モーツァルトと量子力学, 糸川英夫, PHP文庫 イ-5-2, 1990年
・なんとも心ひかれるタイトルに思わず手に取ってしまった一冊。糸川英夫のエッセイ集。『ロケット博士』として有名だったようですが、私が氏の存在を知ったのは『トンデモ本の世界』での紹介によります。読んだ印象では、『ものすごく元気なおじいちゃん』。好奇心旺盛です。チェロを弾くとは知りませんでした。読み進むと、話があちこちに飛んで一体何をテーマにした文章なのか分からなくなったり、それってホンマかいな? と疑いたくなるようなところもありますが、自分と同じ弦楽器を趣味に持つという事で、音楽の話題も多くそこそこ楽しめました。
・「ロケット研究をやった「糸川先生」は今の私にとって「他人」なのである。 だから「過去は他人である」。」p.3
・「だけど私はヴァイオリンは弾けない。チェロを弾く。 弾き始めて50年以上もたっているのに、一向上達しない。退歩しないのがせめてものなぐさめである。 去年は、永い間の懸案だったマックス・ブルッフの「コール・ニドライ」を何とか弾いた。」p.7
・「スミヤカでなかったのは「演奏」の内容である。 (アイネクの)テンポが、最大の論争点になった。 メトロノーム記号で、132にするか、128にするか、126にするかを議論した時間が、実際の「音合わせ」より長かったような具合である。 さすがに「工学博士」カルテットだけのことはある、と私は、ただただ感心するばかりであるが、何しろカルテットの胴元役を背負っているので、これで本番までに「まとまる」のかどうか、まことに心痛の限りであった。」p.32
・「日本のクラシックコンサートが「音楽会」ではなくて「音学会」だという批判は、前から随分ある。ピアニストの宮澤明子さんになると、もっと手きびしくて、日本の「音楽」は「怨餓苦」と書いたほうがよい、と言われる。」p.35
・「とにかく音の配列に「きまり」があるので、次の「フレーズ」(楽句)はこうくるだろう、と思うと、そう来るから、何となくいい気持になれるようになった。」p.38
・「批評家とか、審査員は、プレーガイドに足を運んで、S券かA券かB券を、自前のオカネで買うべきである。 そこがコンサートの原点なのだから。」p.41
・「プロというものは、そういう存在だと思う。つまり、プロは「みてくれる人」「聴いてくれる人」のために存在しているから、プロなのである。 アマチュアは、自己満足でよい。ナルシシズムでも構わない。プロは「相手」の信任の上に成り立つ。」p.44
・「敗れたときの反省は誰でもする。 勝った時の反省を、人が落とすなら、それを拾い上げることで差がつくだろう。」p.53
・「ヨー・ヨー・マという風変わりな名前のチェリストが、1982年の年頭の日本のあちこちで話題になった。(中略)何が気になったのだろうか。 第一に、「風格」である。 もっと、そのものズバリで言えば「顔」なのである。 つまり「顔が悪い」のである。(中略)彼のマイナスは、演奏中に、天井を向いて目をつぶるのはいいが、口を半分あけて、今にもよだれがたれそうな感じを与えるところである」p.77
・「冬になってカゼを引いたり、相変わらず空調のおかしい新幹線のグリーン車に乗ったり、たばこの煙もうもうという空気の悪いところに行くと、急性アレルギーは時々おきる。 しかし、直ちに、洗面所にかけこんで、この鼻孔ウガイを二回やれば、立ちどころに正常な状態に戻る。」p.119
・「地球は消耗性の物質のかたまりで、元に戻らない。 リサイクルという言葉は、物理的には成り立たない。石油でなくても、ウランでも、重水素でも、銅でも、チタンでも同じことで、一度使ったら、あとは必ず有用性が減少する。 有用性の減少の法則を、エントロピー増大の法則、というのである。」p.134
・「名古屋駅のホームに「ホームでのクラッカー、コメットの使用、及び胴上げを、固くおことわりします」という掲示板があった。」p.144
・「「道交法」では常識的になっているこの「前方不注意」も、対人関係になると、そう気にされていない。」p.151
・「すべて「ごうまん」という行為は、受けた人だけわかって、与えた人には存在しない感情なのであるから。」p.153
