裂けても黙つてゐろ
 腐った勝利に鼻はまがる (萩原恭次郎)
」p.90
・「それでも、我々のまわりの材質がほとんどすべて、人工の放射性物質で汚染されている問題は、私たちの研究をずい分妨げ、悩ませたので、研究室内で議論にはなった。」p.101
・「要するに、今までまだ誰もやっていない反応とか核種を探し出して、なんとか自分たちの測定器で "史上初" の測定ができないか、とあたりをつけるのである。そうすれば論文が書ける。  これは典型的な研究(者)の論理で、何が重要かよりも、何をやったら論文が書けるか、という方向にどんどん流されていく。研究者はすなわち論文生産者となる。私もいったん、完全にこの研究の論理にはまりこんだ。(中略)多くの場合、この中毒症状によって、研究者は、研究が研究を呼ぶ世界にはまりこみ、何のための科学か、とか、今ほんとうに人々に求められているのは何か、ということへの省察からどんどん離れてしまうのである。」p.102
・「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか  宮澤賢治」p.114
・「まあこれは私の一生を貫いたことで、無智と無思慮ゆえの無謀が、かえって自分に色々な試練や冒険の機会を与えてくれ、自己変革への推進力になっていたといえよう。そう感じているから、今でも私は、「見る前に跳べ」あるいは最低限「歩きながら考える」派で、若い人たちにも事あるごとにそう勧めている。」p.115
・「職業芸術家は一度亡びねばならぬ
 誰人もみな芸術家たる感受をなせ
 個性の優れる方面に於いて各々止むなき表現をなせ
 然もめいめいそのときどきの芸術家である
 (宮澤賢治)」p.123
・「実験科学者でもある私は、私もまた象牙の塔の実験室の中ではなく、自らの社会的生活そのものを実験室とし、放射能の前にオロオロする漁民や、ブルドーザーの前にナミダヲナガす農民の不安を共有する所から出発するしかないだろう。大学を出よう、そう私は心に決めた。」p.124
・「すべての面でそうなのだが、われわれ日本人は、事柄を個人的努力や倫理の問題に還元してしまう傾向が強いが、彼ら(MPIの同僚たち)は常にシステムの問題として考えていく。この点で、大いに教えられた。」p.131
・「しかし根源的な批判は、まず人間の関心のあり方を問題にし、その関心のもとに認識が方向づけられるプロセスを省察する。その省察抜きに、客観性の名のもとに測定データなどを絶対的真理として押しつけるのは、自然科学に典型的なイデオロギーだ。関心のあり方と認識のプロセスに徹底的な批判のメスを入れることによってこそ、社会をよりよいものへと方向づける創造的力が生れてくる、というのが、ハーバーマスからとくに私が学んだことだ。」p.131
・「大学や企業のシステムの引きずる利害性を離れ、市民の中に入りこんで、エスタブリッシュメントから独立した一市民として「自前(市民)の科学」をする、というのが私の意向だったからである。話がそこに及ぶと、友人たちは、「そんなのできっこない。幻想だ、誰も成功していない」と言い、私は「だから挑戦するんだ」と開き直って物別れとなった。」p.134
・「最初の数日間は、家で料理をつくったり、もっぱらモーツァルトを聴いて過ごした。実際、モーツァルトによって救われた部分は大きいだろう。」p.174
・「プルトニウムに未来はなく、未来を託することもできない。それは冷戦時代の負の遺産にすぎない。いま、世界中の心ある人々、そして国々がこの遺産――超猛毒で核兵器材料である物質の脅威をどう断ち、子供たちにプルトニウムの恐怖のない未来をどう残せるか、苦闘を開始している。その時に、ひとり日本のみが大量のプルトニウムの増殖・分離・取得・使用を企図している。それは、地上の安全と平和にとって大きな挑戦であり、世界を新たな核開発競争へとかりたてるものだ。(『脱プルトニウム宣言』(1993.1.3)より)」p.185
・「数式を使えば簡単に済んでしまう話だが、数式をいっさい使わずに、しかも論理をゴマかさずにちゃんと説明しようとすると、本質的に何が最も重要なことか、そして人々のふつうの日常的な思考回路にのせるような論理的説明はどうすれば可能か、相当考え、訓練し、試行錯誤を繰り返さなければならない。」p.206
・「私が病に倒れた時、友人のKさん夫妻が、長野県の別所温泉まで行って、安楽寺の住職さんの書の額を買い求めて来てプレゼントしてくれた。次のような書だった。

