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”セールスマン”が結成したフットサルチーム「FC piaZZista」の軌跡とキャプテンの私生活。

リリー・フランキー「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」

2008年11月27日 21時00分35秒 | 小説
本日、リリー・フランキー「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」を読み終わりました。

「読みやすさ、ユーモア、強烈な感動!同時代の我らが天才リリー・フランキーが骨身に沁みるように綴る、母と子、父と子、友情。この普遍的な、そして、いま語りづらいことがまっすぐリアルに胸に届く、新たなる”国民的名作”」


2年前に大阪で読んで以来、2回目の熟読です。
大変感動し、御堂筋線で涙を流しながら読んだ記憶があります。

前半部は、炭鉱の町「筑豊」での少年期。
リリー・フランキーが、どのような少年だったかが良く分かる。
そして、小生が過ごした福岡県 八幡・小倉、大分県 明野時代と変わらず・・・。
「九州男児はチビのころから悪いことしよろうばい

中間部は、リリーの辛く過酷な売れない時代。
その間も母親のスネをかじり続け、甘え続ける。
それに、なんの文句も言わず答え続ける母親。

後半部は、病気の母親を東京に呼び寄せ、久々の2人での生活が始まる。
面白く、可笑しく、楽しい東京生活の描写も、最後は、過酷な闘病生活で幕を閉じる・・・。

「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと」(本文より)

小生親孝行もしてないな~。普通に考えてもそうだよな。
気付いた時にはいつもいる存在。なにもなければ、それで良し。
結局、いなくなって初めてわかる大事な存在。

リリー・フランキーは、こうも表現する。
「人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前のようにあったものこそ、唯一、力強く、ひるがえることのない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる」

更に、東京の街並で行き交う人々を見て、こうも思う。
「この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。ボクは幾重にも交差する横断歩道の上で、流れゆくほどに行き交う人々を眺めながら、今までだったら単に街の風景でしかなかったそのひとりづつが、とても大きく見えた。
みんな、すごいな・・・。頑張ってるなんだなと。人が母親から生まれる限り、この恐怖と向かい合わずににはおれないのだから」

リリー・フランキーは、こうも表現した。
「世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。求めているうちは、それがわからない。ただひたすら与える立場になってみて、やっとわかってくる。かつて、親が自分になにを思っていたのか」

そして、最後に母親が残した「オカンが死んだら開けて下さい」という紙箱からマー君で始まる”ママンキーのひとりごと”なる遺書が出てくる。号泣です

 マー君
    長い間どうも有難う
    東京の生活はとても楽しかった
    オカンは結婚には失敗したけれど
    心優しい息子に恵まれて
    倖せな最後を迎えることが出来ます
    小さい頃は泣虫で病弱だったので
    神仏にお願いする時は先ず健康
    そして素直な子に育つように
    長じてからはやはり健康が一番
    それから商売繁盛 最近は欲張って
    彼女と二人分の交通安全を祈願しています
    ただ一度たりとも
    自分のことをお願いしたことはありません
    これからは彼女と楽しく仲良くして下さい
    彼女はほんとに実の娘のようだった
    お母さんお母さんと甘えてくれるのが
    とてもうれしかった
    オカンは倖せな幕引きが出来て
    何も思い残すことはありません
    ほんとうに有難う
    そして さようなら

    これからも健康には充分気をつけて
    決しておごることなく
    人の痛みのわかる人間になっておくれ
    中学校の時の伊藤先生が
    中川君は男の子にも女の子にも好かれていますと
    言われたことがうれしかった
    勉強の出来る子より
    そういう人間になってもらいたかったから

    先ず 中村のおばちゃんに知らせておくれ
    そして みんなにも言ってもらうように
    オカンの私物の後片付けは
    ブーブおばちゃんに頼んでいます
    旅費をあげてね
                     オカン

更に追い討ちをかけるように、ママンキーが日記の中に挟んでた言葉が出てくる。慟哭します

    母親というのは無欲なものです
    我が子がどんなに偉くなるよりも
    どんなにお金持ちになるよりも
    毎日元気でいてくれる事を
    心の底から願います
    どんなに高価な贈り物より
    我が子の優しいひとことで
    十分過ぎるほど倖せになれる
    母親というものは
    実に本当に無欲なものです
    だから母親を泣かすのは
    この世で一番いけないことなのです

小生も、いつの間にか来年、40歳。
結婚10年超。
子供2人。
社会に出て、早15年超。
大好きな酒を毎晩飲み。
川の解禁とともに日本中の川へ竿を出す。
誘われるがまま、芝生の上で300ヤードショットをぶっ放す。
土・日は、可能な限り地域ボランティアに多少貢献す。
忙しさにかまけて日々過ごしていたら、色々なものを背負ってた・・・。
でも、母との今後を真剣に考えたことも無く・・・。
もうそろそろ、小生も何かをやめて考えてみるかな・・・。
ママンキーの事を・・・。

最後に再度本文より。
五月にある人は言った。
「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと」

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