ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】日蝕

2007年12月15日 19時50分15秒 | 読書記録2007
日蝕, 平野啓一郎, 新潮文庫 ひ-18-1(6807), 2002年
・1998年芥川賞受賞作。舞台は15世紀のフランス。魔女狩りが行われる時代に、僧侶ニコラが遭遇した不思議な体験についての記録。
・まずページを繰ってド肝を抜かれるのが、難しい漢字や熟語の多さです。明治から昭和初期に使われていたかのようなイメージですが、今の世でも振り仮名さえあれば読める、ホントにこんな文体が過去存在したんかいな!? という時代不詳の不思議な文体。率直に言って、読みづらいことこの上ない。50ページくらいまで読み進んだところでようやく慣れてきました。日本語の表現の豊かさを知るという意味では良いかもしれませんが、この文体で500ページを超える長編なんて書かれてしまうととても読む気にはなれません。この200ページがギリギリ。
・ストーリーについて前知識無く読み出し、はじめは遠藤周作のようなキリスト教をテーマにした時代物かと思ったのですが、途中から雲行きは怪しくなり、終にはSFと言ったらいいのか、ファンタジーと言ったらいいのか、そっちの方向へ。
・デビュー時には「三島由紀夫の再来」と評されたそうですが、一体どこをどう読んだらそう言えるのかイマイチわかりません。少なくとも『日本語の美しさ』という点では……ちょいと厳しい。
・写真は本文184、185ページ。物語のクライマックスを、驚愕の2ページ空白ブチ抜き。
・「何たる無邪気さ。何たる貧しさ。  人びとは、終に基督(キリスト)の意味を解さなかった。私が為に最も堪え難いことは、彼等が、神がこの地に下ったことの意味を、精々、生活規範の体現の為程にしか考え得なかったことである。彼等は人間基督を愛し、その生涯を愛した。そして基督に、卓越した人格者の姿をしか見なかったのである。」p.38
・「一体人は、目的と云うものに対して、平時より、此処に云うが如き焦燥を多少は有しているのであろう。」p.52
・「言葉と云うものが、本来理性の鞭杖に因って鍛えられた、筋肉の如くあるべきだとすれば、ジャックのそれは、感情に因って、その一部分のみに徒に脂肪の附いてしまったような、頗る均衡を欠いたものであった。」p.94
・「稍(やや)在って、私は強いて口を開いた。長過ぎる沈黙が、私の手を離れて勝手な意味を有することを嫌ったからである。」p.96
・「……舎へと戻りながら、私はふと、里昴(リヨン)で司教より借受け、旅立ち前に一読した『ヘルメス選集』の中の一説を思い出した。  「……そこで敢えて云おう、地上の人間は死すべき神であり、天界の神は、不死なる人間である、と。」」p.110
・「ピエェルは嘗て、錬金術は畢竟作業が総てであり、仮に万巻の書を読み尽くしたとしても、実際に物質に向かうことをせぬのであれば仍(なお)得る所は無であろう、と繰り返していた。これはピエェル自身の信条であり、又、私に対する忠告でもあった。この言の意味を私は漸く今頃になって理解するようになった。」p.200

?らくえき【絡繹・駱駅】 人馬や車の往来が絶え間なく続くさま。
?えいいき【塋域】 墓場。墓地。
?しゅうせん【鞦韆】 1 ぶらんこ。《季・春》  2 (―する)前後にふること。ゆすること。
?きゆ【覬覦】 身分不相応なことをうかがいねらうこと。非望を企てること。
?かんそう【盥嗽・盥漱】 手を洗い口をすすいで身を清めること。
?がいわん【駭惋】 おどろきなげく。おどろいて残念がる。

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