 本気
本気ですれば
大抵のことができる
本気ですれば
何でもおもしろい
本気でしていると
誰かが助けてくれる
」p.221
・「先天的な楽天主義者と評されたが、それでよい。生きる意欲は明日への希望から生れてくる。反原発というのは、何かに反対したいという欲求でなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。」p.222
・「持続した理想主義は、必ずやある結実をもたらすと確信している。(中略)自分がその実現をもたらすと信じていないようなことを口先だけの理念で叫んでみても、人の心に響くはずはないと、私の経験から思うからである。」p.238
・「結局、私たちの世代も、それ以前の世代の過ちを、何も教訓化し得なかったのか。そして「オマエハケッキョク、ナニヲヤッテキタノカ」。」p.252
・「このように状況を認識するなら、「市民の科学」がやるべきことは、未来への希望に基づいて科学を方向づけていくことである。未来が見えなくなった地球の将来に対して、未来への道筋をつけて、人々に希望を与えることである。」p.256
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【演】第38回 新日鐵病院コンサート

2007年10月12日 22時06分27秒 | 演奏記録
第38回 新日鐵病院コンサート
室蘭音楽協会 室蘭ジュニアオーケストラ演奏会
2007.10.10(水)19:00開演, 新日鐵室蘭総合病院 1階ラウンジ, 入場無料
指揮 中山耕一, パート Viola

1.チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より マーチ、あし笛の踊り
2.モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジークより 第1楽章
3.シベリウス 悲しきワルツ
4.日本のうた(会場の皆さんとご一緒に) 七つの子、たき火、ふるさと
5.シューベルト 交響曲第7番「未完成」より第1楽章
アンコール ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス ピチカート・ポルカ

