「コタロ、朝からずーっと押入れに入ったまま出てこない、どうしたらいい?」回答「コタロの五月病だよ~。そのままほっとく、人生色々疲れたのだにゃんよー。」無事にお昼過ぎにでてきた記念写真です。
私とコタロは親子二代の逃げ足が早い。私の生まれて初めての記憶が長崎県高島炭坑です。小さい島に三万人ほどすんでいました。労働争議が激しいし炭坑の街に警察官の息子として育つ。周辺の子供はすべて炭坑関連の家族です。昭和の炭坑町の子供たちの遊びは苛烈。「飛び馬」ではみな私の背中目指して飛んでくる、デブにのられたなら一瞬で崩れるのだ。そこで相手が飛んだ瞬間さっと逃げる、あったはずの私の背中が消えてお尻から地面に激突する。何度かこれを繰り返しすといじめは嘲りに変わる。その内逃げる勇気もありの遊びに変わる。「花いちもんめ」ではいつもわたしだけ残りものになる不思議。
「ジェットコースター人生です、それも潜水艦のジェットコースター」大人になってやっと浮かび上がっても水面までだ。どうせまた沈む人生、結果逃げ足だけは早くなりました。サラリーマン時代会社や施設が倒産する前に退職する。沈む船から事前に逃げ出すネズミより早いと言われた。
ここ夜久野町にたどりついたあずきちゃんと私。コロナ禍の三年で工房、楽団は見事に消えました。なぜか勘違いする人達がいて楽器の練習で音を出していると怒られた。まるでチェロの音がウイルス感染拡大させるみたいな社会の不要物扱いでした。
これから夜久野ではひっそり暮らして行けるか?楽しみでもあります。やっとジェットコースター人生は水面に顔を出した感じです。
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