・「ところが今度「発明されつつある」素子はシリコンでもガリウムでも砒素でもない、生物を構成している細胞の素子である「タンパク質」なのだそうである。 つまり生きている細胞の一部の中で、電子とプロトン(水素原子または陽子)がついたり離れたりというより、二つのタンパク室の間の電子のくっつき方が変わる、という現象を利用して、ON、OFF、のサイクル、つまり二進法を展開させようという新発想である。」p.157
・「ワトソンに強大な影響を与えたのは、この両教授の学説でも学識でもなく、この二人のもっていた「ライフ・スタイル」であった。 一言で言えば「他人に遠慮しない率直さ」といっても、無遠慮とか、迷惑をかける言動、ということではない。 前項のテーマにのべた言葉を、再び使わせて頂ければ「君子は鬼を語る」のである。 多くの教授たちは(アメリカの大学でも)「あまりに紳士的」であった。 つまり「君子は鬼を語らず」で、正統派と世の中から「認知されている」仮説、法則、理論しか口の端にのぼらせないのに反して、この二人は「どんなつまらないと思われることでも」異説、異論、珍話の類に熱狂していたのである。」p.160
・「この一冊の本(シュレーディンガー『生命とは何か』)との出会いは、クリックに強烈な衝撃を与えた。 まだ30歳の若さで、クリックは、彼にとって理想的といってもよいぐらい、よい環境であった海軍省に、アッサリ辞表を出す。新しい人生を目指して、成功する確率は一万分の一ぐらいしかない新しい人生を目指して。 彼の興味は「脳の中の細胞を構成する分子」に向かった。 脳は、遺伝子よりはるかに、複雑な対象である。」p.166
・「ワトソンは後日語っている。 「栄光は、X線結晶撮影でDNAの写真を撮った、ロザリンド・フランクリンの頭上に下ってもよかったのに。ただ、ロザリンドは、ワトソンとクリックよりあたまがよく、同時に、柔軟性を欠いていただけだ」」p.171
・「サイエンスもクラシック音楽も、人生を美しく感動させるのが本質ではないだろうか。」p.178
・「(アメリカの物理学者ワイスコフ)「私が学生に、口癖のようにいう文句がある。 自分の人生を価値あるものにしてくれるもの、つまり自分の生きがいを支えてくれているものが二つある。 モーツァルトと量子力学である」 この報告を読んで、私は涙が出るほどうれしかった。 この世に同じことを考えていてくれる人がもう一人いるのだ、といううれしさである。」p.180
・「規則どおりに動かない、時によると、後ろ向きに戻ったりする。この星の一群は、はなはだ、ケプラーの心を惑わすものであったので、これに惑星という名がつけられた。」p.185
・「こういうところ(ヨーロッパの教会や古城)を頭において作曲されたクラシック音楽を、残響時間を極力抑えた現代のテレビスタジオやラジオスタジオで演奏したら、音楽の中身が全くちがったものになるだろう。」p.200
・「糸川英夫氏、つまり、この連載の筆者は、 「人間は(A+BX)という式で表現できる。(中略)」 という学説(?)を十五年くらい前から言い続けている人間である。」p.214
・「クリエーティビティというのは、ある日突然、世間の目にさらされると、不連続的な、飛躍的なしろものに見えるが、実は世に出る間は、連続的に少しずつ階段を上ったのであって、突如、一階から二階へジャンプしたものではない。 B.F.スキナーの説によれば、天才とは、階段を登るところを、人目から隠すことがうまかったのだ、という。」p.217
・「で、私共は、目だけギラギラさせて、指先だけを動かす「宇宙人」と化しつつある。そこで、これではならじ、とばかりに「目的なき」体の運動を生活の中に取り入れることになり、「体操ブーム」が起きた。」p.232
・「「日本人に独創性がない」とキメツケるより、「日本人が、日本という国土のなかにいると、独創性が発揮しにくい」といったほうが現実に沿っている。」p.238
・「日本人の海外ツアーが「団体さん」にたよることが多いのは、つとに有名である。(中略)団体さんのほうが「安くて」「気楽だから」というのがその背景であろう。 しかし、私自身の経験によれば、一人旅のほうが安上がりで気楽で、みのり豊かなものになると断言できる。(中略)だいいち、言葉の分からない日本人が一人で、心細そうにウロウロしていると、どこの国でも親切な人がいて、面倒みてくれるばかりでなく、ホテルなんかに泊まるより、「ウチ」へ来ないか、と誘われて、宿泊代がタダになることが多い。 食事もタダになることが多い。 それに、現地に「友人」が出来る。 不慣れな土地を、アッチにブツカり、コッチで失敗するうちに「土地カン」が出来上がる。」p.243
