チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「反骨作曲家のアキレスの腱/クロード・ドビュッシー生誕150年」

2012年08月22日 01時01分05秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
今日、2012年8月22日は、フランスの作曲家
Claude Achille Debussy(クロド・アシル・ドゥビュスィ、1862-1918)の
生誕150年にあたる日である。
私が才能のないピアノを習ってたガキの頃は、
日本のクラ音界ではドビュッシーといえば"特殊な"ものだった。が、
近年、その評価が高まってきてるように思える。
昨今のクラ音楽業界関係者が好む"教会旋法"と、
"全音音階"に"平行和音"、そして、"五和音""六和音"という、
機能和声よりも一見複雑そうで進んでるように思われるものの、
その実は単純なツクリの芸風が受け入れられてるのである。そういえば、
オウム真理教の思想の支柱である宗教学者とオトモダチで、
自分だけはNYで優雅な生活を送ってながら、
日本を貶める偽善サヨクの"大作家"とともに反原発を煽る
"教授"もドビュッシー・ファンだそうである。
ヴァーグナーが「トリスタン和声」を打ち出して、とっくに、
旧来の機能和声の限界に入ってた時期である。
人が聴いて感動する旋律や和声進行には限りがあるので、
すでにほとんどが出尽くされてたのである。
昔の教会旋法を採り入れたり、
雑音のようなものにしたり、
12音音階や無調にしたり、
機能和声による「感動」を無視したもの、つまりは、
聴くに堪えないものにするしかなかった。
そういう時代である。元々、旋律を生む才はなかったにしろ、
そういう時代だったからにしろ、ドビュッシーは
メロディ・メイカーとは対極の存在である。その
メロディはおそろしく乏しい。唯一のオペラである
「ペレアスとメリザンド」には美しいアリアは存在せず、すべてが
レチタティーヴォでしかないほどに旋律創造力が貧困である。
ドビュッシーの代表的メロディといえば、
「牧神の午後への前奏曲」にしろ「海」にしろ、
万博で聴いた「君が代」の♪ラー>ソ>ミ>レーーー♪でしかない。そして、
"旧来の音楽の破壊者"とはいえ、
ドビュッシーが今日でも演奏されて、聴かれるのは、実は
古典的作曲法を全部捨ててるわけではないからである。
"革新的"とはいっても、結局、
ドビュッシーの作品でも人に感動を与えてるのは、
旧来の和声進行によるものでしかなかったのである。

ドビュッシーはダメ親父のせいで不遇なガキ時代を送った。
親戚をタライマワシにされたのである。加えて、
緻密骨腫(良性)によって前頭にふたつのコブ状突起があるという
見てくれに強い劣等感を抱いてた。だから、
"病気"に対してそれを"恥"と決めつける傾向が大きく、
50歳頃から腹の調子が悪かったにもかかわらず、
受診することなく直腸癌を進行させることになった。ともあれ、
少年ドビュッシーには音楽の才能が備わってたことが運命を変えた。
10歳でパリのコンセルヴァトゥワルに入れてもらえたのである。が、
親の愛情が欠如してたことと相まって、
ドビュッシーは周囲に対して好戦的な人格を形成した。とりわけ、
"権威"を憎悪し、26歳年上のサン=サーンスを"古代の遺物"と
目の敵のようにバカにした。たしかに、
長寿で多作だったにもかかわらず、サン=サーンスの作品で
人を感動させるものは指折り数えれる程度である。ともかくも、
劣等感を背負った者が何かしら他人に優るものを獲得すると、
排他的優越感誇示が異様に増長される。
ドビュッシーはその典型である。
クソ親父のせいで貧しい幼少期を過ごさざるを得なかった屈辱が、
音楽の才を鼻に掛けるようになると、
一流品・高級品・贅沢品を好む人格を形成した。また、
劣等感を経て優越感を得た男に特徴的なように、
ドビュッシーは女たらしとなった。
(オスの同性間における)生物的な優位は
「女をコマすこと」に他ならない。実に解りやすい人物である。
そのため、かつてはドビュッシーを他の女から奪った女は、今度は
自分が浮気される立場になると、ピストル自殺をはかって
自尊的なあてつけをした。そんなのが二人もいただけでも
驚きであるが、そのうちの一人は自分の
女性器を撃ち抜いた(しかもそれで死ななかった)というから、
アキレス、否、呆れます、である。

