2011年6月5日(日)、一関市博物館(字沖野々215)主催の「骨寺村荘園遺跡ツアー」が行われたので、妻と共に参加しました。(一般人30名募集)。
5/28(土)~7/10(日)の日程で開催中の特別展「中世荘園からの招待状~図解 骨寺村~」の関連行事として実施されたものです。市のバスで国道342号線の下真坂バス停付近まで移動してから、博物館職員の案内で骨寺村荘園遺跡を散策しました。(午後1時~4時)。
(上と下)絵図の中央を流れている「本寺川」沿いの道を 歩いて要害橋まで来ました。このまま上流に向かって本寺川沿いの道を史跡・駒形根神社(こまがたねじんじゃ)まで真っ直ぐ歩いて行きます。
(下)要害橋から右(北側)の山裾の方に行く道があり、400mほどで史跡・遠西遺跡(とうにしいせき)があるとのこと。
(上)史跡・遠西遺跡(とおにしいせき):掘立柱の建物跡と、12~13世紀の土器類も見つかっているため、荘園時代の生活の跡と考えられています。
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/03honedera/03_02_09.html [遠西遺跡]
(上)北の山並みに注目すると、簡易絵図に描かれた山並みを確認することができます。
(上)本寺川の左岸沿いの道をを歩いてきましたが、前に見える橋を渡って、今度は右岸沿いの道を歩きます。
(下)橋の名前は「ばっかり橋」。この橋は新しく架けられたようで、北側にある史跡・遠西遺跡(とおにしいせき)方面に行ける道があります。
北側の山際沿いの道を歩くと、南側に始終、荘園景観(水田)を眺められます。遠西遺跡付近では、当時の面影を残す小規模な水田区画を見ることができます。
(上)「ばっかり橋」を渡ってから今度は、本寺川の右岸沿いの道を歩きました。
(下)ここにも新しく架けられたと思われる「霊田橋」という名前の橋がありました。北側の山際に行ける道がありました。史跡・伝ミタケ堂跡や史跡・梅木田遺跡(うめのきだいせき)を訪れるには近道かもしれません。
史跡・伝ミタケ堂跡:山岳信仰の聖地だったと考えられています。西に山王山、眼下に荘園を望めたと言われますが、道のない私有林のため立ち入りはご遠慮くださいとのこと。
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/03honedera/03_02_06.html [伝ミタケ堂跡]
史跡・梅木田遺跡(うめのきだいせき):平泉町内の遺跡と同じ柱間をもつ建物跡が発見されました。荘園経営のための重要施設であった可能性があります。現在は埋め戻した状態です。(国道342号線から分岐した県道栗駒・衣川線沿いにあり現況は畑。)
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/03honedera/03_02_08.html [梅木田遺跡]
(下)史跡・駒形根神社(こまがたねじんじゃ)が見えてきました。
(下)駒形根神社前の道路上から、今まで歩いて来た道を見ると、この本寺川の左右に田圃が広がっている様子が良くわかります。
川岸にハルジオン(春紫苑)と思われる野草が、花を沢山咲かせていました。
ハルジオン(春紫苑) キク科 ムカシヨモギ属 Erigeron philadelphicus
北アメリカ原産の多年草。日本には大正時代に園芸植物として入ってきた。戦後になって都市周辺を中心に各地に広がり、どこでも目につくようになった。高さ60㎝ぐらいになり、全体に軟毛がある。ヒメジョオンに似ているが、茎は中空で、茎の中部の葉の基部は茎を抱いている。また蕾が下向きになって(うなだれて)いるのも特徴。花期は5~7月。頭花は白色または淡紅色で直径2~2.5㎝。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]
下記の画像は、5月18日に一関市東山町松川の館山公園で撮ったハルジオン(春紫苑)と思われる植物。
史跡・駒形根神社は、荘園絵図の西端に描かれている「駒形」「駒形根」(現在の栗駒山、須川岳)を祀った神社。絵図にある「六所宮」「馬頭観音」と考えられています。
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/03honedera/03_02_02.html [駒形根神社(本寺発電所の北)
一関市発行「骨寺村荘園遺跡散策マップ」より
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