ちょっとテスト

2014-12-30 20:53:48 | Weblog
 ☆ 昔を知っている方以外は何のはなしかわからないかもしれません。


本来はこちらが一般向けのブログで、はてなは自分個人のための愚痴の吐きどころだったのに、今やあちらがよく読まれはじめている。当方としては自分個人の思いを自分のために書く場所がほしいのだがこれではどうにもならないではないか。創作の材料においてあるものも料理する前に読まれてしまうし本当に困る。

というわけでちょっとテストにこんな記事をこちらにも載せて反応を見ることにした。先にはてなにも出したのだが、plalaのブログの頃ならこういう内容も普通に載せていたのだ。もし昔の方式に戻せれば、はてなは自分個人の日記の場所にできるのだけど、さてどうなることか。


「ピタウ大司教様」

このところ、なんだかんだと忙しく、gooブログは大幅に手抜きをしているし、twitterは朝ちょこっと見るだけ、facebookもほとんど見ていなかったのが、今、たまたま見たら、ピタウ神父様、いやピタウ大司教様の葬儀ミサの案内が出ていてびっくりしてしまいました。お年なのはわかっていてもまさかこんないきなり、とちょっとショックです。

イエズス会には天敵もいましたけれど、ピタウ神父さま、いや大司教様には感謝することばかりです。

まだ聖イグナチオ教会が古い建物で主任司祭は薄田神父様だった頃、聖歌隊のメンバー間に問題が起こってどうしようもないので薄田神父様に手紙で相談したところが、当時イエズス会の管区長だったピタウ神父様自ら介入してくださって問題は解決したのでした。それがヨハネパウロ二世が日本においでになる前で、それからヨハネパウロ二世の来日があり、その後、まもなくヨハネパウロ二世がピタウ師をローマにお呼びになってそれ以来長くローマにおいでになったと記憶しています。

それはまだ遠藤周作先生も河合隼雄先生も霜山徳爾先生もお元気だった頃で、当方の親類で精神神経科のほうでは結構知られていた人物も当方の父もまだみんな元気だったころです。この方たちは全員あることで当方と奇妙な簡単には説明しかねるつながりがあったのです。ご当人は認めないかもしれませんが、立花隆さんもどこかでかかわっていたはず、だってあの頃、四ツ谷の教会にも顔をだして今は亡きオボンク神父様と話しているのを見ましたからね。

それはこちらがマスコミに追い回されて会社にもいられなくなり、まともに仕事にも就けなくなって生活保護を申請するはめになったそもそもの原因でしたが、これ以上詳しく説明すると差し障りもあるので止めておきます。

こちら個人の状況はとにかくとして、ピタウ師がローマにいらっしゃり、ピタウ師と親しいこれも有力な智謀にたけた、でももう亡くなられたある司祭がこちらの渡した情報を向こうに送っていたのです。

いろいろあって危なっかしい状況になっていた米ソ関係も何とか回復して世界は平和になるように思えていた時代です。だからどこで伝わったのか当時の我が家にまで父ブッシュの電話がかかってきたりしていました。これは危ないので長いこと黙っていましたけれど、四ツ谷のある事件で国の人権相談に出かけたとき、おそらく一国の元首の国際電話だから記録が残っているはず、調べてほしいと申し出たところちゃんとありましたよ。

本当に、普通はありそうにもないようなことばかり起こっていたのに、天敵さんが全部隠してしまって今日まで来てしまったというところでしょうか。おかげでとうとう65歳か、自分でも信じられないような年月です。ピタウ師については光も影も聞いていますけど、あの方はやっぱり尊敬しますね。ヨハネパウロ二世、ピタウ師、ネブレダ師、この方たちがおいででなかったらいったいどういうことになっていたかと思います。

今また世界はたくさんの新しい危機に直面していますけど、人間たちにとって本当に必要なときにはちゃんと助けがあるのだと思います。ただ、今は人間たちは神様より金様に仕えてしまっているのでかなり厳しい状況ではありますが。















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