・「左右の脳理論と、古い皮質、新しい皮質に私がこだわるのは、「音楽」は「理性より情動的」であり、理性や言語系のロジックより「本能」に根を下ろしている、と思うからである。 音楽を演奏する前に、聴き手に何か話しかけるのを、割と平然とやる人と、演奏してからではないと、口をきかない人がいる。」p.247
・「それに、現代のように、テクノロジーが氾濫して、コンピューター一色の社会生活になると、どうしても「古い皮質」<の働きが鈍くなって、生命力のレベルの低下をきたすから、テクノロジー氾濫社会になればなるほど、「音楽」や「美術」を盛んにして「古い皮質」に栄養をやったほうがよいと思うのである。(中略)かくいう私も、本職の組織工学や種族工学の時間をさいても、チェロ音楽に「ウツツをぬかして、狂う」ことになり、バランスをとっているのではないだろうか。」p.249
・「故湯川秀樹氏は、この日本人独特の脳の構造が、将来、西洋人がつくれない「独創的」なものを生みだすはずだ、とおっしゃっておられる。 私も同感である。」p.254
・「「テクノロジーはハートを減少させる」 という法則を立てて、この落とし穴に陥らぬ用心が必要なのであろう。」p.279
・「ところが、こういう舞台芸術から人間が得た「感動」は、半永久的に残るのだ、という大発見を、最近私はしたのである。」p.281
・「1960年代、70年代の、イノベーションはLSI(大型集積回路)とDNA(遺伝子)であった。 この二つからいくつかのノーベル賞が生まれ、ノーベル賞から、生産、市場への出現は極めて速かった。(中略)80年代、90年代の、イノベーション、ブレーキスルー(壁を破る新発見)は「脳」であろう、という予測がある。 私もそう思う。」p.281
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ロケット博士も花粉症に四苦八苦
http://news.livedoor.com/article/detail/1798158/
・なんとも心ひかれるタイトルに思わず手に取ってしまった一冊。糸川英夫のエッセイ集。『ロケット博士』として有名だったようですが、私が氏の存在を知ったのは『トンデモ本の世界』での紹介によります。読んだ印象では、『ものすごく元気なおじいちゃん』。好奇心旺盛です。チェロを弾くとは知りませんでした。読み進むと、話があちこちに飛んで一体何をテーマにした文章なのか分からなくなったり、それってホンマかいな? と疑いたくなるようなところもありますが、自分と同じ弦楽器を趣味に持つという事で、音楽の話題も多くそこそこ楽しめました。
・「ロケット研究をやった「糸川先生」は今の私にとって「他人」なのである。 だから「過去は他人である」。」p.3
・「だけど私はヴァイオリンは弾けない。チェロを弾く。 弾き始めて50年以上もたっているのに、一向上達しない。退歩しないのがせめてものなぐさめである。 去年は、永い間の懸案だったマックス・ブルッフの「コール・ニドライ」を何とか弾いた。」p.7
・「スミヤカでなかったのは「演奏」の内容である。 (アイネクの)テンポが、最大の論争点になった。 メトロノーム記号で、132にするか、128にするか、126にするかを議論した時間が、実際の「音合わせ」より長かったような具合である。 さすがに「工学博士」カルテットだけのことはある、と私は、ただただ感心するばかりであるが、何しろカルテットの胴元役を背負っているので、これで本番までに「まとまる」のかどうか、まことに心痛の限りであった。」p.32
・「日本のクラシックコンサートが「音楽会」ではなくて「音学会」だという批判は、前から随分ある。ピアニストの宮澤明子さんになると、もっと手きびしくて、日本の「音楽」は「怨餓苦」と書いたほうがよい、と言われる。」p.35
・「とにかく音の配列に「きまり」があるので、次の「フレーズ」(楽句)はこうくるだろう、と思うと、そう来るから、何となくいい気持になれるようになった。」p.38