・平日開催のため、いつもながらバタバタする演奏会。特に社会人が5時半リハ開始に間に合わせるのはまず無理。そんな訳でリハには遅れて参加。練習参加の回数が少なかったので、出来るだけ出ようと急いだおかげで何とか2曲目には間に合いました。息もあがっている上に、指をバイオリンからビオラモードに切り替えるだけの暇もなく、弾いているとすかさず、「Aの音(4の指)低い!」と後ろからの指摘。
・リハ後に慌しく病院内のトイレで着替え。衣裳は上着無しの白シャツなのに中に黒いシャツ着てきてしまった。で、鏡を見てみるとヒゲそるの忘れてた。油断しっぱなし。そして、皆おそろいでつける赤いネクタイは、子供用の簡単版[写真]しか残ってない。今回は大人の手伝いが多かったせいでしょう。つけてしまえば見た目に分りませんが……やはりフツウの棒タイの方が。。。いっそのこと、"赤いマイネクタイ" 買おうかという考えが頭を一瞬よぎる。
・そんなこんなで演奏会場の席につくと、やはり狭い。両隣の子供たちにぶつからないよう気をつけないと。特に私の場合。
・クルミ割:F先生による司会と簡単な曲解説により演奏会は進行。「手短に」と言いつつ、結局『くるみ割り人形』の荒筋を全部しゃべってしまい、演奏が始まるまでに結構な時間がかかってしまいました。行進曲、冒頭の金管イイ感じ。葦笛の地味なシンバルも絶妙。いないイングリッシュホルンのソロはKさんの(フレンチ)ホルンで代用。
・アイネク:今年弾くのは一体何度(略  四分音譜の扱いがまちまちなのが気になる。今後の課題。今回は1stVnが3名と少なく、がんばって弾くも音量はさすがにキビシイ。
・悲しきワルツ:演奏前のF先生による曲目解説にて。「この曲の由来について、詳しい解説は時間の都合により割愛します。"ぴかりんの頭の中味" にでも書いておいてください
お客さん → ( ゜д゜)ポカーン
団員たち → ( ゜д゜)ポカーン
ぴかりん → (゜Д゜)ハァァ!?
えええ!? 先生ココ見てたの!? というより、当ブログはそんなに認知度が高くなく、その場で話が通じているのは数名のみだったと思われます。平然と、知らんフリしておけばいいものを、不意をつかれ思わず微妙にリアクションをとってしまいました。曲目解説については、それを書く気力まではありませんのでこのあたりをご参照ください。演奏の方は、そもそも音程の難しい曲を小編成で弾かなければならないので、冷や汗物でした。終わりのシンコペーションは、皆弓の動きがバラバラで、信じられるものは自分のみという状態。一体誰が正解だったのかは永遠の謎。
・歌:会場からの歌声はあまり出ず。いまいち盛り上がりに欠ける。
・ミカン星:直前のリハではちょっと心配だった冒頭のチェロ・バス、本番では人が揃ったせいもありバッチリでした。長いのでリピート無しでしたが、それでもやっぱり長い。休符の合間合間に、後ろで弾くカゼをひいて辛そうなA君の鼻をすする音がはいる。先ほどの予期せぬフリによる動揺やら演奏会後の打楽器運搬のことやら次の演奏会のことなどあれこれ雑念満載のうち、曲が終盤にさしかかったところで痛恨のミス。Vnにつられて2小節早く入ってしまいました。『災害レベル:A(聴衆の半分が気づく・録音に残る)』  日頃の疲れがこの一音に出た格好です。
