ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】クラシックCD名盤バトル

2007年12月20日 18時22分04秒 | 読書記録2007
クラシックCD名盤バトル, 許光俊 鈴木淳史, 洋泉社 新書y062, 2002年
・お題に挙がった曲について、二人の批評家がそれぞれ独自の視点からその曲について語り、お気に入りのCDを挙げる。掲載されているのは執筆者の好みが色濃く反映されていると思われる約80曲について。交響曲や組曲などのオケ曲中心で、オペラ・室内楽曲はあまり取り上げられていない。
・世の中にはいろんなCDがあるもんだなぁ~ と、まず驚き、そして、そのいろんなCDを把握し、なおかつこれだけ熱く語れることにまた驚きます。演奏するプロがいる一方で、演奏を『聴く』プロが存在するというのも不思議な感じ。
・一日につき、1~2曲づつちびちびと読み進み、読破。
・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲の項の許氏の記事(p.27)が不可解。直前の鈴木氏の記事の劣化コピーのような文章。一体何があったのか?
・「永遠の名盤だの、不滅の名盤だの、名盤は時代を超えて生きると信じられているようだ。そんなこと、ありはしない。人間の考え方、感じ方、趣味はあれこれと移りゆくもの。それにつれて価値や評価が変わるのはあまりにも当然。」p.3
・「おそらく鈴木氏は、私がほとんど興味を持てない脱力系、無表情系の演奏家を次々に挙げて攻めてくるだろうと予想される。そんなものに負けてはいられない。こちらとしては、ローカル色濃厚地方料理、B級ほのぼのくつろぎ演奏、超有名演奏家の知られざる録音、正気のさたとは思えぬデフォルメ演奏などを目まぐるしく交代させて反撃するつもりだ。劣情の、違った、情熱の血をたぎらせた演奏を紹介できると思う。」p.4
・「こういうことを書くと、「要するに自分勝手に誉めたりけなしたりするだけじゃないか」と思う人もいるかもしれない。ズバリ、そのとおりだ。」p.5
・「近頃、チェリビダッケはすごいですねえ、と言う若い人々が増えてきた。私は一面では、嬉しくなくはないのだが、反面「CDなんかでわかるようなすごさじゃねえよ」と憤然ともするのだ。このふたりのすごさは、ヴァントのほうがややましとはいえ、とうてい録音などでわかってたまるものか。」p.7
・「要するに、ここに書いた文はすべて個人的経験の陳述に過ぎないと言ってもよい。最近、音楽や芸術を語ることとは自分の経験を語ることでしかないという思いをますます強く持っている。」p.8
・「とはいえ、名曲名盤をあつかった本というのは昔からたくさんあって、巷でその道の権威といわれている評論家サマが「わしはこれを薦める。されば君はこれを買え」と言っているようなもので、簡単に言えばかなりいかがわしいものだ。断るまでもなく、わたしはいかがわしいものがたいへん好きな性分なので、そういうものを喜んで読んでいたりしちゃっているし、「ねえ、あんたもいかがわしいことやってよ」と耳元で囁かれたりすると、「ハイ喜んで」と答えるだけの素直さも持ち合わせている。」p.9
・「「能面のように無表情な」という喩えをよく目にする。なるほど、能面そのものは確かに感情フラットの状態を保っているように見える。しかし、舞台上で役者の仕草やセリフなどの状況と組み合わされると、能面は刻々と表情を変えていくものなのだ。このとき、能面ほど表情豊かなものはないといっていい。そして、一切はあらゆる要素の組み合わせによっていかようにも変化する。だから無表情な素材こそが多くの表情を生みだす可能性があるとわたしは思っているし、そもそもチェリビダッケやヴァントも無表情を極めたゆえに、あれほどの表情を持った音楽になったのではないだろうか。」p.10
・「私は大学のとき、日本におけるバロック音楽研究の第一人者であった皆川達夫氏の授業に出ていた。皆川氏の語りは同じ内容を何度も繰り返しているせいか、完全に練り上げられており、様式化されていた。(中略)ヴィヴァルディには冷淡だった。「日本人は四季魔です!」というジョークがことのほかお気に召していた。」p.21
・「いかなる作戦も計算も天才が何気なく弾く一音には及ばないのが、芸術の残酷きわまりない真理なのだ。」p.23
・「すぐれた指揮者においては必ずや指揮が肉体表現になっている。」p.32
・「明るい雰囲気のなかに一瞬暗い影を落とす、これがモーツァルトの真価ではないのか。悲劇は悲しい身振りで表現されるよりも、明るい振る舞いのなかにあったほうが、それをリアルに感じとることができるのではないのか。」p.49
・「私としてはこの作品(モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番二短調 K.466)は、酒場での悲しい酔っぱらいであるとしても、無口でチビチビ杯を傾け、飲むほどに目が据わってくる、だが、その目の中には異常な激情が燃えさかっており、酒場の姉ちゃんが思わず「あの人、怖い!」と叫んでグラスを落としそうな音楽だと思う。」p.50
・「弦楽四重奏の響きは私には気持ち悪い。各奏者のヴィブラートのぶつかりあいがとても不愉快である。ハーモニーが濁る。」p.53
・「結局、第九はこのように作品のまっただ中を生きるようにして演奏するほかあるまい。理屈ではなく、信念の、信仰の作品なのである。」p.78
・「そうだ、アンセルメの演奏を聴いたとき、いささか呆気にとられたことがあった。この人、恐ろしいばかりにこの曲(第九)に何も思い入れがない! なんの先入観も共感もない。地球にやってきた宇宙人が、突然スコアを手渡されて、こんな作品よう知らんけど、とりあえずやってみました。どう? みたいな音楽になってるんだから。」p.79
・「苦労人が振ると、必ず病的になっちゃうのがメンデルスゾーン。演奏するだけでその人の育ちがわかってしまう、ちょっとコワイ音楽だ。」p.111
