自分はどうしたいのか・現実の状況・他者の意見、この三点を総合して判断していくと教わった。それでいくと、自分はどうしたいのか、は簡単。祈りと日常を統合した生活だ。現実の状況は、お金はない。それにしては周りがどうもうるさい。利用しようとしてかかる連中に気をつけねばならぬ。食べていけない上にただ利用されるのは本物の馬鹿だ。そんなことではいけない。
人の意見といえば、昨日知人が言っていたことも真実を感じる。今の日本の有名修道会の第三会というのお金集めの要素が大きいとか。うーむ、たしかにそれは感じる。
ではどうすればいいか?
昔からのキリスト教国には、正式の修道者ではないけれど、自分で自由に世間から離れて生活する女性はいくらでもいた。その辺にヒントがありそうだ。組織に縛られない65歳になるおばはんならではの生き方があるはずだ。
お金はないけれど、まったくの無名でもないからいざとなったときにほったらかしにされるとも思えない。一応、世のため、人のためにも役立つ方向で、(でも無駄に利用されていたりしてはいけないが、)かつ、神を探し求める生活、こんなところか。
お金のかからない第三会のある修道会だってどこかにあるかもしれないし・・・