・ピチカート:何故だか、妙に生き生きとして、スムーズに曲が流れる良い演奏でした。
・客数約100名[目測]:ちょっと少なめ。
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【練】秋のオケ行脚 ~気分はピクニック

2007年10月11日 22時09分06秒 | 練習記録
♪美唄弦楽アンサンブル練習 2007.10.7(日)10:00-17:00@アルテピアッツァ美唄
曲:チャイコ弦セレ、(新作)、メンコン1楽章他

・練習会場は、最近アルテピアッツァ内にできたカフェの隣の部屋(工房?)[写真]でした。話には聞いてましたが、このようなしゃれた建物だったとは。20名程度の合奏なら無理なく出来る広さで、天井も高く結構よく響きます。
・午前中は、チャイコの弦セレを特訓。まずは皆で通し。全楽章はやはりしんどい。ゆったり安全運転のテンポで。
・ところで重音は上下どちらを弾いたらよいでしょう? の問いに「じゃあ両方で」のご回答。はい、がんばります。
・通しが最後まで行ったあとは、パート毎に分かれて分奏。ビオラ総勢4名は私が仕切って、弦セレをツマミ食い。皆さん個々にはそこそこ弾けているので、課題はいかに他人とあわせるか。この場はとりあえず私を見てあわせてくださいね、ということで練習を進めました。演奏中「他人を見る・聴く・感じる」ための効果的な練習とは?? 普段の合奏時に気をつけるしかない? 一人のときはメトロノームに合わせる?
・お昼は、お隣のカフェが作った食事です。一人一人お盆を持って外を歩き、下の広場まで食事をとりに行く給食形式。美唄名物の鶏飯(とりめし)の大きなおにぎりと、野菜と、ポタージュ(いも?)。 ちょうど暑くもなく寒くもないほどよい陽気で、皆で野外の石のオブジェの上で座って食事をとりました。
・昼食後、少し森を散策。森の中にもこんなオブジェが置いてありました[写真]。石で出来ているのかと思ったら鉄製でした。
・午後の部、まずは問題の(新作)を。この演奏会のために書き下ろされたという曲で、ずっとタイトル未定のため、楽譜に書かれた(新作)という呼び方が定着してしまいました。タイトルは演奏会当日に発表。各パートとも間違いなく弾いているはずなのに、いつの間にか一小節ほどズレてしまうんだな、これが。スリル満点。世界初演なので、間違っても誰も気がつかない……はず。
・歌伴の曲に続き、管が入ってメンコンなどの曲を練習。管楽器は地元の吹奏楽団の方が中心で、オケで吹くのはまるで初めてという方が多いようでした。勝手が違ってなかなか大変そうです。本番までに少しでも慣れるとよいのですが。
・この後、千歳の本番前日練習へ。練習前に、オマケで頂いた鶏飯おにぎりで腹ごしらえ。