・「批評家とか、審査員は、プレーガイドに足を運んで、S券かA券かB券を、自前のオカネで買うべきである。 そこがコンサートの原点なのだから。」p.41
・「プロというものは、そういう存在だと思う。つまり、プロは「みてくれる人」「聴いてくれる人」のために存在しているから、プロなのである。 アマチュアは、自己満足でよい。ナルシシズムでも構わない。プロは「相手」の信任の上に成り立つ。」p.44
・「敗れたときの反省は誰でもする。 勝った時の反省を、人が落とすなら、それを拾い上げることで差がつくだろう。」p.53
・「ヨー・ヨー・マという風変わりな名前のチェリストが、1982年の年頭の日本のあちこちで話題になった。(中略)何が気になったのだろうか。 第一に、「風格」である。 もっと、そのものズバリで言えば「顔」なのである。 つまり「顔が悪い」のである。(中略)彼のマイナスは、演奏中に、天井を向いて目をつぶるのはいいが、口を半分あけて、今にもよだれがたれそうな感じを与えるところである」p.77
・「冬になってカゼを引いたり、相変わらず空調のおかしい新幹線のグリーン車に乗ったり、たばこの煙もうもうという空気の悪いところに行くと、急性アレルギーは時々おきる。 しかし、直ちに、洗面所にかけこんで、この鼻孔ウガイを二回やれば、立ちどころに正常な状態に戻る。」p.119
・「地球は消耗性の物質のかたまりで、元に戻らない。 リサイクルという言葉は、物理的には成り立たない。石油でなくても、ウランでも、重水素でも、銅でも、チタンでも同じことで、一度使ったら、あとは必ず有用性が減少する。 有用性の減少の法則を、エントロピー増大の法則、というのである。」p.134
・「名古屋駅のホームに「ホームでのクラッカー、コメットの使用、及び胴上げを、固くおことわりします」という掲示板があった。」p.144
・「「道交法」では常識的になっているこの「前方不注意」も、対人関係になると、そう気にされていない。」p.151
・「すべて「ごうまん」という行為は、受けた人だけわかって、与えた人には存在しない感情なのであるから。」p.153
・「ところが今度「発明されつつある」素子はシリコンでもガリウムでも砒素でもない、生物を構成している細胞の素子である「タンパク質」なのだそうである。 つまり生きている細胞の一部の中で、電子とプロトン(水素原子または陽子)がついたり離れたりというより、二つのタンパク室の間の電子のくっつき方が変わる、という現象を利用して、ON、OFF、のサイクル、つまり二進法を展開させようという新発想である。」p.157
・「ワトソンに強大な影響を与えたのは、この両教授の学説でも学識でもなく、この二人のもっていた「ライフ・スタイル」であった。 一言で言えば「他人に遠慮しない率直さ」といっても、無遠慮とか、迷惑をかける言動、ということではない。 前項のテーマにのべた言葉を、再び使わせて頂ければ「君子は鬼を語る」のである。 多くの教授たちは(アメリカの大学でも)「あまりに紳士的」であった。 つまり「君子は鬼を語らず」で、正統派と世の中から「認知されている」仮説、法則、理論しか口の端にのぼらせないのに反して、この二人は「どんなつまらないと思われることでも」異説、異論、珍話の類に熱狂していたのである。」p.160
・「この一冊の本(シュレーディンガー『生命とは何か』)との出会いは、クリックに強烈な衝撃を与えた。 まだ30歳の若さで、クリックは、彼にとって理想的といってもよいぐらい、よい環境であった海軍省に、アッサリ辞表を出す。新しい人生を目指して、成功する確率は一万分の一ぐらいしかない新しい人生を目指して。 彼の興味は「脳の中の細胞を構成する分子」に向かった。 脳は、遺伝子よりはるかに、複雑な対象である。」p.166
・「ワトソンは後日語っている。 「栄光は、X線結晶撮影でDNAの写真を撮った、ロザリンド・フランクリンの頭上に下ってもよかったのに。ただ、ロザリンドは、ワトソンとクリックよりあたまがよく、同時に、柔軟性を欠いていただけだ」」p.171
・「サイエンスもクラシック音楽も、人生を美しく感動させるのが本質ではないだろうか。」p.178
・「(アメリカの物理学者ワイスコフ)「私が学生に、口癖のようにいう文句がある。 自分の人生を価値あるものにしてくれるもの、つまり自分の生きがいを支えてくれているものが二つある。 モーツァルトと量子力学である」 この報告を読んで、私は涙が出るほどうれしかった。 この世に同じことを考えていてくれる人がもう一人いるのだ、といううれしさである。」p.180
