ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】スタンド・バイ・ミー

2007年11月29日 22時12分19秒 | 読書記録2007
スタンド・バイ・ミー ―恐怖の四季 秋冬編―, スティーヴン・キング (訳)山田順子, 新潮文庫 キ-3-5(3818), 1987年
(DIFFERENT SEASONS Vol,I, Stephen King, 1982)

・四季にちなんだ中編4編のうち、秋編『スタンド・バイ・ミー ―秋の目覚め―(―The Body)』と冬編『マンハッタンの奇譚クラブ ―冬の物語―(―The Breathing Method)』の二編収録。
・スタンド・バイ・ミー:作中の "わたし" である、ゴードン・ラチャンスの若き日の回想。1960年代の12歳当時、仲間だったクリス、テディ、バーンと四人で行った、行方不明になった少年の死体探しの冒険について。
 同著者の著作は初見です。この作品もとても有名ですが、主題歌を耳にしたことがあるくらいで、映画も見たことがありません。もともと『スタンド・バイ・ミー』という題は原作にはなく、映画または主題歌からきているようです。映画は原作に忠実に映像化しているとすると、かなり怖い映画になっていそうで、怖いのが苦手な私にはちょっと見る勇気はありません。
・マンハッタンの奇譚クラブ:舞台はニューヨークの街の片隅にひっそりと佇む、紳士たちが集うクラブ。そこでメンバーの一人の老人が語った昔話。産婦人科医をしていた当時に出会った、ある魅力的な患者にまつわる不思議な思い出。
 元医師の老人の話がはじまると、ぐっと話に引き込まれる。戦慄のラスト。
・こちらの理解力が足りないのか、話がわからずちょっと前に戻って確認することしばしば。多少ストレスを感じる文章です。
・「しかし、作家は二万語に近くなると、短編の域を越えはじめたことを知る。同様に、四万語を過ぎると、長編の域に入ったことを知る。この厳然とした二つの領域にはさまれた中間の領域では、境界というものが明確にされていない。が、ある時点で、作家は自分が恐ろしい領域に近づいたことにはっと気づき、長めの中編(ノベラ)(わたしの好みとしては、多少気取っているが<中編小説(ノベレット)>ともいう)とよばれる、文字どおり無秩序なバナナ共和国に足を踏み入れてしまったことを知る。」p.9
・「暗がりに青ざめ血だらけになったデニーが、頭の横っちょがぐしゃりとつぶれ、シャツに、灰色の筋の入った血と脳のかたまりが乾いてこびりついたデニーが、立っているところを想像してしまう。デニーの両手があがり、血まみれの両手がかぎ爪のように曲がり、しわがれた声で呼びかける光景を想像してしまう。デニーは言う。 "おまえが死ねばよかったのだ、ゴードン。おまえだったらよかったのに" と。」p.64
・「「ただし、夢の中じゃ、おれはいつもあいつをつかみそこねるんだ。髪の毛を二、三本つかむだけで、テディは悲鳴をあげて落ちてしまう。気味が悪いだろ?」」p.115
・「一度、クリスが膝をすりむいた小さな子どもと、縁石にすわっているのを見たことがある。クリスはぜんぜん知らない子に、なにか話しかけ――町に来ていたシュライン・サーカスのことか、テレビの『珍犬ハックル』の話だろう――いつのまにか、その子にけがをしたことも忘れさせてしまった。クリスはそういうことがうまい。そういうことがうまくできるほど、充分にタフなのだ。」p.141
・「「おまえの友達はおまえの足を引っぱってる。溺れかけた者が、おまえの足にしがみつくみたいに。おまえは彼らを救えない。いっしょに溺れるだけだ」」p.205
・「なににもまして重要だということは、口に出して言うのがきわめてむずかしい。なぜならば、ことばがたいせつなものを縮小してしまうからだ。おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい。」p.225
・「本当は、こうも言いたかった。人がものを書くたったひとつの理由は、過去を理解し、死すべき運命に対し覚悟を決めるためなのだ、だからこそ、作品の中の動詞は過去形が使われている、わがよき相棒のキースよ、百万部売れているペーパーバックでさえそうなのだ、この世で有効な芸術形式は、宗教と、ものを書くこと、この二つしかないのだ、と。」p.234
・「わたしたち四人全員が大統領には若すぎるし、未成熟だとみなされる年齢のときに、四人のうち三人は死んでいた。」p.241
・「しかたのないことだ。友人というものは、レストランの皿洗いと同じく、ひとりの人間の一生に入りこんできたり、出ていったりする。そこにお気づきになったことはないだろうか?」p.302
・「ジョージはまるで初めて読むというように、じっくりと銘を読んだ。 "語る者ではなく、語られる話こそ"」p.323
・「ディケンズ全集、デフォー全集、トロロープの無限とも思えるような数の全集もあった。エドワード・グレイ・セビルという名の作家の小説全集(全十一冊)もあった。これは美しいグリーンの皮の装丁で、背表紙に金文字で入っている出版社の名は、ステッダム&サンとなっていた。しかし、セビルという名も、出版社の名も、聞いたことがない。セビルの最初の本『我らが同胞』の奥付は、1911年発行となっている。最後の本『破壊者』は1935年発行だ。」p.325

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