♪本番 美唄弦楽アンサンブル 創立10周年記念コンサート 2007.10.13(土)14時開演@アルテピアッツァ美唄 入場無料
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【演】千歳フィルハーモニーオーケストラ 第18回公演

2007年10月10日 22時02分16秒 | 演奏記録
千歳フィルハーモニーオーケストラ 第18回公演
2007.10.8(祝月)14:30開演, 千歳市民文化センター大ホール, 入場料 一般前売り1000円
指揮 中村隆夫, パート 2nd Violn

♪ウィンナワルツの代表曲を。
ヨハン・シュトラウス2世 美しく青きドナウ
♪大ぼら吹きの手柄話、ハンガリー民謡から。
コダーイ・ゾルターン ハーリ・ヤーノシュ組曲
♪穏やかな自然の音と幸福感に満ちて。
ヨハネス・ブラームス 交響曲第2番ニ長調 op.73
アンコール ブラームス ハンガリー舞曲第4番

・当日、札幌実家から千歳の会場へ向かう際、支笏湖へ向かう道路から恵庭へ抜けるルートを初めて通ってみました。山道で車も少なく湖もあったり景色の良い道です。いつもの36号線を使うより10分くらい早く着きました。
・青ドナ:「どうして青ドナなのか」 今回の演奏会はウィーンにゆかりのある曲を選んだということですが、青ドナと言えばアンコールとかファミリーコンサート向けというイメージがあって、いまいちその選曲の意図がつかめませんでした。あとから思うと、単に「ハープが入って、なおかつ有名な曲」というのが主な理由でしょうか。それはさておき、今回は2ndVnでの参加のはずが、この曲だけ1stVnを弾きました。伴奏よりもメロディーを厚くすることと、私が2ndの最後尾だったためです。正直言って、延々と続く刻みの伴奏を弾くよりは、メロディーを弾く方が好きなので、これはかなり助かりました。特にウィンナワルツのリズムにこだわるでもなく、独特な歌い方をさせるでもなく、音程と音量バランスを整えた楽譜どおりの曲作り。
・ハーリヤノシュ:「中村先生といえばハーリヤノシュ」、というほどの先生の十八番。しかし、私にとっては聴くことすら初めてで、その舞台はもちろん見たことが無く、どんな場面の音楽かを知るために頼りにできたのは演奏会プログラム中の曲目解説のテキスト情報のみでした。注目は、写真の楽器。本来、西アジアの民族楽器「ツィンバロン」を使うそうですが、日本に数台しかない珍しいものらしく、その代用に使った「楊琴」です。本番では指揮者のド真ん前においての演奏でした。その音は、言葉でいうのは難しいですが、たいていの人は「ああ、この音か」と耳にしたことがあるであろう、いかにも中華風の音が出ます。専門の奏者を呼んだわけではなく、打楽器パートの一人が、一から練習したようです。この他にも打楽器がふんだんに入り、大活躍していました。珍しく、6曲のうち2曲も弦楽器は休みで、管打の演奏をゆっくり鑑賞。
・ブラ2:もう弾くのは何回目か。少なくとも5回は超えていて、自身が弾いた交響曲の中では最頻出の部類に属します。1stVnとVaは弾いた記憶があるけれど、果たして2ndは…… しかし、弾いてみると勝手に左指が動くところをみると弾いた事があるようです。頭では忘れてしまっているけれど、体は覚えているという不思議な感覚。ブラームスが何を意図したのか分かりませんが、どういうわけか1、2、3楽章とも冒頭はしばらく2ndVnは休みです。特に1楽章は50小節ほど休みで、他のパートが美しい旋律を奏でるのを黙って聴いているだけ。その替わりチェロはオイシそう。本番では、そんな冒頭のチェロ・バスからホルンへと続く、ひとくさりのメロディーは、まさに「芸術品」とでも呼びたくなるような素晴らしい出来だったと思います。3楽章のテンポ変化の部分は、どのように棒を振るのか注目していたのですが、実にあっさりと難なく振っているにもかかわらず、それでいて演奏が崩れない。過去、何度も恐い思いをしていたのは何だったのでしょうか。また、中間部(練習記号D-E間)の、CDを聴いていてもおそらくわかりづらい、弦楽器の難所も全く危なげありませんでした。わりと無造作に振り出す指揮なので、ちょっとでも譜めくりにもたつくと命取り。4楽章の入りで犠牲者がちらほら。4楽章練習記号K付近の3連譜メロディーのかけあいに強い思い入れがあるらしく、かなり念入りに練習しました。それにしても、ブラ2、いい曲です。
・ハンガリー4番:弾くのはおろか聴くのも初めて。端正でエレガントな交響曲とはうって変わって、コッテコテの民族調。
・過去、どこで弾いていても、曲のテンポについて「遅い」とか「速い」とか、程度の差はありますが、自分の持っているテンポ感とのズレを感じることが多いです。しかし、今回はそれがほとんど無く、どの曲も「遅くも速くもなくフツウ」、でストレスを感じませんでした。中村先生はさかんに、「自主的な音楽を」ということを強調されていましたが、『指揮者のテンポ』ではなく『オケのテンポ』で曲を作っているということなのでしょうか。いつになくコンマスのアクションも大きかったのも、それに関係あるのかもしれません。
・客数485名[公式発表]:座席数1000名ほどの会場にしては少し寂しい客の入りでした。もっと入ってもおかしくないと思うのですが。なぜ??
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【練】秋のオケ行脚 ~お初の中村先生

2007年10月09日 22時07分17秒 | 練習記録
♪千歳フィル練習 2007.10.6(土)18:30-21:30、7(日)19:15-21:45、8(祝月)10:00-13:15@千歳市文化センター
曲:青ドナ、ハーリヤノシュ、ブラ2、アンコール

