いもうとよ―2

2017-03-24 20:26:40 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今日はなんか、機械音痴の本領を発揮してたらさあ、これまでフェイスブックで友人申請が来るとあんまりよく知らない人は知らん顔でほったらかしているんだけど、ほら、たまたま何かの拍子に友人になっちゃった知らない人っていうのもいるじゃないの。そんなよく知らないけどなんとなく、いいねを押したりしていた義理の友人の一人の方からこうしてみたら、とかって忠告があって、それでその方が急に気になってしまったみたいなのよ。本気であなたはどこの誰ですか、どういうことをしている人ですかとかって、メッセンジャーで長話を始めたの。その方は元本職のITの専門家だったのよ。でもおしゃべりしてたのはもっといろいろ、話が一段落したら、あの人、世の中広い、本当にいろいろな人がいるって本気でため息なんかついてたわよ。

うちのおばはんのフェイスブックの友人知人て、日経の昔のSNSの頃からのつながりとか、教会関係とかが多いんだけど、そうではなくてフェイスブックで初めて出会ったお友達にも結構面白い方たちがいるみたい。まあ、そんな話はいいんだけど、きょうはそっちじゃなくてこっちに戻らなくちゃね。

話を昨日の続きに戻すけど、あの人、本当は原稿用紙にに手書きで書いていきたかったのね。だけど、昔の職業病の指の故障が出てきて、仕方なくやっぱりブログに書いといて後でどうするか考えることにしたのよ。

で、なんでまたあっちこっちたくさんブログをつくったんだったって、あたしに聞かれてもわからないわよ。当人がたまたま気が向いたんじゃないかしら。それだけならいいけど、そのあと面倒ばかり起こしてまったく、うちのおばはんていくつになっても全くどうしようもないんだわ。

あの人の妹のほうはもっと大人だったわよ。もっとも、だからこそ現実を見て生きてくのもあきらめちゃったのかもね。うちのおばはんみたいに、何がどうなってもしつこく、なんとかなるさって、がむしゃらにあきらめずにいけば、なんとかなったかもしれないのにさあ、あっさり生きてくことまであきらめちゃったんだわ。

小さい子供のころは、うちのおばはんのほうは体が弱くて病気ばかりしてたから、親たちの関心もひきやすかったし、一番上で初めての子だったから、何でもお姉ちゃんのあの人には良いものが行ったのに、妹のほうにはどうも残り物がまわっていってたみたいな感じよ。下の二人、妹のみいちゃんと弟はそれほど病気もしなかったのも影響してたのかもね。

三人姉妹弟で、小さいときはまだ、家の周囲も畑と田んぼばかりで、バスも通っていないような田舎だったからそれなりに幸せな子供時代だったと思うのよね、三人とも。近所に家は少ないし、同じくらいの年の子も数えるほどしかいなかったのよ。

お家は小さかったけど、お庭は広かったから、庭の中に畑やぶどう棚や柿、桃、夏みかん、梅、松、もういろいろな大きな樹木もあって、外に出なくてもお庭の中だけで楽しく遊べたわけよ。子供時代のあの人と妹弟の毎日ははまるで天国みたいだったと思うわよ。

ところがねえ、みいちゃんときたら変な子だったのよ。変たって小さい子どもだから考えなしに何かしでかしたりするのは普通かもしれないけど、やっぱりなんかよくわからない子だったのよ。

お姉ちゃんのうちのおばはんは臆病で弱虫の甘ったれだったみたいだし、弟は弟で末っ子で一人息子だからこちらも大事にされていて、真ん中のみいちゃんだけがなんだか味噌っかすだったのよね。でもおしゃまで元気いっぱいでおとうさんには可愛がられていたのよ。お父さんは子煩悩の見本みたいな人だったの。三人ともどの子も区別なく可愛がってたんだけど、それでも真ん中って何かと後回しになっちゃってたと思うのよ。

この話の続きは時間になっちゃったから、また今度ね。ほんじゃ、またね。

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