チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「新宿副都心道路の立体交差/淀橋浄水場廃止から50年」

2015年03月31日 16時17分56秒 | 歴史ーランド・邪図
新宿の京王プラザで待ち合わせると、
アプロウチを誤る人が少なくないので難儀することがある。
都庁舎も同様である。なぜなら、
新宿駅西側にあたる、いわゆる新宿副都心の一帯は、
道路がおおむね縦横二層の立体交差構造になってるからである。

1965年(昭和40年)3月31日に、
淀橋浄水場が廃止された。今日はその日から
50年にあたる日である。この浄水場の貯水プールの
プールサイドと底の高低差をそのまま
再開発の道路の位置に据えたので、
そのような立体交差となっているのである。
浄水場は南北は現在の
新宿三井ビルからKDDIビル、東西は現在の
京王プラザホテルから新宿中央公園の真ん中あたりまで、
に及んでた。新宿中央公園の
熊野神社から西側が(かつてあった)池を含めた十二社である。

ところで、
件の浄水場は「淀橋」という名がついてたが、それは、
明治時代にこのあたりが
♪丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線、
新宿西口、駅の前♪
と歌われてたわけではなく、
この浄水場跡地のもっと北に位置する
青梅街道が神田川に架かってた
橋の名(その由来は不詳である)から付いた村(淀橋村)などと
合併して淀橋町という、本来は関係のない名前となってたからである。

浄水場のあたりは本来は、
「角筈(つのはず)」という村だった。つまり、
現在の新宿駅東口の新宿3丁目の交差点あたりが
「(新宿)追分」といって、青梅街道と甲州街道の分岐点だったことから、
その分岐点から約1kmほどまでの範囲の内側の村を、
Yの字を横にした形、
つまり「筈」「鹿の角の筈形」に喩えた村名だったのである。
これより西側は幡ヶ谷村(「幡」から推察されるとおり八幡太郎縁)だった。
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