チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「大洋・柏戸・魚肉ソーセージ/元横綱大鵬の死にあたって」

2013年01月20日 16時13分14秒 | 歴史ーランド・邪図
[原始、DeNAは大洋ホエールズだった]

19日に大相撲の元横綱だった大鵬が
慶應病院で死去したという。1960年代、
当時の子供が大好きなものとして、
[巨人・大鵬・玉子焼き]
というコピーがあった。1960年代にガキだったとは、
まさに私の世代のことである。が、
相撲好きだった私の感想としては、
大鵬の取り口は非常ににつまらないものだった。
幕の内優勝32回ということからも判るように、
たしかに強かった。が、
その大きい体で左四つに組んで寄り切る、
という、子供にとってはまったく面白くない
相撲取りだった。前頭と小結をうろうろしてるレヴェルの、
吊り出しの明武谷や上手投げが得意の長谷川、
などの相撲に期待してたのは、私にかぎらず
当時の相撲好きの典型である。横綱ならむしろ、
突っ張りの佐田の山のほうが好きなくらいだった。実際、
大鵬が難なく寄り切りで勝つと、当時の
蔵前国技館には溜息がもれたほどだった。もちろん、
(つまらない)
という意味である。ただし、
小学校も高学年になって
大鵬の力に翳りがみえてきた頃ようやく、
あの「無難」な勝ちかたが、トップになる上で
世の中では大事だということが解った。

また、
卵焼きを当時の子供が好きだった、
というのもたしかにそうだったかもしれないが、
個人的には私は玉子はそれほど好きでもない。
卵焼きなら砂糖たっぷりのスクランブルド・エッグが好きだったし、
茶碗蒸しのほうが好きだった。
生卵をご飯にかけて食う、というのは苦手だった。
当時の子供はむしろコッペパンが大好きだったと記憶してる。
まだパン食が浸透してない時代だった。だから、
学校給食で出されたコッペパンは新鮮だったのだと思う。
私は駅前のパン屋さんが店頭で
中に苺ジャムやバタピーを塗って出してくれる
コッペパンが好きだった。が、
私が小学生のときにもっとも好きだったのは
納豆と鰻の蒲焼きだった。

当時の小学生にとって、
「巨人」というのだけは実際に絶大な人気があった。が、
私はONよりはむしろ高倉とか末次とか国松とか柳田とか、
「5番」打者の打席に興味があった。打撃だけでなく、
外野フェンスによじのぼってホウムランになる大飛球を捕球する
国松の姿がもっとも印象に残ってる。が、
私がもっとも好きだった巨人軍の選手は野手ではなく
城ノ内投手だった。とはいえ、
当時の後楽園の巨人戦のチケットは
手に入れるのが困難だった。相手が
弱い国鉄(産経、ヤクルト)のときにやっと取れた。が、
たまに次に弱い大洋戦も手に入った。

ともあれ、
[巨人・大鵬・玉子焼き]
という時代の中でガキだった私がもっとも
印象に残ってるのは昭和41年(1966年)だった。
大相撲は初場所の千秋楽を観にいった。
この場所は大鵬、柏戸、栃ノ海、佐田の山、という
4横綱がいたが、柏戸以外の3横綱は休場、
という異様な場所だった。で、
難なく柏戸が優勝した。ちなみに、
柏戸も私は好きではなかった。
野球は巨人が優勝。当時、川崎球場を本拠地としてた
マルハがオウナーの大洋ホエールズは、
ビリの産経アトムズのひとつ上の5位。大洋は、
打撃10傑に近藤和彦と松原が入ってたが、
投手成績は散々だった。
平松はまだいなかったが、
あの板東英二がまだ中日で投げて
そこそこの成績を残した年である。中日といえば、
のちに王貞治にたいして「背面投げ」をした
小川健太郎も好成績を収めた年だった。ちなみに、
「背面投げ」が披露されたときには、
野球少年はみなマネをしたものだった。

父や母方の祖父が大相撲好きだったので、
ガキの頃には国技館開催の初場所、夏場所、秋場所には
よく連れてかれた。だから、
私にとって大相撲といえば蔵前だった。
あの雰囲気が好きだった。
外観は幟が所狭しと立ち並べられてたし、
仕度部屋や力士の風呂場を入口から覗くこともできた。ただ、
祖父が持ってた枡席は向正面だったので、
TVで観てるのと違って東西が逆になって勝手が違って
観戦するのに面倒くさかった、
という難点はあった。私は庶民なので、
地図もいつも南が下、というスタンスでしか見ないからである。
江戸時代の切絵図を見るのが難儀な由縁である。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ブルックリン生まれのチャ... | トップ | 「野球はピッチング、守備、3... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大鵬論 (稲毛忠治)
2013-01-27 12:21:33
初めまして。
私は貴方よりおそらく数歳下で、大鵬といえば晩年の休場がちな姿しか知りません。戸田に連勝を「止められた」のも後になって知りました。記憶にあるのは、貴ノ花に敗れた最期の一番だけです。
大鵬の死が伝えられた大相撲中継の中で何番か取組を見ましたが、強すぎるがゆえの優しさばかりが伝わってきました。
自分が100%の力を出したら相手が壊れてしまうのをわかっていたのでしょう。はっきりと強さを見せた北の湖とは正反対です。
かつてジャンボ鶴田が「バックドロップは相手によって落とす角度を変えている」と発言したのと通ずる部分ではないでしょうか。
きりがないので今日はこの辺で。
ありがとうございました。
返信する
「二子山系の兄弟でも双生児(ソーセージ)ではありませんが」 (passionbbb)
2013-01-28 00:02:28
稲毛忠治さん、コメント、ありがとうございました。
おっしゃるとおりですね。
子供の頃の私はそういうことが解りませんでした。
貴ノ花といえば子の若貴兄弟も
勝負が決したらそのあとはけっしてさらに突き出したり
ダメ押しをしなかったのが、死に体に強烈な追い打ちをkましたり
土俵上で膝蹴りまで平気でしてた朝青龍とは対照的でしたね。
返信する

コメントを投稿

歴史ーランド・邪図」カテゴリの最新記事