※注 本来、本番(10/8)以前に書きたかったのですが、その時間がなく本番終了後になってしまいました。
・その名はよく見聞きしていたのですが、中村隆夫先生の棒で弾くのは初めてでした。教育大教授ということもあり、練習中いろいろためになる話や面白い話をして下さったので、それを中心とした練習のメモを以下に。
・弦楽器へ「皆さん一人一人同じ音量で弾いてください。音量を揃えてください」 この言葉には目からウロコ。プロでは当たり前のことなのでしょうが、アマチュアでは初心者は音量は小さくてもしょうがない、その代わり弾ける人はたくさん弾く、という習慣が出来上がってしまっていて、「皆同じ音量で」という発想はありませんでした。考えてみると、各人異なる音量で弾けば、そこから出る音はデコボコになるのは当たり前か。
・音の高さ・長さだけでなく、『音の速度』にも注文。
・「皆さん自発的に音楽してください。私はここにいるだけ!です!
・常に笑顔とオモシロ話を絶やさない指導。
・無造作な振り出し。油断していると置いていかれる。
・「全音には大全音と小全音があります。ドとレの間は9/8、レとミの間は10/9……(中略)……なので、その音はちょっと低めにとってください」 楽典の話はからっきしダメ。理論はダメだが、実際音を出して聴くと、ハァーナルホド。
・某管楽器へ「音譜の間の音を切らないでください。二音同時に出してください。最後は根性です! 念力です!! 気合でどうにかなるもんです
・ピアノの奏法についても実演をまじえて細かい指示。
・「楽器ごとに音色は違っても、ユニゾンのメロディーのときは音の形・質は揃える
・某楽器へ「その、カバのオナラのような音、どうにかなりませんか」 この言葉で場内一同大爆笑。さらには「豆腐屋の豆腐が一個売れ残ったような音」とも。
・たとえ10名の奏者が和音を一発鳴らしただけでも、どの奏者がどのくらい音程がずれているかを一人一人指摘できてしまうような、恐ろしい耳。
・弦楽器へ「いつでも固くパシパシ音がするくらい弦を押さえるべきだ、と言う人もいるが、柔らかく弾くときには柔らかく押さえるなど、場合に応じて使い分けるべきだと思う
・子供たちへ「わかるかなぁ~~ "メランコリック" ……って食べたことある~~??
・ひさびさの千歳のホールでしたが、なんだか音の抜けが悪くなったような。今回、1stVnではなく2ndVnで舞台の奥に入ったせいか、それとも気のせいかなどと考えていたら、先生より「管楽器の音がこもって聞こえます。出来るだけ前へ出てください」とのことで、譜面台を山台の下へおろし、椅子一つ分ほど管楽器全員が前へ移動。しかし、あんまり効果は感じられず。会場のセッティングが何か変わったのか、季節のせいなのか。謎です。
・「単純に、同じ音譜が連続するときは難しい。より気をつけて歌わなければならない
・某パートへ「自分のパートしか聴いていないように聴こえます。他のパートを聴いてください。もちろん簡単ではありません。聴くパートの数が2倍になれば、その難しさも2倍、ではなく2乗になります
・「弦楽器は人数が多いから合わなくて当たり前です
・「これ以上、細かい指示は止めておこう。本番つまらなくなっちゃうから
・「長い音譜の音程さえしっかり合わせれば、そのオマケの細かい音譜も自然と合うものだ
・「その昔、札幌市民会館でのルービンシュタインの演奏会を聴きに行った。何故かチケットが取れた。演奏会の曲目は当日発表で、行ってからのお楽しみ。レコードで聴く限りその演奏はつまらなく、好きではなかった。しかし、実際にその演奏を生で聴き、びっくり仰天! 芳醇なワインのような音。録音ではとれない、何とも言えないイ~イ音。これが世界の巨匠か! ステージ上にも客席があり、後半はその席にいた学校の先輩が代わってくれて、間近で聴くことができた。アンコールはお決まりのファリャの火祭。その時のルービンシュタインの弾きっぷりといったら…」 ここでその様子を再現し、弾く真似をして、チェレスタへ「…という風に弾いてくださいね。誰が演奏しているのかわかるように。客席へニッコリ微笑みながら

※注 以上は私の記憶に基づいた記述なので、先生の意図とは異なる理解をしているなど、間違いが含まれる可能性があります。その点を考慮に入れてお読みください。

♪本番:千歳フィル第18回公演 2007.10.8(祝月)14:30開演@千歳市民文化センター
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ニュースより ~新型スカイライン クーペ誕生

2007年10月08日 22時22分54秒 | 日記2005-10
日産自動車、「スカイライン クーペ」をフルモデルチェンジ
2007年10月03日 11時03分 nikkei BPnet
日産自動車は2007年10月2日、高級スポーツクーペ「スカイライン クーペ」を全面改良して発売した。初代スカイライン発売から50周年を迎え、50代の子離れ層など高年齢層をターゲットとして、インテリアの質感などを高めた。4グレード6モデルで、価格(消費税込み)は369万6000円~447万3000円。
(以下略)
http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/547051.html より

