チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「馬鹿は死ななきゃなおらない/2代目広沢虎造+三木露風没後50年」

2014年12月29日 20時58分45秒 | 歴史ーランド・邪図
目黒通りのダイエー碑文谷店については以前に
(cf;「ダイエー碑文谷店と乗っ取り屋横井英樹の千一夜物語/横井英樹誕生から100年」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/eca5018898700f49f1aaf554966a346e )
で触れたが、その200mほど北北西のところに
碑文谷公園の南東側入口がある。そこには延命地蔵が建ってるが、
現在は東急東横線が高架となってるがこの地蔵脇はかつて
東急東横線の前身東京横浜電鉄の踏切
(碑文谷踏切だが、やはりかつてあった東海道線の碑文谷踏切とは別)
があった。ここで、
同鉄道が開業してまだ年月が浅かった1931年(昭和6年)に、
浪曲師広沢虎造が乗ったタクシーが進入し、
電車と追突して運転手と虎造の付き人と三味線弾きの3人が死亡する、
という事故があった。虎造だけが命拾いした。

本日は、
浪曲師2代め広沢虎造(ひろさわ・とらぞう、1899-1964)の
死後50年の日にあたる。また、その昭和39年12月29日は、
童謡「赤とんぼ」で知られる
三木露風が交通事故がもとで死んだ日でもある。
(cf;「赤とんぼ考(その5)母を訪ねて百五十里/碧へのマザコン補償行為としての赤」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/878e36c1ce87fcf9e8408e7b5db6b876 )
ちなみに、
奇遇なことに、ちょうど1年後の昭和40年12月29日に、
山田耕筰が死んでる。

それはともあれ、
2代め虎造といえばやはり、
次郎長三国志の森の石松を語るくだりである。

♪生まれついてのお人好し。それを世間じゃバカと言う。
 バカは死ななきゃ~、なおら~な~い~~~♪
が、バカは死んでも治らない。
バカにつける薬なし、とはよく言ったものである。
世の中には恩ある民に感謝もせず
そればかりか猿と蔑み、妬み恨む民もいる。
日本に住みながら、もしくは日本人国籍でありながら、
もっぱら日本を悪者にすべく活動してる者もいる。
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