いろいろあったなあ

2017-04-26 11:47:40 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんが、今書きかけてる話をどう動かしていけばいいか迷っていてしばらくはあんまり先に進めない状況だからさあ、どうせだから昔ばなしかなんかしてみようかなって言い出してるからあたしもそれがいいんじゃないのって賛成してるとこ。

昔ばなしなんて、昔を知らない人には大して面白くもなんともないんだけど、まあちょっと我慢してよね。最近、うちのおばはん、たまたまフェイスブックで知り合いの玉谷先生が紹介していたのを見たのがきっかけで、その昔ちょっと知っていた遠藤周作先生と若いころからのお友達だった井上洋治神父様の関係していたグループやミサに行ってみたのよ。

うちのおばはんが直接関わったことがあるのは遠藤先生のほうだけど、どうしてそうなったかっていうと、遠藤先生の子供時代の行状と、うちのおばはんのお父さんの子供時代の行状がすごくよく似てたのね。遠藤先生はカトリック信者だけど、お父さんは鎌倉時代からの古いお寺の門前町の小僧で、小さい時に実のお母さんから離されて、お祖母さんや伯母さんに育てられた人だったの。お父さんの実の父親というひとはお坊さんだったって話よ。多分そんなことが背景にあるからだと思うけど、うちのおばはんのお父さんてへんてこな人だったのよ。まだうちのおばはんがちっちゃかったころから、子供にわかるわけもないのに、なにかっていうと「闇の夜に啼かぬ烏の声聞けば、生まれぬさきの父母ぞ恋しき、分かるか、これが」とか「三界の狂人は狂せるを知らずというんだ、わかるか」なんて小さい子にわかるわけもない御託を並べて、何回も聞かされて、あの人も子供のころから覚えちゃってたわよ。

それはとにかく遠藤先生の子供時代が相当のいたずら小僧だった話を見ると、まるでうちのおばはんのお父さんの子供時代と同じ感じなのよね。多分二人とも同じように寂しさを悪さやいたずらで誤魔化していたんだと思うわ。

そんなことから遠藤先生にお父さんのことなんかも手紙に書いて送ったの。浪曲で赤穂浪士の南部坂雪の別れがお父さんの十八番だったこととかもね。そんなくだらない話はもうみんな記録が消されちゃってるけど、遠藤先生の取り巻きだった人だったら覚えてるかもしれないわ。

まあ、そんなどうでもいいことは置いておくとして、うちのおばはんはキリスト教、カトリックの信者になってから、はたと気がつくと、小さい時からお父さんが心の中に植え付けた仏教的なものとキリスト教の整合性を確認していかなくてはならなかったの。なんたって鎌倉時代からの遺産よ。それにそのお寺さんは美智子さまの正田家のご本家の菩提寺だったし、いろいろな面で、カトリックにも仏教にもかかわっている自分を発見して、あの人、あらためて日本とキリスト教の問題が自分の問題でもあることに気がついたわけよ。

だけど人間の世界は簡単じゃないから、偉い人と言われている宗教家でも妬んでうちのおばはんの足を引っ張ってばかりいた方もいたし、本当の話はどんどん消されていったわ。そんなこんなで年月が経って、すっかりそんなことは忘れたころになって、今は亡き井上洋治神父様の命日祭だったかしら、あの人、何となく出かけて見る気になって二コラ・バレにいってみたのよ。

それがきっかけで、『風;プネウマ』これを追いかけてみたいって思い始めたわけよ。おんなじ追っかけでもこれならいいんじゃないかなあとかってね。えらい先生方の研究やお仕事には及びもつかないけど、あの人にも個人としての理由があっての日本とキリスト教の問題なのよね。

そんなわけで今日は、長々とこんなはなしをしてみたわけ。お邪魔様。以上、この話はここまで。ほんじゃまたね。

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