これだけなら、ひょっとしたらドビュッシーは
真の作曲家、芸術家だったかもしれない。
本当の芸術家というのは、常識人の対極だからである。
そんな(世俗的な面で)トホホな者が排泄したものが
一般人にとってはありがたいものになるとき、
それを真の芸術というのである。が、結婚して
娘までもうけてしまった。そんなのは、
一般人と変わらない。ただの凡人である。ちなみに、
娘のシュシュはドビュッシーの死の翌年にジフテリアの誤診のために
14歳で死んでしまうことになる。ともあれ、やはり、
そんなドビュッシーは劣等感が強くそれに勝る優越感で粉飾した
目先の成功を勝ち得た凡庸な作曲業者に過ぎない。
1880年、夏を娘と音楽三昧の旅行にでかけたいという
大金持ちの未亡人が人づてに音楽教師のバイトを雇った。
その話に乗ったのが音楽院の"つまらない授業"に
飽きあきしてたいっぽう金が欲しかった18歳のドビュッシーである。
雇い主はチャイコフスキーのパトロンとなって3年ほどの
フォン=メック夫人である。夫人は自分の手元に"飼ってる"
株がどれほど有望株か知りたくなった。
そのピアノ曲「ボヘミアふう舞曲」の自筆譜を
すでに大金をはたいてるチャイコフスキーに送って(色よい返事の)
期待を胸に【出版するに値するものかどうか】
評価を仰いだ。ところが、1か月後、
自筆譜同封でチャイコフスキーから返ってきた手紙は、
「とても良くできた作品です。が、
【出版するには】短すぎます。
着想が充分に表現されつくしてません。
形式がメチャクチャなために、全体がバラバラだからです」
という、こちらのほうが支離滅裂な内容ながら、それでも
作品はなってないということはわかるものだった。たしかに、
聴くに耐えない退屈な曲である。ともあれ、
この作品はチャイコフスキーの(正鵠を射た)評価に従って
ドビュッシーの生前には出版されなかった。
フォン=メック夫人の娘に手を出したかどで、
ドビュッシーは同家のバイトをお払い箱になり、自筆譜も
フォン=メック夫人の手元に残されたままになった。夫人の遺族が
ショット社に売って1932年になって初めて出版されたのである。

ドビュッシーのサーネイムDebussyは、
de+bussyなんだそうである。
bussyは食わねど高楊枝、というように、
ドビュッシーは見栄っ張りジャンとなり、
鼻持ちならない人物となったが、そのbussyは
イタリア語にbocca(ボッカ=口)、buca(ブーカ=穴)という語があるように、
口を開けた穴のような地形を表し、そこに住んだ者が名乗ったもの、
と推測されてる。他方、
ファーストネイムのClaude(クロド、いわゆるクロード)は、
ローマ帝国の氏族名であるClaudiusに由来するという。
この氏族は名門ながら「足が悪い」血統だったので、
claudus(クラウドゥス=足を引きずること、跛行)
というラテン語がもとになってる。いっぽう、
ミドルネムのAchille(アシル)は、ギリシャ神話の英雄、
Achilleus(アキレウス、いわゆるアキレス)という意味である。
アキレスは「足が速かった」のである。
ドビュッシーの名付け親が誰だったのか、
モーツァルトとせんだみつおの顔の違いが判別できない
拙脳なる私は知らないが、
ファーストネイムとミドルネイムの組み合わせの妙は
なんともいえないブラックジョウクである。実際には足でなく、
形として歪な頭に音楽の才能を持ちあわせてたのだから、
重ねて皮肉である。ともあれ、
ドビュッシーは後世に名を残すほどの人物にはなった。が、
さらに後の世には現在評価されてるほどには残らないと、
故夏目雅子女史と余貴美子女史の顔の区別がつかない
拙脳なる私は予想してしまうのである。しょせん、
感動的な和声進行にしか人は惹きつけられない。
前奏曲集第2巻(全12曲)第12曲の
"Feux d'artifice(フ・ダルフィスィス=花火)"
など、変ニ長の左手の低音のドソドソに右手はハ長調で
♪ソ│ソーーーーーーー・ーーソー>ミーー>ド│<レーーーーーーー・ーーーーーーーー♪
などと「ラ・マルセイエズ」が雑音のように出て終わるような音楽は、
花火のように美しくもなくただ消えてなくなるのである。
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