チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ブルックリン生まれのチャイコフスキーのくるみ割り人形だ、ガチョーン!/ダニー・ケイ生誕100年」

2013年01月18日 17時26分12秒 | 歴史ーランド・邪図
鳩山由紀夫がまたしても幸夫人を伴って、
"国賊という言葉が頭をよぎった"と
現職防衛相に言わしめるような行為をしたらしい。
久留米のゴム底地下足袋屋から
世界シェアのタイア屋に成り上がった血筋だけに、
政界をre-tireせざるをえなくなってもまだ
日本を貶めtireとやっきになってるのである。
社会のダニのような輩である。

今日、2013年1月18日は、米国の俳優・歌手だった
Danny Kaye(ダニー・ケイ、1913-1987)の
生誕100年にあたる日である。
ピンクレディのケイ女史でも錦織圭でもクリスタル・ケイでも肉食系でもない。
ビング・クロスビーや
ロウズメリ・クルーニー(ジョージ・クルーニーの伯母さん)女史と共演した
"White Christmas(邦題=ホワイト・クリスマス)"、
ジャズ・コルネット奏者レッド・ニコルズを描いた
"The Five Pennies(邦題=5つの銅貨)"
くらいしかその映画は観たことはないが、
1981年にNYのリンカン・センターで行われた
"An Evening With Danny Kaye and the New York Philharmonic"
(アニヴニング・ウィズ・ダニー・ケイ・アンダ・ニュー・ヨーク・フィルハーモニック)
というコンサートの公開収録番組がNHKでも放送されて、
それがとくに記憶に残ってる。ケイがメイジャーリーグベイスボール、
スィアトル・マリナーズ創設当時の共同オウナーだった頃である。
最初はズービン・メータが「こうもり序曲」をまともに指揮をするのだが、
次いで、20本ぐらいのタクトの束を手にした、
髪を金髪に染めた小泉純一郎元首相といった風貌の
ダニー・ケイが指揮台に登場して、まず手始めに、
ガチョーン! のような手振りでオケから音を出させる。そして、
ロッスィーニの「どろぼうかささぎ序曲」を振り始める。以降、
約1時間半にわたってファニー・芸を繰り広げる、
という趣向の番組である。
楽譜が読めないとは思えないほど、
"振り"はなかなか堂に入ったものだった。

途中、
「くるみ割り人形組曲」から数曲を振る。
ダニー・ケイといえばチャイコフスキー、
というくらい、同人にとって
チャイコフスキーは縁が深い存在である。なぜなら、
ロシア人作曲家の名前を並べ立てる、
"Tchaikovsky and Other Russians"
という、アイラ・ガーシュイン(ジョージの兄さん)が詞を書いて
「三文オペラ」のクアト・ヴァイルが曲をつけた
ヴォードヴィル用のパター・ソング(早口歌)は、
ダニー・ケイお得意のモチネタだったのである。
ダニー・ケイはウクライナ・ユダヤ移民の子として
NYのブルックリンで生まれた。
「くるみ割り人形組曲」を始めるに際して
「チャイコフフキーはブルックリン生まれで……」
という愚にもつかないウソネタで語りだす、
といった具合である。

それはさておき、ダニー・ケイの本名は、
Daniel Kaminski(ダニエル・カミンスキ)である。
その名から推察するに、ウクライナに流れる前は
ポーランドだったのだろう。ポーランド語で
kamien(nはアキュート・アクセント附き、カミエニ)、ウクライナ語で
камiнь(カミニ)は、
「石」を表す。その
Kaminskiの頭文字kを名前ふうのKayeと綴ったものを
芸名にしたのだろう。ともあれ、
チャイコフスキーのファースト・ネイムの
ピョートルも「石」を意味するのである。また、
ダニー・ケイは母を10代半ばで亡くしてる。
チャイコフスキーと同じ境遇である。その母の名は、
Claraだった。チャイコフスキーがカーメンカの妹を亡くし、
NYのカーネギー・ホールのこけら落としコンサートに招待された時期に
作曲をしてた「くるみ割り人形」の中の女の子の名である。
「中国の踊り」では、
バスーンが属音と主音をスタッカートで繰り返す伴奏が
フルートの主題に先んじて吹かれるが、
生真面目そうな若い女性奏者を制して突如、
その箇所をダニー・ケイは観客に口ずさませようとする。が、
観客は反応悪く、ノッてこない。そこでケイは、
"O, that's pathetic!"
(なっちゃないぜ、という意味にもなってる)
と嘆いてみせるのである。ちなみに、
米国で"fagott"は「ホモ・セクシュアル」という意味のslangでもある。
他にもさまざまなオチョクリやボケを見せるのだが、
この当時、オケには韓国人女性と日本人女性がいた。
「アリラン」や「証城寺の狸囃子」をケイは諳んじてみせて、
その二人をケイはイジりつつ、多才なところを示して
笑いをとったのである。いまさらいうまでもないが、
クレイジーキャッツの故谷啓のその芸名は、この
ダニー・ケイという芸名をもじったものである。
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