■公式サイト
http://www.nissan.co.jp/SKYLINE/COUPE/

 こ、これは……欲しい…… ママーコレカッテー

 一気に次期乗り換え車両候補No.1に踊り出ました。
 しかし、金は無い!!
 現在のインテグラは4年とちょっとで走行距離10万キロ目前。来年の車検時には11万キロは超えていると思われます。今のところ故障も無く、まだ数年は問題なく走りそうだし、新車を5年しか乗らずに乗り換えというのは一般庶民の感覚からするといかがなものかと思われますが、ちょっと迷うところです。
 う~~ん、400万…… 「100万の中古車にして、300万の楽器を買え!」という声が聞こえてきそうです。
 それにしても公式サイトはバリバリのFLASHで重く、見づらいことこの上ない。もう少しシンプルなつくりに出来ないものでしょうか。
 他にもレクサスのIS-Fやら、GT-Rやらそそられる車が登場しつつあります。700万超え……ここまでくるとため息ついて眺めるだけの、完全に夢の車ですねぇ。。。
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今日も一日おつかれさま

2007年10月07日 23時19分50秒 | 日記2005-10
 朝8時に札幌の実家を出発。10時から17時まで美唄弦楽アンサンブルの練習に参加した後、千歳へ向かい19時から22時近くまで千歳フィルの本番前日のリハ。終わって実家にたどりつくと23時。

 食卓には母親のメモと、ラップのかかった皿が三つ。
「肉、レンジかけて おろしのせてください」
しかし、肉は温めるまでもなくまだ温みを残してる。

山のような大根おろし。ビールと一緒に、いたーだきーます!!
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【練】秋のオケ行脚 ~斉藤先生の訃報

2007年10月07日 12時34分06秒 | 練習記録
♪室蘭ジュニアオケ練習 2007.10.6(土)14:00-16:00@室蘭NHK
曲:未完成1楽章、くるみ割りより行進曲・葦笛、悲しきワルツ、アイネク1楽章 他

・練習日が土曜日なので他のオケが重なり、なかなか顔を出せないジュニアオケ。本番直前にどうにか行けた。お手伝いの工大生や大人たちが多数加わり、練習場はなんだかものものしい雰囲気。
・練習前に、中山先生より話がありました。斉藤信和先生が先日亡くなったとのこと。10年程前、まだ私がバイオリンを始めて間もない頃、この室蘭ジュニアオケにも指導に来ていてお世話になりました。亡くなったのは奇しくも先生が創設された札幌市民オケ定演翌日の10/1だったそうです。しかし札幌市民オケを振っていたのはもう10年以上も前の話なので、現団員では先生を知る人も少数派かもしれませんが。またそれ以外の団体では、札幌のHBCジュニアオーケストラでその指導を受けた人は数知れないのではないかと思います。最後にお目にかかったのはもう7~8年前のことです。先生の自宅そばをよく車で通りかかるので、そのたびに元気でいらっしゃるのかな、と思っていたのですが。。。どんな時でも決して怒鳴ったりなどしない優しい指導が印象に残っています。ご冥福をお祈りします。
・未完成:2楽章も弾くのかと気が重かったが、1楽章のみだったので一安心。聴きにくる病院の患者さんを気遣って(?)リピートは無しに。
・悲しきワルツ:譜面づらは簡単だが音程・テンポ変化が難しい。油断すると、"悲しい音程" の曲に。
・普段はいないお手伝いの奏者がどっと増えたのでいつもと勝手が違い、全体的に音がバラバラな感じ。少なくともあと1~2時間は合奏の練習をしたかったところ。あとは当日リハが勝負。

♪本番:新日鉄病院コンサート 2007.10.10(水)19時開演
コメント (4)
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