チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「未年/偶蹄目反芻獣単複同形のストレイ・シープ」

2015年01月02日 23時16分25秒 | 歴史ーランド・邪図
大晦日から元旦にかけて、
東京や神奈川でも雪が降ったところがあったらしい。

[天平十八年正月(現行暦換算755年12月から756年1月)白雪多零積地數寸也……云々]
「万葉集」巻17-3925(葛井連諸会(ふじゐのむらじもろあひ))
[新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波]
(あらたしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは)
(新しき 年の初めに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは)
「(拙大意)新しい年の初めに豊作の年がこれを前兆にするということなのだろう。
雪が降っているということは」

善とか美とか義とか祥なんて漢字があるくらいだから、
(従順な)羊(がたくさんいること)は「よきこと」を意味してるらしい。が、
いっぽうで、無抵抗な性質から吉祥だけでなく
ネガティヴ(凶)なことの象徴としてもとらえられてきた。

「千載和歌集」巻18「雑下」#1200俳諧歌
[山寺にまうてたりける時、かひふきけるをききてよめる](赤染衛門)
[けふもまた むまのかひこそ ふきつなれ ひつしのあゆみ ちかつきぬらん]
(今日もまた 午の貝こそ 吹きつなれ。羊の歩み 近づきぬらん)
「(拙大意)山寺に参詣したら今日もまた、正午の時を知らせる
法螺貝がね、吹かれたのですよ。羊が屠場に牽かれていくように
私の死も知らずしらずのうちに近づいてしまったということなのでしょうか」

大僧正慈円もこの言葉を引いてる。

[極楽へ まだ我が心 ゆきつかず。羊のあゆみ しばしとどまれ](「新古今集」#1933)

今年の干支は未(ヒツジ)である。
ここ数年でTVによく出るようになった女優に
「吉田羊(よしだ・よう)」がいる。
1974年生まれなので未年なわけでもないようである。
知らなければ男だと思ってしまうような変わった名なので
芸名だろうと思ったらあんのじょう同女は本名が
「羊右子(ようこ)」というのだそうである。
それでピピンときたのが
そんな名前をつける親(名づけたのが親とはかぎらないが)は
キリスト教徒ではないか、ということである。
きけばやはり、同女の父親は長崎生まれで
バプテスト久留米荒木教会で長らく牧師でをしてた
吉田晃児なのだそうである。
マタイ福音書には以下のようなことが
「神の裁き(最後の審判)」のタトエバナシとして記されてるらしい。

現世では善人悪人ごちゃまぜに生きてたが、最後の審判では、
主の「右(=英語のrightは曲がってないダイレクトな性質の物=正しさを表す)」には天国に行ける者を、
主の「左(=英語のleftは空気のような取るに足らない物=誤りを表す)」には地獄送りの者を、
というように差別され、整理される。といって、
キリスト教は「平等」「博愛」「慈悲」「罪の許し」をタテマエとしてるので、
"主は罪を許す"のである(下々が誰かの罪を許さないのは主の本意でない、で済む)。
ともあれそれは、昼間にはごちゃまぜに放牧してた
ヒツジとヤギは一緒に寝かせるとヤギがろくなことをしないので、
夜、寝る前には選別され分け隔てられ、
それぞれ別の場所に収容されるが如くである。
なぜなら、
ヒツジもヤギも等しく愚かな四つ足獣ながら、
ヒツジは主の"make 未 day"な、意のままに従順である
(個性はないので他者の身代わり犠牲になるのはどうってことない=慈悲深い)のに対し、
ヤギはときとして主の意に反して自分勝手に行動する
(個性を優先し自己愛がために他人への施しなどせず無思考に操られることがない=邪悪である)がゆえ、
ヒツジは主に祝福された清らかな者としてその右に選別収容され、
ヤギは主の気に障る汚れた者としてその左にはじきだされ隔離監禁されるからである。

そんなところである。だからおそらく、
自分の第5子(三女)に、主の右に選別されるような
"いい子"になりなさい、というような意図で名づけたと想像できる。
ところで、
英語ではsheepという名詞は「単複同形」とされてる。が、
ヒツジはメイメイおのおのの個体ではものの数にもならない、
cheapで個々では数えはしない性質の、
「群れ」としてだけやっと認識できるものだからである。
carp、salmon、sardine、sole、trout、tuna、bison、deerなども同様である。
ゆえに、
Bengalese、Chinese、Vietnamese、そして、Japaneseなど、
アジアの有色人種を彼らは魚群や家畜の群れと等しく認識してた。
They keep numbers of sheep in Asia.
加えて、白人ではあっても傭兵としてでしか稼ぐ方策がないSwissと
その植民地をとってかわって奪いたいPortugueseも
彼らにとっていまいましいことにかわりはなく、
ひとつの群れと故意にみなして蔑むことで溜飲を下げてたのである。

福岡県京都郡真崎村(架空の村)出身の小川三四郎は
なんとも答えず、ただ口の中で
迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した。
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