・「規則どおりに動かない、時によると、後ろ向きに戻ったりする。この星の一群は、はなはだ、ケプラーの心を惑わすものであったので、これに惑星という名がつけられた。」p.185
・「こういうところ(ヨーロッパの教会や古城)を頭において作曲されたクラシック音楽を、残響時間を極力抑えた現代のテレビスタジオやラジオスタジオで演奏したら、音楽の中身が全くちがったものになるだろう。」p.200
・「糸川英夫氏、つまり、この連載の筆者は、 「人間は(A+BX)という式で表現できる。(中略)」 という学説(?)を十五年くらい前から言い続けている人間である。」p.214
・「クリエーティビティというのは、ある日突然、世間の目にさらされると、不連続的な、飛躍的なしろものに見えるが、実は世に出る間は、連続的に少しずつ階段を上ったのであって、突如、一階から二階へジャンプしたものではない。 B.F.スキナーの説によれば、天才とは、階段を登るところを、人目から隠すことがうまかったのだ、という。」p.217
・「で、私共は、目だけギラギラさせて、指先だけを動かす「宇宙人」と化しつつある。そこで、これではならじ、とばかりに「目的なき」体の運動を生活の中に取り入れることになり、「体操ブーム」が起きた。」p.232
・「「日本人に独創性がない」とキメツケるより、「日本人が、日本という国土のなかにいると、独創性が発揮しにくい」といったほうが現実に沿っている。」p.238
・「日本人の海外ツアーが「団体さん」にたよることが多いのは、つとに有名である。(中略)団体さんのほうが「安くて」「気楽だから」というのがその背景であろう。 しかし、私自身の経験によれば、一人旅のほうが安上がりで気楽で、みのり豊かなものになると断言できる。(中略)だいいち、言葉の分からない日本人が一人で、心細そうにウロウロしていると、どこの国でも親切な人がいて、面倒みてくれるばかりでなく、ホテルなんかに泊まるより、「ウチ」へ来ないか、と誘われて、宿泊代がタダになることが多い。 食事もタダになることが多い。 それに、現地に「友人」が出来る。 不慣れな土地を、アッチにブツカり、コッチで失敗するうちに「土地カン」が出来上がる。」p.243
・「左右の脳理論と、古い皮質、新しい皮質に私がこだわるのは、「音楽」は「理性より情動的」であり、理性や言語系のロジックより「本能」に根を下ろしている、と思うからである。 音楽を演奏する前に、聴き手に何か話しかけるのを、割と平然とやる人と、演奏してからではないと、口をきかない人がいる。」p.247
・「それに、現代のように、テクノロジーが氾濫して、コンピューター一色の社会生活になると、どうしても「古い皮質」<の働きが鈍くなって、生命力のレベルの低下をきたすから、テクノロジー氾濫社会になればなるほど、「音楽」や「美術」を盛んにして「古い皮質」に栄養をやったほうがよいと思うのである。(中略)かくいう私も、本職の組織工学や種族工学の時間をさいても、チェロ音楽に「ウツツをぬかして、狂う」ことになり、バランスをとっているのではないだろうか。」p.249
・「故湯川秀樹氏は、この日本人独特の脳の構造が、将来、西洋人がつくれない「独創的」なものを生みだすはずだ、とおっしゃっておられる。 私も同感である。」p.254
・「「テクノロジーはハートを減少させる」 という法則を立てて、この落とし穴に陥らぬ用心が必要なのであろう。」p.279
・「ところが、こういう舞台芸術から人間が得た「感動」は、半永久的に残るのだ、という大発見を、最近私はしたのである。」p.281
・「1960年代、70年代の、イノベーションはLSI(大型集積回路)とDNA(遺伝子)であった。 この二つからいくつかのノーベル賞が生まれ、ノーベル賞から、生産、市場への出現は極めて速かった。(中略)80年代、90年代の、イノベーション、ブレーキスルー(壁を破る新発見)は「脳」であろう、という予測がある。 私もそう思う。」p.281
《関連記事》
ロケット博士も花粉症に四苦八苦
http://news.livedoor.com/article/detail/1798158/