・「だから、演奏も基本的に遅い方がよい。遅いほうがあらゆる音の動きの妙なる美しさ、一音ごとに移り変わる色の変化、つまり作曲家の魔法や思考や、それが生み出す美しさが堪能できるからだ。そして、近頃思うのだが、遅いテンポが快適なのは、呼吸や脈拍といった体のリズムとも関係があるらしい。演奏とは、聴衆の呼吸をコントロールすることではないのかという仮説を考えている。もしそうだとしたら、演奏とはまさしく催眠術であろう。」p.138
・「本日のご教訓――「チェリビダッケの他にいい演奏がない作品、それを駄曲という」」p.142
・「このアダージョで終わる交響曲(ブルックナー9番)は、不完全ゆえにロマンティックに輝くのよ。夭折した子どもほど可愛いっていうじゃない。そもそも、第三楽章の最後、大規模なカタルシスのあとに救済のようなコーダが続くのよ。このあとに音楽が必要だとしたら……それは茶番でしかないわね。」p.145
・「ズバリ、交響曲第一番においてブラームスは伴宙太にも等しいダサさを発揮しているのだ。」p.151
・「そん中でも、この三番目の交響曲は、良くも悪くも、もっともブラームスらしいシンフォニーだ。第一番は力こぶが入りすぎていてカッコ悪いし、二番はしゃれているけどなにやらヨソ行きの雰囲気だし、四番の完成度はメチャ高いけど、すでに作曲者の体臭がなくて寂しくなるときがある。」p.155
・「ジョージ・セルはオーケストレーションの勉強をしたいならビゼーの楽譜を読めと言っていたらしいが、確かに《アルルの女》のスコアからは透明、明快でいて、喜怒哀楽や雰囲気のニュアンスに富んだ音が出てくる。」p.161
・「ケーゲルの「アルル」を聴いたら、他の演奏は必要じゃなくなる。もっとすごい演奏があるのではないか、探せば出てくるのではないか、という希望を最初の何秒かで打ち砕き、そんなことをしている暇があれば、もっとこの演奏を聴きたいと切に思うだろう。」p.163
・「私がこの曲の初演を頼まれたら(またも傲慢な仮定)やはり断るであろう。レオポルト・アウアー(初演を頼まれて断ったヴァイオリニスト)は正しかった。」p.178
・「グリーグには《交響的舞曲》や《ホルベルク組曲》などいい作品が少なからず残っているのに、この作品(ペール・ギュント)だけだ格別につまらないのはやはり音楽としては何かが足りないのだと。」p.183
・「ブラームスの交響曲第一番が伴宙太タイプだとしたら、このボロディンの第二番は左門豊作タイプの音楽である。はっきり言ってイモっぽい。しかし、そこに滋味があるのだ。けっして美人ではないが、いっしょにいて幸せなタイプな女性とでも言おうか。」p.197
・「また、オリジナル流行りの昨今にもかかわらず、なぜ「ピョートルとオオカミ」と呼ばないのか。ピーターは軽薄な感じがして勇ましい男の子としてはどうかと思う。また、オオカミは「狼」と漢字にすると、いかにもカタカナで書かれた人間の敵という印象になるので、私としてはあえて同じカタカナで記したい。」p.279
・「私がショスタコーヴィチの教師であったら(またまた傲慢な想像)、この不憫な弟子のために惜しみなく涙を流したであろう。」p.297
・「結果的には感情に訴えかける演奏をたくさん選ぶことになったのは、響きだけを問題とする演奏を録音で聴くのは忍びないからだ。感情型の演奏のほうが、録音だと楽しめると思う。」p.312

《チェックCD》
・ヘンデル:水上の音楽/ジョージ・セル指揮ロンドン交響楽団[DECCA](61年録音)
・シューベルト:交響曲第8(9)番ハ長調《ザ・グレイト》/ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・ドイツ交響楽団[SFB自主制作]
・ショパン:スケルツォ集/イーヴォ・ポゴレリチ(ピアノ)[DG](95年録音)
・フランク:交響曲二短調/セルジュ・チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送響[海賊版Artists]
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調/ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団[BMG](82年録音)、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団[RCA](51年録音)
・ビゼー:劇音楽《アルルの女》組曲/ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団[Berlin Classics]
・ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》/セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル[海賊版Artists](86年録音)
・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調/ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団[SONY](59年録音)
・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲二長調/ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[DG](79年録音)
・リムスキー=コルサコフ:交響的組曲《シェエラザード》/セルジュ・チェリビダッケ指揮[海賊版METEOR]
・マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》:クラウス・テンシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団・合唱団[海賊版First Classic]

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