チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「モーツァルトにとってのGluck(幸運)の神、グルック生誕300年」

2014年07月02日 17時10分50秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
巷では「集団的自衛権」に関して
憲法の解釈変更に反対する者らの意見や行動が
マスコミに多く採りあげられてるようである。
在日・帰化を問わず反日の悪意に満ちた者らが多いらしい
マスコミが、そうしたことをことさらに目立って採りあげるのは
当然である。また、
反対してる"政治家"や"文化人"らもまた、
そうした民族にルーツを持つ者または
自分の"作品"が広範に購買されなくなると
その生活水準が維持できなくなるので
反日を前面に掲げてるような者らである。
自分は東京でも一等地の成城や半蔵門などの
高級住宅に住まい、清貧とは真逆のシュミを満喫してるくせに、
いかにも"弱者の味方でござい"ふうな主張を繰り広げる。
"若者を戦争で死なせる気か?"
とかなんとか……。が、
集団的自衛権を"行使しません"という国に対して、
"はい、そうですか。なら、手は出しません"
という国があったら教えてほしい。それこそ、
"若者は戦争に行く前に他国によって殺され"ます。
"日本人の若い女は性奴隷に、その他の女や男は皆殺し"
と公言してはばからない近隣悪徳国家も2つほどある。

日本は対連合国(主たる相手は米国)との戦争で負けた
「敗戦国」なのである。敗者は勝者の言いなりになるしか
生きる道はない。たまたまカネを持ってない
アメリカ先輩と懐にたんまりと入れてるニホン君が歩いてて
アメリカ先輩を襲おうとしてたアメリカ先輩と敵対する輩が
命が惜しけりゃカネを出せと迫ったとき、
仲間であるニホン君が
"ボクのおカネは自分で使うためのものなので
アメリカ先輩のためにでも他人のために使ってはいけないと
親が言ってるので出せません"
とい方針だったとしたら、仲間のアメリカ先輩はどう思うだろうか。
また、そう言って本当にアメリカ先輩が刺されてしまったら
どうなるだろうか。どう考えても、
アメリカ先輩のためにカネを差し出すのが
筋(あるいは"人道的")というものではないだろうか。

もし本気でそれがいやなら、
またアメリカ先輩に一戦挑んで勝ってくればいい。
(そのときは反日日本軍と明言して戦ってネ)
日本は300百万人以上の尊い命を代償にして生き残った。
反日政治家・貶日文化人らのプロパガンダに乗せられて
「安倍の強行」などと唱えてる者らは、現在、
悠長にそんなことをしてられるのは、そうした
犠牲者のかたがたがなくした命のおかげだということを
真剣に考えてなどはいない。また、
首相官邸前での"抗議デモ"を煽ってる者らの
何割ほどが"なりすまし日本人"なのだろうか。
ベネトンを着てたら間違いなく
こういうことひとつ取っても、
つくづく徳川幕府というのは
"危機管理意識"が正常に働いてた政権だったかと思わされる。
その徳川幕府の治世は「開国」によって断ち切られた。
"時代の流れ"である。

ヴィーンを中心にヨーロッパを数百年制してたハプスブルグ家もまた、
その男系相続が途絶えるいわゆるマリア=テレジアまでは、
武力を抑止力として領土の安定を保ってきた。が、
ヨーセフ2世の治世ではもう帝国は崩れかかってたのである。
そのヨーセフ2世の死によって跡を継いだ弟レーオポルト2世の
冷遇によってモーツァートも(サリエーリもなのだが)いよいよ
生活苦が深刻になったのである。そして、
皇帝の代替わりからたった14箇月で35歳のモーツァートは死ぬのである。

モーツァートはいわゆるザルツブルグからヴィーンに出てきた"田舎者"である。が、
当時の(ヴィーン)音楽界においては当然ながら、その才能と芸風は
抜きんでてかつ異彩を放ってた。そして、
その音楽とそれを創りだすモーツァートは、
平凡な才能の音楽家らからの羨望と嫉妬の的になった。その中で、
かつてはマリー=アントワネットにも作曲を教えてた大御所グルックだけは、
温かい目でモーツァートに対してたという。

1784年3月、皇帝ヨーセフ2世臨席の演奏会で、
「グルックの主題による10の変奏(ト長調)」(k.455)
がモーツァート自身のピアノ独奏で披露された。
その20年前にグルックが作曲したオペラ「メッカの巡礼者」の中の
デルヴィーシュ(托鉢僧)のアリエッタ「民が愚かにも考えたことといえば」
の節を主題として採ったものである。
♪ドー・ドー・・>シー・シ<ド│>ラー・ラ<ド・・>ソー・ーー│
<ファー・ファー・・ファ>ミ・>レ・>ド│ドー・<ミ>レ・・>ドー・●●♪
(人々は我らのような托鉢者の生活を、
他人からのお布施がなければ生きていけない
貧乏なものと思ってる。だが、
本当は幸せな生活なのだ)
みたいな歌詞内容である。
やはり列席してたグルック本人の前で、
モーツァートはその恩に報い、敬意を表したのである。今日は、
Christoph Willibald Gluck(クルストフ・ヴィリバルト・グロック、1714-1787)
が生まれて300年の日にあたる。Gluckのuにウムラオトが附いたドイツ語
Gluck(グルック)は「幸運」という意味である。
この演奏会の3年後にグルックは死に、
モーツァートに理解のあるヨーセフ2世のおかげもあって、
その宮廷作曲家の座にモーツァートは任じられることになった。
グルックさまさまである。が、
上記のように、モーツァートのヴィーンでの優雅な暮らしは
きわめて短期間なものだった。次第に収入が減り、
生来の賭博好き(もちろんスッてばかり)で借金がかさんでたという。

この変奏曲をオーケストレイションしたのが、チャイコフスキーの
「組曲第4番(モーツァルティアーナ)」の最終楽章(第4楽章)である。

(グルックのアリエッタのバスが歌うパートをチェロのソロに置き換え、
モーツァルトの変奏曲の主題提示部分、そして、
チャイコフスキーのアレンジのやはり主題部分を
その順に並べてみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/gluck-la-rencontre-imprevue-les-hommes-pieusementmozart-and-tchaikovsky

)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「枠連の代わりに馬連でゴー... | トップ | 「きのサギにて(架空請求の神... »

コメントを投稿

説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般」カテゴリの最新記事