もしもこの方がまだ在職中ならば
福島県の現状がが少しは変わったんだろうか
運命が同じでも、その未来が少しは違ったんだろうか
そう考えるのは後の祭りだけど
やはり必見
もしもこの方がまだ在職中ならば
福島県の現状がが少しは変わったんだろうか
運命が同じでも、その未来が少しは違ったんだろうか
そう考えるのは後の祭りだけど
やはり必見
別に週刊朝日を宣伝する意思がまったくない
ただ、もし購読していないとなれば、おそらくある重要なな記事を読んでいない
それは、福島第一原発内部の実態を暴く記事に他ならない
読んでいないなら仕方がない
かといって、その内容を知る術がないわけではない
たとえば、これなんかあるじゃない
大前さんの話しが途中まではとても率直で明快だった
「設計思想」 における誤りを認めるべき...
たいへん重要な提言がそこに含まれていた
ただ、最後の部分はちょっとふに落ちなかった
津波到来以前に地震そのもので原発の配管が損傷したとされることについて、調査したところそれはないと言い切った
でも、それを調査できること自体がまだまだ先の段階なんじゃないかと疑問に感じた
だから、損傷していないと言い切るのは時期尚早な気がした
結局、報告そのものが原発再稼動が前提なのか、と疑ったりもした
それでも、セカンド・オピニオンにとどまらず、それ以上の価値のある報告だと思った
だから載せることにした
原子力安全委員会指針集・安全設計審査指針。
指針27:長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。
.
.
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アホかっ?
その件に関して、原子力安全委員会・斑目春樹委員長とのやりとり。
Q:「委員長はその事故前に、この指針集には全電源喪失を考慮しなくて良いという規定があることはご存知でしたか?」
A:「いや、知りませんでした。」
Q:「知らなかった???それは、どういうふうに考えたら良いでしょうね?」
A:「なんとなく、そういう、えっ、ところまで、全部、あの~、読みながらですね、あの~、えぇぇ、やっぱりっ、あの、読み飛ばしているんですね」
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.
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やっぱりアホかっ?
どんだけアホかっ?
なぜか、このブログの閲覧数よりも、ずっと少ない回生数
とても有意義な話しなのに...
これまでの経過とこれからの展望
そして3・11をターニングポイントにするためのヒント
そこにはあるのに...
なら、まとめて載せとこうっと
この記事だけでページいっぱいになっちゃうのに...
しばらく経つので今さらと思われても仕方ないかもしれない
自分でもそう思っている
それでも、ずっとモヤモヤが消えないので、今さらながら書いている
鉢呂吉雄・前経済産業相の 「死の町」 発言のことである
それが新聞やテレビでコテンパンにたたかれた
結局そのせいで大臣が辞任に追い込まれた
でも、発言のどこが間違いだったかは、僕が理解せずにいた
原発避難者に対して心ない発言だとメディアで罵倒された
それは、心ないウソならともかくのことだった
ただ、真実を述べただけならそれが不当な批判のはずだった
で、本当に残念ながら、鉢呂さんが発した言葉になんのうそ偽りもなかった
だって、こんな取材がそれをとっくに証明してくれていた
有意義だと思うか、無意味だと思うか、あなた次第
納得できると思うか、ふに落ちないと思うか、あなた次第
僕にしては、
議論されること自体が衝撃的
議論せざるを得ない状況になったこと自体が絶望的
そうだと思うか、そうじゃないと思うか、あなた次第
厳しい状況下でぎりぎりの作業が続く福島第一原発事故現場。
このままだと、作業員の健康被害や作業員不足問題が深刻化する一方だ。
でも、その問題を解決する糸口を得た気がする。
簡単なことなのだ。
幸福実現党の党員を現場に動員する。
なにせ、彼らいわく、放射能は怖くないし、福島原発は安全だと宣言もできる。
これで福島の未来が、日本の未来が、明るいことに違いないのである。
めでたし!めでたし!
「安全神話」
3・11以降、日本のマスコミがそう言い出したと思っていた
てっきりそう思い込んでいた
でも、それが大きな勘違いだった
「安全神話」 に言及していたのは、ほかならぬ原子力安全委員会だった
しかも、11年も前の2000年にそう明記していた
東海村の臨海事故を受けて 「2000年度 『原子力安全白書』」 が作成された
その中に、原子力は絶対に安全だというのは 「誤った安全神話」 であることが明記された
そんな事実を知った恐ろしさで呆然とした。
その全容を小出先生が伝えてくれていた
どうしたって宗教間の対立が耐えないこの世の中。
多宗教・多民族国家のインドも例外ではない。
特に、イスラム教徒に対するその他の人々の目が日に日に厳しさを増しているように思う。
まあ、世界中の宗教間問題にイスラム教徒が必ず絡んでいるのをみると、無理もないことか。
話変わって、先日、ヒンズー教の神 「クリシュナ」 の誕生祝いのお祭りが全国で盛大に行われた(はず)。
お祭りに際して若いクリシュナに扮したある男の子の写真が、次の日に新聞に掲載されているのを伝え聞いた。
両親がスクーターでお祭り会場 (もしくは学校?) に子どもを連れて行く途中の写真のようだった。
という説明だけを聞いて、一見何の変哲もない光景に思えた。
でも、写真を観たら話しが違った。
ヒンズー教の神に扮した男の子は実はイスラム教徒だった。
両親の格好がそのことを物語っていた。
宗教が違ったって、みんなの血の色が同じだよ。だから無駄に流しちゃだめ!
男の子の目がそう訴えていた。
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写真を見つめている僕が勝手にそう解釈したがっていた。
「想定外」 とされた10m級の津波到達の可能性が、実は把握済みのことだった。
でも、そうした試算を東電が原子力安全・保安院に長らく報告しなかった。
津波の高さではなくて、そうした東電の対応こそが本当の 「想定外」 と言わざるを得なくなった。
そんな認識の甘さが日本の未来を変える一役買ってしまった。
ちょっと調べものをしていたら面白いことに気づいた。
まあ、面白いと思うのは僕の主観なので、面白くない可能性だってある。
ただ、このブログそのものが僕の主観の上に成り立っているわけだから、そんなのは知ったことじゃない。
で、本題だ。
英語の 「be under one's wife's thumb」 という表現をご存知だろうか。
旦那が女房に支配されてしまっている、という意味の表現である。
英語では、「支配する」 を表すために用いる体の部位は 「親指」 になっている。
指の中で押す力が最も強いのは親指なわけだから、理解に苦しむ表現じゃないのである。
それに対して、日本語は何か?
もちろん、「女房の尻に敷かれる」 なのだ。
「親指」 がまさかの 「尻」 に変わっているのだ。
体重がかかる具合を考えたら、「親指」 より 「尻」 の方が圧倒的に強いはずだ。
そうなると、英語圏の旦那たちより、日本の旦那たちが強く押されていることになるというのか?
そこの旦那さん~、そんなことを大声で告白しなくてもかまわないのだ。
このブログ自体がそうだから、匿名のままそ~っとコメントを残しておいても良いのだ。
尻に敷かれていることへの反発として、それぐらいはできなきゃだめなのだ。