チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「琳派誕生400年? そうだ、京都、行こう/光悦村誕生から400年」

2015年03月08日 14時44分45秒 | 歴史ーランド・邪図
映画"The Sound of Music"が米国で封切られて50年の
先週、得意の日帰り京都旅行をしてきた。今年は、
「舟橋蒔絵硯箱」
(川崎市川崎区観音ではなく台東区上野公園の東京国立博物館に所蔵されてる)
で知られる本阿弥光悦が家康から
鷹峯に土地を賜って
(茶の師古田織部が大阪の陣において
豊臣へのスパイ行為をしてたかどで切腹させられたことの連座で
京の中心地から追放された、とも)から400年の年にあたる。
そこには多種多様ないわゆる芸術家や職人が集まり、
一大文化村になったとされる。少なくとも、
光悦のもとには自らが見いだした俵屋宗達や
光琳の祖父尾形宗伯などが馳せ参じ、
金銀箔を用いる独自の美術様式を形成した。これをもって今年を
「琳派誕生400年」
とする運動があるようである。ともあれ、
光悦に関わりのある(菩提寺でもある)本法寺でも、
特別公開が行われたのでこの機に出かけてきた。

まず、
光悦村における光悦の屋敷の跡であるとされる
「光悦寺」には十数年ぶりに再訪した。
光悦垣の妙を久しぶりに目の当たりにした。

ついでにすぐ近所の源光庵にも立ち寄ってきた。

本法寺へのルート途中にあたる大徳寺にも寄り道して、
今回は非公開塔頭なので立花宗茂関連のものは観れないながら
寺中にある泉仙大慈院店でランチ懐石を摂った。

本法寺では
熱心な法華教徒だった光悦が
「日」という造詣の石と
「蓮」の池を配置して「日蓮」へのオマージュとして
作庭したとされてる「巴の庭」や、
「花唐草螺鈿経箱」などを観た。

それから、
近くの妙顕寺にも足を伸ばして
孟宗竹林の庭を観てきた。

帰りの新幹線まで少し時間があまったので、
虎屋菓寮京都一条店に寄って
葛切りを食してきた。

♪ラ<ミ>レ│ラ<シ>ソ│ソ<レ>ド│>ファーー│
>ミ<ファ<ソ│<ラ<シ<ド│<レ<♯レ<ミ│<ファーー♪
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